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それはとても晴れた日で。

2022年03月15日 13時21分53秒 | 子育て

3月15日お前が生まれた日だよ。
まだ、名前はない。

おかあさんに聞いたら、力強く乳首は吸うものの、
まだ保育器にいるんだって。

そりゃそうだよな、お前は一カ月も早くうまれてきてきてくれた。
予定日は、4月10日だったんだよ。

今は暁は寝てて、樹は学校。おかあさんは病室にいる。
生まれた時は、車にはねられたときと同じらしい、とても痛いって。

14日の夜、樹の誕生日会をしていたんだ。
ハンバーグとポテトと枝豆。樹が選んだものばかりだ。
そんなとき、おかあさんのおなかが痛くなった。
心配になったから、病院に行ったら、もしかしたらすぐに生まれてくるかもしれないって。

不安を抱えながら家に帰り、その日は早く寝ることにして、
だけど、おかあさんは何度も夜中に起きて、それで朝方病院に行くことにしたんだよ。

おかあさんは、一人で行くっていうんだけど、お父さんがそれを断った。
とても一人では行かせられないよな。コロナっていう病気は気になったし、にいちゃん2人のこともあるし。

病院についたのは6時。
お昼ごろには生まれるかもしれないって言われて、心配でたまらなかったよ。

いろんなことを頭によぎった。
名前のこと、これからの生活のこと、仕事のこと、苦しむおかあさんの顔。
不安そうな樹の顔、あっけらかんと騒ぐ暁。

とても何かを考えられるような気持ちじゃなくって、とにかく時間が経って、
また幸せに暮らしたいなって、そんなことばかりを考えていた。

おかあさんから連絡があった。
リモートで動画で生まれるときに立ち会えますよ。って。
正直迷ったけど、おかあさんの希望だったから、樹と暁と俺と3人で見た。

命がけで産むっていうのは本当なんだなって思った。
智子は生まれるまでにあまり時間のかからない方なんだって。
それでも、すごく苦しんでいて、もう無理ってなんども、痛いってなんども言ってたよ。

生まれた時、お前の泣き声を聞いた。安心して、涙が出た。
こわかったし、うれしかったし、おどろいたし、心が溶けそうだったよ。

2404gだったかな。1カ月早くても、それでも大きな子だと思った。

樹や暁は生まれたのが四日市だったから、お前の生まれる最初から最後まで、
その場にいたわけではなかったけれど、一番出産というものをリアルに感じられたんだ。
不安だった。不安しかなかった。本当にこわかったよ。
でも、お前は力強く、乳首を吸って、泣いていたんだ。

生まれたい、生きたいって叫んでいたんだ。

お父さんはむせび泣くということを人生で初めてした。
祈るわけでもないのに、土下座のような恰好で、顔を覆って泣いてしまったよ。
樹や暁の時も、ここまで気持ちがたかぶることはなかった。
なんでだろうな、いろいろ積み重なっていたんだと思う。

世界的な疫病もあったし、暁の時の出産もあって、無事に生まれてくるかなって気持ちもあった。

前の日に、暁と伊勢神宮の外宮さんを参っていた。
暁が声を出して「赤ちゃんが無事うまれますように」ってお願いしていたよ。
お前の生まれる瞬間は、大げさに言えば、天照大神さんが天岩戸から出てきてくださったかのように、
生まれた時、「輝」って言葉が浮かんだ。
朝方で暗い、朝に。まだ太陽が出きっていない朝に。

不安だったよ、本当に不安だったんだけど、
お前に早く会いたいって気持ちもすげぇあって、ああ、今はまだ言葉がまとまらん。

もうすぐ朝が早かった暁が起きる、そしたら、小学校へ樹を迎えに行って、習字に送る必要がある。
その間に、四日市ばあばと話をして、これからの生活のことを考えなくちゃいけない、お金のことも考えよう。

お前は本当に試練をくれた。お前自身の試練でもあったんだろう。
何度も何度も波のようにいつまでも引いては寄せて、だけど、そこには確かに感じられる愛があった。

お前のこと、育てるのは不安だけど、確かに愛を感じて、確かに早く会いたくて。
早く智子にキスもしてやりたい、よくがんばったって。

生まれてきてくれてありがとう。こんなに気持ちをかき乱してくれて、俺の心を育ててくれて。
お前といっしょにそだっていくよ、たくさん人生を楽しもう。

今日はすごく、晴れてるよ。
あんなに朝暗かった、曇り空なのに、晴れてるよ、幸せな人生を、共に過ごしていこう。

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