日本カナダ文学会公式ブログ

日本カナダ文学会の活動と紹介

NEWSLETTER 72

2019-10-01 | Newsletter

NEWSLETTER 

THE CANADIAN LITERARY SOCIETY OF JAPAN 

L’association japonaise de la littérature canadienne 


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Number 72 

Fall, 2019

 

会長挨拶

日本カナダ文学会会長 佐藤 アヤ子 

秋の気配を感じるようになりました。会員の皆様にはますますご活躍のこととお喜び申し上げます。 NEWSLETTER 72 号をお届けします。

今夏は、台風、豪雨と相次いで災害が日本各地で発生し、被災された会員の方もいらっしゃるのでは ないかと案じております。深くお見舞い申し上げます。

さて、白井澄子会員のご協力をいただき、6 29 日(土)に白百合女子大学で開催された第 37 回年 次研究大会・総会はおかげ様で成功裏に終了することができました。本大会では、午前の部で研究発表 を二つ、午後の部で「カナダの短編小説」(Canadian Short Stories)のシンポジウムを組みました。カ ナダの短編小説はAlice Munroに代表されるようにカナダのおはこ。大変良い勉強の機会となりました。 発表者、並びに司会者の方々、お疲れ様でした。御礼申し上げます。

また大会では、ケベック州政府在日事務所、C. J. Armstrong 会員のお力添えをいただき、ベトナム系 作家の Kim Thúy 氏と Saint Mary’s University 准教授で作家の Alexander MacLeod 氏を特別講演者に 迎えすることができ、いっそう充実した大会になりました。Thúy 氏は 2009 年にカナダ総督文学賞を受 賞。MacLeod 氏は 2019 年のオー・ヘンリー賞を受賞しています。

大会後、Thúy 氏とノンフィクション作家の吉岡忍氏との対談、MacLeod 氏と作家のドリアン助川さ んとの対談が、それぞれ聖心女子大学とカナダ大使館で行われました。吉岡さんと助川さんが、はから ずもこの二人のカナダ人作家の小説作法に言及されたのは、興味深かったです。吉岡氏はキムさんの『小 川』をこう分析します。「普通、小説は時系列に沿って物語が展開されていく。時制を故意に混乱させる 方法もあるが、『小川』はそれでもない。折々に記憶が喚起され、連なっていく。それゆえにパッチワー クのような作品を形成する」と。そして、この小説作法が昨年のニュー・アカデミー文学賞候補の理由 となったとキムさんは言います。助川さんは、「マクラウドさんの短編はひとつの長編詩として読むことができる。説明としての文章 ではなく、ほとんど詩的描写として登場する。短編を輝かせるための不可欠な技法である」、と言います。小説家であり、詩人でもあるドリアン助川さんだからこそできる分析かもしれません。これら二つ の対談は、研究者である私たちにとって大変示唆に富んだものでした。 

9 月に駆け足で、トロント、シャーロットタウン、バンクーバーと巡ってきました。Margaret Atwood の新作で、9 10 日発売の The Handmaid’s Tale の続編 The Testaments が、どこでも話題になってい ました。

会員の皆様の一層のご活躍をお祈りいたします。 

 

日本カナダ文学会 第37回年次研究大会を振り返って
副会長 松田 寿一

今大会は白井澄子会員のお力添えにより、調布市の郊外にある白百合女子大を会場に行われました。 当日の朝は、時節柄、小雨がときおりちらつきましたが、梅雨のない北海道からこの時期の本州を訪れ ると、こうした温暖湿潤な気候にどこか懐かしいような、妙な落ち着きを覚えます。もっとも、短い滞 在だからかもしれませんが。

さて、本大会も、午前の研究発表、二人の招聘作家の講演会、そしてシンポジウムと大変充実したプ ログラムとなりました。とりわけ、“Canada, My Home Country”という題目でお話しくださったKim Thúy 氏、Alice Munro とカナダの現代短編小説について講演くださった Alexander MacLeod 氏、そし て改めてお名前を挙げることはしませんが、お二人をお招きする際にご尽力をいただいた方々や機関等 に深く感謝いたします。6 年ほど前のことになりますが、札幌で第 31 回大会が開催されたとき、一般の 聴衆の方が、「一日だけの研究大会なのに、まるで小さな国際学会のようですね」と感想を述べられたこ とを思い出します。その時は、詩人の Roy Miki 氏、映像作家で故 Roy Kiyook 氏のご令嬢のお一人 Fumiko Kiyooka 氏が来札しました。その後も、ほぼ毎年のようにカナダからのゲスト講演が実現したこ とは何と贅沢な、そして、会としてとても誇らしいことだと思います。

