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[国際政治短評]民主主義、とは?

2011-12-31 20:37:37 | マネー&ポリティックス
2011年はいったいどういう1年だったのか、Protesterを今年の人に選んだTIME誌を読みながら考えていました。日本では震災と原発問題が支配した1年だったかのように言われていますが、全世界的には北アフリカや中東での民主化運動や、西欧やアメリカで起こった反政府市民運動もしくは暴動への注目度が高いようです。

北アフリカや中東の民主化運動が起こったとき、過去の歴史的な反政府運動との比較がなされました。たとえば1848年フランスで起こった王政打倒の運動では、当時印刷技術が発達し、新聞がその動きを逐一報告したことにより広まりました。1989年の東欧の民主化運動では、市民が密かに受信していた衛星放送により共産圏の壁が打ち壊されました。

ちょうど昨年末、チュニスのひとりの果物売りが行政への不満を焼身自殺というかたちで表明しました。食べ物と火という、最も基本的なものがチュニジアの反政府・民主化運動へ繋がりました。その運動はまず最初にTwitterやFacebookを経由して、その後イスラム世界ではまだ新しいメディアであるアルジャジーラを通じて、隣国や世界へ伝播していきました。アルジャジーラはそれまで反欧米・親イスラムメディアであると考えられていましたが、チュニスやカイロ、トリポリなどから目の前のことをリアルタイムかつありのままの形で伝えることに徹しました。

一方でロンドンやアメリカで起こった格差拡大に起因した運動も、やはりTwitterやFacebookを使いその運動が拡大しました。ロンドンでの暴動では、政府がBlackberryによるSMSの通信を制限しようとすらしたほどで、それを見るだけでも、誰か明確なリーダーが率いて行われていたこれまでの反政府運動とは一線を画しているものでした。

それが発展したのは#occupywallstreet もしくは#ows というハッシュタグで有名になったアメリカの反政府運動でした。中東の民主化運動では、圧政のもとで声を上げることが最大の目的であるのとは対照的に、成熟した民主主義国家と考えられていたアメリカでは、その主張方法を変えなければなりませんでした。4年前までなら、それはバラック・オバマという人物と共に「Yes we can」と叫べばよかったのです。

しかしオバマ政権にも共和党にも愛想を尽くした市民が作り出したは、ひとつはwe are 99%という衝撃的なキャッチフレーズとoccupyという手法でした。世界の1パーセントの人物とその富がウォールストリートに集中していることを主張するため、一時はブルックリン橋を占拠するまでに至りました。奇抜かつ市民生活に影響を与えかねない手法より、全米の一般市民だけでなく世界へとその行動と主張が広まっていきました。シアトルが催涙ガスの色になった反WTOのデモのようなやり方では、もはや一般市民を覚醒できない、でもこのままでは現状がより悪化する、主催者側にはそれらの危機感があったのでしょう。

中東と欧米で起こった一連の運動は、その主張方法は民主化の程度により異なるように感じます。チュニジアやエジプト、シリアやバーレーン、最近ではロシアで行われている運動は、まず主目的が民主政治を勝ち取ることにあります。一方でイギリスやアメリカでの運動は、市民(demos)にこそ発言権があるという、民主主義の最も基本的なことを主張することにあったと思います。

しかしそういう違いがあるにしろ、これら共通した点は、我々にも主張したいことがあるという当然かつ強い思いにありました。それは年末に全世界へ映し出された、没個性的あるいは洗脳させられたと言ってもいい北朝鮮の市民とは全くもって対をなすものです。同時に、政治家や特権階級だけが主張できる手段を有する時代ではなくなったことも、こうした運動の後押しになっています。彼らは頭数は少なくとも権利もしくは金を多く有していますが、一般市民はインターネットにより頭数とそれを終結した力をもって対抗する構図ができあがりました。

そしてこの1年改めて痛感したことは、民主主義を成し遂げることとそれを維持することの難しさです。例えばアメリカでも一朝一夕で今の民主政治を形成したわけではありません。最初は独立戦争、その後の南北戦争、20世紀には公民権運動、そして21世紀にoccupy運動と、民主主義は何らかの戦いとの下でしか成長し得ないものです。今年世界はチュニジアやエジプトで民主制を成し遂げたところも見て、およびその後の混乱も見て、いかにもエジプトの春まだ遠しなどという声も聞かれますが、それが民主主義なのだと今、中東の市民は感じていることでしょう。

恐らく、2011年は反政府運動が勃興した年としてだけでなく、民主主義のあり方が変わり始める年として、後に伝えられるのかもしれません。残念ながら日本は北朝鮮と共にそうしたうねりに乗り遅れている感を否めませんが。


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