<タイムラインは自分で選択できる>
美代子;ということは、エイリアンたちはタイムラインを良い方向に変えるためにやってきている、ということでもあるわけですよね。つまり、アライアンスのおかげで、もうカバールの支配するタイムラインにはいない、ということにもなりますね。それはいいニュースです!
<5Gの先にある6Gについて>
ジーン;まず、6Gはシグナルを送信しません。私が聞いたところによると、6Gは量子クリスタルを用いると、電波などを使わなくても、離れたところへ瞬時に情報が届くのです。地球から月ほど離れていても、すぐに情報が共有できるのです。
<美代子の部屋>
<地下基地の専門家といえばジーンさん>
・対談中でもお話ししていますが、ジーンさんは地下基地の専門家とも呼べるお方です。
今回、私がジーンさんにインタビューをお願いしたおのは、多くの真実を追求する動画が存在する中で、とりわけジーンさんが世界中の地下基地についての情報に詳しい人だからです。
<すでに8割はアライアンスの支配下に>
・現状では、アメリカの地下基地の8割は、すでにアライアンス側の支配下にあるらしいのですが、まだ、オーストラリアなどはカバールの支配下にあるものも多いようです。
・まず、誘拐されてきた人は、遺伝子操作や宇宙人と人間のハイブリッド、動物と人とのハイブリッド、マインドコントロールなどの実験台にされています。中でも、子どもたちは虐待や拷問、アドレノクロムの抽出をされたり、生贄にもされています。
他にも、地下ではAIと人間のハイブリッド、兵器の開発、宇宙テクノロジーやフリーエネルギーの開発、宇宙船や第3次世界大戦用の核弾頭を搭載した潜水艦基地など、数多くの裏プロジェクトが進行しています。
<世界の地下基地の具体例>
(アラスカ州基地――アライアンス支配下)
・ヘインズ山には大きな基地があり、アラスカのハープ(HAARP)基地と共に稼働。
(カリフォルニア州基地――現在は、ほぼアライアンスの支配下)
・サンフランシスコ・ベイエリア――アライアンス支配。数多くのトンネルや地下基地ネットワークでつながる。
・マウントシャスタ――カバール支配下の基地もあり
先進的な宇宙テクノロジーの基地、先進的なビーム兵器の実験基地、遺伝子実験、800マイルにも及ぶ最深の基地も存在。
・ナパ・ヴァレー ――カバール支配
ナパの北部のワイナリーと基地をつなぐ。アングロサクソン系の奴隷にマインドコントロールを行ってきた。
・サンディエゴ――アライアンス支配
コムトラック潜水艦基地の地下6階には、潜水艦と地下鉄道の大陸間システムにつながる。
(ミズーリ州――カバール支配からアライアンス支配へ)
最高位の悪魔的な生贄が行われる基地が存在していた。2020年4月に2100人の特殊部隊とアライアンスで6500人の子どもたちを救出。莫大な量のアドレノクロムが保存されていた。
(コロラド州――ほぼアライアンス支配下)
・ボルダー ――カバール支配
電磁マインドコントロール、米国人の思考を変える研究、遺伝子実験、トンネルや地下基地建設のための地質学の研究を行う。
・コロラド・スプリングス――アライアンス支配
カナダと米国の国防に関する、何百人ものスタッフが存在、45もの地下鉄鋼ビルや何千ものサテライト、ミサイル、地下道路あり。
・デンバー ――アライアンス支配
全アメリカ中の地下施設の主要なハブであり、超高速の地下鉄道で世界中のユニットにつながる。
第3次世界大戦後には政府の機能が移行予定だった。
(メリーランド州――アライアンス支配)
米国陸軍の基地、国防情報局、サイバーセキュリティー、世界最大のスーパーコンピュータがある。
<世界の地下基地の今後>
・すでに知られているだけでも、アメリカには約350もの地下基地があり、毎年2つの地下基地が建設されてきたそうです。また、そのための建設費用として、1つの地下基地を作るのに170億~260億ドルもの大金が使われてきたそうですが、それらにはMI6やCIAのドラッグ密輸の資金が提供されてきたといわれています。
