古事記のオホアナムヂ(大穴牟遅神)の受難のシーンに、「𧏛貝比売」(真福寺本)とある。
爾くして、其の御祖命、哭き患へて、天に参ゐ上り、神産巣日之命に請しし時に、乃ち𧏛貝比売と蛤貝比売とを遣して、作り活けしめき。爾くして、𧏛貝比売きさげ集めて、蛤貝比売待ち承けて、母の乳汁を塗りしかば、麗しき壮夫と成りて出で遊行びき。
キサガヒとは、蚶と書くアカガイのこととされる。蚶の字があるにもかかわらず、わざわざ「𧏛」という字を用いている。新編全集本古事記に、「諸本に「〓(䚯かんむりに虫)」「𧏛」などとあるが、それらは字書にみえない。 「刮」に「虫」を加えて造字したものとする説に従う。「刮」は『新撰字鏡』 にキサグと読む字で、こそげ取るの意。キサは赤貝のことであるが、大穴牟遅神の復活の際、「石」に張り付いた体をキサグことを役割とする。」(78頁)と説明する(注1)。造字したとする説は字書にないので正しそうである。けれども、字書に見えない字は人に知られていないから、書き写す際に注意して書くと思われ、「刮」を「䚯」「討」に誤写する可能性は低いように思われる。すなわち、はじめから「〓(䚯かんむりに虫)」「𧏛」に作った意図的な造字なのであろう。
キサという語は、蚶のほか木目や象のこともいう。
蚶 唐韻に云はく、蚶〈乎談反、弁色立成に岐佐と云ふ〉は蚌の属、状は蛤の如く円くて厚し、外に理縦横に有り、即ち今の魽なりといふ。(和名抄)
橒 唐韻に云はく、橒〈音は雲、漢語抄に岐佐と云ふ。或説に、岐佐は蚶の和名なり、此の木の文は蚶貝の文と相似れり、故に取りて名くとす。今案ふるに、和名は義の相近きを取るも、此の字を以て木の名と為ること未だ詳かならず〉は木の文なりといふ。(和名抄)
象 四声字苑に云はく、𤉢〈祥両反、上声の重、字は亦た象に作る、岐佐〉は獣の名、水牛に似て大き耳、長き鼻、眼細く、牙長き者なりといふ。(和名抄)
ほかにキサという訓みに近しいものとして、キサリ(キは甲類)がある。アメワカヒコ(天若日子、天雅彦)の殯の場面に出てくる小道具である。
……乃ち其処に喪屋を作りて、河鴈を岐佐理持と為、鷺を掃持と為、翠鳥を御食人と為、雀を碓女と為、雉を哭女と為、如此行ひ定めて、日八日夜八夜以て遊びき。(記上)
即ち川雁を以て持傾頭者と持帚者とし、 一に云はく、鶏を以て持頭者とし、川雁を以て持帚者とすといふ。又、雀を以て舂女とす。 一に云はく、乃ち川雁を以て持傾頭者とし、亦持帚者とし、鴗を以て尸者とし、雀を以て舂女とし、鷦鷯を以て哭者とし、鵄を以て造綿者とし、烏を以て宍人者とし、凡て衆の鳥を以て任事すといふ。而して八日八夜、啼び哭き悲び歌ふ。(神代紀第九段本文)
ここで見られるキサリが何であるかは未詳とされているが、筆者は、実体としては、ハハキは箒、キサリは虎の皮とする説を提唱している(注2)。虎の皮は中身がなくとも、見せて脅かすに十分なものである。縦縞が脅しの道具として機能している。
左:張り子の虎(北尾重政画・江都二色(複製)、国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187053/14をトリミング)、右:アカガイ(毛利梅園・介譜(写)、国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1286742/1/40をトリミング)
翻って𧏛貝(蚶貝)(アカガイ)を見てみると、貝殻に筋の付いているところは虎の縞模様を思い起こさせる。また、二枚貝のなかでは胴がよく太っており、貝殻を黒褐色の毛が覆っているところも獣のようである。近似の貝にサルボウガイがあり、その名は猿頬に由来すると思われる。貝殻を開けて中を見ると、ふだん見慣れている貝の色と違って驚くほど赤い。血液中の色素にヘモグロビンを持っているからで、この点も貝というより獣に類している。
アメワカヒコの殯の場面では、河鴈(川雁)がキサリモチになっている。本居宣長・古事記伝は、「河鴈の頸のさま、此ノ伎佐理持の形状に類たることある故に、此ノ役を充たるなるべし、」(国会図書館デジ タルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1920805/1/329)と推論している。しかし、鴈(雁)は川に限らずどこにいても頸の形は同じである。カハカリとわざわざ断っているのは「川狩」との洒落であろう。川狩と言って思い浮かぶのは鵜飼である。
