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2024-08-11 08:47:13 | 森羅万象

 

 

『魔法使いの教科書』   神話と伝説と物語

オーブリー・シャーマン 原書房 2019/10/25

 

 

 

魔法使い

魅惑的な物語や神話、不思議な話の中心には必ず魔法使いがいる。光と影のはざまで魔法使いはその不思議な力を発揮し、自身の周囲に真実を作り上げる。遠い昔、わたしたちの祖先が火のまわりに腰をおろして語り合っていた頃も、コンピュータで特殊効果を作り出す現代においても、魔法使いがわたしたちを魅惑する点は変わらない。

 本書は魔法使いと魔法の世界を探求する。不思議と善と悪に満ちた世界。マーリンやニコラ・フラメル、ハリー・ドレスデンといった偉大な英雄が存在し、またサルマンやキルケー、バーバ・ヤガーなど恐ろしい悪者がいる世界だ。

 

小説や映画といったポップカルチャーに目を向ければ、人々がいかに魔法使いに胸躍らせているかがよくわかるJ・K・ローリングの作品が刊行されたときには、何千万人もの人々が書店へと急いだ。ハリー・ポッターという名の少年が自分が魔法使いであることを知り、当惑しながらもホグワーツ魔法魔術学校で学ぶ物語だ。映画もそうだ。サウロンや「ひとつの指輪」の力と戦う「灰色のガンダルフ」が登場する、ピーター・ジャクソン監督の『ロード・オブ・ザ・リング』。このシリーズを観ようと映画館へと足を運んだ観客は何百万人にものぼった。

 

魔法使いとは?

魔法使いには、おせっかいをやくな、変貌自在でよくおこる

・長くゆったりとした服を着て、先がとがった長い帽子をかぶった不思議な人物の絵があるとしよう。この人物は長杖や、短めの杖を手にしているかもしれない。長くて白いあごひげをたくわえ、年はとっているが力にあふれている。たいていの人は、この不思議な人物が魔法使いであることがすぐにわかるだろう。『ハリー・ポッター』シリーズでホグワーツ魔法魔術学校に入学する魔法使いたちは、魔法使いのローブと杖(先のとがった帽子については触れていないが、あとで購入するのだろう)を買う必要がある。またホグワーツの校長であるアルバス・ダンブルドアは、ここに書いた姿にまさにぴったりとあてはまる。

 だが、魔法使いがみなこうした外見だというわけではない。背丈も体型も、年齢もさまざまだ。男性もいれば女性もいる。長いローブをまとっていることもあれば、ジーンズにTシャツの魔法使いもいる。

 魔法使いについて重要なのは「外見」ではなく、その魔法使いが「なにをするか」だ。基本的に、魔法を使って現実を操作する者を魔法使いと呼ぶ。それが、魔法使いすべてに言えることである。

 もちろん魔法使いといってもみな同じタイプというわけではなく、その能力のレベルも異なる。たとえば次のようなタイプの魔法使いがいる。

◆アデプト(魔術の達人)      ◆神秘主義者

◆シャーマン            ◆見習い魔術師

◆死霊術師(ネクロマンサー)    ◆ソーサラー

◆占い師              ◆マグス

◆ヘッジ・ウィザード(魔法使いくずれ、似非魔術師)

◆アオーマタージスト(秘術師)

 ここに錬金術師をくわえる人もいる。中世とルネサンス期において広く研究されていた錬金術は、卑金属を黄金に変える方法を求めるものだ。

 

魔法使いの役割

・さて、魔法使いはどのようなことをするのか?

 それは、魔法使いのおかれた社会状況によって千差万別だ。原始社会における魔法使いとは、自分の体を介して――多くはトランス状態になって――不思議な力を発現させることのできる人物のことだった。

 

・こうした大昔の魔法使い(シャーマン)は、部族の人々が安定した生活を送るうえで大きな役割を担っていた。その魔術が十分な力をもつものであれば狩りはうまくいき、食料を確保できたのだ。シャーマンがトランス状態に入ってから壁画を描き、「別世界」の精霊と交信した、という説を唱える学者もいる。狩りの成功と獲物を授けてくれる精霊の言葉を、シャーマンが人々に伝えたというのだ。

 

魔法使いは不可思議な知恵を備え、その知恵の多くは呪文の本に書かれたり、何代にもわたって口伝えにされたりしている。このため、その時々の支配者に相談役として仕えている場合も多い。マーリンはアーサー王に伝え、ジョン・ディーはエリザベス1世の宮廷の相談役だった。またディヴィッド・エディングスの小説に登場する魔術師ベルガラスは、国の一大事にさいして多くの王や王子に助言を行なった。

 

◆魔法使いは強い能力をもつ英雄であり、弱者に襲いかかる敵と戦う場合にはとくに力を発揮する。『指輪物語 旅の仲間』では、カザド=ドゥームの橋の上で怪物バルログと対峙する力をもつのはガンダルフだけだ。「これはあんたたちがかないっこない敵だ」とガンダルフは旅の仲間に言う。

 

魔法使いは予言を行なえる。T・H・ホワイトの『永遠の王 アーサーの書』では、マーリンには未来が見える。彼は時をさかのぼって生きているからだ(つまりマーリンの過去が我々の未来だ)。メアリー・スチュアートの小説『水晶の洞窟』では、マーリンは「旧神」たちと交信することでロウソクの炎のなかに将来のできごとが見える。魔法使いがみなこれをできるわけではなく、また限定的なことしか予言できないものもいる。たとえば灰色のガンダルフは、中つ国のさまざまな場所で起こることが見え、できごとをある程度まで予言できるが、詳細にわかるわけではない。

 

◆魔法使いは呪文を唱えて、なにかを出現させることができる。CSルイスの『朝びらき丸東の海へ』では、魔法使いのコリアキンが魔法の力で、「朝びらき丸」の乗員に心のこもったごちそうを出す。アルバス・ダンブルドアも、ホグワーツの大広間で開かれた新入生の歓迎会で、生徒たちのために同じようなことをやってのけた。

 こうした術はなにかと役に立つものばかりであるため、魔法使いはしばしば旅の先頭に立つことになる。

 

魔法の暗黒面

・魔法使いは、その力ゆえに暗黒面ももちあわせている。『指輪物語 旅の仲間』では、ガンダルフがフロド・バギンズに指輪の危険性を警告する場面がある。指輪をもてばガンダルフでさえも「冥王その人のようになる」と言うのだ。最初は善行のために指輪を手にしても、指輪がそれを捻じ曲げて、悪に変えてしまうことを知っているのだ。

 

魔法使いにとって暗黒面に立つことの魅力とは、力――このため傲慢になることもある――を得て、つねに光と影のはざまに身をおくことにある。忘れてならないのは、当の魔法使いからすれば、自身は「悪ではない」という点だ。マーリンの強大な敵である魔術師モーガン・ル・フェイは、自分の母を操ってウーサー・ペンドラゴンと床をともにさせた――このためアーサーを宿した――魔法使いのマーリンを憎んでいる。彼女は異父弟であるアーサーと交わり、モードレッドを産み、モードレッドがアーサー王を殺すことになるのだが、彼女に言わせればそれは復讐なのだ。

 ブォルデモートはハリー・ポッターの両親の命を奪った悪の魔法使いであり、シリーズ全巻を通して不気味な存在だが、それでも正義は我にありと思っている。魔法使いはふつうの人間であるマグルよりもすぐれていて、このため純血の魔法使いがマグルを治めるべきだというのがヴォルデモートの言い分だ。ヴォルデモート自身がマグルとの混血という事実は無視しているようだ。彼は、自分にはほかのどの魔法使いよりも才能があるということしか頭にない。だからもちろん、魔法界を治めるのは自分以外にないのである。

 

マーリン  過去と未来の魔法使い

・マーリンは穏やかに微笑した。

「………わしは、すべての人間が知恵を己のみに見出さんと努力し、他には求めんようにするのが神のご意志だと存じております。赤子は乳母から柔らかく噛んだ食べ物を与えられることがあっても、大人は自分のために知恵を飲んだり食べたりできると」

 

もっとも有名な魔法使いと言えば、それはおそらくマーリンだ。彼の伝説をたどることで、わたしたちは多くの魔法使いに関するさまざまな物語に触れ、魔法使いの伝説がどのようにして生まれたかを知るのだ。

 もちろんマーリンは、「アーサー王と円卓の騎士」という壮大な物語の一登場人物にすぎない「ブリテンの話材」と言われることもあるこの伝説は、イギリスの国民的神話となっている。この伝説にかかわるとされる場所もいくつか実在する。コーンウォール州のティンタジェルはアーサー王の出生の地であり、サマセット州のグラストンベリーにはアーサー王とグィネヴィア妃が埋葬されていると言われる。グラストンベリーは、謎に包まれたアヴァロンの島だともされている。

 

ジェフリー・オブ・モンマス

・マーリンの物語は、1136年にジェフリー・オブ・モンマスが書いた『ブリタニア列王史』に登場するのがはじまりだ。印刷技術が誕生する以前の時代には、書物はすべて手で写し装飾を行なわなければならなかった。そうした時代の書である『ブリタニア列王史』が非常に多数――200冊を超える――現存していたことから、この書の人気の高さがうかがえる。

 

・ジェフリーの物語では、サクソン人と手を組もうとするブリテン王ヴォーティガンが塔を建てようとするが、何度建てても壁が崩壊する。ヴォーティガンは宮廷魔術師から、父親のいない少年を生贄にしなければ崩壊を止められないと教えられる。ヴォーティガンの兵士が見つけたその少年こそマーリンであり、彼らはマーリンを王のもとに連れてくる。しかしマーリンは、壁の土台の下では2匹のドラゴンが戦っており、それが壁が崩壊する原因なのだと王に言う。そしてその場でマーリンは、ブリテン島の先住民であるブリトン人が、侵略者のサクソン人に勝利するという予言を行なうのだ。

 その直後、ローマ兵のアンブロシウス・アウレリアヌスとその弟のウーサーがイギリス海峡を越え、ヴォーティガンを戦闘で倒す。マーリンはアンブロシウスの宮廷に仕え、その力を役立てた。アンブロシウス・アウレリアヌスがサクソン人に殺害された人々を悼む碑を建てたいと言うと、マーリンは、それにふさわしいのはアイルランドにある巨大な立石群だけだと助言する。強力な魔術を使ってマーリンはこの石をアイルランドから運び、積みなおして記念の碑とした。それが今日、ストーンヘンジと呼ぶものだ。

 アンブロシウスが亡くなると、そのあとをウーサーが継ぐ。これ以降は、わたしたちにはなじみのある話だ。ウーサー王が、コーンウォール公の妻であるイグレインに恋をする。そして王の求めに応じ、マーリンはウーサーの姿をコーンウォール公に変え、イグレインはアーサーを宿すのだ。

 ジェフリーの物語ではこの時点でマーリンについての記述はなくなり、石に突き刺さった剣や、のちにマーリンがアーサー王の統治にかかわることは一切でてこない。しかしジェフリーは『ブリタニア列王史』の1章分をすべてマーリンの予言にあて、この章がひとり歩きして、マーリンは予言者であるとの評価は確立したのである。

ジェフリーのラテン語による作品はウァースによってアングロ=ノルマン語に翻訳され、それからラヤモンによって中英語に訳された。この中英語版には、マーリンが宮廷に戻ってきてウーサー王に助言する場面があるのだが、それでも石に刺さった剣の記述はない。

 

ロベール・ド・ボロン

フランスの詩人、ロベール・ド・ボロンが1200年頃に著した『メルラン』では、宮廷に仕える以前の、夢魔を父にもつというマーリンの生まれについて語られている。この作品では、マーリンの予言の能力は、母親が敬虔なキリスト教徒であったため神から賜ったものとされている。ボロン版のマーリンは、「巨人の舞踏」(ストーンヘンジ)をアイルランドからイングランドへと運ぶことにくわえ、カーライルに「円卓」を設置する(のちの伝説とは違い、ボロン版ではアーサー王ではなくウーサー王の統治期に円卓がおかれる)。

 そしてようやく、石に突き刺さった剣の話が登場する。アーサーが王の子であり、王座の正統な継承者であることを証明するものだ。ド・ボロンは、マーリンをこうしたできごとの立役者として登場させている。

 アーサーが王座についたあと、マーリンはアーサー王にエクスカリバーの剣を与え、アーサー王とその騎士たちの死を予言する。また、「聖杯」の探索や、トリスタンとイゾルデの恋愛といったできごと、さらには自身の死についても予見するのだ。マーリンの死はニネヴェという名の不実な若い女性がもたらすもので、ニネヴェは老魔法使いマーリンを誘惑して魔術を教わり、それを使ってマーリンを洞窟に閉じ込めて、巨石で入り口をふさいでしまう。

 

トマス・マロリー

ボロンのマーリンから300年近くのち、ほぼ同じような物語が書かれた。英国人騎士のサー・トマス・マロリーによる『アーサー王の死』だ。この作品の人気が高いのは、ひとつには(15世紀には伝説の王についての物語が大きな人気を博していたのとは別に)、イングランドで、「活版印刷」という新しい技術で製作された書のひとつだったからだ。                             

 マロリー作品のマーリンはド・ボロンのマーリンと似ているが、予言者という面はそれほど強調されていない。マロリーはニネヴェの名もニムエに変更した。マロリーはおもに、フランス語で書かれた5巻からなるロマンス『流布本サイクル』と、現代の学者が『頭韻詩アーサー王の死』、『八行連詩アーサー王の死』と呼ぶ英語の2作品を典拠とした。

 

後世の作家

・わたしたちがよく親しんでいるマーリンは、マロリーが描いたものですべての要素がそろうが、後世の作家たちも、この偉大な魔術師の話をさまざまに書いた。19世紀には、詩人のアルフレッド・テニスン卿がアーサー王に関する壮大な物語詩『国王牧歌』を書いた。この物語詩の「マーリンとヴィヴィアン」の章では、マーリンの死が語られる。テニスンは『国王牧歌』を書くさいに中世の伝説をよりどころとし、マロリー作品のニムエを「湖の乙女」ヴィヴィアン(エクスカリバーをアーサー王に与える)としている。

 

・「年はとっていても恋をしたい」という老魔術師の弱みを利用し、ヴィヴィアンはマーリンに取り入って魔法の秘術を盗み、最後には呪文を唱えてマーリンを樫の木の幹に閉じ込めるのだ。

