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英語で読む海戦史(11)

原書は、著名なアメリカの海戦史家Samuel Eliot Morisonの「The Two-Ocean War」です。内容は第2次世界大戦におけるアメリカ合衆国海軍の太平洋と大西洋における戦いを描いたものです。日本との太平洋における戦いの部分に関しては、光人社から「モリソンの太平洋海戦史」(大谷内一夫 訳)として出版されています。あまり知られていない、ドイツとの大西洋における戦いの部分に関して、英語の勉強をかねて読んでみました。

(原文)
Chapter Ⅴ Destruction in the Atlantic
11.
 The Navy was not idle while these things went on. Every submarine spotted was hunted; but the hunters, few in number, had not yet acquired the necessary technique to kill. Between 8 and 10 May, the following measures were taken: night patrol by a radar-equipped Catalina between Cape Canaveral and Fowey Rocks, a squadron of Hudson bombers based on Jacksonville, and six B-25s staged in to Miami;

merchantmen routed from the Canal to New Orleans through the Old Bahama Channel and past Key West. Several of those sunk in the Yucatan Channel, or in the Gulf between there and the Passes, had disregarded routing orders. A detachment of B-25s was sent to Havana, to patrol the Yucatan Channel, and preparations were made to take over the San Julian airfield near Cape San Antonio and to build an airfield on Grand Cayman. A Yucatan Channel patrol began on 21 May.

(訳)
第5章 大西洋での破滅
11.
海軍はこれらのことが進行している間、怠けてはいなかった。位置が確認されたすべての潜水艦は狩り立てられた。しかし、ハンターは数が少なく、必要な潜水艦狩りの技術をまだ受け取っていなかった。5月8日と10日の間に次のような方法がとられた。レーダー装備のカタリナ飛行艇によるカナベラル岬とフォーウェイ岩礁間の夜間パトロール、ジャクソンビルに基地をおくハドソン爆撃機隊、マイアミに展開した6機のB25爆撃機、

商船ルート、ニューオルリンズへのオールドバハマ水路とキーウエストを通った水路の設定などである。ユカタン水路か、それらと運河間のメキシコ湾における商船の何隻かの沈没も航行ルートの設定命令には反映されなかった。ユカタン水路をパトロールするため、B25の分遣隊がキューバのハバナに送られた。そして、サンアントニオ岬近くのジュリアン飛行場を支配する準備やグランドカイマンに飛行場を建設する準備がされた。ユカタン水路のパトロールは5月21日に始まった。

(注釈)
    Uボート捜索と攻撃に使用されたB25(下図)は米陸軍の双発軽爆撃機である。その強力な武装と長大な航続距離で太平洋方面でも活躍し、日本の輸送船団や護衛艦艇に多くの損失を与えた。1942年4月に、意表をついて航空母艦から発艦し、東京を初空襲して日本人を驚かせたのもこの機体である。
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