…… 逝き副ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも(万38)
鵜川立て 取らさむ鮎の 其が鰭は 吾にかき向け 念ひし念はば(万4191)
「鵜川立つ」という言い方をしている。いわゆる鵜飼は、実際に鵜を使ってする猟のほか、鵜が来ているかと魚に思わせ慌てさせて誘導する追い込み漁のこともそう呼ばれていた(注3)。竿の先に鵜の羽など目立つものを取りつけて、川面に打ちつけて脅かすのであった。
棹で水面をうつ(肥前州産物図書、国立公文書館https://www.digital. archives.go.jp/img.L/708699をトリミング)
ここに「𧏛」字の義が理解される。古代に「虫」字は這う虫全般を指した。川狩の仕儀は河鴈(川雁)によって行われるものとして認められている。鵜飼、すなわち、「鵜河立つ」ことにおいて水面を叩いて魚を驚かせるように、陸上でなら土竜打ちのように地面付近や地中にひそむ「虫」を脅すものである。キサガヒがおどろおどろしい姿をしているのは、水中の虫を威圧するためであると見なしたということである。見た目の恐さを表す字として、「𧏛」という字は義をよく伝えている。 説文に「誅 討也。从レ言朱声。」、漢書・刑法志に「夫れ暴を征し悖を誅すは、治の威なり。(夫征レ暴誅レ悖、治之威也。)」とあって、統治にあたって威圧してかかるのは有効な方法である(注4)。 そして、キサガヒはアカガイのことだったから、「誅」の字の旁に色目は同じである。その「誅」と同義なの が「討」であり、異体字は「䚯」である。虫を相手に脅しつけて討つのには、縦縞模様が効果的と考えられたということである。キサの文は縦に入っている。アカガイの様子をきちんと文字に具現化した造字であった。
(注)
(注1)西宮1978.に「こそげる意の「刮」に「虫」を加えて 「〓(刮+虫)」字を作字したものと思う。」 (53頁)とある。しかし、この場面でアカガイがキサグ役割を果たしているからといって、ふだんのアカガイは泥の中に生息しており、岩肌から獲物をキサグようなことはない。キサガヒと呼ばれていたから、話のなかでスクレーパーの役割を任されている。それだけのことでわざわざ造字するとは考えにくく、その時にキサグと調む「削」字を用いなかった理由も説明できない。ただ、新撰字鏡に、「刮 古䫄反、入、削也、咸(?)也。」とあり、「咸」が「威」に見えなくもない点については検討の余地がある。
(注2)拙稿 「記紀説話に見られる殯(もがり)の際のキサリ(岐佐理・傾頭)について」https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/68e54b13ab8f8efecaf85b6d0f1f1d9b参照。
(注3)可兒1966.参照。
(注4)詩経・秦風・小戎に、「蒙伐なる伐に蒙るに苑たるあや有り 虎韔なる虎の韔、鏤膺と膺に鏤めたるあり(蒙伐有苑 虎韔鏤膺)」とある。中ぐらいの戈は鳥の羽で飾られ、虎の毛皮で作った弓筒と金が散りばめられた胸繋がある、といった意味である。 毛詩正義の伝に「蒙、討レ羽也。伐、中干也。苑、文貌。」、箋に「討、雑也。 画二雑羽之文於一レ伐。故曰二尨伐一。」、また伝に「虎、虎皮也。韔、弓室也。」といい、おどろおどろしくするための装飾である。虎の弓室といっても皮を使っているだけだから中は空洞で、虎が生き返って襲いかかって来るわけではない。五経図彙・巻中に図解が載る。
左:「虎韔」・右:「小戎図」(五経図彙・巻中、雨粟荘ホームページhttps://www.moroo.com/uzokusou/gokyozui/)
(引用・参考文献)
可兒1966. 可兒弘明『鵜飼─よみがえる民俗と伝承─』中央公論社(中公新書)、昭和41年。
新編全集本古事記 山口佳紀・神野志隆光校注・訳『新編日本古典文学全集1 古事記』小学館、1997年。
西宮1978. 西宮一民編『古事記 修訂版』おうふう、昭和53年。
