10日のコンクールでの栄2 4チームの映像が
you tube にUPされました
kawaguchidagakudan で検索して下さい
最? の雄姿をご堪能???ご笑覧下さい
バックナンバーもあります
メンバーの岸Bさんの奥様有難うございました
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NHK放送は如何でしたか?
伊奈忠順は昔の絶対的専制君主政治の中
たとえ将軍の命とは言え、今の時代でも簡単にはいかないような事を
知恵と無謀なほどの粘りでその困難に打ち勝ち復興を成し得ました
そしてその後すぐの不審な死は何を意味するのでしょうか・・・・
さて、このパネルは 現在 川口信用金庫 本店(そごう裏)のロビーに展示されています
少し前には、武蔵野銀行川口支店、埼玉りそな銀行川口支店にもあり
廻っているようです よく見ると 3つの行列の中の「歴史行列」組の写真がメインです
伊奈家13人衆も1枚の写真に初代を筆頭に皆写っています
「川口宿、鳩谷宿 日光御成道まつり」実行委員会が3月19日に開かれます
今回の最後の会と言われていますが どんな結末となるのか?
次回はどうなるのか? 乞ご期待
いな ただのぶ と読みます 正式には
伊奈家7代目 関東郡代 伊奈半左衛門忠順
日光御成道まつり 歴史行列組でも登場しました
この方の話が明日6日(水曜日) 午後10時から
NHK総合「歴史秘話ヒストリア」で紹介されます
川口所縁の伊奈家
300年前の大地震と富士山噴火 この大災害からの復興を
担った一人の役人「忠順」の苦難との格闘その大活躍を是非ご覧下さい
以上 川口市HPのトピックスからの告知です
7日の祝賀会の続報です
地区内4番手と称している方の「万歳三唱」の場面が
とある元市P連副会長様より入手致しましたので
ご紹介します
「万歳」と言うより 応援団の「エール」のように見えます
腕は良く伸びていますが、反り返り過ぎて
下手するとそのまま後ろにひっくり返りそうです
これでは手本になりませんね 腰にも悪そうです
まだまだこれでは ベスト3には遠く及びません
新しいチャンネル
2月10日 午後6時 日暮里 某ホテル にての表記新年会へ
招待された川口初午太鼓連絡協議会 河野会長のお供での参加です
長い歴史に培われた伝統と格式に満ちた国内でも有数の太鼓チームです
師範から特待生、研修生、練習生と幾つものクラスが有り100名を超えるメンバーが
在籍しているようです 門下生の中には独立し「助六太鼓」を名乗ってチームを作って
広がっています また、ニューヨークやパリにも進出して日本の太鼓文化を広めています
司会者(メンバー)と招待客の英語でのやり取りは国際色豊かなチームならではの光景です
迎え太鼓で入場です
会長挨拶が終わると、各クラスのチームの太鼓の競演が始まります
宴も終わりに近づき、恒例の抽選会が始まります
受付で手渡された名札の裏に番号が打たれています
「助六太鼓」と焼印されたバチをゲットしました
会長を含む師範チームの演奏が始まり会は最高潮を迎えます
いろいろな刺激と感動をうけた会合でした
先週今週と続いた慌ただしい時の流れに、心の切り替えも儘ならず
過ごしていました 記事の日時の前後はお許し下さい
4日 告別式が終わり 虚脱感の中 夕方一通のメールが届きます
月曜日は「栄2打楽団」の定期練習日 欠席の返事を出していたのですが
「集まれるメンバーで石田さんへ 追悼太鼓を届けましょう」 と言う趣旨に動かされ
午後8時前 会場の体育館にバチを持って向かいます
いつもは集まりがあまり良くないのですが 既に多くのメンバーが集っています
今回だけは特別です 一緒にコンクールで演奏した思い出の曲を心を込めて打ちます
天まで届け!
