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海賊王、モーガン(10)

 原本はイギリス人、Laughton, John Knoxにより書かれた「Sea fights and adventures, described by John Knox Laughton」(1901年刊)で、カリブ海を舞台に私掠船(しりゃくせん:国黙認の海賊船)の活躍を青少年向けに描いています。  現在騒がれているソマリア沖や南シナ海の海賊と違い、当時の私掠船は国同士の勢力争いの影の尖兵の感があり、また植民地からスペインが奪った黄金財宝を横取りするという爽快感もあります。  まずは読んで見ましょう。

Morgan, the king of buccaneers(10)
 So, to compel them to show where it was hidden, they had recourse to the most abominable cruelties, and by means of these did find a good deal. For fifteen days the place was given up to brutal riot and debauchery; and finally Morgan withdrew on the payment of something like £60,000 by the Governor of Panama, who was sorely apprehensive that the buccaneers might cross over and visit him; as in fact they did, two or three years later.

 But just them they returned to Jamaica, where they spent their prize-money in riotous living and drunkenness. It was said that Spaniards had wondered how it was that so many of the buccaneers died; but that some of them, being at Jamaica, and seeing the horrible drunkenness, and tasting the fiery spirits-new rum presumably-on which they got drunk, wondered thenceforth that any of them were left alive.

海賊王、モーガン(10)
 それで、バカニーアたちはお宝を隠した場所を白状させるため、身も毛もよだつ残虐な方法に頼った。  そして、この方法はうまくいった。  15日間にわたり、町は野蛮な暴力と乱痴気騒ぎに投げ込まれたた後、パナマ総督により約6万ポンド支払われたことにより、モーガンは引き揚げた。  総督は、バカニーアたちが地峡を越えてパナマに来ることをひどく恐れたのである。  実際、2、3年後に彼らは襲ってきたのだ。

 このときは、バカニーアたちはジャマイカに引き返した。  そこで彼らは奪った金を全部、放埓な生活と酒に使ってしまった。  非常に多くのバカニーアが死んだことに、スペイン人たちは驚いたと伝えている。  バカニーアの多くがジャマイカで、恐ろしいほど酒を飲み、火のような酒-新しいラム酒?-を飲んだ輩は皆、この世におさらばした。

(ひとこと)
 ジャマイカに戻ったバカニーアたちは、略奪品を、待っていた商人たちに売りさばいた。  そして酒場と娼婦の館で湯水のように金を使い、すぐに素寒貧になってしまった。  彼らのモットーは“短く愉快に生きること”だ。  ある種の憧れを感じます。
〔参考文献・図:石島晴夫著「ヘンリー・モーガン」、原書房〕
     
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