日本は津波による大きな被害を受けるだろう UFOアガルタのシャンバラ

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鬼八は健脚で、風のように駆けるとされ、昼間に棲み処を出ては阿蘇山の麓まで荒らしまわり、夜になると岩屋の奥深くへと隠れてしまう。高千穂近郷の人々は鬼八の悪事に苦しめられていた。(6)

2024-03-26 12:49:38 | 森羅万象

 

 

『地球を支配するブルーブラッド 爬虫類人DNAの系譜』

スチュアート・A・スワードロー   徳間書店  2010/6/18

 

 

 

<エイリアン集団紳士録>

<アルデバラン   ゲルマン人とバイキングを創作・管理>

・典型的なアーリアン型で金髪で青い目を持つ。薄い茶色か中ぐらいの茶色の髪で、目がヘーゼル(はしばみ)色の人もいる。この集団は、ゲルマンの諸民族とスカンジナビア人、特にバイキングの創作と管理を担当した。強い関心を持って、こと座文明の再創造を支援している。よくノルディック人と混同されることがあるが、ノルディック人は、もっと背が高く傲慢である

 

<アルクトゥルス  ローマ帝国建設を手伝った精神性の高い種>

・非常に精神性の高い種である。原始的な形態の宇宙旅行技術(地球より発達しているが、シリウス人ほどハイテクではない)を保有している。白いローブを着た聖職者層が支配している。

 

<りゅう座人(ドラコ) このレプティリアン型生物の交雑種がイルミナティ>

・地球の月は、永劫の昔、レムリア大陸への入植の時代に、軌道上に設置されたりゅう座人の宇宙船である。分断して征服することを画策する彼らは、リゲルとともに海を沸騰させたり、大地を焼き焦がしたりしたように、暴虐さで有名である。

 

・りゅう座人は、地球に巨大な地下基地、金星にコロニーを持っている。地球には二番目の月が配置されている。1997年にヘール・ボップ彗星に隠れて到達した。そこにいるのは、純血爬虫類人である。交配人種であるイルミナティは地球の支配を行っている。

 

<プレアデス   こと座からの避難民、長身金髪のノルディック>

・ノルディック、背の高い金髪とも言われる。元々は、こと座(リ-ラ)文明からの避難民であるが、7つの恒星と15の入植済みの惑星からなるプレアデス星系の存在である。

 

・1959年に米国政府がリゲル人に騙されたことに気付いた後、技術格差を埋めるためにプレアデス人が招聘された。だが、過去、彼らは、ヒトラーの人類浄化政策を画策し、仏教を堕落させた。チベットに広大な地下基地を持っている。

 

・プレアデス人は、ローブを着た白い姿で現れる非物質的存在が率いる最高評議会の指揮下にある。プレアデス人の一集団(アトランと言われる)が、アトランティスに入植した。小柄で青い肌をした集団がプレアデス人と一緒に行動している。

 

 

 

『地球を支配するブルーブラッド 爬虫類人DNAの系譜』

スチュアート・A・スワードロー   徳間書店  2010/6/18

 

 

 

爬虫類人(レプティリアン)の物理的遺伝子は金髪青眼(紅毛碧眼)のこと座(リーライアン)から調達

・爬虫類人(レプティリアン)が物質世界で活動するためには、物理的な遺伝子が必要だった。透明人たちは、その頃すでに物質的になっていた、こと座人(リーライアン)から遺伝子を取り出した。

 

・こと座人は、金髪または赤毛で青色または緑色の目を持っていた。こと座人の遺伝子が、透明人の集合エネルギーと混ぜ合わされて、爬虫類人(レプティリアン)として、物質肉体化して出現した。このため、今日の爬虫類人(レプティリアン)も、物質次元で生き延びるためには「アーリア型」の人間からエネルギーを摂取しなければならない。

 

・アストラル次元で爬虫類人が創造されると。その使命を果たすための活動拠点を物質次元に築く必要が生じた。そのために爬虫類人たちは、さまざまな物質界に進出し、自らが支配的な種となることのできる場所を求めていた。

 

レムリアからの爬虫類人生存者が巨大地下文明を築く

・爬虫類人の生存者は、インド北部、地球内部空洞、金星、中南米の一部へと移動した。レムリア大陸から生き残った爬虫類人の大半にとって、地球内部が「祖国」になった。そこで爬虫類人は、巨大な地下文明を築いた。これが、地獄の業火の中で生きる悪魔たちの伝承の由来である。