Kim Thúy 氏はベトナム戦争当時、ボートピープルとしてカナダ政府に受け入れられ、その後の氏の 人生は大きく変わりました。それまでの苦難を、ときおりユーモアを交えながら語る氏の話を聞きなが ら、ふと Anne of Green Gables を思いました。マシュウとマリラに受け入れられた時、アンもまた戦災 孤児や難民となった人々と同じように運命の転換を迎えたのでした。Alexander MacLeod 氏は、Alice MunroMargaret Atwoodの例を挙げるまでもなく、短編小説というジャンル、そしてそれに関する 批評活動においてもカナダでは近年、とみに隆盛であること、しかし必ずしもそれに見合うだけの広い 読者を得てこなかった事情を Munro の文学活動の経歴を辿りながら、丁寧に説明されました。MacLeod 氏からは、この度の来日の思い出を語る心温まるエッセイを寄稿いただいています。(ちなみに Kim Thúy 氏から寄せられた原稿は紙幅の関係もあり、次号春号で掲載されるとお聞きしています)。

研究発表、シンポジウムにおける各発表、それぞれがすぐれたものでした。本学会顧問の堤稔子先生 が出席され、皆さんと歓談できたこともうれしいことでした。9 月になり、こうして時が経って振り返りますと、白百合女子大キャンパスのしっとりとした森のたたずまいも思い出されます。正門からチャペ ル鐘楼のある 3 号館会場への小道の両側はうっそうとした緑が囲んでいるのですが、懇親会場へ向かう 雨上がりの夕暮れ時、かぐわしい濃緑の中に、群青の花房をピンクの萼片が包む額紫陽花がところどこ ろに映えていました。うっとうしいはずの梅雨の時期に毎年本大会は開催されますが、皆さまのおかげ で今年も爽やかな、すばらしい時間を過ごすことができました。ありがとうございます。

 

第 38 回日本カナダ文学会年次研究大会のお知らせ 

「第 38 回日本カナダ文学会年次研究大会」は、室 淳子会員のご協力で、2020 年 6 月 20 日(土)に名 古屋外国語大学(愛知県日進市)で開催されます。大会のシンポジウムのテーマは「カナダのグラフィ ック・ノベルズ」です。午前の部の研究発表、及びシンポジウムの発表者を募ります。発表希望の会員 は、佐藤アヤ子会長(ayasato@eco.meijigakuin.ac.jp)までご連絡ください。 

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37 回研究大会概要 <研究発表>(Research Presentations)

<1> 揺らぐ家族像と不気味なものたち―HriomiGotoHopefulMonsters Unsettling the Family Image and the Uncanny: Hiromi Goto’s Hopeful Monsters

(岸野 英美会員)