このブログでは開店以来、特定出来る個人的な情報や思いの強い投稿は
極力控えるように努めてきましたが、今回その禁を破ります
29日 早朝6時 知人からの携帯電話の着信音で「まさか!」の思いが脳裏をよぎります
昨年6月頃、とても元気だった石田さんが突然の腰・背中の痛みを訴え
「整形外科にこれから行くんだ」との話を聞いた時にはギックリ腰にでもなったのかと
思っていました 数後日、検査を受けたら「すぐに大病院で検査してください」
「紹介状を書きます、いくつかの中から病院を選んでください」と告げられたと
ご本人から聞きました その後、病院が決まり、先ずは検査入院となる数日前に
私の事務所を訪れその流れをお話しして頂きました
病名は?と尋ねると 「自分自身もよくわからない、最初の医師も首をかしげていた」と・・
別れ際に「暫く留守になるけど、宜しく」と言い事務所を出ました
その約1週間後、再び事務所に見え
「都内の大学病院での精密検査の結果は、開腹手術が必要であるとの結論が出て
手術のための入院が決められた」とおっしゃいました その時の石田さん
のいつもの元気いっぱいのしゃべり方は今でもよく覚えています
他人事のように明るく語る様子はとても手術の必要な病人とは思えませんでしたから
7月下旬入院先の大学病院に仲間数人でお見舞いにまいりました
この日は第4日曜日、「資源回収」の午後です
術後にと思っていましたが、再検査の結果 別の症状を
抑えてからの手術と言う事になったそうで、手術はまだ先になりそうだというのを
本人からの電話で聞いたので、お見舞いに伺う事に致しました
到着すると、病室では無く談話室で我々を迎えてくれました
そして新築間もない高層の病棟の中を案内していただき、窓から見える景色の説明もされました
その時、そのご様子から我々は事の重大さに気付くことも、深刻な感情もありませんでした
「手術さえ成功すれば、必ず良くなるんだ」「また一緒に普通に会えるんだ」と・・・
8月に入り手術が終わったとの連絡が入りました
今までの経験では術後は1週間~10日位で退院される方が多かったので
お盆の休み前の退院だと思っていましたが
なかなか退院の連絡が入りません、そこで再びお見舞いに伺う事に
お元気そうでしたが、浮腫みが取れずまだしばらく入院継続との事でした
9月に入り、事務j所に退院の報告に本人がまた参りました
「どうやら悪性でしかも転移の可能性があると」やはり他人事のような物言いでした
そして10月に入り地区体育祭や「神幸祭」にも顔を出し、子供たちの太鼓の演奏を
気遣っていました
11月に入り、再入院の報告にまた訪れました
「抗癌治療」を受けることになったとの事でした
またお見舞いに伺いました、回を重ねるたびに
痩せていく御姿にどうにか快方に向かわれることを祈っておりました
2週間程で退院され12月の「餅つき大会」にも参加されていました
そして子供の定期練習にも顔を出していたそうです
お元気そうでしたが無理をされていたのかもしれません
そして今度は京都の病院で入院する事になったと知らされました
検査入院ですがそのまま長期入院になるかもとおっしゃっていましたが
数日で戻られ、再び元の病院に再再々入院され年を越すことに
年明けまた連絡が有り、7日から都内の別の大学病院に転院される事を
知らされました
1月27日 第4日曜日 資源回収が終わって 夕方
4回目のお見舞いに行くことに 病室に入ると衰弱され痛み止めの点滴のせいで
ほとんど意識も薄れているようでしたが 奥様のお声には反応され
私の存在も分かってくれているかのようでした
後を頼むというかのごとくのお顔をされていました
そこで初めて奥様から「褐色細胞腫」と言う病名を聞き
さらに難病であることを知りました そしてもう手の施しようもない事も
そして2日後の朝・・・・・
昨夜のお通夜、本日4日の告別式は恙無く終了致しました
謹んで皆様にご報告いたします
平成15年11月に 関さんと私の二人で立ち上げた「栄2打楽団」