 

・地下鉄のような乗り物が高速で移動する通行管のようなものを建設し、地球上のどこにでも数時間で移動できるシステムを作った。今日でも探検家が追い求めているアルカディア、アガルタ、ハイパーポリア、シャンバラといった有名な地下都市を築いた。これらの都市は、地球の内部空洞を覆う地殻内部の内壁に沿って建設されている。地球が空洞であることは単なる説ではなく、科学的事実であることを忘れないでいただきたい。恒星(太陽)から飛び出した惑星が、回転しながら冷却することで、形成されたのである。

 

 

 

『地球を支配するブルーブラッド  爬虫類人DNAの系譜』

スチュワート・A・スワードロー  徳間書店   2010/6/18

 

 

 

<リゲル  米政府と協定を結んだオリオン連盟リーダー>

・この集団は1954年に米国政府と協定を結び、彼らの技術と科学情報を米国に与えるのと引き換えに、米国民を誘拐する(ただし傷つけない)許可を米国政府から得ている。

 

・こと座の内戦とそれに続くこと座星系へのりゅう座人の侵略を通じ、彼らの惑星は戦争で痛ましい損害をうけたため、肉体的にも遺伝子的にも弱々しい存在になっている。

 

・彼らは、りゅう座人のために働いている。りゅう座人が攻略の前準備をできるように侵略予定ルートを偵察する仕事である。

 

・軍隊型の厳格な階層制の文化を持っている。特にゼータ・レティクリ1と2のグレイが絡む場合はそうである。また肉体から肉体へと魂を移す能力を持っている。

 

<シリウスA   イスラエル政府と契約の宇宙の商人>

・背の高い細身のシリウスA人は、青と白の長いローブを着ている。両腕を横にまっすぐ広げると、身体全体でアンク(エジプト十字架)の形になる。これが彼らのシンボルである。宇宙の商人であり、技術と情報を売買して、排他的な取り引きルートと特別な優遇を得ている。彼ら自身に向けて使用される恐れのある技術は絶対に提供しない。彼らは、オハル星人に創作されたが、本来の目的を見失っている。

 

<シリウスB  老子、孔子、釈迦に叡智を与えた銀河の「哲学者」>

・ジャングルか湿地のような惑星の洞窟状空洞や地下で隠遁生活を送っていることが多い。寿命は極めて長い。大半は、家族形態とは無縁である。

 

<くじら座タウ>

<グレイ種を目の敵にし、ソ連と協定を結んだ>

・この人間のような生物は、グレイ種を目の敵にしている。宇宙のどこであろうとグレイを発見したら叩きのめすと誓っている。遥か昔にリゲル人がくじら座タウ星系の侵略準備を整えようとしていた。タウ人の遺伝子を使ってグレイを作るために、主に子供を標的にして誘拐し、殺して細胞とホルモンを取り出した。タウ人は自らの種が滅ぼされる前に、グレイたちを追い出した。地球までグレイを追って来た彼らは、1950年代にソ連と協定を結び、基地と自由に領空を飛行する権利を得た。彼らの目的は、ソ連が世界支配の座を占めるのを手伝い、(スラブ人にはタウの遺伝子がある)、グレイを滅ぼし、侵略勢力と取引することだった。

 

最近になってロシア人はタウ人との協定を破棄し、同じ協定をりゅう座人の前衛部隊と交わしてタウ人を追い払ったと考えられている。くじら座タウ人は、イプシロンのエラダナス星系で大きなコロニーを保持している。祖国の大気と重力の関係で、密度の高い身体を持っている。身長は、およそ170センチである。

 

<ビーガン   シリウスA人の遺伝子から作られたグレイ>

このグレイ種は、シリウスA人の遺伝子から作られている。シリウス人の船の標準的な乗組員である。主人のために労役、実験、雑用を行う。ゼータ・レティクリ1と2のグレイは、前向きにビーガンの指揮に従い、人間の誘拐や鉱物のサンプル収集などの特定の任務を行う。

 

<ゼータ・レティクリ1  地球人監視のためリゲル人が作ったグレイ>

・このグレイのエイリアンは、リゲル人が地球の人間を監視するために作った。人間とリゲル人の混合物である。人間の胎児と同じように四本の指と割れたひづめを持つ。ホルモン液と遺伝子実験のために人間を誘拐することで有名である。

 

・遺伝子的・ホルモン的な欠乏症のため、彼らは、急激に死滅している。他者を誘拐することで、自らの種を救う交配種の原型を作ろうとしている。

 