<チャーリー・フリーク>
<愛と癒しのエネルギーで嘘を燃やし尽くす!>
<チャーリーという名は「嘘つきを燃やし尽くす」という意味>
チャーリー;どんなに忙しくても毎日の瞑想は欠かせません。実は私の多くの知識は、この瞑想から得ていると言っても過言ではないのです。正しく瞑想をすると、内なる自分の静寂とつながり、調和が取れるようになります。そうすると、創造主(神)ともつながり、会話ができるようになるのです。実は、創造主はいつも私たちと関係を持ちたがっているのですよ。
チャーリー;最近は情報が氾濫しすぎていて、どの情報を信じたらいいのかわからないですよね。でも、そのような状況の中、どのように自分なりに真実を判断すればよいのでしょうか?実は、すべての答えは自分の内側にあるのです。真実を知るためにはマニュアルも必要ないし、お金もかかりません。ただ、創造主とつながればよいだけです。私たちがお伝えしている内容は、すべて無料です。というのも、この知識は自分のものではないからです。これは創造主がもたらしてくれるものであり、神様が教えてくれる真実だからです。私はただ、その媒介をしているだけです。私は皆さんに光を届けて、皆さんが内なる神とつながるお手伝いができれば、それが私の喜びなのです。
美代子;素晴らしいお考えですね!ありがとうございます。瞑想でうちなる自分とつながり、本当の自分に気づくと、その人らしい人生が送れると私も信じています。
チャーリー;皆さんにも、瞑想をぜひおすすめしたいですね。
<リーダーになる教育を受けてきたトランプ大統領>
・チャーリー;ドナルド・トランプという存在はミラクルであり、神から私たちへの贈り物です。アライアンス側のこのような動きがなければ、これから先、何千年もカバールを倒すことは無理だったのです。
・カバールとアライアンスの闘いは、2つの世界で起きています。要するに、3次元の物質的な地上と、形而上学的な高次元における両方で起きているのです。
<地球の波動はすでに上がっている>
チャーリー;2021年は衝撃やトラウマが続き、そこから癒されるまで時間はかかるかもしれません。でも、おっしゃるように地球の波動はすでに上がっています。深い地下から抑圧された子どもたちを地上に救出するだけで、地球の波動は上がるのです。もともと、シューマン共振(地球がもともと持っている周波数)は、7.83Hzでしたが、今では約2倍の14Hzにまで上がっています。でも、神様の高い周波数までは、まだまだ開きがあります。
・でも、これから施行される量子金融システムは愛のエネルギーでもあるのです。この新しいシステムでは、人のお金は絶対に奪うことはできません。人々は自由になり、暴力が減っていくでしょう。
<美代子の部屋>
<大自然の中で動物と暮らすチャーリーさん>
・3人目の対談相手であるチャーリーさんは、スピリチュアルの世界に造詣が深いので、お話を伺っているだけでとても心地が良くなる、そんな柔らかな雰囲気を持った人です。
<チャーリーさんの言葉は直感がYESと言う>
・かつて、ケネディ大統領がやりかけて成し遂げられなかったことを今、トランプ大統領がやり遂げようとしています。でも、そのためには、高次元の存在たちや、人類をサポートするエイリアンの応援がなければ無理なのかもしれません。チャーリーさんは、「地球上のすべての生命体がトランプ大統領を応援している」、と語っていましたが、本当にそうかもしれませんね。
<トランプ大統領は、宇宙次元におけるチェス・プレイヤー>
・実は、チャーリーとはちょうど大統領選の前日に話をしていたのですが、その時に「トランプ大統領が圧勝ですね!」と意気投合はしていたものの、チャーリーは、「実際には、大手メディアもSNSもすべてがバイデンの勝利だと発表するよ。だから、今後は面白いことになるよ!」と語っていました。そして、実際にその通りになっているのです。
でも、民主党は大胆な不正選挙をしているので、有効票だけを数えれば、トランプ大統領が圧勝しているはずです。
