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爬虫類ブーム

2005年10月23日 | ニュースな毎日。
ちょっと前まで、ニシキヘビが逃げただとかいうニュースがよく流れてましたね。
最近は落ち着いてきたんでしょうか。あまりききませんけど。

大型爬虫類が「逃げて捕獲された」というニュースが日常茶飯事になる日も近かったりして・・・と、そんなことを予感させるくらい、実はペット業界って、空前の爬虫類ブーム。それにのっかったわけじゃありませんけど、テンプレもヤモリにしてみました。
(「ゲッコー」って書いてあったので、トカゲじゃなくてヤモリ)

それにしても、ペットを捨てたりする人は、爬虫類でなくてもペット飼う資格なんかないと思うんですけどね。
ペットが自主的に逃げたりする場合は・・・うーん。
イヌの場合、逃げ出すというのは「飼い主に愛想がつきた」という意味があるそうですけど。
どちらにしても、ヘビやらワニやら、逃げ出したら危険なものはなおさら管理していただきたいんですが。

国のほうでも、そういう危険な動物を飼う場合には飼い主の情報を記録したマイクロチップをペットの体内に埋め込むことを義務付けよう、という動きがあるらしいですが。これはその後どうなってるんでしょう? 法案通過したのかしら。
イヌやネコの場合は、獣医さんに頼めばチップを埋め込んでもらえます。
センサーを当てると、飼い主の登録番号が出るシステム。チップの埋め込みはとっても簡単で、費用もそれほどかからないとのこと。迷子防止にはうってつけのようです。
イギリスではイヌを飼う場合、チップ埋め込みは義務化されてるとききましたけど(違ってたらすみません)、それでもきちんとチップを埋め込んでない人が多くて苦労してる・・・と、テレビでやってました。ロンドンのバタシーにあるイヌの保護施設に費やされる国家予算は、年間数千万ポンドに及ぶそうです。

サソリなんかにもチップって埋め込めるのかしら・・・。
逃げてニュースになってましたもんね・・・。

話は変わりますが、よく行く「がらくたチップスfrom館長日誌」に、以前こんなのがありました・・・。ワニを丸呑みしたヘビが、破裂しちゃったなんて記事。
引用したBBCのサイトに載ってる写真が気持ち悪すぎ・・・(苦笑)
何がどうなってるのか、さっぱりわかりません。
そこまで頑張って飲み込まなくても、ねえ。

ていうか、フロリダの沼に、こんな立派なパイソンとアリゲーターがいるってのが怖いです・・・。
サイトによれば、ここのパイソンは捨てられたのがほとんどで、フロリダの気候に適応して、この20年で増えたらしいです。
日本の河川や湖沼も、こんなんならないとは限らないな・・・。

別に爬虫類は嫌いじゃないんですけど、いきなり「ぬーん」と自分ちなんかにあらわれたら、やっぱ驚きますよねえ。

それで誰が一番気の毒って、捕獲に当たらなくちゃいけないおまわりさんじゃないかと。
交番の前を通って、ふとそこに置いてある網を見たとき、心底「頑張ってください」といいたくなりました。

靖国アゲイン

2005年10月17日 | ニュースな毎日。
ねえさん、事件です。(←「ホテル」風)
この雨の中、またコイズミくんがやっちゃいました。
靖国神社に、お賽銭投げに行ったそうです。

【ヤフー政治ニュースより】

小泉首相、靖国神社を参拝…昇殿・記帳せず

 小泉首相は17日午前、東京・九段北の靖国神社を参拝した。首相は就任以来、年1回の参拝を事実上の公約としており、今回が5回目。内閣の最重要課題である郵政民営化関連法が14日に成立したことを踏まえ、17日からの靖国神社の秋季例大祭に合わせて参拝に踏み切った。

 首相は、本殿には昇らずに拝殿前の参拝にとどめ、記帳もしなかった。国内外の批判などに配慮し、「私的参拝」の色彩を強めたと見られる。
(中略)
 グレーの背広姿の小泉首相は午前10時過ぎ、公用車で靖国神社に到着した。同12分ごろ、拝殿の前で一礼した後、さい銭箱にお金を入れ、30秒間ほど手を合わせた後、再び一礼した。献花料や玉ぐし料は出さなかった。