<ゼータ・レティクリ2  遺伝子操作で作られたグレイ。爬虫類人に奉仕>

・このグレイは、遺伝子操作で作られた爬虫類人への奉仕階級のメンバーである。完全にマインド・コントロールされており、中央情報(コンピュータ)に接続されている。集団精神で一体となって動く。彼らは、無心になってゼータ・レティクリ1を手伝う。誘拐現場でよく目撃されるが、子供のように純真に行動する。

 

<アンタレス  トルコ人、ギリシャ人、スペイン人のDNAに>

・極めて知識が高く攻撃的である。

 

・彼らの社会の最深部まで入り込むことができた者は、ほとんどいない。

 

・女がいるところが観測されたことはなく、彼らは、同性愛者で、生殖目的でのみ女を使用すると考えられている。ただ、実は、ある母系集団が彼らの背後で権力を握っているとも考えられている。

 

 

 

2020/1/12

 

 

『山の霊力』   改訂新版

町田宗鳳   山と渓谷社    2018/4/16

 

 

 

山が日本人を育んだ

山を拝むという日本独自の風習

・おまけに山にまつわる伝承文学となれば、これは日本の独壇場に近い。もちろん外国にも山に関連する物語は多々あるが、日本人ほど山という空間に対して想像をたくましくし、盛り沢山の説話を世代から世代へと語り継いできた民族も少ない。物語の世界では山姥、雪女、山男、山童、河童、一つ目小僧、鬼、天狗、仙人など、さしもの深山幽谷も多彩な住民でひしめきあっている。

 

オロチの棲む山

オロチがトグロを巻く神奈備山

・そのような古代人が山に重ね合わせていたイメージは、生命力旺盛な何らかの動物であったはずであり、なかでも圧倒的だったのは、蛇、なかんずく大蛇、つまりオロチのイメージではなかっただろうか。

 その証拠に、荒ぶる神スサノヲが退治したことで有名なヤマタノオロチは、『古事記』の中で、まるで現実の山の姿のように記されている。

 

・ヤマタノオロチは八つの頭と八つの尾がある上に、体表には苔がむし、ヒノキ・杉・松・柏の木などが生い茂っていて、その腹からはいつも血が滴り落ちているとされている。これは明らかに、いくつもの峰や谷、そして渓流をもつ山脈の風景描写である。その神話の原型を最初に作った人物も、山の近くに住み、山の景観をつぶさに観察していたにちがいない。

 神話の中ではヤマタノオロチが、必ず年に一度、山から降りてきて、若い娘を奪い去ることになっているが、これは毎年、雨期になると鉄砲水とともに河川を氾濫させ、人里に深刻な被害をもたらす山の恐ろしさを伝えている。

 

・この説明からも、やはり古代人の想像力が、山の神の姿をオロチに結びつけていたことがわかる。記紀神話の中でも、その名前の中にタチやツチという語をもつ神々がきわめて多いが、そこにもオロチとの関連性がうかがえる。

 ただもう少し厳密にいえば、日本列島に住む人々の心の中に神観念が根づくまでは、山のヌシ、川のヌシ、海のヌシ、家のヌシといった具合に、カミよりもヌシといった感覚のほうが強かったのではないだろうか。

 

霊山として古い信仰の歴史をもつ山は、たいていはオロチをヌシとしている。その代表格が、奈良盆地南部、万葉の里にたおやかに横たわる三輪山である。この美しい円錐形の山は、いかにも神のいます山という雰囲気を漂わせているが、その神の正体はオロチにほかならない。当然のことのように、三輪山をご神体とする大神神社の祭神は、オオモノヌシ(大物主神)であるが、これも蛇体神であるとされている。

 

・ちなみに大神神社のオオモノヌシは、ほかに二つの名前をもつのであるが、その一つがオオナムチノカミ(大己貴神)であり、もうひとつがオオクニヌシカミ(大国主神)である。したがって、国譲りの神話で有名なオオクニヌシも蛇体神ということになる。

 

ほかにも慈雨の霊験で有名な伊吹山の伊吹神や、日光の語源となった二荒山のオオナムチノカミなどのように、祭神の本体がオロチであるとされている山の例は、いくらでも見つかる。

 

古代の神体山は小さかった

・岐阜高山にある位山も、典型的な神体山である。さすが水を呼ぶオロチや龍神伝説がある山だけあって、私が訪れたときも土砂降りの雨の中を登ることになってしまったが、位山をユニークなものにしているのは、麓から山頂にいたる巨石群である。