本発表では、カナディアン・ゴシック文学の系譜に位置づけられることもあるヒロミ・ゴトー(Hiromi Goto, 1966-)の短編集『ホープフル・モンスターズ』(Hopeful Monsters, 2004以下『モンスターズ』 と表記)の家族と家族に関わる怪異の存在に着目し、ゴトーがいかに典型的で伝統的な家族像や既成概 念を揺るがそうとしているかを探った。『モンスターズ』で描かれる不気味な化け物たちは、それぞれの 作品で重要な役割を担うものとして登場する。例えば「キャンプ・アメリカーナ」(“Camp Americana”) では、主人公のマサヒロの前に化け猫やろくろ首が現れる。従来の男性中心的な家庭像を当然のものと 考えるマサヒロが遭遇したこの化け物たちは、カナダで対等な立場にあるマサヒロの息子夫婦や自由奔 放な孫たちとの交流から生じたマサヒロの中の歪みであり、それが大きな恐怖となって表れたものと言 える。女性特有の授乳や育児、母と子の関係性の苦悩が描かれている「胸の話」(“Tales from the Breast”) や「川の向こうから」(“From across a River”)には、母親が精神的に追い詰められた人間、つまり通常 の世界の枠組みや常識から踏み出しかけた人間として登場する。これは母親たちが従来担うべき役割や規範意識が、いかに異質なものであるかを浮き彫りにしていると言える。「臭い少女」(“Stinky Girl”) には、ネズミのように底辺を這い回り、家族や周囲から疎外され続けた大柄で臭い女が登場する。彼女 の物語には、時間を経て規範化された五感に対する固定観念をも覆す可能性が示唆されている。表題作 「ホープフル・モンスターズ」(“Hopeful Monsters”)には両性具有を彷彿とさせる女系家族が描かれて いる。一つの身体に両性を具有させる存在は、異性愛と同性愛の二項対立以上に、規範そのものが存在 する社会を揺るがす可能性をも持っている。以上のように日本人に馴染み深い妖怪やゴトーの新たな視 点が加わった化け物が登場する『モンスターズ』において典型的な家族像や家族の在り方そのものの常 識、ジェンダー・ロールが問い直される。『モンスターズ』は現代のオルタナティヴな家族像とその可能 性が示唆される作品と言えるだろう。

<2> マーガレット・アトウッド作品における T. S. エリオットの影響 《The Influence of T. S. Eliot on Margaret Atwood’s The Circle Game

(出口 菜摘会員)

批評家 Linda Hutcheon は、間テクスト性やパロディーによって、著者による権威的な単一の意味が、 再考されると述べている。T. S. Eliot の作品は、The Waste Land (1922)に顕著なように、多くの引用に よって構成されており、ハッチョンの指摘は、アメリカからイギリスの文壇での地位を獲得しようとし た、エリオットの戦略として読める。とすると、1920 年のイギリスで、エリオットが文壇の地図を書き 換えようとした身振りを、1960 年代のカナダにおいて、Margaret Atwood はどのように受け取ったのか という疑問を本発表の出発点とした。

まず、カナダにおけるエリオット受容について、1960 年代当時の批評状況を辿り、アトウッドがエリ オット作品をいかに受容したのかを確認した。アトウッドの第一詩集 The Circle Game (1966)には、ギ リシア神話や伝承・説話が織り込まれており、神話と作品世界が並置されている。一見したところ、エ リオットと同じく「神話的手法」が用いられているように見えるが、フェミニズム批評が明らかにして きたように、60 年代に入り、女性詩人による神話の見直しや書き換えが行われてきたことを踏まえ、本 発表では両者の相違を指摘した。

具体的にはNorthrop Fryeの存在に注目し、彼の神話批評がエリオットとアトウッドを繋ぐ蝶番のよ うな役割を果たしていることを論じた。その上で、「場所と空間」を軸に、アトウットがエリオットの詩 論を変容させていったことを確認し、アトウッド作品における認識地図と空間形成の方法を浮かび上が らせた。アトウッドは、フライの神話批評の空間把握を契機として、カナダ、もしくは地球規模の空間 を形成していった。エリオットがアトウッドに与えた影響は、フレーズや神話的手法の使用という修辞 レベルにとどまらず、空間の把握において、反転するかたちで、アトウッドに影響を与えたと結論づけ た。

 

<特別講演>(Special Guest Lecture) 《Canada, My Home Country


講演者 (Lecturer): Kim Thúy 氏(作家) 司会・報告 (Chair / Reporter) : 佐々木 菜緒会員

“This is what I wanted....this was how I wanted my life to be: Alice Munro and the Contemporary Canadian Short Story

講演者 (Lecturer): Alexander MacLeod 氏(作家・St. Thomas University 准教授) 司会・報告 (Chair / Reporter) : Armstrong, C. J. 会員

今号には Alexander MacLeod 氏が 6 月から 7 月にかけて日本を訪れた際の印象を綴ったエッセイを寄 せてくださいました。次号では Kim Thúy 氏による特別寄稿を掲載予定です。どうぞお楽しみに。


シンポジウム (Symposium)