 過去4回の参拝は、モーニングか羽織はかま姿で、本殿に昇って祭壇に一礼していた。「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳し、私費で献花料も納めていた。
 従来の参拝形式を変更したのは、「公式参拝」との批判をかわす狙いなどがあると見られる。(後略)


以前靖国参拝に行ったときも、いろんな国からいっぱい怒られたあげく、司法からも「それは違憲じゃろ~?」(←広島弁だとダジャレっぽいな)と言われてるのに、まだ懲りてなかったんですね。
ここまでいくと、近所の悪ガキのほうが、よっぽど聞き分けがいいような気がします。

「私的参拝なんだから、いいでしょ?」という、居直った態度にはあきれてしまうばかり。
「一私人として参拝した」とかいうコメントが出ていたような気がしたが、
首相、あなた、そういうこと言える立場じゃありませんから。
長いこと総理大臣やってて、それくらいわきまえられないんでしょうか・・・。
せっかく日中・日韓関係もちょっとずつ好転してきたような気がするのに。

なんでそんなに靖国神社に行きたがるのか。
どうせ行くなら、あんな堂々と行かなけりゃいいのに。
変装とかして、完全お忍びならどうでしょう?
さもなけりゃ、アジア諸国(ていうか、中・韓二国ですが)に対する嫌がらせだと思われても仕方がないわけで。

と、ここで文句を言っても、仕方がないわけで。
母さん。不安なままに、秋が深まっていくわけで。
郵便局も、そのうちここからなくなってしまうかもしれません。(←何故か「北の国から」風)
あーあ~、あああああーあ、ああ~あああああ~♪

円楽さん入院!

2005年10月14日 | ニュースな毎日。
本日、「笑点」の司会者・三遊亭円楽さんが脳梗塞の疑いがあるため、都内の病院に緊急入院した。
笑点ファンの私としては、本当にびっくり。

手に軽い麻痺、また言葉が思うように出ないなどの症状が見られるそうで、司会のほうも急遽降板。
新司会者はいよいよ山田くんが? 
・・・と思ったら、予想に反して歌丸さんたちレギュラーメンバーが週代わりで代打に立つそうで。

笑点メンバーも高齢化が進んでいるので、そろそろターニングポイントなのかな・・・・・・。
とはいえ、今のメンバーは役割分担(笑)がきっちりしている分、メンバーが変わるのもなんか寂しい。
実際、こん平師匠がノドの病気で入院して、たい平さんが代打で入ったときも、かなり変な感じでしたし・・・。

早く元気で帰ってきてください、円楽師匠。

【笑点トリビア】いちいち真面目に読まなくてもいいものばかりですけど・・・。

・2006年1月で放送回数2000回突破予定。放送開始は1966年5月なので、来年は40周年(!!)

・「笑点」の名前の由来は、三浦綾子の「氷点」をパクったもの。
(当時日テレで連ドラとして放送していた「氷点」だが、視聴率がよかったそうなので、それにあやかって・・・と私は聞いている)

・山田くんが運んでいる座布団は一枚4キロ。10枚たまったときに安定して座れる重さといわれる。(重っ!)

・歴代司会者は以下のとおり(ウィキペディアより抜粋)
* 初代 立川談志(1966年5月 - 1969年10月)
* 2代目 前田武彦(1969年10月 - 1970年11月)
* 3代目 三波伸介(1970年11月 - 1982年12月)
(三波が1982年12月8日に急死した為、1983年1月の正月特番のみ愛川欽也でつなぐ)
* 4代目 三遊亭円楽(1983年1月 - 現在)

・円楽さんがレギュラー回答者だったころ、座布団10枚の商品に「ニンジン山盛り」というのがあった。若い頃から馬面だったのね・・・。

・この番組の「ちびっこ大喜利」で人気者となった山田隆夫、新井康弘、江藤博利、今村良樹の4人で「ずうとるび」が結成され、1973年2月17日にデビューした。なお、「ずうとるび」は、紅白歌合戦に出場したことがある。

