伊勢の国、別保では、そのころ毎日のように漁が行われていた。
ちょうど、平忠盛が、別保にきたときのことである。いつものように、漁師たちが網をひいていると、
「おっ、これはなんじゃ。」
と驚きの声があがった。
「何や。人のようにみえるぞ。」
「いや。猿のような顔をしているぞ。」
その場は、大さわぎになった。
よくみると歯の細かいところは、魚のようでもあるが、顔は、人のようにもみえる。横顔の口の出ているようなところは、猿にそっくりである。尾ひれのあるところなどは、魚とかわりがない。その上、漁師が近づいていくと、悲しそうにうめき声をあげるばかりか、涙まで流す。
おどろいてばかりもいられず、さっそく、それを忠盛に差し出した。ところが、それをみた忠盛は、
「これは、何たるものか。」
とおそれおののき、食べようとはしなかった。
漁師のもとにもどされた魚は、みんなにわけてあたえられた。勇気がいったが、食べてみても何ごともなかった。むしろ、味のよさに、取りあうようにしてたべたということである。
人々は、
「人魚というのは、このようなものか。」
と長く語り伝えた。
中別保の地名の由来は、北に大別保、西に別保上野があり、その中間に位置することにちなみ、中世以降「別保」ともよばれていた。聖武天皇の伊勢行幸(ぎょうこう)にさいし、天平12年(740)に行宮(あんぐう)が置かれたとされている。伊勢平氏と関係が深く、『古今著聞集 巻第20 魚虫禽獣 第30』には、平忠盛(1096~1153)が別保へきたとき、人魚を献上したと記されている。
(かわげの伝承から)
河芸町中別保に伝わる「人魚」にまつわるお話でした。
(マリーナ河芸にある「人魚」です。)
ちょうど、平忠盛が、別保にきたときのことである。いつものように、漁師たちが網をひいていると、
「おっ、これはなんじゃ。」
と驚きの声があがった。
「何や。人のようにみえるぞ。」
「いや。猿のような顔をしているぞ。」
その場は、大さわぎになった。
よくみると歯の細かいところは、魚のようでもあるが、顔は、人のようにもみえる。横顔の口の出ているようなところは、猿にそっくりである。尾ひれのあるところなどは、魚とかわりがない。その上、漁師が近づいていくと、悲しそうにうめき声をあげるばかりか、涙まで流す。
おどろいてばかりもいられず、さっそく、それを忠盛に差し出した。ところが、それをみた忠盛は、
「これは、何たるものか。」
とおそれおののき、食べようとはしなかった。
漁師のもとにもどされた魚は、みんなにわけてあたえられた。勇気がいったが、食べてみても何ごともなかった。むしろ、味のよさに、取りあうようにしてたべたということである。
人々は、
「人魚というのは、このようなものか。」
と長く語り伝えた。
中別保の地名の由来は、北に大別保、西に別保上野があり、その中間に位置することにちなみ、中世以降「別保」ともよばれていた。聖武天皇の伊勢行幸(ぎょうこう)にさいし、天平12年(740)に行宮(あんぐう)が置かれたとされている。伊勢平氏と関係が深く、『古今著聞集 巻第20 魚虫禽獣 第30』には、平忠盛(1096~1153)が別保へきたとき、人魚を献上したと記されている。
(かわげの伝承から)
河芸町中別保に伝わる「人魚」にまつわるお話でした。
(マリーナ河芸にある「人魚」です。)