<今回の不正選挙はクーデターそのもの>
・ちなみに、選挙に使われたのはドミニオン社という会社の集計システムですが、このシステムによって不正が行われたといわれています。
・2021年は、まだまだ闇の勢力の退治が続くので混乱も残りますが、ジーンさんもおっしゃっていたように、2022年からは平和な時代が訪れるはずです。今後、愛と平和に満ちた時代は、約1000年間続くはずです。
(2021/5/18)
『ヒトラーは英国のスパイだった! 上巻』
グレッグ・ハレット ヒカルランド 2021/1/19
<オーストリアの浮浪者>
・これまでの歴史でもっともあり得なさそうなのは、オーストリアの浮浪者で、通りを掃除するゲイの男娼がドイツ首相になり得たということである。ヒトラーは見えざる手で世界の著名人に押し上げられた、脅しが利く無名の人々多数の仲間入りをしている。
言外の意味……歴史はイルミナティの長期計画によってひも解かれている。戦争は数十年前から計画され、国家破壊、人口減少、士気喪失を達成するため、そしてもちろん力と利益のために画策されている……。イルミナティは対立を刺激するため「敵」を援助する……超富裕層は人間を食い物にし、永遠の覇権を確立するために頭を働かせている。
<アドルフ・ヒトラー ――近親相姦のユダヤ人カトリック教徒>
<カトリックの近親相姦>
・ヒトラーにはアロイスとクララという公然たる近親婚の両親がいた。父アロイスの祖父母と母クララの曽祖父母が同じで、2親等と3親等の近親婚だった(通説では、アロイスの養父母とクララの祖父母が同一人物とされている)。妻(24歳)は夫(47歳)の姪、すなわち夫は妻の叔父にあたる。ヒトラーはがこれを知っていたこと、そして家族史の研究者が混乱したことは間違いない。
・アドルフは身内のどんな記録も、彼らが働いた悪事も、親族間での近親相姦の傾向も、そして自分のユダヤ系とのつながりも、とにかく消し去ろうと必死だった。ドイツの民族検査では1750年にまで遡ってアーリア人が祖先であることを証明する必要があったからである。
・パウラ・ヒトラー(アドルフの妹)は1945年7月12日、第101空挺師団の聴き取り調査でこう述べている。
「シュミード家とコッペンシュタイン家は私たちの大切な身内で、シュミード家のいとこの中にはコッペンシュタイン家の人間と結婚した者もいました。父の家族のことはまったく知りません。姉のアンゲラとよく話していたんです。『父さんだって親戚がいたはずだけど、私たちはそれが誰かさえ知らないのよね』と」
近親相姦はドイツ人とオーストリア人の間では珍しくなく、第1次世界大戦後には一族の墓所を破壊したり教区の簿冊を焼き払ったりして家系の情報を処分する、ということが至って普通に行われていた。
<ユダヤ系の出自>
・アドルフの祖父は近親相姦のカトリック教徒の系図には含まれていなかったが、ヨーロッパでも指折りの資本家だった。彼の祖父(アロイスの父)が何者かを理解するには、当時のヨーロッパの状況を理解する必要がある。
・『ユダヤ人と経済生活』の中で、1820年以降は「ロートシルト(英語圏では「ロスチャイルド」と発言される)家の時代」だったと述べている。そして「ヨーロッパで唯一の勢力、それはロートシルトだ」と締めくくっている。
一族の祖だったマイヤー・アムシェル・ロートシルトは1812年9月19日に亡くなったが、遺書で子孫に対する具体的な指針を定めていた。
「財産を一族の中で保持するため、いとこや、またいとこ同士で結婚すること。また、団結した金融勢力の体裁を維持すること」
・そのため、マイヤー・アムシェルの孫の結婚18組のうち16組はいとこ同士だった。息子のヤーコブ・マイヤーも兄ザロミン・マイヤーの娘と結婚している。これが近親婚の文化を生み(いとこと結婚するのは合法であるが)、またマイヤー・アムシェルの息子5人には一族以外の嫡出子が作れなくなることを意味した。この代償として、彼らと使用人の間に非嫡出子ができることも多々あった。
