ケイさん語録

あっち行ったり、こっち来たり。

・農暦正月はエスニカルで、飛んで飛んでマラッカ/マレーシア幸せの旅。

2007-04-11 00:05:29 | 旅の身空で
ケイさん語録、旅Blogに初挑戦。
鬼が出るか蛇が出るか出たとこ勝負の気の向くまま足の向くまま。


まァ世の中、次ぎから次ぎへとサワギが起こりますが 忘れるのも早い。
一息入れたいですよ、もう。

そこで教科書にも載っているフランシスコ・ザビエルの東アジア布教の拠点Malaccaを訪(たず)ねた。
2007年の旧暦元旦は2月18日で新年が始まった。マレージアは華人も大勢いいる地域なので華人用にも旧暦新年を設定している。休日シーズンはいずこも同じ、移動用の中長距離バスは全ての行き先、全て満席札止め。何ゆえこんなに人が並んでいるんだろう。それは数日以降のチケットを手に入れるための行列である。急ぐ旅人はどうするんだ。ダフ屋さんのチケットを買うとか、白タクの乗り合いで行く方法がある。一応違法ではあるが白タクで一挙にマラッカへ向かった。日本ではお巡りさんの取締が厳しいのでなかなか見られないおおらかな方法で至極便利。でもねえ、凄く高いのだ。前回のときはマレー半島縦断旅でゆっくりとマラッカ遊山が出来なかったので今回は一点滞留型の旅である。
クアラルンプルから真南へ高速道路を飛ばして3時間弱に位置するマラッカはマレージア最古の街。歴史的名所はほとんどが河口の近くに集中しているので徒歩で見学できる。元旦数日前から宿をその近くに取った。それでは文化の坩堝/マラッカ(漢名:馬六甲)を順を追ってご案内。

Top マラッカの観光はスタダイスからど~ぞ。何でもかんでもここから始まりここで終わる。
右の大きな建物がスタダイス/Stadthuys。1650年、オランダ総督らの住居として建立。今は、Histric Museum と Ethnography Museumに変身して公開。その左手のかまぼこ屋根はオランダ風建築のProtestant Christ Churchで1735年建立。真ん中は噴水とClock Towerで大勢の観光客がここで記念撮影。左の奥は現在Malaysia Youth Museum。写真の左手にはMalacca Riverが流れている。観光案内所入り口から撮影する。


2nd St.Paul's Church。セントポールの丘に建つカソリック教会の廃墟。1521年、ポルトガル人によって建てられ、今は墓標がわずか淋しく建っている。フランシスコザビエル/Francisco de Xavierもここを拠点として亜細亜布教に奔走。日本にも行った。彼の遺骨ははじめここに埋葬されて後1553年にインドのゴアへ移された。手前がFrancisco de Xavier像。まん前の樹木が邪魔をしていてマラッカ海峡を見渡せない角度に立つザビエル像。ちょっと怖い話『ザビエルの右手』の謎はNet検索でご覧ください。

3rd サンチャゴ砦/Porta de Santiago(現地名:a Formosa)から見上げるSt.Paul's Church。女性のマレー衣装がカラフルで綺麗。

 
左:サンチャゴ砦/Porta de Santiago(a Formosa)。1512年にオランダ軍と戦うために建てられた。今は廃墟で記念撮影のマレー人もたくさん見学に来る。
右:独立宣言記念館/Proclamation of Independence Memorial。1912年、英国人のMalacca Club Houseとして建立。今はマレージア独立までの苦難の軌跡の展示場となっている。旧日本軍・日本政府関係の資料もたくさん有り。1956年に初代首相のトゥンク・アブドゥル・ラーマン・プトラ・ハジがここで独立宣言の公式文書を読み上げた。入場無料。

 
左:St.Paul's Churchの全景。下からここまで数分でよっこらしょ。年配の欧州人もたくさん見学に来る。
右:St.Paul's Church ruins outside Malacca。教会跡の前庭には小物土産売りが出ていた。マレー民族衣服(Baju Krong)のお姐さんが綺麗。

 
左:St.Paul's Church ruins inside Malacca。二番目の写真の教会中側。廃墟で一部分崩壊が始まり補強工事が行われていた。
右:船の博物館/Muzium Samudera。Malacca河に面したマラッカ船型の建物。1994年の落成と銘板に刻印有り。履き物を脱いでご“乗船”、靴下の穴ぼこにご注意。

 
左:Banyan Restaurant/Jalan Hang Jabat。マラッカ随一の古い華人街にある趣のある通りにあるレストラン。Jalan Hang JabatのJalanとはマレー語で“通り”の意。通称で“Jonker Street”。この通り一帯にはガイジン観光客を喜ばせてくれる骨董品屋、お土産屋、露天商、レストラン、Chinese & Hindu Temple、Mosque、Tea House、Guest House・・・何でも有り。神風旅行隊のかたはこの通りまで入ってはこない。
右:Decoration,Performance Stage Chinese New Year。Jonker Streetの西はずれには旧暦正月を祝う華人のために舞台が仮設される。夕暮れ時になるとけたたましい音楽と共に歌合戦や支那劇が始まる。屋台もずら~っと出てとても楽しく暮れていく。昼間は子供たちの遊び場かな。

13th 070220 0705 a.m. Cheng Hoong Teng Temple/Jalan Tukang Emas。マレージア最古の中国式寺院。資材の大部分は支那から運ばれて1646年に建立。新年三日目の20日になっても朝未(あさまだき)にかかわらず大勢の参拝者が訪れる。7時05分撮影時でもご覧の薄明。

15th スタダイスまん前のMalacca River沿いにあるレストラン。一等地のため値段は便乱坊だが便利さは抜群。目の前に観光バスがたくさんの旅人を運んで来ては去って行く。日本人旅客も大勢さん。

Last 上のレストランから小雨降る夕暮れ時に撮影したTan Kim Seng's Bridgeと華人系なら泣く子も黙るOCBC Bank。戦争中日本軍機による爆撃で破壊されたとの怪情報も有り。それを建て替えたのが現在の橋。橋の向こう500MくらいはMalacca海峡。“Jonker Street”はここから始まり右奥へ続く。

今回、鬼も蛇も出なかったがマラッカ州知事と握手が出来る幸せに恵まれた(単なる偶然)。売文物書き・漫才師・寝業師などの軽輩でもでんぐり返れば出来る日本の知事とは違ってこちらはNobles obligeが行政を担当している新興国家である。
以上、飛んでマラッカの旅を反芻しながら二度も三度も楽しみながら綴った。
機会があったら又お目に掛かりませう。次回の旅Blogは印度支那方面を大胆不敵にも工事中。

・フランシスコ・ザビエル (Wikipedia)。
・マラッカ (Wikipedia)。
・華僑銀行/OCBC銀行 (Wikipedia)。
・世界の中の日本文化 (『反日ワクチン』さんBlog)。

初稿:2007年04月。
負責人:kay Japan。 All Photo by kay。
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