「寄り添う」ってどういうこと?

沖縄に対する総理の言葉で「沖縄に寄り添って」というのがあります。
また、読み聞かせボランティア指導者が「子どもに寄り添って」などと口にするのを聞いたことがあります。総理の言葉を聞いていて思い出しました。どちらも、「相手の気持ちを想像する」けど、「相手の言っていることを認めない」ということでは同じです。

「認めない」ことが王道だと思っている人たちにしてみれば、それを否定して、リクエストを取り入れた私のやり方は気に入らなかったのでしょう。聞き手のリクエストに応える聞き手選書型プログラムを提案したときの私に対するバッシングはすごかったです。今思い出しても頭が白くなるようです。
「寄り添う」って、具体的にはどうするか、誰かがはっきり説明して欲しいですよね。

 

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コメント
 
 
 
そんなことバッシングする人がいるんですね? (よろず語り部 夢追人)
2018-11-08 23:51:24
 そもそも絵本の読み聞かせとは、母親(もちろん父親でも、じいちゃんばあちゃんでも)が子供の枕元で絵本を読んで添い寝するところから派生したもんだと思うんだけど...。
 「母ちゃん、これ読んで!」が元であって、「あなたにいい本をお奨めするわ!」といって、我が子の希望を無視して読んであげるものではないと思うのだが...。
 いいんですよ!読み手が選ぶ時もあり、聞き手が選ぶ時もあり、それは相互コミュニケーションで、信頼関係の上に成り立つものですよね。
 一方的に押し付けるのは、勝手な読み手の価値観の押し付けであって、寄り添うことにはなっていない!
 バッシングする意味が分からない。

 気にせず好きな様にやって下さい!

                よろず語り部 夢追人拝
 
 
 
コメント感謝 (石倉)
2018-12-19 15:22:49
いつもコメントに気づくのが遅れてすみません。

この問題は、日本中、意外と深く広がっています。
原因は「絵本は子どもが最初に出会う文化。そして、子ども時代は短いから、無駄なものは与えずに、大人がよい本を選び抜いて与えることが、結局は子どものため」という教えによるものです。絵本講座などで最初にそう教わると、違う意見は「間違ったもの」に感じられてしまうのです。
 私は「よい本は一人ひとり違ってあたりまえ。良いかどうか決めるのは、大人でなく受ける子どもの側」と思ってやってきました。
 他人の頭の中を変えることは難しいので、私は愚痴をブログに書きながら自分の思うようにやってきました。あまり思い出さないようにしているけど、いまだに硬直した他団体の様子に茫然とすることもあるのです。ですから、コメントいただいて、ほっとしています。ありがとうございました。
 
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