gooブログはじめました!

第1話(4)

 海防艦第69号(4)

 北村らは、パレンバンで応急手当を受け、輸送トラックに便乗し、ジャワ島のジャカルタに向かう。
インドネシアは長い間オランダの植民地だったためか、整備された舗装道路が緑のジャングルの中に、どこまでも伸びている。

 ジャカルタは戦争を感じさせない、熱気にあふれた、雑然とした街だった。
連合軍の進撃路は、ニューギニアからフィリピンに向かったため、インドネシア方面は戦火から免れたのだ。

 北村らは船舶司令部から、乗船が決まるまで待機を命ぜられた。
当時、日本本土と南方を結ぶルートは、切断寸前の状態だった。

 45年1月末から3月末まで、34隻のタンカーがシンガポールを発ったが、無事に内地に着けたのは7隻のみだった。
もう乗るべき艦船がなかったのだ。

 ジャカルタの治安は良かった。
インドネシアの軍政は、現地人を取り込み、比較的上手く機能していた。
ゲリラの活動もなく、大きな暴動も起きていない、と言うことだった。

 3月のある日、船舶司令部で兵站の仕事をしていると、ある参謀から声をかけられた。
「北村少尉(戦闘任務で昇進した)、君は英語ができるそうだな。」
「はい、カタコトですが。」
「陸軍の憲兵隊から英語のわかるものを出してくれ、と頼まれている。」
「オーストラリア兵捕虜の尋問だそうだ。少しの間、行ってくれ。」

 まさか。このことが自分の運命を変えることになろうとは、この時は露にも思わなかった。

 憲兵隊の取調室は、元オランダ軍の兵舎の一角にある、陰気なコンクリート建屋の地下にあった。
憲兵隊大尉が取調官で、机を介し、手錠をかけられた、やせぎすの若者が座らされていた。
その後には2人の憲兵が立っている。

 参照図:「インドネシア独立戦争」、Wikipedia
     
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「大西洋」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事