昔話を紙芝居でやる

 印刷紙芝居には昔話として作られているものも多いです。おはなし会でも重宝しますが、どこでどう割り切れば良いのか、気にしないでやればいいのか、「昔話絵本を考える」の論争を思い出すと気が重くなる。

基本的な思いは、昔話は千差万別で、いろんなパーツがあっちにくっつき、こっちにくっつきしている。どれが正しいといえるものではないということ。
 中村柾子さんの講演を聞き、ちょっと前の国際子ども図書館の講演録を読み、それを比べて「あっ、この人、考えを変えた」と思いました。
去年・・・国際子ども図書館でのときは、「基本の形を知ることが根になる。元の形をたどってみること」というようなことをおっしゃった
今年・・・新潟での講演では「再話には思想が含まれる」とのこと。 つまり、基本の形さえもそれは再話であり、基本の形にも再話者の思想が含まれるということ。「基本」は出発点とすると、出発点の話を作った人にも、その生まれや宗教などからくるブレのようなものがあるのでは、と思います。

 先の国際子ども図書館の講演記録を鵜呑みにしてしまうと、やっぱり昔話はちゃんとしたのをやんないとねー、みたいな感じになる。
 それらは、紙芝居の脚本の重要な部分を占める情緒性と対極にあるような気がします。主人公が性格をもち、喜んだり悲しんだり冒険の前に躊躇したり、人間臭いのです。そういう種類の昔話もあるのでは、と思います。

それでも、語る文を少し書き換えて、起こった事実を積み重ねていくようにすればいいのではないか、というのが一つの方法。
もう一つは、そこそこ情緒をいれたり教訓を入れたりする。悪者も死なせない。語るのに忍びなかったところをめでたし、にする。すっきりしない結末の話もそのままにする。やおよろずの神々がおわします日本の感性といいましょうか。
 「悪者は征伐されないといけない」みたいな説明もあったと思うんだけど、それって欧米型の発想ではないでしょうか。「しっかり死なないと子どもはかえって不安になるんだって」という理屈でしたが、人の受け取り方は千差万別で、100パーセント断定できないはずです。
 
 この項も、後で付け加えていくことにします。ここまでは18年5月。
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