 後世の作家や小説家たちが、この筋書きに変更をくわえている場合もある。メアリー・スチュアートの『最後の魔法』では、マーリンとニニアン(ヴィヴィアンの名はこう変更されている)は恋に落ち、深く愛し合う。だがふたりのロマンティックな牧歌は、マーリンの突然の病と死によって終わる。ニニアンはマーリンを悼み、マーリンが愛した水晶の洞窟に彼を埋葬する。時を経て目覚めたマーリンは苦労の末に墓を出て、キャメロットに自分が健在であることを伝えようとする。しかしニニアンには別の恋人がおり、新しい宮廷魔術師として足場を固めている。マーリンは彼女の新しい関係を受け入れ、洞窟に戻り隠者として生きていくのである。

 

・ジョン・ブアマン監督の映画『エクスカリバー』では、マーリンを水晶の洞窟に閉じ込めるのはモーガナだ。モーガナは策略をめぐらせてマーリンから召喚の呪文を教わり、その魔術でマーリンを閉じ込める。しかしマーリンにとって致命的な一打になったのは、アーサー王に対するランスロットの裏切りが判明したことであり、王国は分断し、衰退の一途をたどって、混沌が王国を支配する。結局、マーリンが人の世に戻れるのは夢のなかでのみとなる。

 

映画とテレビのなかのマーリン

・映画製作者にとってマーリンは、つい登場させたくなるキャラクターのようだ。伝統的な魔法使いのイメージにぴったりだからだろう。ここに挙げるのはマーリンが登場する映画だ。

◆『魔法使いの弟子』(2010年)

◆『マーリンの帰還』(2000年)

◆『タイムマスター/時空をかける少年』(1995年)

◆『エクスカリバー』(1981年)

◆『宇宙人とアーサー王』(1979年)

◆『吸血鬼ドラキュラ2世』(1974年)

 

『王様の剣』

・1963年にディズニーは、若き日のアーサー王を題材としたT・H・ホワイトの古典を、アニメーション映画『王様の剣』にした。セバスチャン・キャボットは別として、無名の声優たちが登用された作品だ。この映画のマーリンは、ホワイトが描いたように少々風変わりでぼーっとした老人で、たまたま魔法使いだったという感じだ。しかし映画では原作のなかの大きな要素をいくつか省き、その代わりに、マーリンと悪い魔法使いのマダム・ミムの魔法対決を挿入している。

 

時代を超えた魔法使い

・伝説のなかで、「魔法使いとはこうあるべきだ」というすべてを体現しているのがマーリンだ。だから何千とは言わないでも、何百というマーリンの物語が何世紀にもわたって生まれているのだろう。メアリー・スチュアートの小説『ホロー・ヒルズ』でも、マーリンが悪の魔女モルゴースにこう言う。

 

 わしは何者でもない。空気であり、闇であり、言葉であり約束だ。わしは洞窟に控え、水晶越しにものを見る。だが外の光の世界にはわしが仕えるべき若き王がおり、輝く剣がなすべきことを行なう。そしてわしが作る国は時を重ねていき、そこではもはやわしの名は忘れられた歌にしか見つからず、わしは使い古された知恵となっている。だがモルゴースよ、そのとき、そなたの名は闇でささやかれるものでしかないのだ。

 

新しい神の登場

マーリンがブリテン島におけるキリスト教以前の宗教を体現し、「唯一神」に対抗する存在だというアイデアは、現代の物語に広く浸透している。たとえば映画『エクスカリバー』やメアリー・スチュアートの『水晶の洞窟』、マリオン・ジマー・ブラッドリーの『アヴァロンの霧』もそうだ。しかし、昔からあるマーリンの物語にはそうした設定はない。たとえばトマス・マロリーの『アーサー王の死』は、完全にキリスト教的背景を持つ内容だ。

 

BBC製作のドラマ『魔術師マーリン』

・アメリカのTVドラマ『ヤング・スーパーマン』(スパーマンの少年時代の物語)の成功に発奮し、英国放送協会(BBC)は2008年に『魔術師マーリン』の放送を開始した。

 

・若きマーリンとアーサーのドラマで、主従関係にあるふたりが友情とも呼べる絆を育んでいく。

 このドラマのアーサーは、宮廷の外で秘密に育てられているという設定ではない。ウーサーの息子であるアーサーは、自分が王子であり、将来王座につく身であることは十分承知している。マーリンはアーサーの従者になるが、魔法使いであることはアーサーと周囲の人々に絶対知られないようにしている。ウーサーが法で魔法を禁じており、魔法を使用すると死刑になるからだ。マーリンはドラゴンと親しく、ドラゴンはときおり彼に助言する。このドラゴンは、マーリンがなにをおいてもアーサーの身を守らなければならないのだと説く。このためマーリンは、魔法使いであると知られないようにしつつ、魔法を使って王子アーサーのさまざまな敵を倒すという苦労の連続だ。それにくわえてマーリンは、傲慢なアーサーを相手にウィットと皮肉で切り返さなければならない。

 

・幸い、アーサーは自己中心的な愚か者のように振るまってはいても、自分がそれに気づく程度の分別はある。このシリーズが描いているのは、若いふたりがともに成長し、友情の絆を育んでいき、それがその後の人生に役立っていくという物語とも言える。

 モーガン・ル・フェイはこのシリーズではモルガーナという名になっており、当初はマーリンともアーサーとも友人だ。しかしウーサーが彼女の両親を裏切ったことがわかるとふたりの敵に転じる。グィネヴィアは王女などではなくごくふつうの民のひとりで、最初にマーリン、その後アーサーの友人となり、それから王子と恋に落ちて結婚する。

 このシリーズはイギリスで大きな人気を博し、2009年初めにはアメリカに輸出された。

 

魔法にまつわる危険

・魔法や魔術の学習と訓練は、恐ろしく体力を消耗するものでもある。レイストリン・マジェーレは魔術学校での体験のせいで肌が金色になり、またその瞳は砂時計のようにくびれ、身のまわりの人や生物の死、物の崩壊が見えるようになった。このときの試練が原因でしじゅう空咳をするようになり、また生まれつき体が弱いため、大柄な兄のキャラモンに頼らざるをえないこともある。レイストリンが悪の道へと進むのも、こうした身体的な弱さが一因なのだろう。

 

メアリー・スチュアート作品のマーリンは旧神たちと交信することができるが、無意識のうちにトランス状態になってこれを行なうため、てんかんの発作のようだと言われることもある。このため、マーリンの予言は正確でありブリテンの統治者は頼りとするのだが、あまりに頻繁に行なうとマーリンの力を奪ってしまう。

 こうしたケースでは、苦痛が生じても魔法使いはそれに耐える。野望や力を得たいという気持ち、あるいは本人にもよくわからない力に突き動かされて魔法を行なっているのだ。

 

アレイスター・クロウリー

20世紀に、魔術と神秘主義にかかわる人物として悪名をとどろかせたのがクロウリーだ。「定期的に悪魔ミサを行なっている」、「悪魔とグルだ」などなど、あらゆる馬鹿げた噂話が彼の周囲には渦巻いた。

 

<『法の書』>

クロウリーとその妻ローズがエジプトに滞在中の1904年、ローズに、エジプト神話の神ホルスの使いであるアイワスが憑依した。アイワスはある書をクロウリーに書き取らせ、『法の書』と名付けられたこの書は、のちにクロウリーが唱える哲学の礎となった。クロウリーは自身が、新しい時代「ホルスのアイオン」の予言者であると宣言した。その中心にあるのが魔術であり、クロウリーは魔術を、「『意志』に従って変化を起こす科学であり技芸」と定義づけた。クロウリーはのちに、イタリアのシチリアにコミュニティを創設し、これを「テレマの修道院」と呼んだ。

 

 

 

『宇宙人はなぜ地球に来たのか』

韮澤潤一郎     たま出版   2011/2

 

 

 

宇宙人の大半は人間型

・米陸軍の一等下士官によると「私が1989年に退役した時に、すでに57種類の異星人が軍の目録に記載されていた。異星人の大半は人間型で街を歩いていても誰も区別がつかないということです。これは生物学者を悩ませるでしょう。明らかに宇宙には二足歩行のヒューマノイド(人間型宇宙人)が多いということです。グレイタイプは三種類あり、私たちより背の高いのもあります」

 

史上最大の事件が起きる

空軍基地でのケネディと宇宙人の会見を半年前にアレンジしたのがアダムスキーだった。そして、ケネディが乗り込んだ葉巻型UFOにはアダムスキーも同行していた

 

・大統領は着陸していた船内で数時間の会談を終えて地上に出たが、アダムスキーはそのまま離陸し、土星に向かった。このときの宇宙旅行については、いわゆる『土星旅行記』として残されたが、その中には、ケネディの名はなく、「アメリカ政府の一高官」とだけ記されている。旅行記によれば、9時間で土星に到着し、それから4日間にわたって各惑星の代表者が出席した太陽系会議などが開かれたとなっている。

 

なぜ宇宙人たちは協力しているのか

エリザベス女王の遠縁で、イギリス軍の最高司令長官だったマウントバッテン卿の私邸の庭に1950年代にUFOが着陸してコンタクトを試みたことがあった。

 

・UFOが着陸した時、私邸の侍従が外にいて、金髪で体にぴったりとした青いウェツトスーツのようなものを着た人間型宇宙人に会っている。しかも円盤型UFOの中に招かれた。しばらく離陸して飛行したという。

 

・しかし、このことを侍従から詳しく聞いていて、当時からUFO問題に精通していたマウントバッテン卿自身は特にUFOに関する政治的側面に関与し、マリリン・モンローやケネディ大統領の死に影響を与えたといわれ、1979年にアイルランドにあった自分の別邸近くで殺されている。

 

 

 

『リトル・ピープル』

ピクシー、ブラウニー、精霊たちとその他の妖精

ポール・ジョンソン     創元社  2014/4/13

 

 

 

リトル・ピープル

イギリス諸島で頻繁に目撃される妖精は、英語でリトル・ピープルとも総称される。その秘密は、遠い昔から人びとを大いに悩まされてきた。

 

・すっかり忘れ去られてはいるが、こうして魔法にかけられて、そのヴェイルに魅了されつづけているということが、現在もリトル・ピープルたちが人間とのつながりを保ち、しかも固い絆で結びついているという喜ばしい証なのだ。

 時代をさらにさかのぼり、このイギリスという国の緑の大地へと深く踏み入るほどに、リトル・ピープルたちの存在はリアルなものとなり、かつて私たちの生活の一部となっていたことがわかる。

 

彼らは産業革命時代の訪れとともに、私たちの目の前から消え去った

・多くの人びとがリトル・ピープルを分類しようとしてきた。だが、その試みは彼らの魔法にまどわされて、その棲家の様子や性質について紹介するにとどまっている。

 

昔昔のことでした……   視る力を失って

・伝説によると、地球の四方から、海を越えてイギリス諸島に人類が渡ってくる以前、島じまのいたる所に、人間よりもかなり背の低いリトル・ピープルの先祖となる種族がいたという。彼らは長命で用心深く、やがて、大地の秘密に通じるようになった。

 

彼らは自然のもうひとつの姿、この世界の向こう側にある繊細な自然を見る力にすぐれていた。彼らは、私たちの先祖の内で、そのような能力をもつ最後の種族であった。

 

・彼らの姿を見ることはほとんどなくなってしまったが、今日では、色のついたオーブ[写真にうつる、小さな水滴のような光球]や、山や谷などを陽気にとびまわる大地の光というかたちで姿を現すことがある。ただ、気をつけてほしい。その光は妖精の国へと導いてくれるが、やみくもに追ってゆくと、やっかいな世界に足を踏み入れることになりかねないのである。

 

今も残る魔法の力

魔法、いたずら、そして姿なき音

・アイルランドでは、妖精にまつわる物語が豊かに語り継がれている。

 

・魔法によって道に迷った人間は、戸惑いながらまったく見当違いの方角へ進んでしまう。混乱して、それが正しい方角であるかのように感じてしまうのだ。見慣れた目印は見つからず、小道や道しるべも消えてしまう。季節までもが変わってしまう。

 リトル・ピープルの種族のほとんどが、喜んで、この類の悪戯をしかける。現代になっても、私たちの感覚を狂わせ、道に迷ったものをさらに遠くへと光で導くのを楽しんでいるのだ(時には家に戻れなくしてしまう)。

 

世界の境をさまよって

美の境界

・河川や清流、丘、森、山脈、荒野など、物質界における変化に富んだ自然は、人間界とリトル・ピープルの世界との境界の役割を果たし、このふたつの世界が交錯する場とも考えられている。

 

・土地の境界はかつて、その地形と一致していた。そして、妖精たちの通り道やその棲家を、敬意をもって避けていたものだった。

 

第二の視力

透視する力、聖なる科学

・人間の能力を超えた透視の力によって、妖精の国をかいまみるという昔話は数多く残されている。スコットランドで知られているように、「第二の視力」にはさまざまな側面があるが、もっとも重んじられたものは、妖精の国をつねに見とおす力だ。この力をもつ者はめったにいない

 

白く泡立つ清流と泉

ピクシー、ニクシー、そしてシリー・スプラッシュ

・リトル・ピープルたちはみな、水を崇めている。だが、ピクシーほどに大きな喜びを感じているものはないだろう。彼らは水を崇拝し、水のなかでたわむれることを好む。いにしえの泉や井戸にはリトル・ピープルが祀られていることがよくある。彼らはこのような場所を守る用心深くて、知恵のある番人なのだ。

 

ほとばしる水の世界

<河川のにぎやかな住人

・女の精霊ニクシーと男の精霊ニクスは、大陸ヨーロッパの川の精霊ウンディーネと深い関係がある。どちらも古くから存在が知られており、伝説も残されていて、たいていは若くて美しい人間の姿で現れる。そして、どちらも同じつとめや力をもっている。

 

・彼らは人間に愛情をいただく。昔話によると、彼らは配偶者として人間を選ぶという。

 

湖の女主人

月光に照らされた神秘の乙女>

・満月の光のもと、星降る夜空が映るほど穏やかな湖上では、驚くほど美しいリトル・ピープルの一族が見られるかもしれない。水の精アスレイは、やさしい女性の姿をしている。何百年も生きながらえ、今なお美しい。緑青色の長い髪、足の指には水かきがある。

 