カナダの短編小説《Canadian Short Stories


司会 佐藤 アヤ子会長

<発表1> アレクサンダー・マクラウドの短編―錆びゆく土地の霊― 《Alexander MacLeod's Stories: Genius Loci in the Dark and in Decline

(沢田 知香子会員)

Alexander MacLeod10年以上にわたって執筆した7編の物語は、2010年、短編集Light Lifting として刊行された。それぞれ独立した物語ではあるが、そこに“connections”を見いだすことは可能だと、 ある取材でマクラウドは述べる。実際、7編の物語で描きだされる多様な人々の人生ドラマは、ばらば らの点ではなく底流で繋がっているように思える。それは、収録作のひとつ “The Loop”で、主人公の少 年が地域の老人や病人に薬や日用品を配達するため、それぞれの地点をつなぐルート−−即ち「ループ」 −−を、日々、頭の中で描く行為にも似ている。この指摘を皮切りとし、本発表では、7編の物語とそこ に現れる人物たちを繋ぐ土地の役割をクローズアップし、「ループ」に加え、ミシガン・セントラル鉄道 トンネル、デトロイト・リバー、3号線などによって表象される「土地の霊」というテーマを提示した。 これと密接に関連する「身体」というテーマに注目し、表題作 “Light Lifting”“Miracle Mile”“Adult Beginner I”を個々に取り上げ、人生を変えるような“moment”に直面し、“the other side”(向こう側) を視界に捉えながら、ときに暴力的な“undertow”と化した「土地の霊」に引き戻され、ときにその「土 地の霊」と一体化し、ともに錆びゆく人々の姿を分析した。これらの具体例を通して、地の文の“flow” を邪魔せずに挿入される会話文、緻密で鮮明な「身体」の描写や二人称の効果的な使用によって生み出 される“immediacy”や“intimacy”といった語りの特徴や技にも言及した。最後に、短編集を締めくくる、 家族の悲劇を描いた“The Number Three”を取り上げ、“home” −−「土地の霊」の別名とも言えるだろう —というものから“hope”と“curse”の両方が立ち現れるのではないかという問いかけにより発表を閉じた。

<発表 2> マーガレット・アトウッドの Stone Mattress: Nine Wicked Tales 「老い」と「死」と「ぞっとするような笑い」
Margaret Atwood’s Stone Mattress: Nine Wicked Tales—Death, Aging, and “Shocking Laughter”

(戸田 由紀子会員)

本発表では、マーガレット・アトウッドの短編集 Stone Mattress: Nine Wicked Tales に集録されてい る9つの短編に共通する「老い」と「死」のテーマについて考察した。アトウッドはインタビューで、 単なる「想像」からではなく、自身が「老い」を「生き抜いてきた」からこそ「老い」と「死」につい て書けるのだと説明する。また、老人に焦点を当てる大きな魅力に、「復讐」について書けることを挙げ ている。長く生きていると、「人は皆誰もが心底殺したいと思うような人が少なくとも一人はいる」から だ(CBC Extended Interview)。本作のノヴェラとして読める最初の3編の物語と “The Dead Hand Loves You” “Stone Mattress” は、「老い」と「死」に加えて「復讐」がテーマとなっている。これら 短編の主人公たちは、自分たちの人生を振り返り、半世紀以上抱き続けてきた恨みを晴らす。「復讐」は、 人生の終わりを意識しているからこそ実行される「終活」として提示されている。身体的・精神的な衰 えや「孤独」が強調されてきたこれまでの英語圏文学作品とは異なり、Stone Mattress は「老い」や「死」 の喜劇的側面を強調し、身体的には衰えても、精神的には衰えることのない老人たちの姿をコミカルに 描き出す。本書の短編には、 “wicked tales” というサブタイトルが示唆するように、不道徳さや邪悪 さと同時に、いたずらな遊び心があり、またそこには、「ぞっとするような笑い」がある。本発表では、 タイトルストーリーである “Stone Mattress” に焦点を当て、この短編がどのように「老い」と「死」を 描き出しているかを具体的に考察した。