※本稿は、2013年2月の旧稿を2023年5月に訂正し、大幅に改稿したものである。
爾くして、其の御祖命、哭き患へて、天に参ゐ上り、神産巣日之命に請しし時に、乃ち𧏛貝比売と蛤貝比売とを遣して、作り活けしめき。爾くして、𧏛貝比売きさげ集めて、蛤貝比売待ち承けて、母の乳汁を塗りしかば、麗しき壮夫と成りて出で遊行びき。
キサガヒとは、蚶と書くアカガイのこととされる。蚶の字があるにもかかわらず、わざわざ「𧏛」という字を用いている。新編全集本古事記に、「諸本に「〓(䚯かんむりに虫)」「𧏛」などとあるが、それらは字書にみえない。 「刮」に「虫」を加えて造字したものとする説に従う。「刮」は『新撰字鏡』 にキサグと読む字で、こそげ取るの意。キサは赤貝のことであるが、大穴牟遅神の復活の際、「石」に張り付いた体をキサグことを役割とする。」(78頁)と説明する(注1)。造字したとする説は字書にないので正しそうである。けれども、字書に見えない字は人に知られていないから、書き写す際に注意して書くと思われ、「刮」を「䚯」「討」に誤写する可能性は低いように思われる。すなわち、はじめから「〓(䚯かんむりに虫)」「𧏛」に作った意図的な造字なのであろう。
キサという語は、蚶のほか木目や象のこともいう。
蚶 唐韻に云はく、蚶〈乎談反、弁色立成に岐佐と云ふ〉は蚌の属、状は蛤の如く円くて厚し、外に理縦横に有り、即ち今の魽なりといふ。(和名抄)
橒 唐韻に云はく、橒〈音は雲、漢語抄に岐佐と云ふ。或説に、岐佐は蚶の和名なり、此の木の文は蚶貝の文と相似れり、故に取りて名くとす。今案ふるに、和名は義の相近きを取るも、此の字を以て木の名と為ること未だ詳かならず〉は木の文なりといふ。(和名抄)
象 四声字苑に云はく、𤉢〈祥両反、上声の重、字は亦た象に作る、岐佐〉は獣の名、水牛に似て大き耳、長き鼻、眼細く、牙長き者なりといふ。(和名抄)
ほかにキサという訓みに近しいものとして、キサリ(キは甲類)がある。アメワカヒコ(天若日子、天雅彦)の殯の場面に出てくる小道具である。
……乃ち其処に喪屋を作りて、河鴈を岐佐理持と為、鷺を掃持と為、翠鳥を御食人と為、雀を碓女と為、雉を哭女と為、如此行ひ定めて、日八日夜八夜以て遊びき。(記上)
即ち川雁を以て持傾頭者と持帚者とし、 一に云はく、鶏を以て持頭者とし、川雁を以て持帚者とすといふ。又、雀を以て舂女とす。 一に云はく、乃ち川雁を以て持傾頭者とし、亦持帚者とし、鴗を以て尸者とし、雀を以て舂女とし、鷦鷯を以て哭者とし、鵄を以て造綿者とし、烏を以て宍人者とし、凡て衆の鳥を以て任事すといふ。而して八日八夜、啼び哭き悲び歌ふ。(神代紀第九段本文)
ここで見られるキサリが何であるかは未詳とされているが、筆者は、実体としては、ハハキは箒、キサリは虎の皮とする説を提唱している(注2)。虎の皮は中身がなくとも、見せて脅かすに十分なものである。縦縞が脅しの道具として機能している。
左:張り子の虎(北尾重政画・江都二色(複製)、国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187053/14をトリミング)、右:アカガイ(毛利梅園・介譜(写)、国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1286742/1/40をトリミング)
翻って𧏛貝(蚶貝)(アカガイ)を見てみると、貝殻に筋の付いているところは虎の縞模様を思い起こさせる。また、二枚貝のなかでは胴がよく太っており、貝殻を黒褐色の毛が覆っているところも獣のようである。近似の貝にサルボウガイがあり、その名は猿頬に由来すると思われる。貝殻を開けて中を見ると、ふだん見慣れている貝の色と違って驚くほど赤い。血液中の色素にヘモグロビンを持っているからで、この点も貝というより獣に類している。
アメワカヒコの殯の場面では、河鴈(川雁)がキサリモチになっている。本居宣長・古事記伝は、「河鴈の頸のさま、此ノ伎佐理持の形状に類たることある故に、此ノ役を充たるなるべし、」(国会図書館デジ タルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1920805/1/329)と推論している。しかし、鴈(雁)は川に限らずどこにいても頸の形は同じである。カハカリとわざわざ断っているのは「川狩」との洒落であろう。川狩と言って思い浮かぶのは鵜飼である。