・座布団10枚でもらえる豪華商品の一例(ウィキペディアより抜粋)
* 故・三遊亭小圓遊がレコード「マドモワゼル」を出した。
* 桂歌丸がギリシャマラソンに挑戦(←今やったら間違いなくあの世行きじゃあ・・・?)
* 桂歌丸と林家木久蔵が皇居一周マラソンに挑戦。
* 地下鉄の車内に桂歌丸の中吊り広告が1両すべてに張り出された。
* 三遊亭楽太郎がカール・ルイスと対決をしている。
* 三遊亭小遊三が故郷・山梨県大月市に凱旋。オープンカーで市内をパレード、母校から座布団を贈られた。
* 桂歌丸が写真集をつくり(円楽の自腹らしい)、視聴者プレゼント。
* 「夏草や(夏、クサヤ)兵どもが 夢のあと」とかけて、三遊亭小遊三がクサヤの本場である新島に行き、クサヤ作りを体験、さらにいろいろな魚のクサヤを賞味。
* 林家こん平が「旅は道連れ世は情け」にひっかけて、タヒチ島ツアーへ。
* 桂歌丸が「似たもの夫婦」に引っ掛けた、煮た物フーフーを獲得。煮込みうどんのこと。
* 三遊亭楽太郎が、「古池や蛙飛び込む水の音」にひっかけたバリ島ツアーを獲得。この模様は「楽太郎のバリ腹黒珍道中」と題して2004年4月18日に放送された。
* 桂歌丸が豪華客船で美女とクルージング。だがその「美女」は、歌丸の恐妻、富士子夫人だった。
* 林家こん平が「徳川家御埋蔵金」を獲得。ただし贈られたのは雑巾5枚だった。
* 岩清水が飲めるというものだったが、汲んでいた岩清水をこぼしてしまい、思いついたのが鰯を漬けた水だった。獲得者はメンバー全員。あまりの獲得者のすごさに座布団が足りなくなってしまった。
* 桂歌丸が「世界の大スターに会える権」を獲得。その「大スター」とは、山田隆夫だった。
* 「2001年宇宙の旅」に引っ掛けて、2001円府中の足袋(東京・府中で2001円で売っていた足袋)。獲得者は三遊亭小遊三。
* 林家木久蔵が「木久蔵ラーメン」をタイに出店、番組の特別編として「木久蔵ラーメンinタイ」を企画、放送。ドッキリ企画などもあった(2000年7月9日、日本テレビほか)。
* 一番最新の商品では、2005年5月8日に、桂歌丸が、「濡れ手で粟のひとつかみ」がキーワードの商品を獲得。これは、フィリピンの紙幣「ペソ」が入っているボックスから、“現金つかみ取りゲーム”の要領で1度掴み取る。(これが“ひとつかみ”にかかっていると推測される。)さらに、その掴み取ったペソを元手に、「フィリピンセブ島カジノツアー一攫千金の旅」を獲得。
* 飛び入りの三遊亭楽太郎を交えスロットマシンで1000ペソ稼ぐものの、ルーレットで一攫千金を狙ったが楽太郎の腹『黒』を嫌い、赤に賭け続けた結果大敗した。

このほかにもいっぱいありますね。豪華温泉旅行ということだったのに、自分で掘りに行かされた、っていうのも覚えてます。

・レギュラーメンバーの裏の顔は、こちら。

・関係ありませんが、「笑点占い」なんて見つけました。 お暇な方、どうぞ。
ちなみに私の結果は楽ちゃんでした。
やはり腹黒いらしい(笑)

スイスと言語

2005年10月06日 | ニュースな毎日。
最近スイスネタが多かったけれども、ついでにもう一つ。

10月5日付の朝日新聞より抜粋
英語重視 危うし仏語
独語圏のチューリヒ州は昨年、それまで中学からだった英語教育を小学2年から義務づけた。第2外国語としての仏語の授業は従来どおり小学5年生からだ。英語優先の方針は住民投票で7割の支持を得て決まった。