・ウェールズ地方に棲む一族には、グラゲーズ・アンヌーンがおり、湖に沈んだ街に棲んでいる実際、内陸の湖には、その土地にまつわる神々となった妖精が棲んでいるものだ。多くの美しい精霊たちがそうするように、彼女たちはときに人間の男性を夫とすることで知られている。

 

・人間の感覚からすると、妖精の時間は永遠に近いため、アスレイの世界にやってきた男性は、ほとんど永遠の命を得たかのようになる。

 

砂と泡

海や海岸の精霊

・海や海岸と深いつながりがある、善き隣人の妖精のなかでも、マーメイド(女性の人魚)やマーマン(男性の人魚)ほど知られている者はいない。

 

・アイルランドのメローやモルアーは、イギリスのマーメイドと同じもので、波の下の国であるティール・フォ・ヒンに棲む

 

・もっとも有名なものは鮭の尾をもち、西暦558年までアイルランドの海を泳いでいたというリー・バンだ[この年、人魚を捕えたという記録が残っている]。

 

魅惑の洞窟

石や鉱石、貴金属の番人

姿を見ることができるのは、幸運なものだけ

・地下の奥、その内部の暖かい深みには、人間が想像するよりははるかに多く、幻想的な秘密の空間や道がある。そこはもっとも多くのリトル・ピープルが棲む世界で、数え切れないほどの種族が地下の国に存在している

 

・コーンウォール地方のノッカーや、ウェールズ地方のオブラナイ(ゴブリン)、そしてスコットランドのブラック・ドワーフは、お互いが深いつながりのある種族だ。身長は30センチほど。

 

魅力的な山の洞

地中深く棲む者たち

・地下世界の伝説的な鍛冶屋であるドワーフたちは、山の奥深くに棲み、魔法の鋳造術を施すため、鉱石や金属を採取している。未来を予言し、思うままに姿を変えることもできる。魔法の帽子、衣、ベルト、姿が見えなくなる指輪を身につけることが多い。この一族の王国は山の内部、地下の深みにある。その地下の都市や宮殿は、人間の目には、はかりしれない価値がある宝物で溢れていると、物語には描かれている。

 

自然の森

世界の境の森

・人の出入りしない森は、手つかずの土地の最後の緑の聖域であり、リトル・ピープルがもっとも多く棲みついている場所のひとつでもある。

 

・名高いスコットランドのアバーフォイルにある妖精の塚は、牧師ロバート・カーク[17世紀の妖精研究家、妖精と交流を持ったとされる]が「知られざる国」に入った場所にある。彼は同名の書籍を著したが、ついに、妖精たちの棲む世界に移り住み、今でもそこに留まっているという。

 

密集した低木

精霊と妖精たち

・木を棲家とするドリュアスなどのリトル・ピープルたちは、みな、お互いに協力し合っている。それぞれが棲家にして、あるいは自分が木の一部となって、樹木のそれぞれ固有な性質を守ってきた。

 

樹木と葉

ホビットと洞

・森に棲む者のなかでも、めったに見られないのがホビットだ。リトル・ピープルを描いた文学作品にも、ほとんど描かれてこなかったが、この数十年、文学の世界でも復活を果たしたのは、うれしいことだ。

 

・このことは、妖精の信仰で、キリスト教がもたらした「大分裂」として知られるものを反映している。

 

ホビットはホバニーの子孫だといわれている。ホバニーは、リトル・ピープルたちの王で、女王ハボンドの夫でもある

 


おまえの心が六道のどこにあってもおまえの中に極楽はあるのだから、生き方ひとつで極楽は輝き出る。(3)

2024-08-11 08:46:16 | 森羅万象


・「アストラル界の地形を表す主要な特徴として、エターナティ川を挙げ、それはまるで、へびのように曲がりくねりながらマルドゥク全体を囲んで流れており、周りの山々からの水流が集まってできた川のようであると述べています」

・「私たちにもあなた方のように体があります。でもあなた方のように密度が高くて、きめの粗い物理的な体ではなく、もっと細かい物質と振動でできている体です。ここには病気はなく、失われていた手足も再生します。地球で変形してしまった体もここでは完全な形に戻ります。私達は、家具の揃った快適な家に住んでいますし、田舎の風景はとても美しいものがあります。ここの人たちの平均年齢は25~30歳です。地球で老衰のために亡くなった人たちは、再生の眠りの後にここで目を覚まします。この眠りは、地球の時間で約6週間続きますが、それより短い場合もあります」

 

・「他界の通信者によれば、彼らの髪や歯、その他の体の部分は、本来持っていたものと変わらないそうです
そして、そうここにはセックスも存在します。もちろん、妊娠することはありませんが」「この世界では『類は友を呼ぶ』という古いことわざがそのまま生きています

・「<第3界の環境>エターナティ川は全長約1億キロメートルで、その川沿いには、かって地球に住んでいた人々が暮らしています。(中略)藻から巨大な樹木まで様々な植物が繁茂しています。建物の多くは木製です

・「人や動物はここで目覚めて新しく生まれ変ることもあれば、(中略)年老いた姿でここにやって来て、再生の眠りの後で、再び若い姿になる人もいます」

・「存在におけるこの別領域は、これを体験した人たちによって、天国や地獄、至福の国、千の荒ぶる神々の場所などとして、さまざまに説明されてきました

・「私たちが誕生と呼ぶものは、単に死の裏側で、これは丁度コインの表と裏の関係、またはドアのことを部屋の外側からは入口と呼び、内側から出口と呼ぶようなものだ」

・「アストラル界の語は、一般的な意味として、死後の全体をさす場合もあるが、死後の世界を7つの階層に分け、そのなかの第2~4界をアストラル界と呼んでいる

・「神智論者のアリス・ベイリーは、亡くなった人たちが私達の住む地球との通信を行い、この通信が真の科学となっていく。(中略)死はその威力を失い、このような恐怖には、終わりが来るだろうと予言しています」

・「奇妙なことに、聖書には『最後の敵として、死が滅ぼされます』(コリント信徒への手紙15・2・6)と記されています」

・「生命の死後存続を研究するルクセンブルクのトランスコミュニケーション研究所、タイムストリーム研究所」。

・「マルドゥクは別の銀河系であるNGC4866渦状星雲にあり、これは物理的な4次元の世界には存在しないと聞かされてきました

・「ここでは全く異なる可能性が私たちの前に開けてきます。私達は、心で宇宙を旅することができ、他の次元や惑星に行ってそこを探索することもできます。一方では、大きな飛行機を操縦したり、熱気球に乗って旅をすることもできます。飛行機も熱狂的な飛行機好きの人たちが乗る二人の乗りのものがあります。ここでは多くの人たちに使われているのは、ザイオルコプターです。これは地球のヘリコプターに似ていますが、異なる物理法則に従って飛ぶので、ヘリコプターとは構造が違っています。また、主に電気自動車とソーラー・パワーの乗り物を用いて地上旅行もできます」

・「アストラル界ではほとんど瞬時に『本を考え出す』ことができるのに、地球では本を書くとなると丸々一年はかかるだろう

・「私達の亡くなった親戚、友人、または違う時代や文化背景を持つ人々の多くがマルドゥクに暮らしています。地球にいる人々にはたいてい霊界に大きな霊的家族が居て、私たちがその存在に気がつかなくても彼らは他界から仲裁に入ったり、守ったりしています」

「『思考には限界がない!』思考は全ての次元を超えて届くものです

・「エーテルは宇宙空間を満たしている。光を伝える媒質として考案された仮想物質。宇宙空間を満たしているエネルギーの源としてエーテルという物質が考えられている。エーテル・エネルギーという表現は、『気』『宇宙エネルギー』『フリーエネルギー』などと同じと思っていいだろう」

・「地球は、1000億もの星を持つ銀河系のなかの平均的な惑星で、この銀河系はさらに1000億の他の銀河に囲まれているのです


・「個人が生まれ変りを決心すると、その人は転生の過程のための『特別な建物』へと案内されます」

・「この手順は、人々がこちら側に到着するときのものと似ています。ただ順序が逆行するだけです。これから転生しようとしている人が浴槽のようなものの中に横たえられると、その体(この階層では通常20~30歳が平均)は、変化を見せ始め、だんだん若く小さくなっていきます。そして子供の状態に戻っていき、赤ん坊になり、ついには小さな細胞になります。その体が細胞になる頃は、もう私たちと同じ場所にはいません。この細胞はその間に人間の女性の体内に到着しているのです

・「他界から通信してくるものたちは、多くのアイデアはまずアストラル界で生まれ、それが現世の発明家に与えられると告げています」

・「多くの発明家たちが、貴重な情報を夢の中で受け取ったという経験を語っています。他界の科学者たちにとって、人間が夢を見ている間というのは、通信にもってこいの時間なのです

・「ほとんどの人によって天国だと考えられている世界は、アストラル界高層にあります。神秘家や霊能者はこの世界を『常夏の国』と呼んでいます

・「第3界が地球に良く似ているのに対し、第4界には地球との類似点はそれほどありません。第4界とは、完成された色と形からなる世界であります。そこにはこのうえなく美しい光や色があるのです。魂の外見は『人間の体が持つものとはかけ離れた光と色である』と言うことです。この世界の振動数は、さらに高いので、ここでの体は、とても精妙な物質からできています。第4界には、またアカシック記録があります

・「マイヤーズは、心因界である第5界を『火焔界』と呼んでいます。ここで魂は、炎のように見えます。ここには際限のない自由とともに確個たる規律があり、強い感情があります。この世界に住む魂の分担作業のひとつに霊界に新しくきた者たちの運命を導くと言うものがあります」

・「光明界と呼ばれる天界つまり第6界では、霊はすべての感情を超えたものになります。このレベルでは、魂には、形態がなく、光のように見えます。この領域を的確に表現する言葉は存在しないと述べています」

・「永劫への旅たちを迎えられるほどに強い魂たちは、全ての世界の最高層である第7界、十字架にかかり人類の原罪の償いをしたキリストの宇宙界へと渡っていくことができます。魂は、ここでついに霊の源との融合を果たすのです」

・「第6界と第7界は、神の天界として知られています。第6界で留まる魂たちは、物質の世界で作業をする。そして、純粋で建設的な動機を持って、より低次の世界に下降することができます」

 


<●●インターネット情報から●●>

 

『ブルーアイランド』

エステル・ステッド  ハート出版  1992/11

 

 

 

ブルーアイランドの建物

霊界というと、非現実的で夢のような世界を想像なさるに違いありません。が、そうではなく、みなさんが外国に行くのとまったく同じなのです。地上と同じように実体があるのです。おまけに、比較にならないくらい興味のつきない世界です。

  やがて私たちは大きなドームのような建物の前に来ました。中を覗いてみると、ここも素敵なブルーで彩られていました。地上で見かける建物と変わらないのですが、その美しさが違うのです。

 

・そこにしばらく滞在して、それから軽い食事を取りました。私が地上でよく食べていたものに似ている感じがしました。ただし、肉類は見当たりませんでした。

 奇異に思えたのは、食事は必ずしも取る必要がないように思えたことです。目の前に置いてあるのですが、どうやらそれは必要性からではなくて、地上の習慣の名残にすぎなかったようです。

 

・父の説明によれば、あの建物は一種の休養施設で、地上からの新来者がよく集まるところだそうです。地上界の生活条件に近いものがいろいろと揃っていて、外観も地上の建物に似ているので、よく使用されるということです。同じ目的をもった建物は他にもたくさんあります。別の用途を兼ね備えたものもあります。

 

それらの外観は一つ一つ異なり、似たものはありません。要するに“大きなビル”と考えればよろしい。博物館や美術館、あるいは巨大なホテルを想像されてもよろしい。だいたいそんなものに近いと思ってください。おとぎ話に出てくる夢のような宮殿を想像してはいけません。きわめて地上的で、変わったところは一つもありません。

 

・このブルーアイランドにはそうした建物が実にたくさんあるのです。というのも、この世界の第1の目的は、地上を去ってやってくる者が地上の縁者との別離を悲しんだり、無念に思ったり、後悔したりする気持ちを鎮めることにあり、当分の間は本人が一番やりたいと思うこと、気晴らしになることを、存分にやらせることになっているのです。

 

・元気づけるために、あらゆる種類のアトラクションが用意されています。地上時代に好きだったことなら何でも――精神的なものでも身体的なものでも――死後も引き続いて楽しむことができます。目的はただ一つ――精神的視野を一定のレベルまで高めるためです。

  書物を通じての勉強、音楽の実習、各種のスポーツ、‥‥何でもできます。乗馬もできますし、海で泳ぐこともできます。狩りのような生命を奪うスポーツは別として、どんなスポーツ競技でも楽しむことができるのです。もっとも、こちらでは地上で言う“殺す”ということは不可能です。狩りと同じようなことをしようと思えばできないことはありませんが、この場合は“死”は単なる“みせかけ”にすぎないことになります。

 

・そうした建物は新来者の好みの多様性に応じて用意されているわけです。こちらでは疲労するということがありませんから、思う存分それぞれに楽しむことができます。が、やがてそればっかりの生活に不満を抱き始めます。そして、他に何かを求め始めます。興味が少しずつ薄らいでいくのです。

  それと違って、たとえば音楽に打ち込んだ人生を送った者は、こちらへ来てからその才能が飛躍的に伸びて、ますます興味が深まります。その理由は、音楽というのは本来霊界のものだからです。ブルーアイランドに設置されている音楽施設で学べば、才能も知識も、地上では信じられないほど伸びます。

 

・さらには“本の虫”もいます。地上では失われてしまっている記録が、こちらでは何でも存在します。それがみな手に入るのです。ビジネスひとすじに生きた者にも、その才能を生かす場が用意されています。

  これには理由があります。こちらへ来たばかりの者は、多かれ少なかれ悲しみや無念の情を抱いております。それが時として魂の障害となって進歩を遅らせます。そこで、とりあえず悲しみや無念の情が消えるまで、当人がやりたいと思うことが何でも好きなだけやれるようにとの、神の配慮があるのです。それが実は進歩への地固めなのです。

  が、純粋に地上界に属する趣味は、やがて衰え始めます。一種の反動であり、それがゆっくり進行します。こちらでも物事は段階的に進行し、決して魔法のように一気に変化することはありません。

 

・その反動が出始めると、興味が次第に精神的なものへと移っていきます。もともと精神的なものに興味を抱いていた人は、引き続きその興味を維持し、拡大し、能力が飛躍的に伸びます。地上的な性格の趣味しか持たなかった人にも、いずれは変化の時期が訪れます。

