図書館・語り・紙芝居・集団相手の絵本よみ・ボランティアなどについて書きます。
絵解きボランティア
カレンダー
2024年7月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |||
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | ||
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | ||
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | ||
28 | 29 | 30 | 31 | |||||
|
goo ブログ
過去の記事
カテゴリ
民話・紙芝居研究ノート(6) |
子どもが紙芝居をやる(2) |
大型絵本・紙芝居(10) |
意見(168) |
論文(13) |
紙芝居の窓(53) |
資料(259) |
絵本おはなし(110) |
わらべうた(14) |
実演記録(65) |
事業記録(67) |
脚本(49) |
作業・道具(41) |
関連本(27) |
図書館(45) |
その他(29) |
ここからはじめる紙芝居(3) |
再創造するおはなし会(14) |
最新の投稿
★民話・紙芝居 研究ノート(目次) |
★民話・紙芝居 研究ノート(ま行) |
★民話・紙芝居 研究ノート(は行) |
★民話・紙芝居 研究ノート(か行) |
ほんぽーと おはなしのじかんスペシャル |
★民話・紙芝居 研究ノート(あ行) |
★民話・紙芝居 研究ノート(さ行) |
TI デイサービスセンター記録 |
TSU竹尾デイサービス 記録 |
MB小学校記録 |
最新のコメント
石倉恵子/新潟市子ども条例の制定 |
福島はるお/新潟市子ども条例の制定 |
石倉恵子/倉石侗窩の子孫? |
小さなハンコ/倉石侗窩の子孫? |
石倉/「寄り添う」ってどういうこと? |
よろず語り部 夢追人/「寄り添う」ってどういうこと? |
石倉恵子/『紙芝居の歴史を生きる人たち』 |
akemi takase/『紙芝居の歴史を生きる人たち』 |
よろず語り部 夢追人/再投稿・プログラムと子どもの人権 |
石倉恵子/再投稿・プログラムと子どもの人権 |
最新のトラックバック
ブックマーク
市民活動応援ねっと |
にいがたNPO情報ネット |
新潟市の図書館 |
県立図書館 |
クロスパルにいがた |
市社会福祉協議会 |
ボラセン |
歴史博物館みなとぴあ |
なかなか古町 |
★★おすすめ紙芝居 |
全日本語りネットワーク |
語り手たちの会 |
絵本学会 |
子どもの文化研究所 |
国会図書館典拠データ検索 |
紙芝居ネット |
紙芝居文化の会 |
童心社 |
教育画劇 |
絵本の会がらがらどん |
プロフィール
goo ID | |
kamisibai_2005 | |
性別 | |
都道府県 | |
自己紹介 | |
非公開 |
検索
gooおすすめリンク
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
「寄り添う」ってどういうこと?
2018-12-19 / 意見
沖縄に対する総理の言葉で「沖縄に寄り添って」というのがあります。
また、読み聞かせボランティア指導者が「子どもに寄り添って」などと口にするのを聞いたことがあります。総理の言葉を聞いていて思い出しました。どちらも、「相手の気持ちを想像する」けど、「相手の言っていることを認めない」ということでは同じです。
「認めない」ことが王道だと思っている人たちにしてみれば、それを否定して、リクエストを取り入れた私のやり方は気に入らなかったのでしょう。聞き手のリクエストに応える聞き手選書型プログラムを提案したときの私に対するバッシングはすごかったです。今思い出しても頭が白くなるようです。
「寄り添う」って、具体的にはどうするか、誰かがはっきり説明して欲しいですよね。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« 今年のこと | 読み聞かせの... » |
「母ちゃん、これ読んで!」が元であって、「あなたにいい本をお奨めするわ!」といって、我が子の希望を無視して読んであげるものではないと思うのだが...。
いいんですよ!読み手が選ぶ時もあり、聞き手が選ぶ時もあり、それは相互コミュニケーションで、信頼関係の上に成り立つものですよね。
一方的に押し付けるのは、勝手な読み手の価値観の押し付けであって、寄り添うことにはなっていない!
バッシングする意味が分からない。
気にせず好きな様にやって下さい!
よろず語り部 夢追人拝
この問題は、日本中、意外と深く広がっています。
原因は「絵本は子どもが最初に出会う文化。そして、子ども時代は短いから、無駄なものは与えずに、大人がよい本を選び抜いて与えることが、結局は子どものため」という教えによるものです。絵本講座などで最初にそう教わると、違う意見は「間違ったもの」に感じられてしまうのです。
私は「よい本は一人ひとり違ってあたりまえ。良いかどうか決めるのは、大人でなく受ける子どもの側」と思ってやってきました。
他人の頭の中を変えることは難しいので、私は愚痴をブログに書きながら自分の思うようにやってきました。あまり思い出さないようにしているけど、いまだに硬直した他団体の様子に茫然とすることもあるのです。ですから、コメントいただいて、ほっとしています。ありがとうございました。