“Stone Mattress” は、老いても未だ衰えることのないウィットと “devious mind” でもって 5 人の 男性を殺害する主人公 Verna の物語である。そこには、能動的に「死」と向き合う Verna の「老活」と 「終活」の物語がある。「死」は終着点ではなく、周りに新たなインパクトを与え得るものとして提示さ れている。そして Verna の物語が “wicked tale” として語られることによって、物語の最後まで、また 人生の最期まで、何が起こるか分からない “playfully mischievous excitement” とそれに伴う「ぞっと するような笑い」を提供していることを明らかにした。

 

<発表3> アリス・マンローの短篇小説 《Alice Munro’s Short Stories

(松本 朗会員)

Adrian Hunter, The Cambridge Introduction to the Short Story in English (Cambridge UP, 2007)は、 短篇小説史を英語圏文学という広いパースペクティヴで捉えてみせる好著である。本発表では、Hunter の顰みに倣いアリス・マンローを英語圏文学の作家と見なした上で、最近の「メタモダニズム研究」(David James and Urmila Seshagiri, “Metamodernism: Narratives of Continuity and Revolution” [PMLA, vol. 129, no. 1])の観点から、マンローの短篇小説をヨーロッパのモダニズムと関連を有するメタモダニ ズム的テクストとして論じる。それによって、コスモポリタンな作家としばしば見なされるマンローが、 1920 年代イギリスの盛期モダニズムの形式を引用しつつ、内容の上では、マンロー自身の時代の歴史的 文脈とその社会・政治的問題を表象していることを明らかにする。

具体的に取り上げるのは、“The Peace of Utrecht” (1960)“The Ottawa Valley” (1974)“Comfort” (2001)という、病をテーマとする共通点を有しながらも、年代に応じてそのテーマを歴史化していると思 われる 3 編の自伝的作品である。“The Peace of Utrecht”において、マンロー自身を彷彿とさせる語り手 は、パーキンソン病の母親を「モンスター」の様相を帯びた病人であり、家族にとっては恥ずかしい存 在であったと語るが、14 年後に発表された“The Ottawa Valley”では、パーキンソン病を患う母の思い出 を語る語り手自身の心情が、病をスティグマと見なす社会の偏見に満ちた考え方を内面化するものとし てメタ的かつ批判的に浮き彫りにされる。このような変化は障害学研究(Disability Studies)の進展を 思わせなくもないが、マンローの形式と内容両面に跨がる実験は、むしろ “Comfort”において非凡な展 開を見せる。“Comfort”では、娘が表象を試みる決して届くことのない母の内面は、ある種のモダニズム 的瞬間の遅れた顕現として想像的にあらわされるのだが、重要なのは、その瞬間は 1920 年代の盛期モダ ニズムの時代にそうであったような個人の美的な瞬間というよりはむしろ、個人と共同体の関係を再構 築し、共同体の再編成を促すものとなっている点である。その意味において、マンローの短篇小説は、 狭義のカナダ文学というよりは、ヨーロッパとの関係を含む英語圏のメタモダニズム的テクストと考え ることができるだろう。


<特別寄稿>(Special Article)

Alexander MacLeod

In June and July of this year, I visited Japan as a guest of the Canadian Literary Society of Japan. The trip was a busy, but wondrous experience for me. Over the course of two weeks, I spoke at the society’s annual conference in Tokyo and then lectured at a series of different universities in Niigata, Nagoya and Osaka. The journey concluded with a spectacular event: a special presentation and an on-stage interview with Durian Sukegawa at the Canadian Embassy in Tokyo. My wife, Crystal, and I saw a lot in Japan as we travelled, often via Shinkansen, from place to place. It truly is a beautiful country−−the landscape and the culture are stunning−−but the thing I will remember most are the people I met. They were somehow even more impressive than the country itself and I know that the relationships I established during this intense time are the true treasures I am carrying back from Japan.

First and foremost, I owe a profound debt of gratitude to my friend and colleague, Dr. Chris Armstrong of Chukyo University. He was the key organizer of the trip and I will never forget how hard he worked on my behalf or the true hospitality he and his family (a gifted troupe of singers and dancers!) shared with us. Professor Emeritus, Ayako Sato, President of the society and a board member of the PEN JAPAN club, was equally important and I appreciate the special care she took to ensure the success of both the conference and the embassy event.

