本日はかすみFCウィスティリアのトレーニングだった。トレーニング中に保護者の方が発したある一言に私は思わずクスっと笑ってしまった。なぜトレーニング中に保護者の方の一言があるのか・・・。今日は先日の18日に行う予定だったトレーニングマッチが本日に延期されていた為、トレーニングの後半はゲーム(トレーニングマッチ)だった。そのトレーニングマッチの中である出来事がおこりひとりの子供がベンチに下がっていた。そこに保護者の方がぬれたタオルを持ってきてくれており、そのときにある一言を発したのである。
その言葉は「だんだん体育会系になってきたねぇ」である。
体育学部出身の私は、周囲の人間からは体育会系と捉えられていると思う。スポーツをやっている人、スポーツ系の学校にいっている人のほとんどが体育会系といわれた経験があると思う。
そして「体育会系」という言葉は良いようにも悪いようにもとられることがあると思う。
本日のこの言葉が生まれた状況はこうである。
8人制のトレーニングマッチ。
相手は近くの少年サッカーチーム。学年は2年生~6年生まで。全員で11人。ちなみに6年生は3人。
試合はパワーに勝る相手チームがやや優勢。しかし5年生の人数がもっとも多いウィスティリアもトレーニングで身につけた、ドリブル、フェイント、ターンを駆使して攻撃の糸口を探す。また、本日の試合では苦手なDF(ボールを奪いにいく)も積極的に頑張っていた。1vs1のon tha ballではそんなに負けていなかった。
そんな試合中、3年生の選手の顔面に相手チームの選手のフルパワーでのインステップキックが至近距離で直撃。その子は文字通り吹っ飛んで地面に倒れた。
周りはその状況に唖然。ボールを蹴った相手チームの選手も唖然。ボールはサイドラインを割ったが、周りの選手はみな動きを止めていた。
審判をしていた私から見てもこれば痛い!!というボールの強さと当たり方だった。怪我につながったとは思わなかったが、さすがに3年生の女の子が始めて顔面に直撃弾をくらったので、今日の試合中にはそのショックから立ち直れないかなと思いながらゆっくり近寄っていった。
こういう状況は試合中であれば起こりうることであるし、相手もわざとやったわけではない、お互いが一生懸命、夢中にプレーしていた中で起こったこと。当たり前に起こることであり、大騒ぎすることでもない。そしてそういうことを小学生の段階から知っておいて欲しい。だから大袈裟に心配したりあわてて近づくようなことはしない。むしろ「大丈夫!大丈夫!」「大したことじゃないよ」というスタンスで子供たちに接する。
それでもあたった子供は4月にサッカーを始めたばかりのまだ小さな3年生。「大丈夫!大丈夫!」と口では言いながら、「どうなるかなぁ」「今日はもうだめかなぁ」と心の中では思っていた。
しかし、その時のその選手の対応はまさに「体育会系」だった。
私がその子のところにたどり着く前にすくっと立ち上がり、涙をふきながら、それ以上涙がでないように必死でこらえ、そして涙を見られないように・痛みをこらえるかのようにみんなに背を向けその場を歩き出した。
そう、必死に痛みに耐え、ショックに耐え、そしてもてる限りの力で強がっていたのである。すくなくとも私にはそう見えた。
そして交代させてベンチで休ませている間に、保護者の方がぬれたタオルを持ってきてくれた。そのときも保護者の方に甘えるでもなく、心配しているチームメイトに対して痛みを見せないように必死で耐えていた。もちろんすでに涙は止まっていた。それとも必死でも止めていたのか。
そのときにその保護者の方から、「だんだん体育会系になってきたねぇ」と一言。
私もそうだなぁとその子の行動(頑張り)に感心し、そしてその子の頑張りになんともいえない気持ちになってくすっときたのである。
「体育会系」。私もよく言われてきた。何が体育会系なんだろう。スポーツ中心の生活をしていたり、スポーツの学問を専門として勉強してきたことが体育会系の人間といわれる所以なのだろうか。
元気、礼儀正しい、はきはき喋れる、健康、目上の人の言う事をきく、など「体育会系」のもつイメージはこんなところだろうか。
いや違う。それだけではないはずだ。スポーツがもっている、何かをガマンしたり、つらいこと・楽しくないことがあってもそれから逃げず立ち向かう、人に甘えず自分の力で解決しようとする、そんな状況を経験し、そのことによって強い人間(自分の力で考え、実行できるようになる・しようとする強さ、つらいことを克服しようとする強さ、etc)になることが体育会系の人間になるということではないか。そして体育会系を経験する、継続することが人として必要なパーソナリティ、教育界で言われている「生きる力」を身につけることになるのではないか。
今日の3年生の選手の行動はこのようなことを、サッカーの試合中のなかのある出来事を経験することによって身につけた、或いは発揮しようとしたのではないか。
スポーツをやっていれば当たり前のように目にする状況でも、成長過程の子供たちにとっては一つ一つが成長する糧になっているんだなと感じた。
スポーツは生活の中で起こりうるいろいろな状況を凝縮させて、形を変えて体験させてくれる。
そしてそれを体験することによって「人間力」が身につく。
今日はみんなとても頑張った!!