…… 逝き副ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも(万38)
鵜川立て 取らさむ鮎の 其が鰭は 吾にかき向け 念ひし念はば(万4191)
「鵜川立つ」という言い方をしている。いわゆる鵜飼は、実際に鵜を使ってする猟のほか、鵜が来ているかと魚に思わせ慌てさせて誘導する追い込み漁のこともそう呼ばれていた(注3)。竿の先に鵜の羽など目立つものを取りつけて、川面に打ちつけて脅かすのであった。
棹で水面をうつ(肥前州産物図書、国立公文書館https://www.digital. archives.go.jp/img.L/708699をトリミング)
ここに「𧏛」字の義が理解される。古代に「虫」字は這う虫全般を指した。川狩の仕儀は河鴈(川雁)によって行われるものとして認められている。鵜飼、すなわち、「鵜河立つ」ことにおいて水面を叩いて魚を驚かせるように、陸上でなら土竜打ちのように地面付近や地中にひそむ「虫」を脅すものである。キサガヒがおどろおどろしい姿をしているのは、水中の虫を威圧するためであると見なしたということである。見た目の恐さを表す字として、「𧏛」という字は義をよく伝えている。 説文に「誅 討也。从レ言朱声。」、漢書・刑法志に「夫れ暴を征し悖を誅すは、治の威なり。(夫征レ暴誅レ悖、治之威也。)」とあって、統治にあたって威圧してかかるのは有効な方法である(注4)。 そして、キサガヒはアカガイのことだったから、「誅」の字の旁に色目は同じである。その「誅」と同義なの が「討」であり、異体字は「䚯」である。虫を相手に脅しつけて討つのには、縦縞模様が効果的と考えられたということである。キサの文は縦に入っている。アカガイの様子をきちんと文字に具現化した造字であった。
(注)
(注1)西宮1978.に「こそげる意の「刮」に「虫」を加えて 「〓(刮+虫)」字を作字したものと思う。」 (53頁)とある。しかし、この場面でアカガイがキサグ役割を果たしているからといって、ふだんのアカガイは泥の中に生息しており、岩肌から獲物をキサグようなことはない。キサガヒと呼ばれていたから、話のなかでスクレーパーの役割を任されている。それだけのことでわざわざ造字するとは考えにくく、その時にキサグと調む「削」字を用いなかった理由も説明できない。ただ、新撰字鏡に、「刮 古䫄反、入、削也、咸(?)也。」とあり、「咸」が「威」に見えなくもない点については検討の余地がある。
(注2)拙稿 「記紀説話に見られる殯(もがり)の際のキサリ(岐佐理・傾頭)について」https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/68e54b13ab8f8efecaf85b6d0f1f1d9b参照。
(注3)可兒1966.参照。
(注4)詩経・秦風・小戎に、「蒙伐なる伐に蒙るに苑たるあや有り 虎韔なる虎の韔、鏤膺と膺に鏤めたるあり(蒙伐有苑 虎韔鏤膺)」とある。中ぐらいの戈は鳥の羽で飾られ、虎の毛皮で作った弓筒と金が散りばめられた胸繋がある、といった意味である。 毛詩正義の伝に「蒙、討レ羽也。伐、中干也。苑、文貌。」、箋に「討、雑也。 画二雑羽之文於一レ伐。故曰二尨伐一。」、また伝に「虎、虎皮也。韔、弓室也。」といい、おどろおどろしくするための装飾である。虎の弓室といっても皮を使っているだけだから中は空洞で、虎が生き返って襲いかかって来るわけではない。五経図彙・巻中に図解が載る。
左:「虎韔」・右:「小戎図」(五経図彙・巻中、雨粟荘ホームページhttps://www.moroo.com/uzokusou/gokyozui/)
(引用・参考文献)
可兒1966. 可兒弘明『鵜飼─よみがえる民俗と伝承─』中央公論社(中公新書)、昭和41年。
新編全集本古事記 山口佳紀・神野志隆光校注・訳『新編日本古典文学全集1 古事記』小学館、1997年。
西宮1978. 西宮一民編『古事記 修訂版』おうふう、昭和53年。
※本稿は、2013年2月の旧稿を2023年5月に訂正し、大幅に改稿したものである。