  このように、ブルーアイランドにいる間は、多かれ少なかれ地上生活との関連性が残っています。最初は、ただ面白いこと、愉快なことによって自分を忘れているだけですが、やがて霊的向上のための純化作用が始まります。

 

 

(2020/7/5)

 

 

 

『オカルト伝説』 ナショナル ジオグラフィック別冊

人を魅了する世界の不思議な話

日経ナショナル ジオグラフィック社   2020/4/30

 

 

 

羽のように軽く……人体浮揚

・たとえば、釈迦は水の上に飛んだという記述が残っているし、ミサの間にいつも浮揚していた聖ヨセフは、死後、飛行の守護聖人として列世されている。もちろん、神々も自在に飛べると考えられていた。エジプト神話のホルス神は、鳥の羽を持った円盤という姿で描かれている。聖人たちが上っていく天界、そこには天使が住んでいる。天使には階層があり、その最高位にいるのは、神の御座の周りにいるセラフで、三対の翼を持っている。天使は人間が幸福であるかいつも気を配っていて、それが「守護天使」と呼ばれるゆえんだ。

 

歩く家具、鳴り出すアコーディオン

・空中に浮かぶことができたのは聖人や天使だけではない。行者や魔術師なども、やはり浮く力を持つといわれていた。19世紀のスコットランドの霊媒師、ダニエル・ダングラス・ヒュームは、ナポレオン3世やアンソニー・トロロープの前で、その能力を披露してみせた。浮いてみせただけでなく、手を触れずに家具を動かしたり、アコーディオンを空中で鳴らしてみせたりもした。このような物理的心霊現象を起こすことのできる霊媒師は多く、20世紀初頭のイタリア人霊媒師エウサピア・パラディーノなども、離れたところから家具を動かしたという。見物していたノーベル賞受賞者のピエール・キューリーも「これはまぎれもない事実だ。とても騙されているとは思えない」と言ったというのだ。だが、1900年代に起こなわれた研究では、部屋にはさまざまな仕掛けが施されていて、それがパラディーノの霊能力の正体だったと結論づけている。

 

霊の予言

・使徒言行録によれば、キリストの磔刑のあと、使徒たちはキリストを裏切ったユダの後任に神は誰を望んでいるか、くじ占いをして答えを探った。くじ占いとは符号やマークのついた棒や石を投げ、答えを見つけるというもの。その結果、ユスト・バルサバは負け、キリストの洗礼の時から行動を共にしていたマティアスが選ばれたのだった。

 

世界の中心

・一方、古代ギリシャ人は、デルフォイの神殿におもむき、神託を仰いだ。神殿はアテネ北西の山パルナッソスの中腹にあり、当時、そこが世界の中心であると信じられていた。

 人々は、国家や植民地の問題から個人的な問題まで、アポロンの巫女ピチアに相談した。

 

ゴーストダンス

・予言が悲劇を生んだ例もある。19世紀の終わり頃、アメリカ先住民パイユート族のウォジウォブという予言者が、トランス状態から目覚め、「自分たちの土地を取りもどす日は近い」と言った。さらに、神聖な衣服を身につけてゴーストダンスを踊り、瞑想すれば、白人が逃げて行く時期は早まると。

 

・このゴーストダンスを、戦いの準備ではないかと警戒していた連邦政府は、1890年、第七騎兵隊をサウスダコタ州のパインリッジ保留地に送り込んだ。緊張が一気に高まったのは、ウーンテッド・ニー川近くの野営地で、ラコタ・スー族が弾丸を通さないとされる「ゴーストシャツ」を着てダンスを始めたときだった。軍隊はキャンプを取り囲み、速射砲で狙いを定めた。いったん戦いが始まると、銃声が絶え間なく響き渡り、300人近くもいた大人や子どもが無差別に殺された。ゴーストダンスはもうラコタ族に踊られることはなくなったが、形を変え、今でもネイティブアメリカンの文化の中に残っている。

 

ゴーストとポルターガイスト

・ゴーストといえば出没自在で、わたしたちの周りをふわふわと浮遊しているイメージだ。しかし目撃したという人は多いが、その存在を示す科学的な証拠はいまだに見つかっていない。それでも、2012年の調査によると、45パーセントのアメリカ人がゴーストの存在を信じ、28パーセントが実際に目撃したが、気配を感じたことがあると言っている。

 

10万人の眠るセントルイス第一墓地に幽霊が出るという噂が立ち、おもしろがって見に来る観光客が多い

・ゴーストに会いたがる人たちはかなり昔からいた。イギリスには幽霊の出る場所が1万ヵ所もあるといい、ゴーストの秘密を探ろうという人たちが、温度計を手に歩きまわっている。気温が急に下がるのはゴーストが出現したサインだという。不思議な足音だけが聞こえてくる家もある。そのような場所から、またたくさんの物語が生まれてくるのだ。

 

築110年のスタンリーホテルには何体ものゴーストが、夜な夜な廊下を歩き回っているという

・1974年にスティーブン・キングが妻のタビサと泊まったロッキー山脈のスタンリーホテル。冬季閉鎖を目前に控えたこのホテルに泊まっていたのはキング夫妻だけ。このときの体験をもとに、スティーブンはホラー小説『シャイニング』(1977年)を書いたという。

 

実際、スタンリーホテルの泊り客が、廊下をうろつくゴーストを見たという話は昔から絶えなかった。ゴーストに会ってみたいという客のために超常現象ツアーが組まれているほどだ。ツアーでは、ホテルの怪奇現象を紹介しつつ、ゴーストの世界へといざなってくれる。

 

・大きな音を立てて、人を脅かしてばかりいるゴーストのことをポルターガイストという。由来はドイツ語で、ポルターはノイズ、ガイストは魂のことを指す。このはた迷惑な魂たちは、映画『ポルターガイスト』(1982年)に描かれた通り、物を動かしたり、叩いたりして皆を怖がらせる。

 

・しかし、人々がポルターガイストについて語りだしたのは、とりわけ最近になってからのことだ。たいていは人の良いゴーストのほうが好まれ、何世代にもわたって語り継がれている幽霊話もある。ワシントン・アービングが書いた『スリーピー・ホロウの伝説』に出てくる首なし騎士の話などがその典型的な例だろう。また、人々はゴーストが出るという心霊サイトも大好きだ。

 

・ゴーストが出没する場所として有名な街もある。ニューオーリンズには第一墓地やラローリーマンションへ馬車で連れて行ってくれる。ラローリーマンションは、女主人デルフィーン・ラローリーが所有していた屋敷で、多くの奴隷が虐待されたり殺されたりした場所だ。シンガポールも、心霊サイトの多い都市で、中でも出現率の高さで群を抜くのが旧チャンギ病院だろう。

 

・ゴーストはまた、船上にも出現する。現在はカリフォルニア州のロングビーチに永久停泊しているクイーンメリー号には、「白いドレスの美女」や船の中で殺された船員などの霊が、大勢乗っているといわれている。ゴースト見学ツアーまであるそうだ。そして、決して港に戻ることのない船もある。フライング・ダッチマン号は永遠に航行するのろいをかけられた幽霊船だ。リヒャルト・ワーグナーのオペラ『さまよえるオランダ人』の中でも港に帰ることを許されず、英国詩人サミュエル・テイラー・コールリッジの『老水夫行』という作品でも海原をさまよっている。

 

狼男

・1764年、ジャンヌ・ブルという14才の少女がフランスのサン・テティエンス・ド・リュグダーレ村の近くで獣に襲われた。その頃のジェボーダン地方(現オクシタニー地域圏にある地域)で動物に襲われることはそれほど珍しいことではなかったが、1760年代半ばの犠牲者は100人以上に上り、少女もその中の一人だった。

 

・彼らは皆、喉元を食いちぎられ、頭をかみ砕かれた状態で発見された。相次ぐ惨劇に、ジェボーダン地方は大騒ぎになった。後ろ足で立ち、銃で撃たれても死なないどう猛な野獣が辺りをうろついているという噂が広まったのだ。大勢の有志がライフルや毒入りの餌を持って集まった。うまく仕留めれば、報酬が手に入るかもしれない。ハンターの一人、ジャン=バティスト・ブーランジェ・デュアメルの記録には、こう書いてある。「やつは、きっとライオンを父に持つモンスターだ。しかし母親のほうは見当がつかない」。討伐隊はそのモンスターを見つけることができなかったが、1765年には事件がピタリと止んだ。おそらくオオカミの群れが人を襲っていたのか、または外国人の見世物小屋から逃げ出したライオンだったのではないかと推測されているが、その正体は、いまだに謎のままである。

 

人食いモンスター

・たしかに当時のヨーロッパでオオカミは脅威だったが、人々がもっと恐れていたのは、人が変身して人食い動物に変わったもの、つまり狼男だった。誰かが殺されるような事件が起こると、決まって貧しく、選挙権も与えられていないような弱い立場の人々に疑いの目が向けられた。当時は、狼男に噛まれると噛まれた側も狼男になり、薬を飲んだり、魔法のマントや帯を身につけたりしても変身できると考えられていた。

 

・狼男の仕業とされていたが、実は人間による殺人事件だったというケースもある。ドールの狼男として有名な、16世紀のフランス人ジル・ガルニエの事件がそうだった。ガルニエは以前から軟膏を全身に塗って狼男に変身すると噂されていた。そして、「変身した」ガルニエは、実際に子どもを殺し、食べていた。ガルニエは、1573年1月18日に逮捕され、火あぶりの刑に処せられている。ただし、狼男だと疑われていた人々の大半は、ただの勘違いによるものか、珍しい病気が原因だったのだ。強烈な頭痛を伴って口から泡を吹く狂犬病や、遺伝子の変異から体毛が過剰に成長する多毛症などの症状が、健康な人々の目には恐ろしく映ったのだろう。

 

リカントロピー(狼憑き)

・リカントロピーは非常に珍しい精神障害で、2004年以降の報告はわずかに30ケースを数えるほど。気分障害や統合失調症と関連性があり、症状は自分が狼や熊などの獣に変わっていると錯覚してしまう。バビロニアのネブカドネザル王、そしてアルメニア王のティリダテス3世もこの病気にかかって苦しんでいたと考えられている。イギリスの劇作家ジョン・ウェブスターが発表した『モルフィ公爵夫人』(1614年)は、この病気に苦しむ狼男の悲哀を見事に描き出した作品だ。

 

現代の狼男

・近代になっても狼男を目撃したという報告はなくなっていない。第2次世界大戦末期にはナチスは連合国軍に牙をむく「人狼部隊」というゲリラ軍を結成したとされている。しかし、やはり狼男が存在するのはスクリーンの中だけだろう。

 

・それでも、どう見ても狼男としか思えないような行動を取る人もいる。オーストラリア医学ジャーナルで2009年に発表されたところによると、シドニーに北にあるニューカッスルの病院では、2008年8月~2009年7月の間に受け入れた「狼男のような」症状のある急患は91人ものぼった。狼男のようなとは、急に乱暴になって暴れ出す、スタッフに噛みつく、つばきを吐きかける、引っかくなどの症状で、それらの症状の23%は、満月の夜に現れている。これは、ほかの月相のときの2倍の数字だった。患者は拘束され、鎮静剤を投与されるしかなかったということだ。

 

不思議の国の住人たち

・大地の精であるノームは、子どもたちを笑わせる人気者。

ブギーマンは、大人でさえぞっとしてしまう。もちろん彼らは現実には存在しない。

いつも楽しそうな妖精から、いたずらなトリックスター、あの手この手で怖がらせようとしてくるスピリット(精霊)まで、世界中の文化の中に生まれてきた伝説の生き物だ。

 

[コブリン]

・ふざけてばかりの醜い小鬼ゴブリンは、子どもがいてワイン樽のある家に住み着く。家事を手伝ってくれることもあるが、とにかくとても騒がしい。追い出すには亜麻の種を床一面にまくといい。そうすると、もうその掃除を手伝ってくれるゴブリンはいなくなるが。

 

[ブギーマン]

・子どもをしつけるために罰を与える怖いお化けは、世界中どこにでもいる。オランダのボルマンはベッドの下に潜み、いつまでも起きている子を連れ去ってしまうと言い伝えられている。自分の下に怪物がいるなど、怖くて逆に目がさえてきそうなものだ。韓国のお化けはもっとわかりやすく、子どもが悪いことをすれば袋に入れてさらっていく。フィリピンのお化けは首がなく、その開いた首元から言うことのきかない子を飲み込んでしまう。

 

[フェアリー(妖精)]

・不思議な魅力でいっぱいのフェアリーは、羽の生えた小さな女性の姿で描かれることが多い。イギリスの書物に登場したのは13世紀、歴史家であるティル・ベリーのジャーベイズが書いたのが初めてだといわれている。おそらく、紀元前の神や精霊がもとになっているものが、多く、始めはかなり力が強く危険な存在だったらしい。しかし、語り伝えられていくにしたがって、人間のやることに首を突っ込みたがる親しみやすい精霊にイメージが変わっていった。代表的な例が、ピーターパンの友達ティンカー・ベルだろう。

 1962年には、サマセットの農家のおかみさんがバークシャーの丘で迷い、緑色の服を着たとても小さな男の人に会ったと話した。その小人はおかみさんを助けると、煙のように消えてしまったのだそうだ。

 

宇宙の謎

昔から人類は意外な場所でUFOを目撃していた

・不思議な物体が空を飛んでいたという記録が、これまでの歴史の中にないわけではない。大昔の人々は、長い尾を引いて空に現れた彗星を、神の警告ではないかと考えていた。その頃に描かれた洞窟の壁画の中に、宇宙から来たものとみられる絵が含まれていても、驚くほどのことではないだろう。

 

・1561年、ドイツのニュールンベルグの空で、色とりどりの三角や球、十字の形をした物体が「戦い合っている」ところを多くの人が目撃している。物体は1時間ほど戦ったあと、燃え上がり、地面に落下していったという。

 19世紀末には、パーシバル・ローレンス・ローウェルを初めとする欧米の天文学者が、火星の「運河」を観測していた。そして20世紀に入り航空技術が発達すると、おかしな飛び方をする物体を見たという報告が急増した。それは侵略者なのか、救世主なのか。H・G・ウェルズの小説『宇宙戦争』やアメリカン・コミックスの『スーパーマン』が人気を集めるようになると、そのような飛行物体の目撃報告はさらに増えていった。

