感泣亭

愛の詩人 小山正孝を紹介すると共に、感泣亭に集う方々についての情報を提供するブログです。

感泣亭アーカイブズ 後記

2011年01月06日 | 日記

以下は、感泣亭秋報の後記である。これは今後の感泣亭の運営に関する基本的な考え方になると思うので、少し長文ではあるが掲載しておく。


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☆ 巻頭においた詩「愛しあふ男女」は、書斎に残されていたアルバム「愛しあふ男女」の中に残されていた詩篇である。この部分だけは結局 詩集「愛しあふ男女」から削除された。このアルバムの作成日が1956年7月27日であり、詩集「愛しあふ男女」の発行日が、1957年1月1日であるから、その間に除かれたのであろう。更に、詩篇の順番も発表されたものとは違っていた。
 思潮社版の小山正孝詩集の順番に従えば、10の


  誰が知ってゐると言へるのだらう
  お前の愛した人の数を
  誰が・・・・・


から始まっている。しかし、この詩集は、もともと13の詩篇がページ数もつけず、製本もされないバラの状態で挟み込まれている。これは、どのような順序で読んでもよいとも受け取れる。
 この秋に、詩集「愛しあふ男女」を復刻した。と言っても、同じ形にすることは不可能なので、A4版のパンフレットのような形にした。実際と同じ152部を印刷した。本物と同じようにバラの状態で作りたかったが、結局断念し、中とじの形にした。


☆ 感泣亭の致命的な欠陥は、小山正孝がすでに死んでいるということだ。死んだ人間は、新しい作品を生み出さない。たとえ、小山正孝の作品がどんなに良いものであろうとも、それは過去の遺物に過ぎない。
物事がおもしろいのは、それが時代とリアルタイムで向き合っているからである。ワールドカップの決勝戦は、リアルタイムで見るからわくわくするのであり、試合の結果が分かってから見ても何の臨場感も感じないのと同じだ。
小山正孝という詩人は、美しい言葉を操る詩人ではなかった。万人の感動を呼ぶような名作を残したとも思えない。男と女の愛について、自分の中に根深く巣くった劣等感をいだきながら、自立した一人の男となるために一生を賭けて闘った。ナマの世界と対峙しながら、詩人として自分を律し、詩人として生き、自己を変革し続けた。
この闘い続ける姿にこそ、小山正孝という詩人の価値がある。そして、死んでしまった小山正孝は、石になってその歩みを止めてしまったというわけだ。
 感泣亭が小山正孝偲ぶ会ならば、一回やればよい。何回も繰り返す必要はないし、もうそろそろ「潮時だ」と考えてもよい。にもかかわらず、なぜ続けるのか。


詩を書くから詩人なのではない。
詩人だから詩を書くのだ。


小山正孝の書斎からは、色々なものが出てくる。未発表の詩篇がまだまだある。
「発表するかしないかなんてどうでもよい」
と考えていたのではないかと思うほどだ。
一冊のノートがあった。題して
入院日記「眼球旅行覚書」とある。ノートをぱらぱらとめくってみる。


4、1 手術の日


二度海の波をみつめたが
何事もなく そこを去った
ひろい海は決断を不必要とする
夕刻になると鳩が来る
ついばんだあと 帰る


 4.2 人間関係


○ ほとんどない
○ 声もジュースのあいさつの声帯とと同じ人工音声にとりかえますか
○ 職業的な言葉 - 他に何があるか
○  無口であることが人間の幸福か
○ 音楽→ラジオ→ゲーム→そのまぼろし


4.4 
曇り
小雪のふったやうに
ダンダラの早朝の街
風はない。駐車場には一名もない
病室から
劇場が見えることに気づく
噴水も見えるはづだが
大作の位置確認
女神の怒り
地下道のゆらめき


詩人として生きた小山正孝に私は興味がある。人の一生、それも徹底して詩人として生きた人間の一生は、興味深い対象である。それが、感泣亭を続けている一つの理由である。


☆ 感泣亭を続ける理由はもう一つある。それは、この数年の間に生きてピンピンしている素敵な大勢の人達と出会うことが出来たからである。詩人・小山正孝を追求することもおもしろいが、それ以上に素敵な人達とお会いできることが楽しい。
 感泣亭秋報も、小山正孝を素材にして、
「この人はこんな事を考えているのか」 
と思う。興味の対象は、生きて動いているナマの人間である。
 今回からまた 感泣亭通信欄を復活させた。これは、感泣亭に寄せられたやお葉書やお手紙を紹介するページだ。これらの葉書や手紙は、もともと公開を前提としていない。
「秋報に収録したい」
と言われて、困惑された方も多いと思うが、ほとんどの方に了承していただいた。改めて失礼をお詫びし、お礼を申したい。
同窓会で、欠席した友人の何気ない一言が心を和ますように、ここに生きた人間の交流が
ある。それは、小山正孝を介して出来た新しい生きた営みだ。
 そう考える時、「小山正孝」という存在は、テキストに過ぎないと思う。小山正孝というテキストを使って、お互いの詩論を闘わせ、交流を創り出す。こんな事はできないかと考える。
 感泣亭は、一つのプラットホームである。そこで、色々な人達が色々な形で結びつき新しい営みが始まるとすれば、願ってもないことである。
 この六月には、感泣亭句会がスタートし、田園調布で吟行した。7月の杉浦明平展への協力、11月のヒヤシンスハウスなどへの協力なども一つの形だ。
 小山正孝を顕彰することは、それだけであってはならない。松田一谷や小山弘一郎を顕彰することでなければならない。そして、その時代とその文化を継承することだ。
 同じように、現代における新たなネットワークを創ることが感泣亭の仕事であり、現代と切り結んでナマの人間として生きることだと考えるとこんな楽しいことはない。


 


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