「次も来てくれる子どもたちに」という呪縛

図書館の読み聞かせボランティア入門講座では、読み方を結構厳しく指導される、と伝え聞きました。
まだそんなことやってるのか、というのが私の感想です。職員は資格もあるそれなりのインテリで、下手に読むのは気に入らないのでしょう。

それについて、書きます。
ずいぶん昔、新潟市の図書館長だった人が、自分への戒めとしているいくつかの言葉がありました。もしかしたら、東京子ども図書館の冊子に「家元の言葉」として紹介されていたのかも、と思っています。
その中でいくつか覚えていることがあります。「子どもの心を開放させる本を選んだか」ということ、これはいいですね。

それからその他に、もう一つ気になるものがあったのです。
「下手な読み方をして、次も来てくれる子どもたちを失望させなかったか」などというものです。
「次も来てくれる」というのは文法的におかしいような気もしますが、これを深く読み取ると、
「下手に読む人がいると、次に来てくれる子どもが減るのよ」ということです。
それで、会の中で犯人捜しが始まります。だれそれのここの読み方がおかしかった、と反省会で言い合うのです。
それを「お勉強」としている人もいるでしょうが、これをきっかけにいじめが始まります。

付け加えます。その元館長というのはもとは女優志望で、読み方にはいろいろこだわりがあったことは推測できます。ところが、昔、新潟かみしばいクラブに辻さん(故人)という元NHK劇団出身の朗読のプロがおられまして、その元館長は、辻さんのお弟子さんだったと辻さんから聞きました。プロがアマチュアを教え、その下が習い・・・という長い物語ですね。

昔の事なんてどうでもいいでしょう、と思われる人がいるかも知れませんが、この館長退職後、その弟子にあたる職員や直接習った団体の幹部が言い続け、そのまた弟子の職員が入門講座を担当する、という時空を超えた呪縛があるのです。
団体の中には朗読を得意とする人もいて、その人が「あの人はだめ、この人は良い」とふるいにかける場合もあるとか。そういう人は、すごむような声で威厳を出しますからね。弱い人は震えあがります。
さらに、読み方やプログラムを激しく検討するために2か月前からその本を確保しておくという問題も起こっています。団体貸し出しの特典では間に合わないので、なにかやるのですね。
ボランティア交流会で私は「そういうのは、ボランティアが市民の本を横取りしている」と面と向かって批判した(つもり)なのですが、届かなかったのでしょうか。

数年前は、職員が「団体で厳しく指導するのはやめてください」と声を震わせて言ったのも聞きましたが、またほとぼりが冷めて「厳しい指導」が良しとされる時代になったのでしょうか。
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