皆無斎残日録

徒然なるままに、日々のよしなし事を・・・・・

吉田松陰の言

2010年02月24日 20時00分29秒 | 歴史・人物

松下村塾門下の多くが維新前の動乱の中や、維新後の不安定な政情の中、非業の死を遂げています。伊藤博文や門下生と言えるかどうか微妙な山縣有朋を除けば、その将来を松陰に嘱望された久坂玄瑞や吉田稔麿は、時代に先駆けて戦闘の中で斃れています。又、高杉晋作も戦いの末に病を得て死んでいます。又、明治初期の顕官であった前原一誠も萩の乱を起し、捕えられて刑死しています。


松陰自身、その身は刑場の露と消えました。


松陰は多くの書き物を残していますが、その中には名言と言われるに値するものが多くあり人口に膾炙されています。とりわけ、処刑直前に江戸小伝馬町牢屋敷の中で書き上げられた全十六節からなる「留魂録」は「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」という有名な辞世の句を巻頭に始まる名文です。中でも第八節は松陰の死生観を如実に語って、人の魂を揺さぶり、粛然とさせます。原文以下の通りです


一、今日死ヲ決スルノ安心ハ四時ノ順環ニ於テ得ル所アリ
蓋シ彼禾稼ヲ見ルニ春種シ夏苗シ秋苅冬蔵ス秋冬ニ至レハ
人皆其歳功ノ成ルヲ悦ヒ酒ヲ造リ醴ヲ為リ村野歓声アリ
未タ曾テ西成ニ臨テ歳功ノ終ルヲ哀シムモノヲ聞カズ
吾行年三十一
事成ルコトナクシテ死シテ禾稼ノ未タ秀テス実ラサルニ似タルハ惜シムヘキニ似タリ
然トモ義卿ノ身ヲ以テ云ヘハ是亦秀実ノ時ナリ何ソ必シモ哀マン
何トナレハ人事ハ定リナシ禾稼ノ必ス四時ヲ経ル如キニ非ス
十歳ニシテ死スル者ハ十歳中自ラ四時アリ
二十ハ自ラ二十ノ四時アリ
三十ハ自ラ三十ノ四時アリ
五十 百ハ自ラ五十 百ノ四時アリ
十歳ヲ以テ短トスルハ惠蛄ヲシテ霊椿タラシメント欲スルナリ
百歳ヲ以テ長シトスルハ霊椿ヲシテ惠蛄タラシメント欲スルナリ
斉シク命ニ達セストス義卿三十四時已備亦秀亦実其秕タルト其粟タルト吾カ知ル所ニ非ス若シ同志ノ士其微衷ヲ憐ミ継紹ノ人アラハ
乃チ後来ノ種子未タ絶エス自ラ禾稼ノ有年ニ恥サルナリ
同志其是ヲ考思セヨ


確かに、これを読んで涙して発奮しない門下生は有り得ないでしょう。私はこの中でも、特に


十歳ニシテ死スル者ハ十歳中自ラ四時アリ
二十ハ自ラ二十ノ四時アリ
三十ハ自ラ三十ノ四時アリ
五十 百ハ自ラ五十 百ノ四時アリ


の部分に強く心打たれます。深い教養と強い精神で過酷な運命を達観し得た者のみが発し得る言葉であると考えます。宿命の中、人はいつ何時死ぬか知れません。何歳でこの世を去り逝く者であれ、それ相応の春夏秋冬があります。人生の質がその命の長短にあっては救われません。

松陰門下として、かって師の姿を見、その声を聞いた者で、生きて明治の世に顕官として絹の布団に眠った者も、暗夜一人昔日の吾を憶う時、「自分はかって松陰先生の謦咳に触れたのだ」と誇りに思える幸せに替え得るものは無かったのではないか。



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