『ヒトラーの心』の著者である精神分析学者のウォルター・ランガーによると、アドルフ・ヒトラーはロートシルト家の一員を祖父に持つドイツの残忍な指導者とされている。通説ではアロイス・ヒトラーの父はヨーハン・ゲオルク・ヒードラーであるが、
「ヨーハン・ゲオルク・ヒードラーがアロイスの父であるという点を真剣に疑う人々もいる……マリア・アンナ・シックルグルーバー(ヒトラーの祖母)が妊娠した際【1836年8月31日】ウィーン在住だったことがわかる。【オーストリアの文書がおそらく作られていたとされる】……当時彼女はロートシルト男爵宅で使用人として雇われていたが、家族に妊娠が知られるとすぐ自宅【オーストリア、シュトローネス村13番地】に戻された……そこでアロイス【シニア】が生まれた」
・これに対し、ヒトラーはオーストリアのデラースハイムの町を襲い、墓地を戦車の訓練に使った。このとき、ユダヤ人の祖先の明かす存在であった父の出生記録も始末された。
ヒトラーは1938年にウィーンにあったロートシルト家の銀行、S・M・フォン・ロートシルトも廃業させた。彼の祖父候補の1人、ザロモン・ロートシルトが所有していた銀行である。
ナチスの指導者たちは手榴弾を使って自らのユダヤの家系を隠した。【ラインハルト・】ハイドリヒの親衛隊の入隊許可も彼の一族の墓石を破壊するまで延期された。ハイドリヒは母方の祖母からユダヤ人の血を4分の1受け継いでおり、ユダヤ人へのテロ行為とナチス支配における抑圧のほぼすべての責任者となった。感情に動かされず、際立った残酷さの持ち主だった。
ロートシルト家はみなイルミナティに属していた。イルミナティとは1776年に始まった独立の組織で、既存のフリーメイソンを取り入れ、最終的にはそちらからエリートを誘い出していた。
・1836年にはロートシルト家はヨーロッパ最大の影響力を持つ一族になっていた。彼らはアメリカの革命を作り出し、いかにも銀行らしく、双方に資金を供給した。
ロートシルト家の非嫡出子には2つの目的があった。1つは味方を作ること、もう1つは敵を作ることだった。「味方」は彼らの金銭取引の隠れ蓑に、「敵」は戦争を起こすために利用された。ロートシルト家は戦争で両軍に資金を提供し、戦争関連の取引で巨額の利益を得た。彼らは何もかも所有していたから、裁判所からの報復などちっとも恐れていなかった。
<オカルトの出自>
・1776年以降、【8月31日】はロートシルト家が戦争の子どもたちを生み出す種まきをする悪魔崇拝の夜として空けられていた。内輪での神秘的な集まりである「黄金の夜明け」で「戦争工作員」を身ごもるための大切な日である。このオカルト的行為は午前1時30分から午前3時10分の間に起こるよう計画された(13にちなむ)。これは非嫡出子をガイ・フォークス【1605年にイギリスで起こった火薬陰謀事件で逮捕された人物。事件を記念して彼の人形を焼いたり花火を上げる風習がある】になぞらえており、ロートシルト家はハロウィーンの仮想をした。
8月31日は北半球の夏の最終日にあたり、当局が異教の儀式に目をつぶる夜であった。南半球で2月末になるとすさまじい勢いでビーチ・パーティが開かれるのと似ている。
・8月31日、ロートシルト家の目標は女性を脅えさせ、自分が悪魔と関係を持っているという絶対的な恐怖の中で身ごもらせることにあった。要はロートシルト家の3人が毎回関わりを持つ輪姦で、1人が襲い、もう1人はその場で相手に支配と困惑の感情を植え付け、残りの1人が外にいるという役割を交代で行ったのである。
ドイツの貴族階級は国王、王子、公爵、侯爵、辺境伯、男爵などから騎士まであり、騎士は「フォン・リッター」という姓を持った。これがドイツの階級制で、結婚を希望する者は誰でも侯爵か辺境伯あるいはその両者の承認が必要だった。辺境伯は地域を統治し、結婚式の夜にその妻と性交する権利を持っていた。これは初夜権と呼ばれ、イングランド、スコットランドをはじめヨーロッパ各地でも同じだった。
