鴨旅日記・自分流で行こう!

かもねぎの、旅とグルメと街中ボラボラ、多少の台流、鉄分少々、
プラス・日々常々の生活の、たわいもない日記・・・

烏山頭ダム・その1・・・ダムの殉工碑

2007-05-08 12:49:07 | 台湾流-旅行記---台湾南部
前から行きたいと思っていた烏山頭ダム(烏山頭水庫)に、やっと来れました!

ここは烏山頭ダムのゲート。
一帯は公園になっていて、入場料を払う必要があります。
バスを降り、ゲートへ近づいて来ると、ゲートの係のお姉さんが日本語で「2名様ですか?」と言ってきました(^^;
乗ってきたバスには、実は私以外に、もう一人だけ50歳くらいの男性が乗ってたんですが、その人も実は日本人だったようです。
もう一人の男性も、この日にココに来ると言うことは、私と目的は同じなんだな・・・(^^;



ゲートでお金を払ったら、こんなパンフレットをもらいました。
日本人はチラホラ来るようになったとはいえ、まだまだマイナーなところなのに、それでもちゃ~んと日本語のパンフを用意してるところがスゴイ!

まずはダムを見に行きました。


烏山頭ダムのパノラマ写真です。
広さ、綺麗さ実感できない写真ですけど。。。(^^;




ダムの横には「殉工碑」が今も残されています。
このダムは10年の歳月を経て1930年(昭和5年)に完成しました。
その間大勢の人が亡くなったようで、この殉工碑はダムの工事に携わった従業員だけでなく、ダム工事期間中に事故や病気で亡くなった従業員とその家族134名(台湾人92人、日本人41)全員の名前が、日本人・台湾人、男女の区別なく死亡順に刻まれています。
当時の台湾は日本の統治下にあり、支配者側の日本は台湾人を卑下していたと思います。でも、この工事の総指揮をとっていた八田與一は、台湾人も日本人も平等に扱っていたというわけです。
八田與一自らが書いた碑文も書かれています。以下、文を転記・・・。



嘉南大?は其の利澤を蒙むる廣袤の宏いなること其の水源に於ける工式の雄なるとに於て世界に冠たり 従って其工細且微にして施工上幾多の困難に逢著せるも辛楚十年茲に工全く成る
諸子は斯る間に於て不慮の災厄に遭ひ或は風土の病疫に冒され空しく異郷の墳塋に眠る 轉に痛惜に堪へさるなり 雖然諸子は齊しく犠牲的殉工者にして一死克く従業員の志氣を鼓舞し以て此大工を竣ふるを得たり 又偉なりと謂うふへし
噫々彼の淙々たる曽文渓水は此蜿蜒たる長堤に蘊崇して長へに汪々たる碧潭を奉し随時の灌水は滾々環流して 盡きさる限り諸子の名も亦不朽なるへし
乃ち茲に地を卜し碑を建て以て諸子を傳ふるの文をなす矣

昭和五年三月
 烏山頭交友會長 八田與一





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