 

続く宇宙探査

・こんなに科学が進歩しているにもかかわらず、彗星を見て宇宙人が来たのだと思い込む人々がいる。1997年、ヘブンズ・ゲートというカルト教団の信者39人が集団自殺をした。彼らは、ヘール・ボップ彗星とともにやって来た宇宙船が自分たちの魂を連れて行ってくれると信じていたのだ。

 

ハワイで目撃

2017年、ハワイのパンスターズ1望遠鏡が、太陽系を駆け抜けていく葉巻型の物体を捉えた。つけられた名前はオウムアムア。ハワイ語で「メッセンジャー」という意味だ。オウムアムアは今までにない恒星間天体と考えられたが、宇宙人の船である可能性を唱える人たちもいた。その宇宙船説を後押ししたのがハーバード・スミソニアン天体物理学センターで、飛行スピードの変化の様子から、「地球外文明から意図的に地球のそばへ送られてきた十分に操作可能な探査機」の可能性があると発表した。

 

未確認飛行物体

・1947年の夏、あるパイロットがワシントン州のマウント・レーニア上空で、まるで「水面をかすめ飛ぶ皿のように」猛スピードで飛ぶ物体を目撃したと報告した。それを「皿のような形をした物体が」とニュースレポーターが言ってしまったことから、「フライング・ソーサー(空飛ぶ円盤)」という言葉が広まった。

 

・ニューメキシコ州ロズウェルに近い米軍基地から、空飛ぶ円盤を「捕獲」したという発表があったが、すぐにその発表は撤回された。

 

空飛ぶ円盤か、ソ連の密偵か

・それは折しも冷戦がはじまった頃だった。正体不明の飛行物体は、ソ連が軍事力を誇示するために飛ばしているものと考えられていた。アメリカ空軍は調査のためにプロジェクト・サインを立ち上げたが、地球外生物の可能性は、念のために視野に入れておいたという程度にすぎなかった。ほどなくして、新たに立ち上げられたプロジェクト・グラッジが調査を引き継ぐが、やはりUFOだという証拠は見つからなかった。その後のプロジェクト・ブルーブックも、1万2618件もの目撃情報を入手していながら、「UFOに関する報告はなにもない」と結論づけた。

 政府が、いくら宇宙人の存在を示す証拠は見つかっていないと発表しても、情報が隠蔽されたと信じて疑わない層もあった。それどころか、宇宙人に拉致されたという体験談も出てきた。有名なところでは、ヒル夫妻の話がある。1961年、ベティとバーニーはニューハンプシャー州のホワイト山地で宇宙人に捕まり、髪の毛や爪を採取されたと語った。

 

現在では、アメリカ人の半数以上が、地球外生命体の存在を信じているという。おかげで愛好家が訪れるようになったロズウェルには、UFO博物館が設立され、年に一度、UFOフェスティバルも開催されている

 

 

 


おまえの心が六道のどこにあってもおまえの中に極楽はあるのだから、生き方ひとつで極楽は輝き出る。(2)

2024-08-11 08:41:34 | 森羅万象

 


『天国の住民が教えてくれること』

ポール・ミーク  新紀元社  2005/1

 

 

 

プロのミディアム(霊媒)

・私は物心つかないうちから常に霊界とともに生きてきた。プロのミディアム(霊媒)となって、25年以上経つ。霊界のために仕事ができて光栄だと思う一方、私は、この仕事に大きな責任を感じる。

 

・私の目的は、霊界とのコンタクトによって、愛する人と死別して悲しんでいる人を慰めること、苦境に立つ人を元気づけることだ。

 

私は、英国スピリチュアリスト協会のミディアム(霊媒)の試験に合格したのち、ミディアム(霊媒)としてだけではなく、オランダでオペラ歌手として働いた。

 

・死後の世界である霊界のことや霊的な真理について、霊界とのコンタクトを、実例を挙げながら、分かりやすく説明しようとした。

 

・イギリスでは、スピリチュアリスト教会が至る所にあります。普通の教会と同じように自由に誰でも参加できます。

 

プロのミディアム(霊媒)の本として、ドイツでベストセラー、ロングセラーとなった。

 

・イギリスだけでなく、アメリカにも大勢の優れたミディアム(霊媒)がいます。そして、もちろん日本にも。

 

 <スピリチュアリスト教会> 死後の生命存在を実証するために、ミディアム(霊媒)が死者たちとコンタクトをとり、メッセージをもらう集会をする教会。

 

英国スピリチュアリスト協会(SAGB)

・SAGBと呼ばれる英国で有名な団体。130年の歴史がある。前身はメアリールボーン・スピリチュアリスト協会という、12人の知識人によってはじめられた。その中にはシャーロック・ホームズの生みの親であるアーサー・コナンドイル卿もいる。ミディアム養成のための様々なクラスもある。

 

 著者の子供時代に病気の時の死後体験でみた霊界

 カラフルなインディアンの訪問者

・何日もの間、私は隔離されて、病院の小さな部屋にいた。毎日、医者たちが回診に来た。

 

・薬は眠りを誘うものだったに違いない。なぜなら、私は、眠ってばかりのようだったからだ。そして、切れ目なしに夢を見ていたのか、霊視だったのか、今となっては確かではないのだが、各国の子供たちが大勢でベッドのまわりで、踊ったり遊んだりするのを何回も眺めたことを覚えている。他にもたくさんの訪問者があった。その中に何年か前、バイオリンを習えなかった時に慰めてくれた“真っ白な衣装を着た女性”もいた。

ほぼ毎日ある訪問者の中に“カラフルなインディアン”がいた。彼は来ると決まって私を寝かしつけてくれた。眠くならないときには、半分眠っているような夢心地になった。

 

霊界には夜がないし、眠る必要がない。>

・ そこには夜のようなものがない。私達は、眠る必要がないのだから、休息や細胞組織の再生を必要とする物質の身体がないのだ。それに、ここ地上にいるとき時は違って、太陽や月に支配されて生きているのではないから、時間に制限されない。

 

・ 魂の集団全体が霊界で完全に揃うまで待つのである。地上は多くの魂にとって最大の学校であるが、霊界でも魂は学び向上するための無数のチャンスがあるというのだ。

 

 あなたが人生を選ぶ

・ もっと高次元の進歩を遂げた魂のことを、私達は、霊的な教師と呼んでいる。霊的な教師は、悟りを開く準備が整い、進歩を熱望する者たちをいつでも助け、指導する用意がある。喜んで未熟な魂たちの手助けをして、さらに道案内してくれるのだ。霊界の生活は大部分の魂にとってこの上もなく心地よいものである。霊的な進歩という点から、そこで多くのことを得ることができる。

 

・ しかし、霊界であまりに長く過ごさず、この世に転生する例外的なケースもある。この世でのほうがある特殊なレッスンのために都合がいいというケースだ。戦争や災害で魂がこの世でのレッスンを完了しなかったということもある。

 

・まず、生まれ変わる、つまり転生するのは自分の選択で、私達の自由な意思である。ある期間を霊界で過ごしたあと、私達は、自分の限界に気づき、もっと進化したいと思うようになる。その時、より高い界層からの指導と霊的な教師の手助けによって、この世での新しい人生を計画するのだ。そして、霊界の潮流から押し出され、この世に戻ってくる。

 

 霊界を思い出すことが重要

・死と再生の循環にも終わりがある。この世で必要なことをすべて体験し、習得したときに、自由のきかない肉体をまとうことをもはや望まず、霊界にいる状態に満足したとき、その時こそが、霊界のより高い界層を昇るときである。霊界には豊富な知識や知恵を得ることができる界層が数多くある。

 

 前世は知らないほうがいい

・ 人の魂は、みな進化と発展の途中であるということを理解して欲しい。私達は、みな過去において生き延びるためにあらゆる手段を使って戦ったのだ。だから、「私達がこの世に生まれる際に過去のあらゆる記憶は、自動的に消去される」という宇宙の法則は、ありがたいものである。体験したことを全部覚えていれば、いたたまれない人もいるだろう。

 

 輪廻転生

 人生という舞台

・新しい人生が地上で始まるとき、私達の魂は、新しい肉体に宿る。新しい脳、初めて抱く感情・・・。新しい身体は、明らかに前世の身体とは何の関係もなく、新しい脳も前世の脳と何の関係もない。生まれる前に霊界で過ごした時の記憶もない。

 

・ 例外として、前世のぼんやりした記憶や出来事のかすかな部分を思い出す人々もいる。子供の中にはそういった事を話す人もいるが、地上での年月が経過するにつれ、そういう記憶も薄れて、はっきりしなくなる。この情報や記憶力は、魂から来るのでしょう。意識や潜在意識から来るのではない。

 

 霊界で過ごす時間

・ 「魂は、次にこの世に生まれるまで霊界でどのくらいの時間を過ごすのか?」は、よくある質問だ。それぞれのケース(それぞれの魂)で違っており、決まった期間というものはない。

 

・ 私達は、みな「カルマに基づく魂の集団」家族と呼んでもよい集団とつながっていることを改めて理解してほしい。私達は、偶然この世に生まれるわけではなく、魂の成長のために生まれるのだ。

 

・ 霊界には時間が存在しないという事実から私達が、霊界で実際に次の生まれ変わりまでどれくらい時間があるのかの答えを出すことは、困難だが、一般的には地上の時間で、約150年から200年、霊界で過ごすと言っていいだろう。

 

・ の世では、日数や季節で、春夏秋冬で時間を数える。しかし、霊界にあるのは光のみ、多くのスピリチュアリストが、霊界をサマーランド(常夏の地)と呼ぶのはこの事実による

 

 

 

『天国の住民が教えてくれること』

ポール・ミーク  新紀元社  2005/1

 

 

 

霊界には7つの界層がある

・霊界には7つの主要な階層があり、各々はさらにいくつかの階層に分れていて、お互いに重なり合ったり、複雑に混じり合っている。そのほかに、人が死によって肉体を捨てアストラル体になった時、霊界に適応するまで休息するための階層もある。

 

 <第一の界層>、最下層では波動は極度に低く、私たちが普通考えるような生命と言うようなものは、存在しない。邪悪の思考が渦巻く、光の届かない世界。地獄のようなという形容が当てはまるだろう

 

 <第二の界層>、この世で他者を苦しめ続けた人間は、この界層に行く。向上するには、多くの転生を繰り返す必要がある。それにはこの世の年月で数千年もかかることがあるだが、どんな魂にも進化のチャンスがあることを忘れないでほしい)。

 

 <第三の界層>、第三と第四の界層は、この世を鏡に映し出したような所だ。私達の大部分が死後そこに住むことになるだろう。そこには、山、川、谷、海もあり、私達がこの世で美しいと思ったものは何でもある。

 物欲で生きた人たちは、大体において、第三の界層に行く。この世で頑張って働き、人生を楽しんだ。他者に危害を加えたわけではないが、他者のために特別いいことをしたわけでもない。つまり、平均的な人たちだ。また、他者のことは考慮せず、少し自己中心的だった人や、霊的なことなど考える余裕さえなく、お金やものを所有することしか頭になかった人もそこに住む。自分たちの上に高い階層があることを気づこうともせず、自分の枠の中しか知らない。周囲も似たような考えの人たちばかりだ。だが、多くの魂がこの界層内で進化を遂げる。中には、一つ上の界層に昇るものもいるが、一般的には、この世への転生の計画を立て、実行することを目下の目標とする。

 

 <第四の界層>は、第三の界層よりも美しく明るい。ここにいる人は、霊的にさらに進歩している。学びや進歩を自ら求める。この界層の中ほどにいる人は自分の限度に気づいているので、高い界層から降りてきた霊たちは彼らのために喜んで手を貸す

 

 <第五の界層>は、まさしく楽園と呼ぶにふさわしいところだ。何もかもが、美しく光り輝いている。完璧さを目指して努力した人や、霊的に高度に進化した心優しい人もここに住む。美術や芸術など、霊感を使って技を極めた人たちもこの界層にいるが、彼らは自分たちの仲間と一緒にいる。

 幼児や赤ん坊は、ここで天使に相当する霊たちが、面倒を見る。この霊界の住民は、自ら波動を低い波動に調整することによって、下の界層にいる家族や友達を訪問できる。

この界層の上のほうには指導霊や教師の役割のある霊が住み、第六の界層から降りてきた師から教えを受ける。霊的に極めて進化した人も死後そこへ行くが、普通、そこに達した人は、もうこの世に生まれ変らない。彼らはそこで学び、教える目的で下の界層を訪れたり、霊的に向上したいと願うこの世の人たちを指導したり、助けたりする。地球の年月で、千年かそれ以上、そこで過ごす者もいる。

そして、この界層で、最上部で次の界層に昇る準備ができたものは、二度目の死を体験する。単に横になり心地よい眠りに入るのだ。非常に繊細で明るく輝いていたアストラル体をそこに脱ぎ捨てる。

 

 <第六の界層>で、彼らは、自らを愛する。そのとき、彼らは、エーテル体と呼ばれる。私達の目にはまぶしい光でたとえようもないほど美しく明るい姿になっている。この界層にいるものは、天使のような存在で、その高貴な美しさをどう形容したらよいかわからない。

 

 <第七の界層>は、神そのものである。そこには個々もなく、神の意識と完全に一体となる。霊がそこに到達するのに、どれだけ時間がかかるのか私には見当もつかない。

 

4階建ての家

人は4階建ての家に住んでいるようなものだと私はよく思っている。しかし、大勢の人が地下室で暮らし、自分たちの上により明るくて暖かで素敵な部屋が4階もあることに気づいていない。

 この人々にとっては上の4階は存在していないのである。存在を知っている者がいても、閉まっているので入れない。彼らは階段をまだ見つけ出していないのである。地下室と1階の両方に満足して住んでいる人もいる。人生を送るうちに、上のほうからもれている小さな光を見つけるかもしれない。

 一旦霊的に目覚めさえしたら、ドアは開かれ、錠ははずされる。ドアは再び閉められるかもしれないが、鍵がかかることはないのだ。ということは、そっと押せばいつでも開くのである。

 

・あなたの家の鍵、全部の階の鍵は、あなたの中にある。外の世界に見つかるのではない。内面の世界に入って初めて自分の真実の霊的本質がわかるのだ。自分の家の階上にある部屋のドアを開けて、光を入れることによって、私たちは本当の意味で光の中で生きることができるのである。