初夜権「ラテン語では初夜の法を意味する」、フランス語では領主権、狩猟犬、租税権、農場経営、そして処女の花嫁との性交を意味する「droit du seigneur」の歴史は、「処女を奪うのは平民の花婿が耐えうるより大きな責任があるとみなされた………統治者の信用を反映しているだけのことだった……真の勇気とたたえられた……」など、まったく現実離れしたものだ。
この慣習は特にフランスとイタリアで広まっていたが、フランスの騎士がイギリスに移り住んだとき、イギリス人が大げさにこの国の農民の女たちが自分たちより大きいと言い立てたので、フランス人は初夜権を破棄した。
・初夜権について「すべての資本家が自分の工場のどれかで働くどんな女性とも寝られる権利」と書き換えている。
・この「夜の権利」は「男爵」の肩書を与えられた人間が手当たり次第に我がものにした。ロートシルト家の人間もみなこの爵位を持っており、姓をバロン・ド・ロートシルト(ロートシルト男爵)と変えた者もいた。初夜権のおかげでロートシルト家には数世代にわたって多数の非嫡出子が誕生したが、マイヤー・ロートシルト(1812年9月19日死去)によってこの習慣は正式に禁止された。
代わりに、ロートシルト家の人間は身元を隠す仮面と衣装を身につけて非嫡出子をもうけることになった。
・平民は初夜権に対抗し、適齢期の娘の寝室に入り込むのもさほど難しくなくなった。当時のオーストリアとドイツでは、特に若い男が深夜、雨どいや格子伝いに結婚前の娘の部屋までよじ登っていき妊娠させる「窓伝い」が実践されていた。
娘の父親も全面的に反対するわけでもなく、娘が妊娠したら2人が結婚して、向こう見ずな若者は農場の人出候補になると考える向きも多かった。農業が主体の地域では家族経営の農場を手伝う子どもたちも必要だった。今でもドイツには娘が妊娠したら結婚するという根強い文化がある。
・誰かが雨どいを登ってくる音を適齢期の娘が耳にすると、脅えるどころか自分の身支度を整えた――アナグマの毛の歯ブラシで歯をさっと磨き、天然素材のスポンジで体もきれいにする。夏の終わりは特に目移りしながら関係を持つ時期で、娘たち、特に貧しい者――そしてカトリック教徒の半数は相手を1人に絞らなかった。何しろ、「父と御子と聖霊」は三位一体、つまり別の姿を取っているかもしれないということも考えておく必要があったのだ。
・手間を省くため、莫大な資産を持つロートシルト家は使用人の少女を雇った。使用人の少女との間に非嫡出子をもうけるのはごく一般的で、中には20人も子どもを作り全員を認知し、しまいには遠縁にあたる無反応な妻を遠ざけて愛人と一緒に暮らしてしまった者もいる。
8月が始まると使用人の多くは夏休みをもらい、代わりに臨時雇いの使用人がやってくる。臨時雇いは8月31日のことを頭に入れて選ばれることが少なくなかった。戦闘要員懐妊の日には、主人と使用人がひと月を経てうまい具合に親しくなっているからだ。
ヒトラーの祖母、マリア・アンナ・シックルグルーバーはそれほど利口とはいえないカトリック教徒の少女で、1836年の夏にウィーンのロートシルト家での仕事を紹介された。
<過去のユダヤ系カトリックの出生の由来をごまかす>
・つまり、アドルフ・ヒトラーはロートシルト家とユダヤ人の血が4分の1入った準近親婚のカトリックの家系の出で、非嫡出子の戦闘要員として生まれたロートシルト家の一員である。一族とは物理的には敵だったが財政的には同盟関係にあり、無制限の財政的・政治的支援を受けていた。
ロートシルト家の非嫡出子であるアドルフ・ヒトラーは、その時代の歴史において大きな役割を果たした。彼の地位は秘密組織の金融エリートにも十分認識されていた。だから、彼らの目的を達成するため全面的な支援を与えられた。当時、アドルフ・ヒトラーはこのように認識されていた。
「ヒトラー ―― ロートシルト、悪魔的なカトリック系ユダヤ人」
<イギリスでのアドルフ・ヒトラー>