翌16年4月のメンバー募集の町内回覧にいち早く応募された石田さんです
その石田さんが初午太鼓コンクールの出場経験者だったことを
その時初めて知り心強く思いました また同時に入団した松本英晴君、増田義之君
関 実加さんの6人で 練習を重ね 同年7月子供の「栄2太鼓クラブ」を
立ち上げ、募集の回覧で集まった10数人の子供達の指導が始まり
その後、口コミで加わった総勢大人10名、子供20名で
3月のコンクール初出場を目指しました
石田さんの子供に対する情熱は目を見張るものがありました
礼に始まり礼に終わるという今の練習スタイルは石田さんが始めた物です
そこで子供の指導は石田さん、大人は関さんと担当を決め
本格的練習がスタートしました
練習場所は町会会館の空調の無い1階フロアー
太鼓もありません 勿論大きな音を出すことは出来ません
そこで石田さん発案・製作によるザル太鼓10台が大活躍致します
出場約30チームの子供の部で 5年でベスト10、10年でベスト5を
目標にすることもこの時の僕らの合言葉でした
それから数年が経ち
年々順位を上げとうとう、1昨年には準優勝を果たすことが出来ました
創部7年目でした
その奇跡に近い成績を取れたのもひとえに石田さんの功績です
すべて石田さんの作曲による曲でエントリーを続けました
今では市内有数のチームと言われるようになりました
子供達には入部の記念にと一人ひとりに手作りで名前を彫り上げた「木札」を
作成し、それを首にかける時の石田さんの笑顔は今でも思い出されます
私にはサンプルだと言ってその第1号を作って頂きました
とても残念です そして無念です
まだまだあまりに若すぎます
病魔と闘っている石田さんに何の手助けも出来ませんでした
本日、最後のお別れを致しましたが
その御姿、立居振舞、お言葉は教え子の子供達、その保護者の方、
そして我々同志の心に深く刻まれています
心より、ご冥福をお祈りいたします
合掌
駅前そごうデパート新春恒例の開店イべント(今年は元旦から営業)に
毎年出演している「幸2親幸会」の太鼓演奏を聴くべく午後1時を目指して
出掛けます
まだ少し時間が有りますが正面入り口付近には既に多くの人が始まりを待っています
定刻になりミッキーマウスが午後1時を告げます
先ずは、小学生を中心とした子供チームの演奏で始まります
揃いの半被と鉢巻でバチ捌きも一人前です
見物人から多くの拍手が沸きます
続いて大人チームが始まります
初午コンクール大会で毎回上位3位内に入る強豪チームです
見応え聴き応え十分の演奏が続きます
後ろの大きな桶太鼓の重低音が腹に響き
前の締太鼓の細かいバチ捌きに聞き入ってしまいます
演奏最後は親幸会お得意の 沖縄 エーサーが始まります
中央にいるのが会長のT井さんです
音楽に合わせてのダイナミックな演舞で見物客を魅了しています
天気も良く 陽射しが心地よい暖かな日和の中
約30分の演奏を味わいました
15日は恒例の「おかめ市」 今年は土曜日とあって
多くの人出を予想していましたが 正午過ぎには生憎の雨が
夕方には止む予報ですがどうなるかな?
我が家はいつも昼過ぎに「おかめ」を買いに出かけます
空いているうちにとの考えですが
川口神社に近づくと
既に露店はオープン間近の慌ただしさの最中です
この露店は神社の脇から裏通りを通って駅まで続きます
雨のせいかまだまだ客の出だしは少ないようです
学校が休みとあって子供たちの姿もチラホラ見られます
境内脇の門から中へ入ります
毎年 同じ場所の同じ店に向かいます
いつもの店主が待ち構えてます
数ある店の中でどうしていつも?
それは父の代からのご贔屓だからです
年々おかめを大きくすると店も大きくなるとの伝説もありますが
当店ではそのスペースが限られているので毎年同じ大きさです
商談成立 恒例の手打ち式です 手拍子と大きな掛け声で商売繁盛
家内安全の願掛けです
帰り際に、本殿脇の特設売り場でこれまた恒例の
「かっこめ」を購入します
これで予定の買い物は終了 店に戻ります
午後7時には、今度はパトロールの為にまた訪れます