  

 

 

『天国への手紙』

江原啓之  集英社    2007/3/20

 

 

 

<「たましい」の行方>

臨終~舞台の幕が降りるとき

・臨終のとき、すなわち死に臨む最期のときに、意識がはっきりしていて「さようなら」が言えるケースはほとんどないでしょう。亡くなり方にもよりますが、少し昏睡状態になってから、ということが多いと思います。

 前述しましたが、人間の肉体には、幽体と霊体というスピリチュアルなエネルギー体が重なっています。幽体は精神であり、霊体は私たちの本質である魂です

 

・臨終の昏睡状態のときは、肉体から幽体と霊体が少しずつ離れつつある状態です。たましいが、ふるさとである「あの世」へと帰り始めているのです。

 ですから、意識が半ばもろうとしながらも、「さっき、死んだお母さんが会いに来たよ」などとつぶやくようになるのです。

 

臨終のときには、ふるさとからお迎えが必ず来ます。すでにあちらの世界に帰っていった愛する人、よく知っている人が迎えに来てくれるのです。

 私たちが現世を生きている間、見守ってくれたガーディアン・スピリット(守護霊)は姿をあらわしません。その姿に私たちはなじみがないので、わからないからです。あちらの世界へ順応しやすくするには、誰が行けばもっとも効果的かと考えて、私たちのよく知っている懐かしい人が迎えに来てくれるようになっています。

 昏睡状態になることも、知っている人が迎えに来てくれることも、すべて旅立ちをスム―ズにするためです。死というひとつの喚問をラクに通過させる方法について、あちらの世界では、実によく考えてくれているのです。

 

スピリチュアル・ワールドの階層図

・ここで、スピリチュアル・ワールドの階層について、かんたんに説明しておきましょう。

 私たちが生きている現世は、「現界」です。人が亡くなると、先ほど述べたように、たましいは「幽現界」へ行きます。ここは、現界と重なり合うように存在するスピリチュアルな世界です。

 たましいは幽現界にしばらくとどまり、自分の死を受け入れて、現世への執着を断ちます。これができないと、未浄化霊としていつまでもここにいることになります。

 

・自分の死を受け入れて、執着を断ったたましいが次に行くのは「幽界」です。

 ここはとても広く、さまざまな階層(ステージ)に分かれています。この世にとてもよく似た下層部から、天国のように美しい上層部(サマーランド)までを含みます

 幽界のどの階層に行くかは、生きている間のたましいのレベルによって違います。

 たとえば、人を妬んで悪口を言ったり、足を引っ張ったりするのが日常茶飯だった人は、同じような人ばかりが集まる下層部に行きます。

 そこには、仏教で「地獄にある」といわれているような針山や血の池などはありません。

けれど、低いレベルのたましいばかりが集まっているので、まさしく「地獄」といえるでしょう。その周辺はどんよりと曇っています。

 

反対に、人のために尽くし、霊格の向上に努めてきた人は、明るく美しい上層部に行きます。いわゆる「サマーランド」と呼ばれる、とてもさわやかなところです

 そこを抜けると、「霊界」に行きます。ここが、私たちのガーディアン・スピリット(守護霊)などの高級霊がいる世界であり、たましいのふるさとなのです。

 

・その上には、神の領域である「神界」が広がります。

 私たちは、なかなか神界へは行けません。そこまで霊格を向上させられる人はほとんどいないのです。多くのたましいは、霊界で自分を見つめ直し、再びたましいの修行を求めて現世へと再生をくり返します。

現界→幽現界→幽界→霊界→神界」と高まっていくスピリチュアル・ワールドの階層を、頭に入れておいてください

 

<幽現界~現世に最後の別れを告げるところ>

・ラストシーンを終えて舞台袖に戻った役者は、しばらく客席の反応を見つめます。芝居が終わったことを確認するのです。

 それと同様に、亡くなった人は「幽現界」にしばらくとどまり、現世に別れを告げます。自分のお通夜やお葬式を見たりして、死へのイニシエーション(通過儀礼)を行うのです。

 

そこではっきり自分の死を自覚し、縁のあったいろいろな人に「お別れ」を告げに行きます。

 自分と絆のある人が亡くなったとき、フッと「虫の知らせ」が来ることがあるでしょう。なんとなくその人のことを思い出したり、ラップ音(物理現象としての音ではなく、スピリチュアルな現象による音)が鳴ることもあります。それは、亡くなった人からのお別れのメッセージなのです。

 

仏教では「四十九日」という区切りをつけますが、だいたいそれぐらいの期間、たましいは幽現界にとどまります。

 とどまる期間は人それぞれです。とどまらずさっさと幽界に行く人は、ほとんどいません。必ず何か気になることがあるからです。たとえば、会社の机の整理から、相続財産の行方、飼っている猫のエサの時間、口座引き落としの日の銀行残高など、些細なことにいたるまで心配ごとや執着はたくさんあるのです。

 自分がもう死んだということを自覚して、現世への執着や未練が断ち切れないと、次なる「幽界」へは行けません。すると、幽現界にとどまったまま、未浄化霊となって「さまよう」ことになります

 

・自分の死を受け入れて、執着や未練を断ったたましいは、幽現界にあまり長くとどまらず、次のステージである幽界へと進むことができるのです。

 

幽界~心象風景がそのままあらわれるところ

・「幽現界」を抜け出たたましいの多くは、まず「幽界」の下層部あたりに行きます。

 前述しましたが、幽界はさまざまな階層(ステージ)に分かれていきます。最下層部には地獄のように暗くてどんよりとした世界があり、上層部はサマーランドと呼ばれる天国のように明るくのどかな世界が広がっているのです

 

地獄といっても、閻魔大王がいるわけではありません。底意地が悪く、ケチで、自己顕示欲の強い人たちばかりが集まっているのです。俗世中の俗世といえるでしょう。ある意味で現世よりも俗世です。現世にも「闇の世界」は存在しますが、表面化はしていません。

現世の闇の部分がすべて表面化しているのが、幽界の下層部だと考えてください。

 

反対に、サマーランドは、人が理想として思い描く天国に近いといえるでしょう。心の美しい人たちばかりがのんびりと集う、光に満ち溢れた世界です。

 二つの中間にも、さまざまなステージがあります。そのなかのどのステージに行くかは、生きていたときのその人の心の在り方によって決まります。生きていたときの心の状態とまったく同じところに平行移動するのです。

 

<「浄化」のシステム>

・幽界の最上部に行っても、まだ真っ白ではありません。完全に浄化してはいないのです。

 幽界の最上部まで進んだたましいは、あらたな気づきを経て、「霊界」に進みます。

そこで今度は幽体を脱ぎ捨て、霊体だけになるのです。これは「第二の死」と呼ばれます。

 

・あるとき突然、意識改革されるように感じるときがあるでしょう。それは、思念の連鎖がもたらす改革なのです。

 つまり、現世に生きる私たちと、亡くなって幽界に行った人々のたましいは、互いに切磋琢磨しているのです。

 

霊界~「グループ・ソウル」への帰還

・たましいの在り方が、小我から大我へ移っていくのです。

 小我とは、自分の幸せや快楽だけを考える、身勝手で小さな心。大我とは、自分以外の人や全世界の幸せを願う大きな心です。

 たしかに最上層部(サマーランド)に行くと幸せです。なぜ幸せかというと、自分も周囲も大我に目覚めているからです

 

<再生~再びたましいの旅へ>

・大我に目覚めたたましいは、グループ・ソウルに溶けこみ、そのなかから再び新たな経験と感動を求めて、現界に再生します。

 

・守護霊とは、現界を生きるたましいを常に見守り続ける高級霊のことをいいますが、再生を果たした自分と、それを見守る守護霊は、同じグループ・ソウルの一員です。ですから、守護霊は、二人羽織のように、自分が現界で生きているかのような気持ちで、たましいの旅路を見守っているわけです。

 守護霊は高級霊ではありますが、それは霊界にいるからで、実は現界に再生してきた私たちと同じ人格です。

 

・グループ・ソウルの一滴として現界に再び生まれ出て、守護霊に見守られながら、自分自身の本質をさらけ出し、さまざまな経験と感動を積んでいく。それによって、霊格を向上させていく。これが私たちのたましいが現世へと再生をくり返す目的なのです。

 このようにして、私たちは長い時間をかけ、何度も再生をくり返します。現世における死は、たましいの終わりを告げるものでは決してありません。たましいは、永遠なのです。

 

 

 

『あの世の存在に活かされる生き方』

パット・クビス&マーク・メイシー   徳間書店   1999/7

 

 

 

新しい世界で生きるということ

・霊たちのほとんどは、自分たちがこの新しい場所に「渡ってきた」ことを理解しているのですが、ここにどうやってたどり着いたのかを思い出せる者はいませんでした。

 「この新しい場所」とは、地球が所属する太陽系にはないマルドゥクという星のことです。この惑星はひとつの太陽の周りを公転していて、そのほかにさらに二つの太陽に照らされています。ここは決して真っ暗になることはありません。マルドゥクの円周は約12万7000キロメートルで、ここには地球の月よりも大きな月があります。エターナティ川という名の、最深1万7000キロメートル、いちばん広いところで幅3700キロメートルになる大河が惑星全体をぐるりと囲んで流れていて、この川のほとりには600憶もの人々が暮らしています。

 

・この星の風景は絶えず変遷しているわけではなく、なかにはまったく変わらないものもあります。また、街があり、学校や大学もあります

 今日、アストラル界についてのこのような描写は珍しいものではなく、多くの人々が臨死体験や体外離脱を経験し、そのときのようすを個人的に家族や親しい友人に話したり、あるいは記事や本、講義などで公に発表しています。

 

低次のアストラル界 地獄や煉獄という概念のもととなった世界

低次のアストラル界は暗く、陰惨な世界です。一部の人々は死後、自分が持つ低振動の思考や行動によってこの世界に引き寄せられます。この領域は物理的世界の近くに存在し、混沌としています。霊界には時間も、空間も、引力もなく、この低次の世界に陥った存在たちは、混沌とした状態のなかで生きることになります。そしてときには、地球の時間で言えば数年から数世紀もの間、この困惑に満ちた現実のなかで暮らすのです。なかには自分が死んだことに気づいていない者さえいます。

 

アストラル界下層にいる霊たちの多くは、地球上の種々の問題を引き起こす原因となります。彼らはテレパシーで地球上の人間と交信ができ、心の弱い人たちが悪い行いをするようにささやくのです。その人たちはそれぞれが自分自身の思考だと思い込んでしまいます。たとえば、死んだアルコール中毒患者、麻薬常用者、殺人者、またその他の凶悪犯罪人の霊は、地球上の自分と似たような性質を持った人間や意志の弱い人間に引き寄せられ、かつて自分たちが働いてきた悪事へと誘い込もうとします。このような否定的な心的存在たちは、とりついた人間の否定的な思考や態度、行動を煽り立てます。

 

アストラル界中層

・私たちのほとんどが地球での教育―私たちの人格や忍耐力を向上させるための試練を与えてくれる学校―の後のリハビリテーションを行うための快適な領域です。

 タイムストリームや他のITC研究者グループから地球に送られてくるメッセージや画像はすべて、このアストラル界中層からのものです。彼らは、地球上のものに似たコンサートホール、博物館、病院、学校、家などについて描写しています。そしてその周りには、木や花、山々、野原、河川などの自然があり、このような景色は地球のものと似ていますが、ただただ息をのむほどに美しいということです。

 第三界とは、わたしたちがさらに高次の世界に進むか、それとも経験を積むために再び地球に生まれ変わるかを決めるまで過ごす、一時的な場所です。

 

さらに高次のアストラル界

さらに高次のアストラル界は、キリスト教徒が「天国」、スピリチュアリストが「常夏の国」と呼んでいる素晴らしい場所です。他界におけるITC実験の研究仲間の多くはこの高次の世界に暮らしていて、ITC(トランスコミュニケーション)の活動に参加するために自分の振動数を下げて第三界に「降りて」くるのです。

 

・心因界は、世俗的な欲望や葛藤とは無縁の神聖な霊感の領域です。ここにいる存在たちはテレパシーを使ってメッセージを送り、地球上の多くの芸術家や発明家にひらめきを与えています。心因界の振動を持つ「光の存在」たちは、インスピレーションや手引きを与えてITCのプロジェクトを援助しています。

 

<天国と地獄>

ほとんどの人によって天国だと考えられている世界は、アストラル界高層にあります。神秘家や霊能者はこの世界を「常夏の国」と呼んでいます

 この常夏の国では、人々は私たちと同じように暮らし、その姿は若かったころのように見えます。ここには素晴らしい大学やデザインセンター、きれいな花や植物が茂る美しい風景があり、まさに天国を思わせる鳥たち、犬猫などの動物のほかに、こちら側の世界には見られない種類の動物たちがいます。またこの世には存在しない色がたくさんあり、初めてこのアストラル世界を訪れた人たちはそのまばゆさに目がくらんでしまうほどです。

 

・医者であり、リッチモンド全科診療専門学校の前学長だったジョージ・リッチ-博士は、1943年にアストラル界を訪ねる経験をしました。リッチーは巨大な半球形の建物に案内され、そこで存在たちが何かの製造作業をしているところを見ましたが、当時はそれが何かわかりませんでした。それがわかったのは十数年後で、ライフ誌に掲載された米国第2の原子力潜水艦の写真が、何年も前に彼が見た、アストラル界の存在たちが造っていたのと同じものだったのです

 

他界から通信してくる者たちは、多くのアイデアはまずアストラル界で生まれ、それが現世の発明家に与えられると告げています。発明家が研究開発に一心不乱に取り組んでいるとき、彼らはしばしば自分にテレパシーを送ってくる目に見えない仲間とともに作業をしていることが多いのです。発明家の多くは、まるで見えない何者かが自分の傍らにいるようだと言っています。

 多くの発明家たちが、貴重な情報を夢のなかで受け取ったという経験を語っています。他界の科学者たちにとって、人間が夢を見ている間というのは通信にもってこいの時間なのです。

 

・わたし(パット・クビス)はカリフォルニア州のコスタ・メサにあるオレンジコースト大学で教授として23年間教えていましたが、実はアストラル界の大学でも教壇に立っていたのです。わたしは自分をよく知る友人に向かってときおり、「こんなに疲れているわけよね。一日中ここのキャンパスで働いて、それからアストラル界でもやっているんだから」と冗談を言ったものでした。興味深いことは、アストラル界の大学のキャンパスは、あらゆる点においてコスタ・メサの大学と同じくらい「現実的」であったことです。ただ、アストラル界のキャンパスの構内と建物は地上のものとはまったく異なっていて、オレンジコーストよりもずっと大きなものでした。