・気取り屋のアドルフはマージ―川河岸を行き来して過ごした。当時リヴァプールにはドイツ人の強固なコミュニティがあり、バーやカフェ、レストランを経営していた。アドルフはアロイスとブリジットのもとを出入りしつつ6カ月過ごし、その間アロイスとアドルフはかなり長い時間をかけてイングランド各地を旅行した。それより以前の22カ月間(1911年1月から1912年11月まで)の所在についてはちょっと謎である。当時の年齢は21歳から23歳だった。
これはヒトラーの人生における失われた年月と考えられている。ヒトラーは『我が闘争』に記した自分史で、1908年9月からウィーンの安宿で売春婦やホームレスに混じってさまざまな安宿に住んでいたとしている。ヒトラーはこれを人生のどん底時代と表現した。とはいえ、「唯一の証人たちが仲間の売春婦やその記憶だけというのは頼りにならず不完全だ。ウィーンでのヒトラーの目撃証人は疑わしい」。『我が闘争』では、1912年には芸術専攻の学生としてのウィーンの生活に失敗したとも書いている。
1913年5月24日、ヒトラーはウィーンを出てミュンヘンに移った。全844ページ、脚注数681、13ページにわたる引用文献付きという、ヒトラーに関してもっとも信頼がおける書籍にも1911年1月から1913年5月までの情報や写真はない。
・1911年1月から1913年5月までの真相はこうだ。ヒトラーは1911年の間はずっと遺産を使って過ごしていた。その後9カ月間(1912年2~11月)はイギリスのタヴィストックとアイルランドのイギリス軍「心理作戦学校」で訓練を受けた。最後の6カ月間(1912年11月~1913年5月)はリヴァプールの異母兄夫婦のもとで、自身の回復とロンドンやその他イギリス国内の港の「観光」旅行で心理作戦のテキストの学習に努めた。
アドルフ・ヒトラーはイギリス軍工作員として訓練を受け、ドイツ軍工作員となり、そしてイギリス軍の二重スパイとしてドイツ軍総統(首相)になった。銀行家のロートシルト家の人間である彼のユダヤ人の祖父はこえで大きな利益を得た――もっと正確に言えば、祖父の子孫たちである。
ヒトラーはオーストリアでの兵役を逃れた。「捕まるのを防ぐため、彼は1909年(20歳のとき)、ウィーン市営宿泊所(ホームレス男性用の家)に5歳で亡くなった5歳下の弟エドムントの名で登録した。エドムントの出生証明を使うことで、アドルフは自分を死んだ弟と偽ることができた。エドムント・ヒトラーの名で兵役を逃れたものの、ウィーン警察はアドルフ・ヒトラーをくまなく探していた」。
・スパイマスター 「ドイツ警察はミュンヘンでイギリスから帰国したアドルフ・ヒトラーをようやく捕らえ、徴兵忌避で摘発した。彼は栄養失調で病気という旨の診断書を作って兵役を逃れた。イギリスの諜報機関は常に支援者がいたから介入しなかった。ヒトラーが失敗しても他の人間がいるし、彼の経歴には戦争の経験が必要だった」
「イギリスの諜報機関は第1次世界大戦中2度ヒトラーを救った」
「イギリス滞在中、ヒトラーは演説家として訓練を受けた。重要な点を強調するためにジェスチャーを取り入れることを教えられた。そして彼はドイツ風とは異なる信じられないほど効果的な自分のスタイルを作り上げた。MI6(イギリス軍情報部第6課。国外での情報活動を主に行う)はダブリンのトリニティ・カレッジの演説法の講師にヴォイス・レッスンをさせ、声のトーンを変えて強調する方法を教えた」
「工作員の訓練の多くは性的な関心に沿ったものだった。工作員は薬物や酒を与えられ、催眠術をかけられ、他の工作員に接触できるようにして、教官は干渉せずに何が起こるかを観察する。アドルフはバイセクシャルの兆候を示したが、それはMI6の訓練設定では珍しいことではなく、後にもっと複雑な倒錯も現れ、他の諜報員の卵たちをげんなりさせた。
・ヒトラーの異母兄アロイス・ヒトラー曰く、「馬鹿言っちゃいけない。芸術家だって! 下手な絵描き以外の何者でもないさ。美術学校の学生としてだって受け入れてもらえなかっただろう。それに模写して自分の名前で署名する芸術家なんているか」
ヒトラーの謎の2年4カ月は1911年1月から1913年5月24日までの期間である。