Though I never saw it coming, one of the most powerful moments of my writing life jumped up and surprised me during that conference. As I sat there in a hot classroom listening to Professor Chikako Sawada deliver her wise and nuanced analysis of my work, I felt a kind of renewed faith in the power of literature and the way that it can cross boundaries of language and culture and distance. Though Professor Sawada and I grew up on opposite sides of the planet, it was amazing to me, and immediately obvious, that she understood my stories at the very deepest levels and was even able to see elements in them that I had never noticed before. This is a strange and inspiring experience for a writer, a rare gift, and I want to thank her for that.

My colleague, Professor Yoko Araki, from Keiwa College could not have been any nicer to us as she and her daughter, Marie, toured us around their hometown of Niigata and showed us the famous aquarium with its North American beavers and its prized performing otter. Similarly, Dr Genichiro Itakura of Kansai University was equally kind as he and his wife shared a day touring us around Kyoto. All the students I met and the staff from the various universities and publishing companies were very kind and we shared many great conversations. For our final night, Reiko Shimizu, from the Canadian Embassy, organized a stellar event with a packed theater and a beautiful reception. It was a magical evening−−a true once-in a lifetime event−−and I was glad that our trip ended with such a crescendo.

I hope all these people know how much I appreciate the efforts they made on my behalf. As we parted after our last dinner together, I told Mr. Sukegawa and Professor Sato that they can always count on me as a good friend in Canada. The same goes for all these people. I hope we can see each other again soon, in one home or the other, and I look forward to building many more happy memories.

 

36回日本カナダ文学会 2019年度総会

総会:2019年6月29日(土)13:00~13:20 
(会員総数64名中31名出席、委任18名;総会成立) 


[報告事項]

1)2020年度年次研究大会の件

開催日:2020年6月20日(土) 
開催場所:名古屋外国語大学(愛知県日進市) 
シンポジウムテーマ:グラフィック・ノベルズ 

2)『カナダ文学研究第26号』の発行の件

3)Newsletter 70号と71号発行の件

4)2018年9月15日、日本カナダ学会学術賞 日本カナダ学会特別賞を受賞

対象書籍は、『ケンブリッジ版カナダ文学史』 

5)ケベック州政府在日事務所賛助会費・在日カナダ大使館賛助会費状況

6)その他

[審議事項]

1)『カナダ文学研究第27号』紀要締め切りと発行時期の件

投稿申込み締切7月末・投稿締め切り9月末・年内発行

査読の厳正化(次号に回す可能性も検討)

費用がかさむ場合には、執筆者の負担を含む 

2)NL72号・73号発行の件 編集委員に荒木会員を追加

3)2018年度・2019年度会計報告(別紙参照)

4)新入会員・退会会員(敬称略)

新入:大槻志郎(龍谷大学非常勤講師)、丸山由利(さいたま市立七里中学校)、 巖谷薫(早稲田大学大学院)

  退会:笹井悦子、山口知子、Dawn Michele Ruhl 5)2020年は役員選挙年

6)その他


〈訃報のお知らせ〉

作家で、Margaret Atwood の長年のパートナーであった Graeme Gibson 氏が、9 18 日に UK の ロンドンで他界されました。ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。


事務局からのお知らせ

<新入会員紹介>

巖谷 薫(早稲田大学大学院 博士課程、東京農業大学 非常勤講師)
修士論文では
Elizabeth Bishop(20 世紀、カナダ生まれのアメリカ詩人)の詩における自然表象に ついて書きました。博士論文では Margaret Atwood 作品の自然表象について書く予定です。フェミ ニズムと環境批評の接点に興味を持っています。カナダや Atwood について、ぜひご教示ください。

大槻志郎 (龍谷大学 非常勤講師)
3 月に龍谷大学を早期退職し、今年度は非常勤です。主にグレアム・グリーンを読んできて、この 頃は広く短編小説一般に興味があります。カナダ文学は、マイケル・オンダーチェを知って意識し 始め、アリステア・マクラウドにも惹かれるようになりました。素人同然ですが、よろしくお願い します。

