3月15日お前が生まれた日だよ。
まだ、名前はない。
おかあさんに聞いたら、力強く乳首は吸うものの、
まだ保育器にいるんだって。
そりゃそうだよな、お前は一カ月も早くうまれてきてきてくれた。
予定日は、4月10日だったんだよ。
今は暁は寝てて、樹は学校。おかあさんは病室にいる。
生まれた時は、車にはねられたときと同じらしい、とても痛いって。
14日の夜、樹の誕生日会をしていたんだ。
ハンバーグとポテトと枝豆。樹が選んだものばかりだ。
そんなとき、おかあさんのおなかが痛くなった。
心配になったから、病院に行ったら、もしかしたらすぐに生まれてくるかもしれないって。
不安を抱えながら家に帰り、その日は早く寝ることにして、
だけど、おかあさんは何度も夜中に起きて、それで朝方病院に行くことにしたんだよ。
おかあさんは、一人で行くっていうんだけど、お父さんがそれを断った。
とても一人では行かせられないよな。コロナっていう病気は気になったし、にいちゃん2人のこともあるし。
病院についたのは6時。
お昼ごろには生まれるかもしれないって言われて、心配でたまらなかったよ。
いろんなことを頭によぎった。
名前のこと、これからの生活のこと、仕事のこと、苦しむおかあさんの顔。
不安そうな樹の顔、あっけらかんと騒ぐ暁。
とても何かを考えられるような気持ちじゃなくって、とにかく時間が経って、
また幸せに暮らしたいなって、そんなことばかりを考えていた。
おかあさんから連絡があった。
リモートで動画で生まれるときに立ち会えますよ。って。
正直迷ったけど、おかあさんの希望だったから、樹と暁と俺と3人で見た。
命がけで産むっていうのは本当なんだなって思った。
智子は生まれるまでにあまり時間のかからない方なんだって。
それでも、すごく苦しんでいて、もう無理ってなんども、痛いってなんども言ってたよ。
生まれた時、お前の泣き声を聞いた。安心して、涙が出た。
こわかったし、うれしかったし、おどろいたし、心が溶けそうだったよ。
2404gだったかな。1カ月早くても、それでも大きな子だと思った。
樹や暁は生まれたのが四日市だったから、お前の生まれる最初から最後まで、
その場にいたわけではなかったけれど、一番出産というものをリアルに感じられたんだ。
不安だった。不安しかなかった。本当にこわかったよ。
でも、お前は力強く、乳首を吸って、泣いていたんだ。
生まれたい、生きたいって叫んでいたんだ。
お父さんはむせび泣くということを人生で初めてした。
祈るわけでもないのに、土下座のような恰好で、顔を覆って泣いてしまったよ。
樹や暁の時も、ここまで気持ちがたかぶることはなかった。
なんでだろうな、いろいろ積み重なっていたんだと思う。
世界的な疫病もあったし、暁の時の出産もあって、無事に生まれてくるかなって気持ちもあった。
前の日に、暁と伊勢神宮の外宮さんを参っていた。
暁が声を出して「赤ちゃんが無事うまれますように」ってお願いしていたよ。
お前の生まれる瞬間は、大げさに言えば、天照大神さんが天岩戸から出てきてくださったかのように、
生まれた時、「輝」って言葉が浮かんだ。
朝方で暗い、朝に。まだ太陽が出きっていない朝に。
不安だったよ、本当に不安だったんだけど、
お前に早く会いたいって気持ちもすげぇあって、ああ、今はまだ言葉がまとまらん。
もうすぐ朝が早かった暁が起きる、そしたら、小学校へ樹を迎えに行って、習字に送る必要がある。
その間に、四日市ばあばと話をして、これからの生活のことを考えなくちゃいけない、お金のことも考えよう。
お前は本当に試練をくれた。お前自身の試練でもあったんだろう。
何度も何度も波のようにいつまでも引いては寄せて、だけど、そこには確かに感じられる愛があった。
お前のこと、育てるのは不安だけど、確かに愛を感じて、確かに早く会いたくて。
早く智子にキスもしてやりたい、よくがんばったって。
生まれてきてくれてありがとう。こんなに気持ちをかき乱してくれて、俺の心を育ててくれて。
お前といっしょにそだっていくよ、たくさん人生を楽しもう。
今日はすごく、晴れてるよ。
あんなに朝暗かった、曇り空なのに、晴れてるよ、幸せな人生を、共に過ごしていこう。
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