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海賊王、モーガン(9)

 原本はイギリス人、Laughton, John Knoxにより書かれた「Sea fights and adventures, described by John Knox Laughton」(1901年刊)で、カリブ海を舞台に私掠船(しりゃくせん:国黙認の海賊船)の活躍を青少年向けに描いています。  現在騒がれているソマリア沖や南シナ海の海賊と違い、当時の私掠船は国同士の勢力争いの影の尖兵の感があり、また植民地からスペインが奪った黄金財宝を横取りするという爽快感もあります。  まずは読んで見ましょう。

Morgan, the king of buccaneers(9)
 In the strait to which they were reduced, the Spaniards shot down the religious bearers as if they had been common, everyday heretics; but Morgan had a large supply of them, and as fast as they were killed, he sent others to supply their places.

 So the ladders were planted. The buccaneers swarmed up them and over the ramparts, and after a fierce resistance the place was taken. No quarter was asked and none seems to have been given. The third fort surrendered, and the town with it. No further defense seems to have been possible.

 Then the buccaneers had to pay themselves; and as they did not find the treasure they had hoped, they conjectured-rightly enough, it would seem-that the inhabitants had hidden it away.

海賊王、モーガン(9)
 むりやり送り込まれた通路で、スペイン人達は僧侶や修道女たちを、根っからの異端者のごとく打ち倒した。  しかし、モーガンは多数の僧侶や修道女たちを捕えていたので、殺されるが早いか、その代わりを送り込んだ。

 とうとう、はしごは掛けられた。  バカニーアたちははしごを駆け上り、城壁を乗り越えた。  激しい抵抗が終わって、城砦は確保された。  慈悲を乞われることはなく、だれも慈悲を期待していなかった。  3番目の城砦は降伏し、町は占領された。  それ以上の防衛は無理と思われた。

 バカニーアたちは自身に褒美を与えねばならなかった。  彼らは期待した財宝を見つけられなかったので、当然のことながら、住民たちが財宝を隠したと推測した。

(ひとこと)
 最初、ゲリラ的にコロニーを結ぶ船を襲っていた海賊も、多人数が集まって組織化された。  そして、効率よく略奪するため、港町を襲うようになった。  海賊ロロノアによるマラカイボ(コロンビア沿岸)襲撃もその1例である。  当然、スペイン側も町の周りに城砦を築き、兵士を配置して防備を固めた。  しかし、いつの世もゲリラ戦では、ゲリラの本拠地を叩かない限り、防御側より攻撃側が有利となる。
〔参考図:ジョン・エスケメリング著「カリブの海賊」、誠文堂新光社〕
     
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