 

地球と常夏の国のいちばん大きなちがいは、常夏の国に住む人々は互いに異なった文化背景を持っているにもかかわらず、みんなが平和と調和のなかで暮らしているということです。実際、この平和と調和に対する理解が、インドの神秘主義者たちが「デイヴァシャウン」と呼んだ第四界、つまりアストラル界高層に進むための必要条件となっているのです。

 

・魂がアストラル界を離れて心因界に進む準備ができると、アストラル体に死が訪れ、進歩をふり返るための休息期間に入ります。しかしながら前にも書いたように、魂は別の選択肢として、再び地上に生まれて物理的世界でさらに経験を積むこともできます。

 

 


『あの世の存在に活かされる生き方』

 (パット・クビス&マーク・メイシー)(徳間書店) 1999/7

 

 


・「プラトンは、生きている私たちが死者で、本当に生きているのは死んだ人たちなのだと主張しましたが、その考えは正しかったのかもしれません

・「アストラル界に住む人々のほとんどは、最も健康で美しかった年齢―人生の全盛期―の姿でいることを選びます

別世界より、エルンストの霊界通信
・「ぼくは今再び昔のエルンストの姿でいます。いや、新しいエルンストの姿でいます。いや新しいエルンストとでも言うべきでしょうか。頭上には、三つの太陽が輝いています。気温はとても温暖で、澄み切った朝の空気の中、色とりどりのハチドリが何羽もぼくのまわりをブンブンと飛び回っています。この世界の蝶々は信じがたいほど美しいです。羽をふるわせながら花や草木にとまっている蝶の中には、スープ皿ほど大きなものもいるんですよ!」

・「親切な人々のおかげで、ぼくはすぐに自分の精神的、肉体的な力を再びうまく使えるようになりました。その人たちの中には、ぼくの地球での父や、その他の知り合いもいました。(中略)傷や切断された手足などが、ここで癒えて再生するには、ある程度の時間がかります。年老いた人は若返ります。時間がたつにつれて、ここにきた人は長い間失っていた力が体に戻ってくるのを感じるようになります。精神的な障害を持った人たちにとっては、この回復はゆっくりと、段階を踏んで進んでいきます」


<タイムストリームの地球との通信に従事>
・「タイムストリームによれば、彼らの施設はマルドゥクという名前の惑星にあり、アストラル世界の第三界に位置するということです。アストラルの惑星であるマルドゥクに住んでいる

思考が現実を創る
・「アストラル界にもアストラルの惑星がたくさんあり、アストラル界またはアストラル次元と呼ばれる世界を構成しています。地球で亡くなった人々のほとんどはここで目を覚ますのです」

・「アストラル界はとても巨大です。ここに存在する全ての世界からおよそ600億人の人間タイプの生物が集まっているといわれます

・「人々がアストラル界で過ごす期間は、数週間から何百年にもわたります。そしてまだ学ぶことがあれば、彼らは肉体を持って地球や居住可能な他の惑星に再び(他の体を受け入れて)生まれるのです。必要なことを全て学び終えた場合は、ひとつ上の階層、またさらに高い意識の状態に移行します。実際、階層の違いは、意識の状態の違いと考えることができます」

・「死者の世界には、摩天楼があり、家々は萱葺きの屋根からガラスの搭と黄金の屋根がついた壮大なお屋敷まで実にさまざまです。考えつく限りの住居がここに揃っています。なぜなら、このエネルギーの世界では、これら全てが心によって創り出されるものであり、つまり、私達が、住んでみたいと願う夢の住まいが実現されているからなのです。アストラル界は意識の世界です。多くの人々が自分たちの人生に対する一時的な報いをここに見出します。これは永続的なものではありません。先にはさらに高次の世界、さらに高い次元があります

第三世界、アストラル界中層
・「第三世界にあるものも、これは霧、夜、河川、湖、月、星、そして、極地方の氷、そしてそこには考えつく限りの住居があります。かやぶきの屋根の家々、ガラスの搭と黄金の屋根に飾られた屋敷・・・

・「霊たちのほとんどは自分たちがこの新しい場所に渡ってきたことを理解しているのですが、ここにどうやって辿り着いたのかを思い出せるものはいませんでした」

・「『この新しい場所』とは、地球が所属する太陽系にはない、マルドゥクという星のことです。この惑星は、ひとつの太陽系の周りを公転していて、そのほかにさらに二つの太陽に照らされています。ここは決して真っ暗になることはありません。マルドゥクの円周は、約12万7000キロメートルで、ここには、地球の月よりも大きな月があります。エターナティ川と言う名の最深1万7000キロメートル、一番広いところで、幅3700キロメートルになる大河が惑星全体をぐるりと囲んで流れていて、この川のほとりには、600億もの人々が暮らしています。この星の風景は絶えず変遷しているわけではなく、中には全く変わらない物もあります。また、街があり学校や大学もあります

・「アストラル界の目的のひとつは、人々から愛国主義や国粋主義といった垣根を取り払うことです。高次の世界には普遍的な理解があり、時代、空間、また次元などによる隔たりはありません。そこではひとつの魂が全体の一部なのです

・「死亡したばかりの人を見つけ出すと言う主要作業のかたわらで、多くの人々が他の星に旅したり、惑星マルドゥク中を旅行したりします。彼らはまた、機械の力を借りたり思考の力だけを使ってエターナティ川に沿って旅をしたりします」

・「サルターは、さらに続けて、自分は、第4界にはいることができるので、第3界にいながらにして自分を精神的に他の現実へ送り込み、他の次元の心的存在とコンタクトを取ることができると言っています。また、バートンは、異なる惑星の住民と知り合うために、しばしば他の星まで旅行すると述べています


おまえの心が六道のどこにあってもおまえの中に極楽はあるのだから、生き方ひとつで極楽は輝き出る。(1)

2024-08-11 08:37:29 | 森羅万象

 

 

 

(2024/8/11)

 

 

 

『地獄極楽  絵本』

諸橋精光   小学館  2014/9/11

 

 

 

・小坊主の真観(しんかん)さんが、お地蔵さんに手を引かれて地獄めぐりをする。その千変万化するテーマパークの絵本が仕上がった。地獄の百面相をたっぷりみせてくれる。

 

・むかし、あるお寺に真観という絵の上手な小僧さんがいました。

 

・真観は自分の描く仏さまの絵に、なにか満足できないものがあって悩んでいたのです。

 

・その夜も遅くまで筆をとっているうちに疲れはてて、いつのまにか眠ってしまいました。すると……

だれかが目の前に立っています。「あなたは……?」「わたしは地蔵菩薩

 

・「それはまず地獄を見ることだ」「じ、地獄?」「そう地獄にこそ人間の心のほんとうの姿があらわれている。真観よ、おまえにこれから地獄を見せてあげよう。さあ、わたしについてくるがよい」

 

中有(ちゅう)の旅

・きがつくと、二人は暗い地の底のようなところにおりていました。

 

・「死んだ後の世界といってもいいし、おまえの心の底といってもいい。人は死ぬと、今のように真っ暗な闇の中を落ちるようにしてここにたどりつく。そしてここから中有の旅がはじまるのだ」

 

・「そう、ここはあの世でもない、この世でもない。死んでから生まれ変わるまでの中間の世界、だから中有というのだ

 

・「中有ではあともどりはできない。いったんここに入ったらもとの世にはけっしてもどれないのだ」

 

・「真観よ、あれは死出の山だ。人は死ぬとまずあの山を越えていかねばならない」

 

死出の山路

・その山路をおおぜいの亡者がのぼっていきます。

 

三途の川

・その山を越えると大きい黒い川が見えてきました。おおぜいの亡者がその川を黙々と渡っていきます。

 

・「その場合、彼らは生きていたときの行いによって三つの渡し場にふりわけられる

 

橋渡し

・「生前、よい行いをしてきたものは、この立派な橋を歩いて楽々と向こう岸へ渡ることができる」

 

浅水瀬(せんすいせ)

・「生前の罪業が浅い人間は、この浅瀬を渡っていく」

 

強深瀬(ごうしんせ)

・「悪い行いをしてきた罪深い人間は、深くて流れの激しいこの瀬を泳いで渡らなければならない」

 

・三途の川の向こう岸には奪衣婆(だつえば)・懸衣翁(けんえおう)は待ちかまえています。「残らず脱いでいけ」婆が着物をはぎとり、翁がそれを衣領樹(えりょうじゅ)という木の枝にかけていいます。「枝がたわむのはおまえの罪が重い証拠だ

 

・二人はさらに歩き続けました。「かれらは閻魔大王の宮殿に向かっているのだ」「かれらはそこで閻魔大王の裁きを受けるのだよ

 

・「これから先というのはどのような世界があるのですか」「それには六つの世界がある。すなわち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道だ

「地獄道は苦しみの極限の世界。餓鬼道は空腹に苦しむ世界。畜生道は弱肉強食、生存の恐怖に追われる世界。修羅道はつねに怒り、争い、戦いに休まることのない世界。人道はわたしたちのこの現世、苦もあり楽もある世界。天道はただただ楽しいだけの世界だ。人は死後この中有の旅の中で閻魔大王の裁きを受け、生前の行いの善悪によってこれらの世界のどこに生まれ変わるか、それが決められるのだよ」

 

・「因果応報といって、よいことをした人間は楽の多い天道に生まれ、悪い行いをした人間は地獄道・餓鬼道・畜生道などの苦しみの多い世界に生まれ変わる

 

・「真観よ、あれが閻魔大王の宮殿だ」

 

・その都の門の前では、門番の牛頭(ごず)・馬頭(めず)がおびえている亡者たちに向かって大声でどなっています。

 

・閻魔大王の宮殿は七重の城壁にかこまれた大きな城です。「閻魔大王はここで18人の将官と8万の獄卒を従えて、日夜亡者たちに判決をくだしておられる

 

<閻魔大王>

・閻魔大王はとみると、その大きなお顔は真っ赤で、怒りの表情をうかべ、お目は月か日のようにおそろしい光を放っています。閻魔大王の左右には

倶生神(くしょうしん)という首だけの神さまがそれぞれ、竿の上にのっています

 

・閻魔さまは、ひとりの亡者に判決をくだしていました。「そなたは盗みの罪を犯した。地獄へ落ちねばならない

 

・閻魔大王はいいました。「亡者よ、倶生神の記録に間違いはない。罪を認めるがよい」

 

・「これは生前の行いをすべて映し出す浄玻璃(じょうはり)の鏡。悪を隠すことはできないのだ」

 

・「この少年僧は仏画を描く修行をしています。この少年がほんとうのみ仏を描けるようになるためにも、少年に地獄を見せてやりたいのです」

 

・閻魔大王に別れをつけてお地蔵さまと真観は地獄へと向かいました。

「真観よ、地獄には8つの大地獄があって、このように縦に重なっている。上から等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄という。下に行くほどそこに落ちた罪は重く、責め苦は増していく。またそれぞれの地獄には16の小地獄がついていて、罪によってさまざまな責め苦がまっているのだ」

 

・鬼たちが扉を開けると地獄が目の前にひろがりました。

 

等活(とうかつ)地獄

・「人や生きものを殺した人間が落ちる地獄だ」

「うあああ……むごい。人間がまるで料理されているみたいですね

 

・「そして与えた苦しみの何百倍、何千倍の苦しみを受けるのだ」

 

・「真観よ、この地獄では罪人同士が激しい害心をもって傷つけあう。これも人間のあさましい姿なのだ」

 

・「いや、地獄では罪人は死ぬことができないのだ」

 

・「真観よ、ここの罪人の寿命は5百年だ。その間延々と責め苦がつづく」

 

・「真観よ、この等活地獄には犯した罪によって、16の小地獄がある

 

屎泥処(しでいしょ)

・そういうことをした人間は地獄に落ちて、この煮え立つ汚い糞尿の池であえぐことになる。

 

刀輪処(とうりんしょ)

・「そういうことをした人間は鉄壁に囲まれたこの小地獄で、炎に焼かれ、刀の雨に身を切り裂かれる。しかし、これらの鉄壁も炎も刀の雨も、すべて自分自身の貪欲の心が作り出したものなのだよ」

 

不喜処(ふきしょ)

・「ここは鳥や獣を怖がらせて殺した人間が落ちる小地獄だ。あの火をふく巨鳥に罪人は追いかけられ、身をずたずたにされる」

 

黒縄(こくじょう)地獄

・「鉄の黒縄だ。あれで罪人に縄目をつけて、それにそってのこぎりや刀や体を切り刻む。それゆえ黒縄地獄というのだ」

 

・「この黒縄地獄に落ちた罪人の寿命は1千年を数える」「その寿命が尽きるまで死んでは生き返り死んでは生き返りしながら責め苦を受け続けるのだ」

 

「等喚受苦処(とうかんじゅくしょ)

・「ここでは罪人は刀剣の谷に突き落とされ、地獄の犬に食われる」

 

畏鷲処(いじじゅしょ)

・「ここは人の食糧をうばって飢え死にさせた人間が落ちる小地獄なのだ」

 

衆合(しゅうごう)地獄

・「真観よ、ここは殺生・盗みに加えて不倫・浮気・強姦などみだれた男女関係、すなわち邪淫を行った人間の地獄だ。衆多の責め苦が集合して身に迫る、だから衆合地獄という」

 

・「衆合地獄の罪人の寿命は2千年。ここにも16の小地獄がある」

 

叫喚(きょうかん)地獄

・「あるいは猛火の満ちる鉄の部屋に追い込んで焼く。あるいは溶けた銅の汁を飲ませて五臓を焼き尽くす」

 

・「酒を飲んで、殺生・盗み・邪淫を犯した人間だ。酒の代わりにあのように銅の汁を飲ませるのだ。この叫喚地獄の罪人の寿命は4千年になる」

 

火末虫処(ひまつちゅうしょ)

・「罪人の体の中に火末虫という虫が無数にわき、罪人の肉や骨まで食べ尽くす」

 

・「ここに落ちるのは、酒に水を入れて売るなどして不正なもうけをした人間だ」

 

雲火霧処(うんかむしょ)