スイスでは4つの言語が使われている。
ドイツ語(64%)・フランス語(20%)・イタリア語(7%)・ロマンシュ語(0.5%)という並びになっている。
やはりこういった複雑な背景があるためか、スイス人の言語能力の鋭さは舌を巻く。3ヶ国語は当たり前、5ヶ国語、6ヶ国語しゃべれるという人もザラだったりして。

この間バーゼルに行ってトラムで移動していたときも、後ろのお子ちゃまたちがドイツ語で何やらおしゃべりしているなあと思ったら、突然英語にスイッチした。一緒にいたお母さんも、もちろん流暢な英語で会話している。
こういう環境なら、みんなマルチリンガルになれるわけさ。

私がイギリスに留学していたときも、語学学校にはたくさんのスイス人がいた。
大学進学するにしろアプレンティスシップ(直訳すると「徒弟制度」だが、今風に訳すと「職業訓練過程」になるのか)に進むにしろ、いまや英語はスイスで働くのに必要不可欠。

「チューリヒのビジネスシーンでは英語が主流。スイス人同士でも、フランス語圏とドイツ語圏の人間が英語で話すことも珍しくない」と、チューリヒの小学校校長が語る(朝日新聞より抜粋)。
だもんで、やっぱり早期教育が必要・・・というわけである。
チューリヒ州だけでなく、ほぼすべてのドイツ語圏で「英語主流」の流れになっているようだ。

反面、フランス語よりも英語の教育を優先させたことは、フランス語圏の人たちにとってあんまり面白くないらしい。というのも、フランス語圏では従来どおり国の融合や結束力を高めるためにドイツ語教育の方を優先させているから。「『言語圏にかかわらず、充分な国語教育は必要』という見方によるようだ」(朝日新聞より)。

一方、ロマンシュ語はラテン語の古い形を残す言語だが、スイスの総人口約730万人に対して、言語使用人口が3万5000人。それも年々減ってきている。

たしかに、スイスのテレビやラジオでも、ロマンシュ語の放送なんか聴いたことがないよなあ。
ロマンシュ語圏では、ほとんどの人がドイツ語もしゃべれる。もちろん、英語やフランス語教育も取り入れている。
そんなこともあってか、若い人のロマンシュ語離れは深刻。このまま放っておけば、この言語が消滅する危険性もあるというんだから大変だ。もちろん、対策も練っているそうだが、言葉は一つの文化。それが消えるというのは、民族が消えるといっても過言ではない。

話はそれるが、国語が複雑に分かれている国というのは、深い悩みがつきもの。
一番大きいのは、やはり国民の結束力が弱いという点。スイスも例に漏れないらしい。
やはりお互いが分かり合うためには、言語が同じほうがコミュニケートもしやすい。
ベルギーもフランス語圏とフラマン語圏に別れているが、二つの語圏の間には深くて暗い溝があるし(ベルギー人から聞いた話)、バラバラになってしまった旧ユーゴスラヴィアも、もともと公用語は4つだったし(バラバラになった背景には、もっと複雑な理由が絡んでいるんだけど)・・・なんて事を思い出す。




なんだか、次元の違う悩みだ・・・。
そういや「今年はフランス語を始めるか」って思ってたけど、意気込みだけでおわりそうだなあ(遠い目)

トルコとEU

2005年10月05日 | ニュースな毎日。
私の友人の一人で、トルコびいきの人がいる。
何年か前にもトルコに単身ボランティアをしに行ったこともある彼女だが、今年のGWに久しぶりにあったときも、トルコの話でもちきり。その中でも、やはりトルコのEU加盟は気になるところのようだった。

何十年も前から西欧化と近代化を目指していたトルコにとって、EU正式加盟は一つのゴールと言っても過言ではない。
言語に関してもトルコ文字も捨てて、ローマ字表記をしてるくらいだし。(だから日本人にとって、トルコ語は比較的習得しやすい言語といわれる。トルコでも、日本語は人気のある外国語のひとつだ)

