鴨旅日記・自分流で行こう!

かもねぎの、旅とグルメと街中ボラボラ、多少の台流、鉄分少々、
プラス・日々常々の生活の、たわいもない日記・・・

九份・金瓜石への旅・・・その1

2007-05-10 12:14:37 | 台湾流-旅行記---台北近郊
今日は、前から行きたかった九份(きゅうふん・中国語発音「ジョウフェン」)へ向かいます!
まずは九份の玄関口である瑞芳(レイファン)駅までの莒光号乗車券を購入~。
台北から瑞芳まで約50分の列車旅。




瑞芳駅に着きました~。私はよっぽど疲れていたみたいで、莒光号の列車ん中ではずっと寝てたようです。途中の車窓風景とか全然記憶にありません。ふと目が覚めたら列車は下車駅である瑞芳駅に着いていたのでした。
ヤバかった、乗り過ごすとこやったし…(^_^;)。


瑞芳駅のホームでは「べんと~~」という大きなかけ声が聞こえてきます。
これは弁当売りなんですよ。
台湾では日本統治時代からの弁当文化があって、瑞芳駅のように駅弁があるところもあるんです。
台湾式中国語で弁当は「便當(ピェンダン)」と言うんですが、弁当売りが「べんと~」と言ってるんで、日本語のまんま「ベントウ」という言葉が通じるんかもしれない。




瑞芳駅を降りて駅の売店で金瓜石一日券というのが売られていたので購入します。
売店のおばちゃんが身振り手振りでこの券の使い方を一生懸命親切に中国語で説明してくれました。
おばちゃんが言うてたのは・・・・
この券でバスに4回乗れる。バスに乗る時は運転手にこの券を渡してパンチを入れてもらう・・・ってことだったんですよ~。
私の中国語力では半分くらいしか理解出来ないんですけど、不思議なもんで、おばちゃんが言いたいとしている言葉(中国語)が全部理解できるんです。
とっても気さくな感じの親切なおばちゃまでした。

ちなみに黄金博物園区の施設入館料と、九份・金瓜石へのバス代込みで100元。黄金博物園区だけでも80元するし、瑞芳~九份のバスは片道21元だから、わりとお得なチケットです。





台鉄の瑞芳駅です。夜はきらびやかな電飾が輝くと思われ・・・。
瑞芳駅前から九処ヘへ行く基隆客運のバスが出ています。列車と接続していた便だったため、バスは観光客でごった返してました。

九份までの道のりは、坂道と急カーブの連続です。
バスの運転はとても荒く、カーブでもスピード上げたまんま走り抜けるので、立ってる乗客はみんなよろけまくり。私が座る席のそばに立ち、カーブのたびに倒れそうになってた若い日本人女性を見かねた私は「危ないからここ座って・・・」と言って席を譲りました。
するとですよ、その女性は私に「謝謝(シェーシェー)」と・・・(・・;)
日本語のうまい台湾人と思われたようです(^^;)




バスは九份の街に到着しました。九份観光の最寄りバス停は九份バス停ではなく、九份バス停の先の「舊道(旧道)」バス停です。
ちなみにバスは「次はどこどこ~」と言った車内放送が無く、車両前方上に停留所表示器ついてるだけなので、これが逆に間違いのネックになってるんですね(^_^;)
間違えるのは日本人だけでなく、台湾人客にも多かったです(^^;




バス停近くにある展望台からの景色。いあ~、イイ感じです~(^^)/。

九份という街が注目されたのはここ20年内です。
私が台湾に最初に行ってた頃の九份は、台湾でもそんなに知られた存在ではありませんでした。
実際、仕事で台湾に関わってて台湾について詳しかった私ですら、80年代末まで九份という町を知らなかったので(^^;)

九処ヘは、もともとは何もない寒村でしたが、19世紀末に金鉱が発見され、以来、鉱山とともに街として発展するものの、1971年に鉱山が廃鉱となってから街は衰退。
しかし、1989年に台湾映画「悲情城市」のロケに九処ヘの街が使われると、台湾や東南アジアなどの国々で、この九処ヘが一躍脚光を浴びるようになります。
私も九份の街を知ったのが、この「悲情城市」を見たのがきっかけでした。
後日、行くことになる平溪線の「十分」とともに、こんど台湾に行くときには絶対に行くんだ~と、決めていたんです。

2001年になると、日本では宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」が上映されましたが、このモデルになった街が実は九份なんだそうです。それが紹介されると今度は日本のみならず欧米でも九份の街が紹介され、世界的に知られるようになりました。
九処ヘでは日本人観光客も多く見かけますが、そのほとんどは千と千尋の神隠しがきっかけなんでしょうね。

さあ、これから九份の街の探索開始~!



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