1、 ヒトラーは1911年の間ずっとウィーンの安宿で遺産を使って過ごしていた。
2、 1912年2月から11月まで9カ月間は、イギリスのタヴィストック心理作戦訓練学校とアイルランドの別の心理作戦訓練学校で訓練を受けた。
3、 1912年11月から1913年4月まではリヴァプールの異母兄宅を拠点とした。ここからタワーブリッジ、船や港を含む戦略上重要なイギリスの建造物を調べに行った。当時ドイツの旅行者を装った多くのスパイがしていたのと同じである。
4、 1913年4月にウィーンに移った。
5、 1913年5月24日に……ミュンヘンに移った。
<ヒトラーの二重スパイ訓練>
・基本的にはヒトラーは人生における最初の20年間のイデオロギーを除去され、秘密組織フリーメイソンとイルミナティの戦時中のイデオロギーを植え付けられた。解体の後の再統合で目の色が変わることは珍しくなく、青い目が茶色になってまた元に戻ることもありうる。
<すべての戦争は秘密の戦争である。そして一番秘密の多い戦いがもっとも長く続く。>
・過去三代の治世で、イギリス連邦は別の意味で「女王陛下万歳」を歌っておくべきだった。イギリスの君主はみな同性愛者とセックスをしてきたのだから。こうして、秘密が取引されたのだ。フリーメイソンは君主の性的習慣を秘密に保ち、代わりに君主は抗争をするフリーメイソンの計画を秘密に保ち、より正当な戦争を生み出す手助けさえした。そうすれば「ぶつかって、襲って、とりあえずやってみる」のではなく本格的な人口減少の実践となり、国境や社会政策、社会単位の構成も移動できるようになるからだ……。
・ジョージ4世(1820年即位)以降イギリスの男性君主は全員フリーメイソンで、性的な面で譲歩を余儀なくされていた。君主とそのパートナーの一方または両方を性的に譲歩させるのは、その国を乗っ取り軍を支配する最初のステップである。第1次大戦と第2次大戦を通じ、イギリスの君主はみなバイセクシュアルでIQの低い男性だった。
<ヒトラーの性的関心>
・ヒトラーの同性愛に関した記録を書いてもっと影響を持ったオットー・フォン・ロッソウ司令官で、ミュンヘンの軍司令官となった人物である。彼は1920年代初期のヨーロッパで非常に強い力を持ち、記録は何もかも手に入れることができ、ヒトラーにとっては厳しい敵だった。ある夜、夕食の後で彼は友人を自分の書斎に招き、ミュンヘンの同性愛風俗取締班から夕食に招いた客のうち数名に届いた秘密の手紙を読んだ。これは1920年初期のヒトラーに対するもので、若い男を探し、ときには相手に金を払って自室に連れ込み夜をともに過ごしたという。
・ヒトラーとヘスは1923年のミュンヘン一揆後、ランツベルグ刑務所で同房だった。ヘスはナチ党の敵からもナチ党からも常に同性愛者と見なされており、「アンナお嬢さん」とまであだ名がついていた。エルンスト・ハンフシュテングルはヒトラーとヘスが刑務所で恋人同士だったと後に証言している。「ヒトラーの奇妙で漠然とした性的関心【バイセクシュアル】はランツベルグでヘスと一緒だったときに始まった。ヘスと関係を以ていたのは疑うべくもない」
・ヒトラーの同性愛者に対する非難と、ナチ党の新たな同性愛嫌悪は「史上最悪の反同性愛弾圧だった」。およそ10万件の調査と5万件の裁判があり、5000~1万5000名がマウトハウゼンなどの強制収容所に送られた。重労働が課され、脱出できた者は数少ない。ヒトラーは彼の過去を知りすぎていたゲイの暗黒社会を沈黙させる必要があり、その計画は4分の3世紀の間はうまくいったが、イギリスの支援があったからこそ可能だったことである。
・もう1つの問題が、昔の戦争仲間で「ゴースト・ライダー」というあだ名がついていた通信員ハンス・メントだった。彼はヒトラーの同性愛について噂を流し続け、窮極の対価を払うことになる。彼は逮捕され、拘置中の1942年に、不可解な状況で命を落とした。彼にとって不運だったのは、1915年のヒトラーの西部戦線における同性愛行為を目撃していたことである。