 

オロチの血と火祭り

・ところで、山の祭りには奇祭が多く、とくに火が登場するものが多いが、じつはそのことも大いにオロチと関係している。なぜなら神話の世界では、火こそオロチの血にほかならないと考えられていたからである。

 たとえば、火の神カグツチもツチという語句から、蛇体神であったことを匂わせるが、イザナギは妻イザナミを死に追いやったカグツチに怒り、彼をめった切りにした。そのとき、カグツチの体からほとばしり出た血が、まわりの草や木、石の中にしみ込んで、火になったとされる。

 

愚行を重ねる神々

ところで「雄略記」によると、三輪山の神の形を自分の目で確かめたいと思った雄略天皇は、スガルという名の屈強の側近に命じて、山中のオロチを捕まえさせている。はたしてスガルが、三輪山に分け入り、オロチを捕まえて連れてくると、豪放で鳴らした天皇は、「光りひろめき、目精赤々なり」と描写されるオロチに、雷という称号を与えて、ふたたび山に戻すことを命じたという。

 ここで注目したいのは、雄略天皇がオロチを雷に喩えたことである。このことから、日本の神話の中にひんぱんに登場するイカヅチ(雷神)も、じつはオロチのことではないかと推察される。

 

・たとえば、イザナミは火の神カグツチを出産したために、陰部に致命的な火傷を受け、激しい痛みにのたうち回り、ゲロゲロと嘔吐し、みずからの糞尿にまみれながら死んでしまう。妻を慕って黄泉の国まで訪ねてきたイザナギが、明かりをつけて闇の世界をのぞき込んでみると、そこに横たわっていたのはウジ虫がたかったイザナミの死体であった。

 しかも腐敗が進行するイザナギの体は、頭には大イカヅチ、胸には火イカヅチ、腹には黒イカヅチ、陰部には柝イカヅチ、左手には若イカヅチ、右手には土イカヅチ、左足には鳴イカヅチ、右足には伏イカヅチ、合わせて八つのイカヅチを宿らせていた。

 これらのイカヅチは、ふつうの雷神と表記されているのだが、先にあげた雄略天皇の話からも察しがつくように、単にカミナリのことではなく、オロチである可能性が大だ。現代でも蛇のことをツチノコといったりするように、ツチという言葉は、やはり蛇と結びつきが強いようである。

 

・いざなぎと交わることによって、日本列島を次々と産出しただけでなく、そこに海、山、野原、草木などを産み落としたイザナミは、日本の神話の中では、万物の創造主といってよい。しかし、その生命の母たるイザナミの死体から、さまざまなオロチが誕生してくる光景は、彼女自身の正体がオロチだったことをほのめかしている。

 しかも、黄泉比良坂で夫のイザナギと対峙したおりに、イザナミは「汝の国の人草、一日に千頭、絞り殺さん」と宣言しているから、ハブやマムシ以上に恐ろしい殺傷力をもった毒蛇であったと思われる。魔性のない神は、神でありえないのだ。

 

ところでスサノヲ神話に登場する神々の名も、どうやら彼らが蛇体をもっていたことを強く示唆している。これも吉野裕子が指摘するところであるが、スサノヲが救ったクシナダヒメの両親、アシナヅチとテナヅチは、古語で霊を「チ」と読むところから、それぞれに足無の霊、手無の霊という意味をもっているのかもしれない。とすれば、アシナヅチとテツヅチは、ともに手足のない蛇体神だったということになる。

 イザナミがオロチであるとすれば、彼女が産んだカグツチも蛇体をもっていたことになる。『日本書紀』で、イザナギが妻イザナミを死なしめたカグツチの体を五段に切ったとあるのも、そのことを裏づけている。その寸断されたカグツチの首の部分から生まれてきたのが、山の神であるオオヤマツミであり、神話の中では火、オロチ、山の三者がずっと繋がっている。

 そのオオヤマツミから生まれ出たのが、アシナヅチとテナヅチであり、その娘がクシナダヒメとなる。そうすると毎年、大蛇ヤマタノオロチの襲撃を受けていた家族とは、実はもう一つのオロチの集団だったということになる。ことほど左様に日本の神話は、まさに蛇づくしだったわけである。

 