その言葉は「だんだん体育会系になってきたねぇ」である。
体育学部出身の私は、周囲の人間からは体育会系と捉えられていると思う。スポーツをやっている人、スポーツ系の学校にいっている人のほとんどが体育会系といわれた経験があると思う。
そして「体育会系」という言葉は良いようにも悪いようにもとられることがあると思う。
本日のこの言葉が生まれた状況はこうである。
8人制のトレーニングマッチ。
相手は近くの少年サッカーチーム。学年は2年生~6年生まで。全員で11人。ちなみに6年生は3人。
試合はパワーに勝る相手チームがやや優勢。しかし5年生の人数がもっとも多いウィスティリアもトレーニングで身につけた、ドリブル、フェイント、ターンを駆使して攻撃の糸口を探す。また、本日の試合では苦手なDF(ボールを奪いにいく)も積極的に頑張っていた。1vs1のon tha ballではそんなに負けていなかった。
そんな試合中、3年生の選手の顔面に相手チームの選手のフルパワーでのインステップキックが至近距離で直撃。その子は文字通り吹っ飛んで地面に倒れた。
周りはその状況に唖然。ボールを蹴った相手チームの選手も唖然。ボールはサイドラインを割ったが、周りの選手はみな動きを止めていた。
審判をしていた私から見てもこれば痛い!!というボールの強さと当たり方だった。怪我につながったとは思わなかったが、さすがに3年生の女の子が始めて顔面に直撃弾をくらったので、今日の試合中にはそのショックから立ち直れないかなと思いながらゆっくり近寄っていった。
こういう状況は試合中であれば起こりうることであるし、相手もわざとやったわけではない、お互いが一生懸命、夢中にプレーしていた中で起こったこと。当たり前に起こることであり、大騒ぎすることでもない。そしてそういうことを小学生の段階から知っておいて欲しい。だから大袈裟に心配したりあわてて近づくようなことはしない。むしろ「大丈夫!大丈夫!」「大したことじゃないよ」というスタンスで子供たちに接する。
それでもあたった子供は4月にサッカーを始めたばかりのまだ小さな3年生。「大丈夫!大丈夫!」と口では言いながら、「どうなるかなぁ」「今日はもうだめかなぁ」と心の中では思っていた。
しかし、その時のその選手の対応はまさに「体育会系」だった。
私がその子のところにたどり着く前にすくっと立ち上がり、涙をふきながら、それ以上涙がでないように必死でこらえ、そして涙を見られないように・痛みをこらえるかのようにみんなに背を向けその場を歩き出した。
そう、必死に痛みに耐え、ショックに耐え、そしてもてる限りの力で強がっていたのである。すくなくとも私にはそう見えた。
そして交代させてベンチで休ませている間に、保護者の方がぬれたタオルを持ってきてくれた。そのときも保護者の方に甘えるでもなく、心配しているチームメイトに対して痛みを見せないように必死で耐えていた。もちろんすでに涙は止まっていた。それとも必死でも止めていたのか。
そのときにその保護者の方から、「だんだん体育会系になってきたねぇ」と一言。
私もそうだなぁとその子の行動(頑張り)に感心し、そしてその子の頑張りになんともいえない気持ちになってくすっときたのである。
「体育会系」。私もよく言われてきた。何が体育会系なんだろう。スポーツ中心の生活をしていたり、スポーツの学問を専門として勉強してきたことが体育会系の人間といわれる所以なのだろうか。
元気、礼儀正しい、はきはき喋れる、健康、目上の人の言う事をきく、など「体育会系」のもつイメージはこんなところだろうか。
いや違う。それだけではないはずだ。スポーツがもっている、何かをガマンしたり、つらいこと・楽しくないことがあってもそれから逃げず立ち向かう、人に甘えず自分の力で解決しようとする、そんな状況を経験し、そのことによって強い人間(自分の力で考え、実行できるようになる・しようとする強さ、つらいことを克服しようとする強さ、etc)になることが体育会系の人間になるということではないか。そして体育会系を経験する、継続することが人として必要なパーソナリティ、教育界で言われている「生きる力」を身につけることになるのではないか。
今日の3年生の選手の行動はこのようなことを、サッカーの試合中のなかのある出来事を経験することによって身につけた、或いは発揮しようとしたのではないか。
スポーツをやっていれば当たり前のように目にする状況でも、成長過程の子供たちにとっては一つ一つが成長する糧になっているんだなと感じた。
スポーツは生活の中で起こりうるいろいろな状況を凝縮させて、形を変えて体験させてくれる。
そしてそれを体験することによって「人間力」が身につく。
今日はみんなとても頑張った!!
コーチとして小さな成長でも見逃さないようによく子供たちを観ておかなければと思います。
サッカーってある意味格闘技ですよね~
痛いこといっぱいだし、女の子とはいえ正々堂々、スライディングとかチャージだとか体使ってますしね。
ボールをみぞおちにはまってうずくまったり、蹴られたり、それでもサッカーやめない娘はなんなんだ・・と、思ってました。楽しんでしょうね。そんなことよりも、
奥の深い競技です、ほんとに。
みんながんばれ!!