『演じてみようつくってみよう紙芝居』

『演じてみようつくってみよう紙芝居』長野ヒデ子/編著  右手和子・やべみつのり/著(石風社)

右手さんの演じ方がわかりやすく書かれています。画面の抜き方に工夫を凝らした右手さんがよみがえってくるようです。
長野さんがいくつか付け加えていらっしゃるようです。
抜くことだけでもこれだけのことが 伏線であるのですね。だから、奥が深いんだよね。

柳城短期大学の講座には、私も参加しました。後ろの方で子どもの文化研究所の方々の近くにいました。
P22の、右手さんの導入のところで、観客に拍手を求めて「だーめ、まだよ」などと肩すかしをする部分のところ。
会場の笑いは、確かに笑いなのですが、苦笑というか騙された感じがして、若い学生ばかりの場内がちょっとムッとしたように私には思えました。
2~3回そんなことが繰り返されて、私は3度目はもう手をたたかなかった。
「子どもにこんなことやったら失礼なんじゃないだろうか」と不安になった。
そのことが、よみがえってきました。そこから、若い人は何かを学び取っていってくれるといいですね。

右手流というか、お弟子さん(?)たちの声色が右手さんにそっくりだと批判があったところ。やっぱりそうだったんですね。御本人も気づいていらした。
新潟県ではその流れがとても強くて、二の足を踏んだ人も多かったことでしょう。今は、情報はどんどん流れていますから、あれはその人なりのやり方でいいだんということが皆さんわかってきていると思います。でも、あの声色、好きな方が多いですね。諸橋精光さんの作品に、ぴったり。紙芝居はああいうもんだと思っている人も多い。そして、低く落ち着いたあの声はとても権威っぽく感じます。それを自分の権威づけに利用する人もいましたね。

紙芝居舞台の使い方で、幕紙と扉と、いろいろ使い分けることが説明されていました。抜いたカードを舞台に差し込むことも説明されていました。
紙芝居文化の会のまついのりこさんの持論が 重なってきます。
実は、私は老眼が激しくて、ピントの調整に時間がかかります。それで、舞台に前のカードを差し込んでしまうと、ピントの合うところに顔を持っていこうとして後ろを覗き込んでしまいます。語り始める前に、ピント合わせに気をとられるのです。左手に持つやり方だと左手を調整するだけなので無意識にできるんだけど。
だから、これは、その人なりのやり方でやっていいと思います。差し込む間が大切なんですね、きっと。今度、差し込むくらいの間をとってみるとどうなるか、やってみたいと思います。

頑なにならず、と長野さんも書かれているので。
「頑なにならず、皆で自由に意見を言い合って」という 紙芝居の人たちの考え方がベースになっていることが、皆に伝わればいいと思います。

子どもの手作り紙芝居もたくさん紹介されていました。懐かしく、また、何度見てもおもしろい。不思議な感覚がよみがえってきます。穴あき紙芝居の魅力も特筆されていて、造形としての紙芝居も魅力があるんですよね。巻ののぞきからくりを思い出します。あれは絵というより造形だよね。



 

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