丸山由利(さいたま市立七里中学校) 東京二期会準会員でもある私は、音楽と文学のつながりを研究しております。昨年度はモーツァル トのオペラとして有名な、ボーマルシェ『フィガロの結婚』について、オペラと原作を比較した論 文を書きました。カナダ文学会においてもその音楽と文学のつながりを探求できればと思っており ます。よろしくお願いいたします。 

<退会者>

笹井悦子 山口知子 Dawn Michele Ruhl

<学会費のご案内>

2019 年度の学会費がお済みでない方は下記の口座までお納めください。なお、2018 年度以前の学会費 がお済みでない方は合わせてお振込み頂けましたら幸いです。

振込先: 郵便振替口座: 00990-9-183161 日本カナダ文学会 銀行口座: 三菱 UFJ 銀行 茨木西支店(087) 普通 4517257

日本カナダ文学会代表 室 淳子

正会員 7,000 円  学生会員 3,000 円

編集後記

昨年の Tony Tremblay 氏に続き、今年もカナダ沿岸州から Alexander Macleod 氏をお招きできました。 お二人が敬愛する沿岸州出身の文人の一人に Alden Nowlan(1933-1983)という詩人がいます。個人的 に私も関心を寄せてきた詩人の一人でしたが、これまでなかなか読む時間がとれずにいました。ところが一作年、彼のCollected Poemsが出版されたことなどをTremblay氏来日の際にお教えいただき、興 味が再燃しました。先日、その Nowlan の詩をアメリカ詩人やカナダ作家が朗読する企画などが盛り込 まれたドキュメンタリー(2004 年製作)を観る機会がありました。アメリカ詩人 Robert Bly が Nowlan の詩を絶賛し、自ら選詩集まで編んでいたことは知っていましたが、フィルムには彼の他にビート詩人 Allen Ginsberg による朗読、さらにカナダ作家 David Adams Richards や Mordecai Richler、そして驚 いたことに、 Alexander Macleod 氏の父君 Alistair MacLeod も彼の詩を数篇朗読し、Nowlan につい て語っていました。沿岸州の過酷な生活や土地に対する濃密な思い、魂の故郷スコットランドへの憧憬 や記憶を通して、人間にとって本当に大切なものを静かに、そして力強く問う Alistair MacLeod の作品 は、確かに Nowlan の詩の世界に通じています。Nowlan と Macleod 父子との精神的なつながりを垣間 見ることができたことは、この夏の思いがけない喜びでした。 (M)

6 月の大会は、Kim Thúy さんと Alexander MacLeod さんというすばらしい作家お二人をお迎えし、 雨の日ではありましたが紫陽花の色も映える白百合女子大学のきれいなキャンパスの雰囲気ともあ いまって、カナダ文学会らしい、心地よく充実した大会でした。後日、会長のお声がけのおかげで、 ご都合のついた会員のお仲間とともに、カナダ大使館でのマクラウドさんの講演会に参加すること ができ、また充実のひとときを過ごさせていただきました。8 月、ばたばたと学期末の仕事を片付け てエディンバラに飛び、国際ブック・フェスティバルでいくつかのトーク・イベントに参加しました。 幸運にも、カナダの作家 Miriam Toews Women Talking をベースにした theatrical performance を観 ることができました。パフォーマンス後に脚本家や役者、作家自身の話もあり、多くの参加者の心を掴 んだイベントでした。サイニング・テントで Toews さんと少しお話しできましたが、とてもチャーミン グな方でした。エディンバラに続き、トロントのブック・フェスティバルで Women Talking を上演予定 とのことでした。日本でも観られる機会があればステキだろうと思ったことでした。 (S)

 

NEWSLETTER THE CANADIAN LITERARY SOCIETY OF JAPAN 72号 発行者 日本カナダ文学会

代 表 編 集 事務局

佐藤アヤ子
松田寿一&沢田知香子
& 荒木陽子 名古屋外国語大学 現代国際学部
室 淳子(副会長)研究室
470-0197 愛知県日進市岩崎町竹ノ山57 TEL: 0561(75)2671
EMAIL: muro@nufs.ac.jp

http://www.canadianlit.jp/

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会長連絡先

EMAIL: ayasato@eco.meijigakuin.ac.jp

学会ホームページ: https://blog.goo.ne.jp/

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