司書全校配置の表裏

良書の推薦に関係して、もう一つ投稿します。

新潟市はずっと前から、市立学校図書館に司書が全校配置されている、ということは結構多くの人が知っています。
かつて良書主義全盛でしたから、学校図書館の本は厳選され、特定の本ばかりでした。自分の子どもが小学生だった時は私もその小学校の図書館の棚を見ていますから、よくわかります。

それにも拘わらず、その長い期間、司書が配置されていない他地域と比べて、特別に貸出数が多かったとか大勢の人が利用したとか、そういうことはなく、全国平均だったということは、以前このブログに書いたことがあります。「紙芝居の窓」のブログだったかもしれません。

 その後、広域合併があって、今まで司書のいなかった市立学校図書館に人がいるようになって、子どもたちが図書室に行くようになったと、結構あちこちで言われるようになりました。やはり大人がいてよかったね、めでたしめでたし・・・といったところでしょうか。で、今はどうなのでしょう。

そんなことも忘れかけたころ、今年の春、市内某中学の学校図書館司書が、新刊本を古書店に売っていたという事件がありました。で、その頃、「新しい本がなかったんだもん」と、子どもがインタビューに答えて話していたのをテレビのニュースで見ました。

思わず、ぷっと、私は噴出してしまいました。そんな不心得な司書とは関係なく、20年位前でしょうか、市立図書館の書架には新しい本がなかったのです。絵本は新しい表現で続々と出版されていましたが、そういう本は、古典に眼が慣れた人から見ると「つまらない本」に見えてしまうのです。良い本の棚を目指すいくつかの家庭文庫(司書配置にお世話になった先生方主宰の)に続けとばかりに、良書ばかりが複本をそろえて棚に並んでいました。学校図書館も同じようなものだったのでしょう。
 今でも、ボランティアの教育に「読み継がれた本優先」は指導されていますから、学校図書館も同じような教育がされてきたのではないでしょうか。学校図書館に絵本の占める割合は少ないかも知れませんが、児童書も古典やロングセラーというのはあるに違いありません。そういったもの優先で、新鮮なものを入れないという習慣になっていなかったか。「子どもの文化」を劣ったものとしか思えない指導者は、まだまだたくさんいるのです。

 良書優先教育を受けた人が「新しい本はいらないんだな」と思ったとしても不思議ではない。「新しい本はいらない」→「新しい本を買っても学校図書館支援センターのチェックがあるから棚に入れられない」→「どこかにやってしまおう」・・・てなことに、そう簡単にはならないでしょうが、意識の下ではどうでしょうか。彼女は、今、どんな年の瀬を迎えているだろう。図書館は対応策に走る前に、事件の背景を探ってみたのだろうか。


 

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