『マイマイ新子と千年の魔法』の舞台である「防府市国衙」とは、周防の国の国府の官庁があった土地であるといわれています。
住所が今のように整理される前には、大字「国衙」の真ん中に、小字「国庁」という地名も残っていました。

土地の中央には、史跡公園が残されており、そこには、こんな碑が立っています。

この土地は、古くから、国府の所在地なのだから、平城京や平安京と同じように、条坊制の区画割りがされていたのではないかと考えられていました。また実際に今も残る道がまさに方八町規模の条坊を構成しているようにも見えます。

方八町の外側にも同じ碁盤目が広がっているのは、条里制の口分田の跡なのだろうと考えられたわけです。
原作『マイマイ新子』で、新子がおじいちゃんから教わったのはこうした「説」です。だから、この土地には千年の歴史があるのだぞ、と。
一方、現地の発掘調査が進んでくると、こうした旧来考えられていた説では、矛盾するところも出てきてしまいました。
方八町の中のすべての道が、平安時代以前にあったわけではなさそうだし、整然と同じ角度で並んでいなかったかもしれない、そんな証拠が出てきてしまったのです。少なくとも、いろんな論文や発掘調査報告書を読んだかぎりではそう思われてしまいました。
じゃあ、確実に千年前にあったと思われるものは何と何なのだろうか。
それをどこまで把握できるだろうか。
「じゃあ、白飯、頼んだ」
「ええーっ、わたしがですか?」
発掘調査報告書の添付図から、10世紀の遺構と推定されたものを拾い出して、防府国衙の地図上に貼りこんでゆく作業です。
かなりたいへんです。なにせ、発掘調査は2003年時点で第140次まで行われていたのですから。
制作進行だった白飯はずいぶん時間をかけてがんばって、この地道で果てしない仕事をやってのけてくれました。

地図の南の灰色の部分は、千年前に海だったところです。この地形は今も残っていて、そのまま見ることができます。
その左の方に両側を水色で縁取られた薄紫の道は、国衙のセンターロード(朱雀路)と思われる道です。左右を水色で縁取られているのは、道の両側にあった水路です。
そこからちょっと入った左側に、国司館、つまり諾子の家も見えています。
映画の中で、新子と貴伊子が走るのはこの朱雀路です。

この水門のある水路は、今も現地へ行けば実際に見ることができるのですが、千年前にもそこにあった水路が発掘調査で発見されていました。千年前から流れる川は実在していました。
こうして「ああでもない、こうでもない」と頭を巡らしたおかげで、防府国衙のかつての風景はだいぶよくわかるようになってきて、それなりに思うところも浮かんできたりしてしまったのですが、結局のところ、画面上には、旧来の想像とあまりかわらない方八町の国府を登場させています。

何より、それこそ新子が(つまり高樹のぶ子さんが)おじいちゃんに教わったそのものだからです。
そこは大事にしようと思いました。