{見るなの座敷}としての山

・このように神話の世界では、カミの姿とオロチの姿が渾然一体となっているのだが、それはとりもなおさず、古代日本人が限りなき産みの力をもつ{原初の生命体}を最も崇高なものとして、とらえていたことを示している。西洋の創造神話では、強大な父のイメージをもった神が、産みの力というより意志の力を発揮することに特徴があり、やはり東西の神観念に大きなへだたりがある。

 もっとも日本神話でも、すべての神の本体がオロチというわけでなく、ほかの動物の場合もある。

 

・まさしく「本つ国の形になりて」というのは、神が出産という原体験を通じて「先祖返り」することである。そのとき彼女は、「八尋和邇(やひろわに)」に変身するわけだが、それが文字どおり巨大なワニであったかどうかは、疑問である。

 岩波の古典文学大系の『古事記』では、「幾尋もある長い鮫」と説明されているが、古代日本人が熱帯産のワニを知っていたはずはなく、たしかに鮫を意味したのかもしれない。『日本書紀』では同じ箇所が、「龍」と表記されているが、龍のイメージは恐らく中国文化の影響を受けたものであろう。

 しかし、「幾尋もある長い鮫」というのは、手足のないオロチの姿をも連想させる。トヨタマヒメの別名はコノハナサクヤヒメ(此花咲夜姫)であり、彼女はオオヤマツミノカミ(大山津見神)の娘であることから、後世、富士山の山神として祀られるようになった。やはり海神の宮からやってきたトヨタマヒメにも、山との関連が見えてくるのであり、そうすれば彼女の「本つ国の形」がオロチであったと考えるのも、それほど無理な話ではない。

 

・ところで神々の「先祖返り」は、やがて神話から民話へと受け継がれることになる。それがすでに何度か言及した<見るなの座敷>のモチーフである。

 「蛇女房」という昔話では、妻を亡くし寂しい思いをしている男のもとへ、美女が訪れ、自分を妻とすることを求める。二人は結ばれて、やがて妻は子を孕むが、夫に決して産室を覗かないように頼む。しかし、妻の身を案ずる夫は、ひそかに産室を覗いてしまい、そこで赤子を包むようにしてトグロを巻くオロチの姿を見いだす。のちに、妻は正体を見られたからには、もはやこの家にとどまることができないと言って、涙ながらに去っていく。

 

・出産以外にも、「鶴の恩返し」の物語にあるように、布を織るなどの生産活動をするときも、女性は<見るなの座敷>に閉じこもって、本来の姿に戻る。この世でいちばん重要な創造的仕事を成しとげるためには、心理学でいうペルソナ(仮面)をぬぎ捨てなくてはならないのだ。建て前の世界では肝心なことができないのは、男も女も同じらしい。

 そのとき<見るなの座敷>で変幻するのがオロチであったり、ワニであったり、ツルであったりするわけだが、一貫して動物の体であることは、それが<原初の生命体>への回帰にほかならないことを示している。

 考えてみれば、アマテラスが彼女の分身ともいえる織姫に機を織らせていた高天原も、大がかりな<見るなの座敷>ではなかっただろうか。そうでなければ、追放されるスサノヲが別れを告げに高天原に昇っていったとき、アマテラスは武装までして、彼を拒絶するはずはない。

 高天原は機を織る行為に象徴されるように、女性が創造的な仕事に携わる秘密の聖空間であり、もともとアウトサイダーが足を踏み入れてはいけない世界だったのだ。その掟を破って侵入し、しかもそこでとんでもない暴力を働いたわけだから、スサノヲが地の果てにある根の国に永久追放となったのも、無理のないことだ。

 

蛇体信仰から巨木信仰へ

・山がもつ無尽蔵の生命力をそのまま自分たちの生活空間に持ち込むことができれば、食糧にも子宝にも恵まれ、人間は、より幸せな生活を送ることができる。それには神聖な山のオロチを捕まえて、人里に降ろしてくるにかぎる。

 しかし、あまりにも巨大なオロチを捕獲するわけにはいかない。そこで人々が考えついたのは、オロチの化身を見つけだして、それを自分たちの領域に引き込むことである。そのような願望を人間が抱いたとき、蛇体信仰は巨木信仰へと移行しはじめることになった。

 

神の坐す山

山は神々の交差点

ここまで、山の神の原型となっているのは山のヌシであるオロチであると論じてきたわけだが、山がいつまでもオロチに支配されていたわけではない。日本の山々を七巻半していたオロチが、長いヒゲと四本足をもつドラゴンに駆逐される日がついにやってきたのである。雷鳴とともに雨雲を巻き起こす龍神の登場である。