ここ何年かトルコのEU正式加盟についても積極的に話し合われているが、最近オーストリアが「えー、トルコは準加盟国でいいじゃん?」とごねていたため、暗礁に乗り上げそうになっていた。
それが一転、オーストリアが態度を軟化させたらしい。

もともとEU加盟国の間には、イスラム教の国に対する懐疑的な意見があった。
イスラム教原理主義者の起こしている一連の事件のせいもあるだろうが、その前に、昔から、キリスト教でなくイスラム教を国の宗教としているところは「ヨーロッパ(ていうか、西洋)」と認めない・・・というような風潮があったりもする。
EU加盟で、裕福なキリスト教国がイスラム教国と肩を並べていけるのか、という問題が浮き彫りになっていたわけで。

オーストリアが最後まで反対してた・・・というのは、別にウィーン包囲の恨みがあったわけじゃないよね? なんて、私は穿った見方もしているけれども(笑)

これでトルコは正式加盟に向けて交渉を開始できるわけだけれども、それらがすべてスムーズにうまくいったとしても、実際に加盟できるのは早くて10年後。
「西洋」の仲間入りをするために、まだまだ道のりは長い。

話は戻るが、私のトルコびいきの友人。
トルコ人の彼氏はどうなったのやら?
EU加盟問題よりも、個人的にはこっちのほうが気になるんだけども。

ピンクリボン

2005年09月23日 | ニュースな毎日。
去年辺りから、「ピンクリボンフェスティバル」というのをよく目にするようになった。
10月1日から乳がんが始まる。
「乳がんの早期発見・早期治療を促しましょう」というキャンペーンなのだが、そのシンボルが「ピンクリボン」だ。(くわしくはこちら

Gooのブログでも、先日それをデザインにあしらったテンプレートが登場。
使ってみようかな、と思ったものの、ちょっとデザイン的に抵抗があったり、使い勝手があまり良くないような気がしたりして、テンプレの使用はみあわせているところ。趣旨に賛同してはいるんですけどね。それとこれとは別なので・・・。

ところで、乳がんは女性特有のものと思われてはいないだろうか?
実は、乳がんは男性もかかるものだ。

胸の部分に出来た腫瘍を「乳がん」と呼ぶわけで、男の人だって乳があるんだから、乳がんになる確立はゼロではない。ただ、体の構造上、女性のほうが圧倒的に乳がんにかかりやすいというだけの話。

数年前のタイムだかニューズウィークだかで、実際に乳がんにかかった男性の記事が載っていた。
「女性だけの病気かと思っていたのに・・・ショックだった」
と、こぼす男性の談話が印象的だった。
その人は早期の段階で見付かったので、(左か右か忘れたけど)乳首を切除しただけで転移の心配もなく退院したそうだが、やっぱり、男の人でも乳首がないのは精神的にキツイ、と彼は語っていた。

ともかく、健康には気をつけましょう・・・。

さよなら、火サス。

2005年09月20日 | ニュースな毎日。
この9月いっぱいで、日テレ系の「火曜サスペンス劇場」が終わってしまう。
今日の放送を含めて、あと二回?
実はサスペンス番組好きの私だが、まるで私の青春時代が終わってしまうかのような気がしてならない・・・。
1981年から放送開始ということなので、実に24年?

ある意味かなり歴史ある番組が打ち切られる理由が、「視聴率が取れないから」だという。絶頂期には30パーセント超えてた頃もあったようだが、最近では平均10パーセント程度だったらしい。

確かに往時に比べれば数字的に劣るものの、テレビ離れが進んでいる中で、10パーセントも取れればいいほうなのではないかと思えるのだが・・・。

視聴率うんぬんの前に、「ネタギレ?」って気がしなくもないんだけど。

好きなシリーズもたくさんあったのに、もう見れなくなるんだな・・・と思うと、ちょっと寂しい。
ともかく、24年間、ありがとう。

来月からは「DRAMA COMPLEX」とかいう番組になるそうで、時代劇やコメディ、ラブストーリーも織り交ぜていくそうで・・・。
この英断が、吉と出るか凶と出るか。

