なまけ者のさとり方
著 タデウス・ゴラス
定価(514円+税)
PHP文庫
2004年6月18日発売
まだ僕が高校時代にインターネットを始めて間もない頃、
チャットでとても仲良くなったおねえさんがいました。
そのおねーさんが紹介してくれた本がこの、なまけ者のさとり方です。
高校生の時に読んだとすると、実に半生、17年ぶりくらいに読んだことになります。
なんとなく記憶していたような箇所も多々ありましたが、
改めて読んでみて、やっぱり今感じるところもありました。
作者、タデウスゴラスは、1924年ニューヨーク生まれのポーランド系アメリカ人です。
出版関係の仕事をしていたようで、実は彼には日本語版のWikiもなく、
詳細は分かりませんが、宗教家ではないようで、思想家に近い人物だと思います。
内容はタイトルの通り、
なまけ者でもある筆者自身が、どのようにすれば悟りを開けるかを読者に紹介する本です。
彼独自の考え方や言い回し、造語があるので、理解しづらい部分もあるのですが、
簡単に言うなれば、
・愛は全てを包括する。
・他人を変えようとせず、また自分も変えようとしなくていい。
・幸せと不幸せはふりこのようにやってくるものだから、
悲しみや不幸せを悲しんでもいいが、悲しみ過ぎなくてもいい。
といったことが書かれています。
最もらしい言葉が続いたかと思えば自身が経験したLSDの話が出てきたりと、
ふわふわと言葉が浮いていて、少し怖いというか、悦っぽいなと思う箇所もありますが、
そもそも本にしても、講演会等にしても、学びはその中からいくつかを取り入れたり参考にするというものですから。
高校生の僕に、そのおねーさんが何を伝えたかったのか。
今となってはわからなくなりましたが、一ついえることは、
この時期になんとなく読んでみようと部屋においてあった本を、
読むべく時期に読めたなという感覚はあります。
今の自分にとても必要だったなと思うのです。
簡単にいうなれば、僕は「もっと、よいこと」をしたいのだと思うのです。
「もっと」とは、例えば仕事において、
すごす時間が少しでも楽しめたらいいじゃない、とか。
休みの日だって有意義に過ごしたいよね、とか。
意味とか充実感を優先して、その人の望む形や幸せのあり方を自分の型に、
はめようとしていた部分があるのだと思います。
まぁ少なからず誰しもがあることでしょうが。
この本を読んで、人に対して自分の価値観を伝えるときの角度が変わった気がします。
自分は自分で、人は人でいいし、意見を交わしてもいいし、取り入れても取り入れなくてもいい。
その人が望むことなら変わっていくだろうし、そうでなければ変わっていかない。
そのことで僕もとやかく悩んだりしているわけではないし、だけどそこに時間をかけている。
それは結果的に、自分という合わせ鏡になるわけだけど、それってなんか自慰的にも感じるの。
拡げたいという、この充実感を伝えたいって純粋な気持ちもあるんだけど、
なんかそれだけじゃないなって。
自分のコミュニケーションをふと立ち止まらせてくれる本でした。
インターネット上で賛否分かれる本ですが、
僕はとてもよかったです^^
最後に印象的だった言葉を紹介します。
・私たちはつい、自分は親切で善良でかしこい人だとばかり、思いたがっています。
つまり、自分は片一方の方ばかりに振れている振り子になろうと努力しているのです。
・あなたはどれくらい、許され愛されたいのですか。
それと同じだけのものを他の人にもあげて下さい。
とことん他の人にあなたの愛をあげて下さい。
・誰かが収縮し始めると、その人は収縮の度合がひどくなるにつれ、
かたまりとなり、スペース状態の人たちから追われているように思います。
追われているように感じたり、強制されているように感じるのは、
すべて収縮してしまった人の重さです。
・不安定な関係においては、私たちは基本的に次の二つの道のどちらかをとります。
一つは、相手と共通のバイブレーションのレベルに達して安定する方向です。
もう一つは、分離の方向で、互いのバイブレーションがどんどん乖離し、
ついには、お互いに互いの意識の外に出てしまって、
まったく接触を失ってしまいます。
・彼が今の状態から自分で抜け出せるということを、
まず知ってください。
しかも、彼を無視しないであげて下さい。
もっとも、彼が同じことばかり、何度もくり返していて、
あなたがあきあきしてしまったら話は別ですが。
あなたが注目してあげれば、彼は命を与えられたかのように感じるのです。
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