 

三つの民族的潮流

・八百万の神々が山で交差していたということは、それぞれ異なった神を信奉した人間群が、山を中心にして交流していたことをも意味している。そもそも山岳信仰がこれだけ日本の精神史に大きな位置を占めてきたのは、山という場所がこの列島の歴史に流れる山民文化、海民文化、そして農民文化という三つの大きな合流点になってきたからである。

 一万年近く続いたとされる縄文文化も、決して一枚岩ではなく、山民と海民とが織り成す二つの文化的特性があることを看過するわけにはいかない。前者のほうは、青森の三内丸山遺跡に代表される東日本以北に展開した縄文文化である。この北方の縄文人たちは、狩猟採取を中心としていたため、山岳と深いかかわりをもちながら生活していた。彼らこそ、山をオロチとみなしたり、巨木信仰や縄ひも信仰をもっていた山民系の縄文人たちであった。

 その一方で、縄文文化には、はるかポリネシアあたりから日本列島に到達した人たちが始めた海民系の流れも、存在したのである。

 

山に登った海の神

・それにしても海を中心としてモノを考える民族、つまり漁師がなぜ山とのかかわりをもったのであろうか。そんな疑問を抱いたのは、那智大社のすぐ隣にある青岸渡寺に、立派な大漁旗が奉納されているのを見たときである。

 

・平安時代から皇族や公家が足しげく参詣した熊野三山も、もともとは山民が崇めた山の神、海民が崇めた海の神、農民が崇めた田の神が出会い、ときには争い、ときには妥協し、やがて一つの合体神として祀られるようになった長い歴史があると受け止めるべきだろう。

 

ミコシで旅する山の神

・異なった民族、異なった職業が日本列島に展開するにつれて、山の神は次々と細胞分裂をおこしていったわけだが、それでもなんら超越的な性格をおびていなかった。農民が信仰した田の神も、「村の鎮守の神様」であり、祭りの日には村びとと一緒に踊り明かしたりもする。まるで共同体の一員のような親しみをもっていた。

 神の山地から平地への下降、山の神から田の神への移行の過程で登場したのが、マレビト信仰である。マレビトは年に一度、人里に出現するが、そのとき秋田のナマハゲのようにいかにもグロテスクな姿をして現れるのは、それが古代社会の動物神の名残を留めているからである。それは、人間の前に現れるカムイが、必ずクマというハヨクペ(仮装)を必要としているとされるアイヌの信仰と同じものである。

 沖縄諸島には来訪神としてのアカマタ・クロマタを迎える儀礼が伝わっている。

 

・現代の祭りでも、神輿が本社からお旅所まで担がれていくのは、明らかに「旅する神」の名残であり、お旅所は神々の原郷である山、あるいはそこに設けられていた山宮に相当するのである。神輿を本社からお旅所へ威勢よく担ぎだす行事は、神を山宮から里宮へ迎えるために、山地を離れて平地にしか暮らさなくなった稲作農耕民が編みだした苦肉の策ともいえる。

 

・醜い顔をした山の神が決して邪悪な神というわけではなく、ナマハゲやアカマタと同様に、それが稲作農耕民に<事物化>される以前のナマの神の姿なのである。

 

借家住まいを好んだ神々

・現在、われわれが目にする神社とは、いかにも立派な社殿があって、日本的建築美を誇っているが、初期の神社は自然信仰の形態にとどめて、きわめて単純な様相を呈していたと思われる。山から里へ、里から山へ旅する神に、大仰な建物は不必要だったのである。

 神が神社という一定の場所に常在すると考えられるようになったのは、ずいぶん時代が下ってのことであろう。とくに大和朝廷が自分たちの権威づけと国家の守護祈願のために、天つ神を都の近くに迎える必要が出てきたときに、その傾向は強まったと思われる。

 島根県大田市では正月に歳徳神をまつるためにカリヤ(仮屋)というものを作っていた

 

現代の日本で、太古にあった神社の原型を見たければ、沖縄地方に多数存在する御嶽(うたき)を訪れるとよい。一般的に、御嶽にはきわめて簡潔な鳥居と拝殿だけであり、その奥にある最も神聖な空間である奥津城は、しばしば白砂が敷き詰められ、石垣で囲まれている。それは神社の神垣に相当すると思われるが、岩や樹木以外には何もないその空間は、目に見ない何ものかに充たされているがごとくに、不思議な神聖感が漂っているのだ。

 


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