・「真観よ、人を酒で酔わせてもてあそび辱めた人間はこの小地獄に落ちる。高さ四百尺の大火炎に投げ込まれ、一瞬のうちに頭から足まで焼け消えるが、すぐまた生き返り、同じ苦しみをくりかえす」

 

剣林処(けんりんしょ)

・「この小地獄では、燃える焼石が天から雨のように降ってきて、罪人を砕き、つぶし、その体を焼く。また熱沸河(ねつふつが)という極熱の河がある」

 

・「曠野を旅する人に酒を飲ませて酔わせ、その財産を奪い取る、そういう悪行をした人間だよ」

 

大叫喚(だいきょうかん)地獄

・「真観よ、ここはウソをついた人間が落ちる地獄だ。見るがいい。鬼たちはウソをついた罪人の舌をひきぬき、口を縫い、真実を見ても見ぬふりをした目をくりぬき、そしてしかる」

 

・「この大叫喚地獄に落ちた罪人の寿命は8千年だ」

 

異異転処(いいてんしょ)

・「真観よ、ここは大叫喚地獄の中にある小地獄のひとつだ。人からの信頼を利用してウソをついた人間がここに落ちる。罪人はここの河の中に父母・妻子・親友など親しい人々の姿を見る。彼らの優しい言葉に誘われかけよろうとすると、罪人は地面のとげにつまずき、鬼につかまってのこぎりでひかれる」

 

焦熱(しょうねつ)地獄

・「真観よ、これから行く焦熱地獄は、邪見、すなわち間違った考え方をもって殺生・盗み、邪淫などの悪行を行った人間が落ちるところだ」

 

・「間違った考え方とは因果の法則を否定することだ。たとえば、努力することには意味はないなどと考えることだ

 

・「ここでは罪人は熱した鉄の地面におかれ、真っ赤に焼けた鉄棒で打たれ、鉄の槌で搗かれる」

「あるいは、鉄のやぐらの上にのせられ、下からおそろしい地獄の炎に焼かれる」

「あるいは、大きな鉄釜で骨までぐつぐつ煮られる」

「1万6千年の間、責め苦を受け続ける。それがこの地獄の罪人の寿命なのだ」

 

分茶梨迦処(ぶんだりかしょ)

・「ここは焦熱地獄に付随する小地獄だ。ここに落ちるのは「戒禁取見(かいごんしゅけん)」、すなわち「断食して餓死したら天に生まれる」とか、「人を殺せば悟りを開ける」などという、間違った考えをもった人間だ。罪人は無量百千年の間、炎で焼かれる。

 

・「それには、そのうぬぼれに気をつけ、つねに謙虚であるように心がけることだ」

 

大焦熱(だいしょうねつ)地獄

・「真観よ、大焦熱地獄は今までの悪行に加えて、尼僧など、清く正しく生きる女性を犯し、汚れのない人の人生をふみにじった人間が落ちる地獄だ」

「罪人は首に縄をつけられて、中有の世界から広さ二百由旬、高さ五百由旬のこのみわたすかぎりの大火炎のところに引いてこられる」

「そしてこの極熱の大火炎の中に投げ込まれる」

 

・「大焦熱地獄に落ちた罪人の寿命はおよそ半中劫だ」

 

普受一切資生苦悩処(ふじゅいっさいしせいくのうしょ)

・「大焦熱地獄に落ちた罪人たちは、この地獄にある16の小地獄をすべて回らされる。ここはその小地獄のひつとだ。罪人は炎の燃える力で皮をはがされる」

 

火髻処(かけいしょ)

・「この小地獄では似髻虫(にけいちゅう)という虫を肛門から入れられる。虫は罪人の内臓、肉、骨をことごとく食べて、中をがらんどうにする」

 

無間闇処(むげんあんしょ)

・「この小地獄では何でもかみくだいて強い嘴をもった地盆虫(じぼんちゅう)という虫に全身を食べられる。この虫にかまれる痛さは地獄一だ」

 

・「真観よ、今の大焦熱地獄など、次の阿鼻地獄と比べたら天界のようなものだ。千分の一にも満たない

 

阿鼻(あび)地獄

・「その阿鼻地獄に向かってまっさかさまに落ちていくのだ。二千年もかけて

 

・「ここにくるのは悪の限りを尽くした人間。父母を殺し、仏の体を傷つけ、阿羅漢という悟りを得た聖者を殺すなど、最も重い罪を犯した人間だ」

 

・「炎の底は阿鼻城。たてよこ八万由旬(ゆじゅん)の七重の鉄城だ」

 

・「阿鼻城には18人の大鬼がいる。64の目をもち、頭上にたくさんの鬼面をのせ、それぞれの角からは炎がふき出している。大鬼は日夜休むことなく罪人を責める」

 

・「ここには、いままで見てきた地獄のあらゆる責め苦、それらを千倍しても足りない苦しみがある

 

渇愛(かつあい)の火

・「しかしね、真観、この地獄は単に遠い死後の世界なのではない。それはわたしたちすべての人間の心の現実でもあるのだよ」

 

・「この地獄に燃えている火はじつは渇愛といって、わたしたちすべての人間の心の、意識もとどかない奥底にある生命の力そのものなのだ

 

・「この意識下の深い欲動、それを無明ともいうのだが、その激しい盲目的な欲動がわたしたちの心を燃え立たせ、さまざまな善と悪の行いへと駆り立てる。そしてその行いによって現出するのが、地獄・餓鬼・畜生・修羅、人、天という六道の世界なのだね

 

・「そして同時に、この六道というのはわたしたちすべての人間の心の姿なのだ」

 

・「真観よ、わかるだろう。六道が人間の心の中にもあるということが。そして、この六道は欲と執着に覆われた苦しみの世界なのだ」

 

・「天道には苦や不足がないから、苦を克服する努力がない。その結果、衰え、寿命尽きるときの大苦悩は地獄の苦より大きいのだ。天道もまた苦の世界なのだよ」

 

・「安らぎの世界はある。それこそが欲と執着を離れた仏の世界、すなわち極楽だ

 

・「欲望の火そのものがなくなっているのではない。欲望の火はそこでは智慧の光明となって輝いている」

 

・「真観よ、それはこういうことだ。欲望が燃えさかる地獄は、言い方を換えれば愚かさに覆われた心の暗い世界。一方、極楽は欲を離れているから心が清く澄んで光明に満たされた明るい世界だ。欲にとらわれれば心暗く、欲を離れ、心澄めば智慧の光が輝く。それがこの世の真理なのだ」

 

・「地獄と極楽は、はるかに遠く隔たった世界だ。わたしたちの住む六道の世界に対して極楽は十万億土のかなたにあるしかしね、真観、その極楽はじつはわたしたちの心の中にもあるのだ。そして、まるで正反対のこの地獄と極楽、欲望の火と智慧の光明はじつは別々のものではない、ひとつながりのものなのだよ」

 

・「死後の世界においてはるかに隔たった地獄と極楽、六道と極楽はわたしたちの心の中ではひとつながりなのだよ。欲望の火と智慧の光明とそのひとつながりのものがすべての命あるものの心の奥底にあるんだ

 

・「真観よ、それはおまえの心の中にもある。欲望の火と智慧の光明、そのどちらをあらわすかは、おまえの心のもち方にかかっているんだ。おまえの心が六道のどこにあってもおまえの中に極楽はあるのだから、生き方ひとつで極楽は輝き出る。だからおまえは、つねに自分の心を正しく見つめ、また他者に対してはやさしい心で接しなければならない。どんな状況の中にいようとね」

 

・「さあ、真観よ。もう一度、目をつむるがいい。今度はおまえに極楽を見せよう」

「人間の心の中には地獄だけでなく、正しく美しい心の世界もあるのだ。それを見ていくがいい。どちらも同時に見なければ、人間の真実はつかめないのだから」

 

極楽

 

地獄の百面相  山折哲雄

小坊主の真観さんが、お地蔵さんに手を引かれて地獄めぐりをする。その千変万化するテーマパークの絵本が仕上がった

 地獄の百面相をたっぷりみせてくれる。みているうちに、自分のこころが大きな鏡にうつしだされていく。

 それにくらべて極楽の方は、最後の最後の場面でちょっぴり顔をのぞかせるだけだ。

 

作者が苦労しているのは、地獄行きの列車から、いったいどうして極楽行きの新幹線に乗りかえるか、ということだったようだ

 

・ハッと胸をつかれているうちに、最後の極楽の場面になると、その亡者たちがいつのまにかみんな赤ん坊の姿、赤ん坊の可愛い顔になっていることに気づく。小さな、小さな仏さんに生まれ変わって、まんなかの大きな仏さんをとりまいているのである。この絵本作家の、いちばん大切な思想である。

 

あとがき

・この絵本と前作の『般若心経絵本』は姉妹編である。前作では世界を水で喩え、今作では火でとらえる。

 

・この絵本は制作をはじめてから9年もかかってしまった。

 

地獄に行きたいわけではない。わたしは地獄は本当にあると思っている。だから正直死後がおそろしい。

 

 

 

 

『日本人の心のふるさと(かんながら)と近代の霊魂学(スピリチュアリズム)』

(近藤千雄)(コスモス・ライブラリー)  2006/3

 

 

 

サマー・ランド、ブルー・アイランド

・ 言って見れば、「因果律による審判が行なわれるわけであるが、皆が皆、素直に更正するわけではないから、三つの階層に収まることになる。

 

・ しかし、ここは、まだ虚構の世界で、死後の世界ではあっても、実相の世界ではないことが、肝心なところで、死ねば地獄か極楽へ行くとか、無で帰するというものではない。当分は、地上時代そのままの意識と姿で生活を続ける。驚くことに、自分が死んだことすら気づかず、地上時代と同じ感覚のまま生活している者がいるほどである。信じられないことであるが、それほど、幽体と幽界がうまくマッチしているということであろう。

 

・(コナン・ドイルが死後まとめて送ってきた死後の階層の実相

 

「幽界」

・ 1、邪悪で、自己中心的な欲望しか持たない。

・ 2、邪悪性はないが低級な煩悩から抜け切れない者が集まっている。

・ 3、何事も思うがままに、叶えられる世界(サマー・ランド、ブルー・アイランド、極楽)

 

「第二の死」。無意識状況を体験して霊界に入る。

1、 知的な理解の世界。

2、 直感的な悟りの世界。

3、 形体なき存在への変化。神界へ上がる資質の不足な者は、再生する。

 

再生への手続きが行なわれ、他の者は、神界へ行く。

1、 宇宙の造化活動への参加と活動

2、 宇宙的存在としての普遍的愛の活動

3、 ニルバーナ、涅槃(ねはん)

 

それ以上は、(超越界)で、人間的な理知では知りえない。

 

「幽界では障害者はいない」

・さて、幽体は肉体の成長と共に大きくなり、肉体の細胞の一つ一つに浸透している。幽体はさきに説明した通り、基本的には感情の媒体であるから、感情の持ち方が肉体に反応し、その逆、すなわち健康状態が幽体に影響することにもなる。これからますます、盛んになると予想される臓器移植の関係も、いずれはこの事実と直面することになると推察されるが、ここでは深入りしない。

 

・死によって、幽体が肉体から抜け出ると、ちょうど地上に誕生したときのあの肉の魂のような身体が、2、3年で一人前の体型を整えて地上生活が営めるようになるのと同じで、幽体も徐々に幽界の環境に応じた体型と機能を整えて、幽界生活を営むことができるようになる。

 

・地上時代との一番の大きな違いは、肉体の障害が全て消えてしまうことで、眼が見えなかった人は、自由になり、知能に障害のあった人は、正常に復する。そうした障害と不自由さがカルマと呼ばれている因果律によるものだっただけに、そのカルマの試練に耐え抜いた今、それがさまざまな幸せとなって報われる。

 

・その一方では、その正反対の報いを受ける者もいるであろう。他人に精神的苦痛を与えた人、殺人や障害の罪を犯した人は、言うに及ばず、いけないこととは知りつつ間違った生き方を続けた人。学者であれば、面子や名声をかばって、真実を真実として認めなかった人、宗教家であれば、間違いであることを知りつつ、もっともらしい、教説を説いてきた人。こうした人々は、その過ちに応じた報いを精神的苦痛の形で受けることになるという。こうした、いわば地上生活の清算は、さきに掲げた死後の界層の図にある中間境において行われる。

 

 <幽界>

・ 物質的身体に宿って、生活する場が物質界であるのと同じ原理で、幽質の身体に宿って生活する場は、幽界となる。身体が幽質の半物質で構成されているように、環境も同じ波動の半物質体で構成されていて、地上の人間が地球環境を実感を、持って認識しているように、幽界で生活する者はその環境を実感を持って認識している。

 

・決して地上の人間が想像しがちなように実態のない、フワフワとした取り止めのない世界ではないことを知っていただきたい。中には死んだことに気がつかない者がいるほど、地上生活と同じ主観と客観の生活が営まれているのである。

 

・そのことが、なかなか信じられないのは、実は今生活している地上界を構成している「物質」そのものについての理解ができていないからに過ぎない。最新の物理学が教えるところによれば、我々が、実感があるかに感じている物的環境は、究極的には「波動」で構成されているという、これはもはや常識といってよいほど、知られていることであるが、ではなぜ実態があるのに感じられないのか。

 

・それは、環境と身体が同じ波動でできあがっていて、五感によって、その存在が認識できる仕組みになっているからである。般若心経にいう「色即是空、空即是色」とは、このことであろう。ただ、認識できる範囲にも限界があり、その範囲外の波動は、認識できないから、幽界や霊界は存在しないのと同じことになる。

 

<死後の界層>

 <四魂説>

 ・人間の自我の本体が<霊>であることは、すでに述べた。その霊的存在が地球という物質世界で生活を営むための媒体として授かるのが、物的霊体、俗に言う肉体である。これまでの人間科学は、肉体的欲望はもとより、人間の人間たる所以である精神的活動もすべてその肉体、具体的に言えば、脳の機能の反映であるというのが、基本的概念であった。それが、スピリチュアリズムによって、完全に覆され、肉体以外に三つの媒体があって霊がそれらを駆使して生活している。脳はそのネットワークに過ぎないことが判明した。

 

・ 四魂説というのがそれであるが、論理的な帰結として、肉体の活動の場として、物質界が存在するように、眼に見えない他の三つの身体にもそれぞれの活動の場があるはずだということになる。そして、それを明解に解いた霊界通信が入手されている。