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ローマとカルタゴ(9)

原本はイギリス人、Shippen Edwardにより書かれた「Naval battles of the world: from Salamis to Japan Sea」(1905年刊)で、サラミスの戦いから日本海海戦までの歴史的な海戦を紹介している。 日本は周囲を海に囲まれてはいるが、とても海洋国家とはいえない。日本人がはるかなる海に眼を向けたのは、室町や明治のほんの一時期にすぎない。世界では海の支配をめぐり、いくたびかの戦いが繰り広げられた。それを垣間見ることにより、歴史の舞台では忘れられがちな部分にスポットを当ててみよう。

ROMANS AND CARTHAGINIANS (9)
     The whole of the Carthaginians van division fell into the Roman hands, without a single ship being lost on the part of the latter. Hannibal had fortunately made his escape in time, in a small boat, and at once proceeded to form the rest of his fleet to resist the Roman shock. He then passed from vessel to vessel, exhorting his men to stand firm; but the novel mode of attack, and its great success, had demoralized the Carthaginians, and they fled before the Roman advance; fifty more of Hannibal’s fleet being captured.

So ended the first great naval engagement between Rome and Carthage; bringing to the former joy and hope of future success, and to the latter grief and despondency.

Dullius, the Consul, had a rostral column of marble erected in his honor, in the Roman forum, with his statue upon the top.

Hannibal was soon afterward crucified by his own seamen, in their rage and mortification at their shameful defeat

ローマとカルタゴ(9)
     カルタゴの前衛艦隊すべて-遅れてきた艦隊部分にいて逃れた1隻を除いて-はローマ人の手に落ちた。  ハンニバルは幸運にも小型艇で逃げおおせた。  そして今1度、ローマの衝撃に抵抗するため彼の残りの艦隊を配置しようとした。  彼は、部下をしっかりしろと鼓舞しながら船から船へと渡った。  しかし、今まで見たことのない攻撃方法とその素晴しい成功は、カルタゴ人の士気をくじき、ローマ軍の前進する前に、彼らは逃げ出した。  50隻以上のハンニバルの艦隊は捕獲されたのである。

     ローマとカルタゴの間の最初の大海戦は、このようにして終わった。  
そして、ローマ人には歓喜と未来の成功への望みを、カルタゴ人には悲嘆と落胆をもたらした。  

     執政官、ドウイリウスの名誉を称え、トップに彼の彫像のある大理石でできたロストラル柱がローマの公共広場に立てられた。

     一方、ハンニバルはこの後まもなく、恥ずべき敗北に対する船乗り達の怒りと屈辱の感情の中で、彼らにより磔にされた。

(ひとこと)
     本文では、カルタゴの指揮官、ハンニバルは部下に磔にされたとあるが、実際はカルタゴ政府の命令で処刑されたようである。  敗軍の将に対するカルタゴとローマの対応は全く違っていた。  カルタゴでは他のオリエントの国と同じく、罰せられ、時には死刑もあった。  対するローマでは、戦いに敗れ、逃げ帰ってきてもそのことで罰せられることはなく、指揮官の地位を剥奪されたり、降格されることもなかった。  次の戦いで、汚名をはらすため厳しく戦うであろうことと、敵をよく知り、同じ誤りは繰り返さないだろう、という理由だった。  人間への見方が独特であり、興味深い。  ちなみに、旧日本陸海軍では、兵士や下級将校の敗戦の責任は厳しく問われたが、トップの責任追及は常にあいまいだった。
〔参考文献:塩野七生著「ハンニバル戦記」、新潮社〕
     
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