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ローマとカルタゴ(7)

原本はイギリス人、Shippen Edwardにより書かれた「Naval battles of the world: from Salamis to Japan Sea」(1905年刊)で、サラミスの戦いから日本海海戦までの歴史的な海戦を紹介している。 日本は周囲を海に囲まれてはいるが、とても海洋国家とはいえない。日本人がはるかなる海に眼を向けたのは、室町や明治のほんの一時期にすぎない。世界では海の支配をめぐり、いくたびかの戦いが繰り広げられた。それを垣間見ることにより、歴史の舞台では忘れられがちな部分にスポットを当ててみよう。

ROMANS AND CARTHAGINIANS (7)
     They also employed fire-ships, and threw pots of combustibles on board the enemy. Many of Antony’s ships were destroyed by this means. When they returned from a successful engagement the prows of the victors were decorated with laurel wreaths; and it was their custom to tow the captured vessels stern foremost, to signify their utter confusion and helplessness. The admiral was honored with a triumph, after a signal victory, like a General or Consul who had won a decisive land battle; and columns were erected in their honor, which were called Rostral, from being decorated with the beaks of ships.

And now, to return to the imposing fleet which the Romans had equipped against the Carthaginians:-

When all was ready the Romans put to sea; at first clinging to their own shores, and practicing in fleet tactics. They found their vessels dull and unwieldy, and therefore resolved to board the enemy at the first opportunity, and avoid as much as possible all manoeuvring. They therefore carried plenty of grappling-irons, and had stages, or gangways, ingeniously arranged upon hinges, which fell on board of the enemy, and afforded secure bridges for boarding. By this means many victories were secured over a people who were much better seamen.

ローマとカルタゴ(7)
      彼らはまた、火船を用いたり、可燃物のポッドを敵船上に投げた。  アントニウスの多くの船はこの方法により使用不能にされた。  勝利の戦いから帰還したとき、勝利者の船首を月桂冠で飾り、敵の完全なる破滅と無力を現すため、捕獲した船を船尾に曳航するのがローマ人の習慣だった。  決定的な陸上戦闘で勝利した将軍や執政官(コンスル)のように、提督は凱旋式の後、トランペットで名誉を称えられた。  そして、船嘴に同じような装飾を施したことからロストラルと呼ばれた円柱が彼らの名誉を称え、建てられた。

     さて、ここでカルタゴに対抗してローマがつくりあげた堂々たる艦隊に戻ってみよう。

     ローマ人にとり、海に出て行く全ての準備が整った時、最初は自分たちの海岸に沿って行動し、艦隊任務の訓練を行った。  彼らは自分たちの船は動きが鈍く、扱いにくいことに気がついた。  そこで、最初のチャンスに敵船に乗り込むこと、および可能な限り運動戦(操船)を避けることを決めた。  それゆえ彼らは多くの鉄製引っ掛け器具と足場または桟橋を運んだ。  それらは蝶番の上に巧に配置され、敵船上に落下して、敵船に乗り込む際の安全な橋になった。  この方法は、格段に操船能力のある敵に対して、多くの勝利をもたらした。
     
(ひとこと)
      本文中にある、敵船に乗り込む際の桟橋はローマ人の発明で、「カラス」と呼ばれた。  ローマは陸軍国で、陸上戦闘には自信を持っていたが、海上戦闘は素人だった。  そのため、接近戦での難しい操船を避けるため、第一撃で敵船に突っ込み、「カラス」を落下させ、敵船を個縛した状態で兵士が乗り込んで制圧する方法をとった。  この方法だと、周りが海の陸上戦闘と同じになり、ローマ軍に有利になった。  戦争では-他の分野でも同じだが、敗者や弱者の方が、従来の方法にとらわれず、新しい方法を取り入れ、勝利することがよくある。  勝者や強者は従来の方法にこだわり、その改良に満足しがちである。
〔参考文献:塩野七生著「ハンニバル戦記」、新潮社〕
     
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