あのテロから一年。

2005年09月03日 | ニュースな毎日。
この日はロンドン郊外に住む元ホストファミリーのところに遊びに行ってきた。
お宅にお邪魔して、ディナーが出来るまでの間しばらくテレビを見ていたら、あるニュースが流れてはっとした。

ロシアのベスランという町の小学校に、チェチェンの武装テロリストが立てこもり、父兄と児童を人質に3日間篭城して爆発・炎上した事件。あの凄惨なテロから、9月3日でちょうど一年。
一年しかたっていないのか・・・、と正直驚いた。なんだか、もう何年も前のような気がするのだけれど。いろいろありすぎたからだろうか。

爆音と怒号、そして何故か裸で逃げる子供たちの映像は記憶に新しい。
犠牲者331名のうち、186人が子供だった。
3日間の間犯人グループは小学校に立てこもり、人質となった子供たちは、ずっと飲まず食わずで過ごした。灼熱の暑さとテロリストたちの脅迫に耐え、最後は犯人グループの持っていた爆弾が炸裂。その騒乱に乗じたロシア軍の強行突破で事件は幕を閉じた。

後日、BBCが制作した「ベスランの子供たち」とかいうタイトルのドキュメンタリーを見た。事件に巻き込まれて奇跡的に助かった子供たちは、精神的になんのケアもされてないのではないかと思えるほどに暗かった。

「ロシアは貧しい国だけど、ベスランは別。事件に巻き込まれた人たちには1万5000ルーブルの保障が出るから。もしこれから先、何かあって死んだとしたら、2万ルーブル出るよ。入院している間、病院に有名なサッカー選手が来て、事件に巻き込まれて入院してる人全員に1万5000ルーブルずつ出していってくれたけど、人の命をお金で何とかしようというのが、僕には理解できない」

「私は大人になったら、大統領になりたい。あんなひどいことをしたテロリストを見つけ出して、八つ裂きにしてやる」

「ベスランは平和で幸せな街だった。なのに、あの事件のあとはすっかり変わってしまった。もう僕らは幸せな子供じゃないんだ。友達も大勢亡くなってしまった」

・・・と、10歳やそこらの子供たちが、本気で語っているわけである。
はっきり言って言葉も出なかった。
現実とは辛いものである。

この事件、何が原因で起こったのかというと、かなり背景は複雑。
もともとチェチェンとロシアの相容れない関係も災いしているし、地元で半世紀以上に渡って敵対していたという民族との問題も絡んでいる。
結局、問題が複雑すぎて事件の根本が見えないまま、一年がたってしまったという印象。
事件の見直しがきちんとされてないような気がするのだが・・・そこら辺がはっきり言って不気味。
イラク問題やらイスラム系過激派に目を奪われがちだが、実はロシア問題も何の進展も見せていない。
ロシアのプーチン大統領は、アメリカ以上に何をたくらんでるのかよくわからないし。不気味だ。

もうムダに血が流れるのは見たくないな・・・と思うのだけれども。

【参考】
http://www.janjan.jp/world/0410/0410159754/1.php
http://tanakanews.com/e0928russia.htm

金庫破り

2005年08月10日 | ニュースな毎日。
【8月9日付 ヤフー海外ニュースより】
トンネル掘り72億円盗む ブラジル、過去最高額
北東部セアラ州のブラジル中央銀行フォルタレザ支店で8日、金庫内部の床に穴が開き、現金約1億5000万レアル(約72億円)が盗まれているのを出勤してきた職員が見つけた。ブラジルでの金庫破りでは、過去最高の被害額という。


金庫破り・・・映画の中でしかきいたことがありませんが、実際、やろうと思ったらできるもんなんですね。
それもこの犯人グループ、3ヶ月かけて銀行近くの借家から80メートルも地下を掘り抜き、銀行の金庫室に忍び込んだんだそうな。
ルパンもオーシャンズも真っ青っすね。

その執念をほかの事に使えば、もっと世の役に立ちそうなことができる気がするんですけどね。
惜しい。(←何がだ)