かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

母を亡くした今年も暮れる

2018-12-27 16:05:23 | ブログ記事
昨年の12月は2度も帰省した。

12月6日に例月の帰省をして、
12月28日には「朝一番の高速バスで帰省することに」なって帰省している。

そして年が明けた1月9日も帰省して、11日早朝に母は私の隣のベッドで亡くなったのだった。

ほんの昨日のように思うが、もう一年になる。

母が生きている間は、いつ帰省してもいいように心の準備が必要だった。

が、それが私の生きる生きがいにもなっていた。

亡くなられて帰省する義務はなくなったが、
待ってくれる人のいなくなった寂しさは身に沁みる。

もっと優しくしてあげればよかったと、そればかりが思われて後悔もする。

が、仕方なかったのだ。

私以外に母を叱れる人はいなかったのだから。

最後の最後まで、母は母であった。

決しておとなしい年寄りにはならなかった。

老いても子や孫に従うことはなかった。

だから、叱らなければならないことも多くあった。

母は最期まで父の長兄の家との境のことを悔やんだ。

実家が建て直しをするとき、隣の父の長兄が家の境でいちゃもんをつけてきて、
もともと細長い敷地だったのに、結局、実家は半間ほど父の長兄に譲り渡すような恰好で
家を建てた。

狭い間口の、そのたった半間が、あとあと母を悔しがらせた。

私は同情してあげればよかったが、
「そのとき言わないで後で言っても土地は返ってこないのだから」と母に言った。

そして「今さら言うだけ無駄」とも。

が、もっと母の気持ちを汲んでやったらよかった。たとえ土地は返ってこなくても。

その境界線の土地をとられたことは、母の痛恨の出来事だったのだから。

が、私は、それをしてやらなかった。まだ死ぬとは思っていなかったから?

人が見たら些細なことでも、本人にとっては、忘れがたい記憶はあるものだから、
もっと理解してやればよかった。

私も、若いころのことを繰り返し言うものだから、夫はもちろん、子供たちにも
「もういつまでもそのことを言って」と言われてしまうが、
私にすれば、若いころの辛かったことは忘れることはできない。

そんなものだ。人というものは。

*

★もう少し母の気持ちに寄り添ひて話を聞いてやればよかつた

★年取りてことさら昔のことを言ふ母を叱りしことを後悔

★わたくしも昔のことを繰り返し言ふ老人になりてゆくらむ

★母叱りゐしわたくしが母に似て繰り言を言ふ人になりゆく

★遺伝子はこんなところに現れてわれは老いたる母になりゆく

★壮年で死にし亡父は年下になりて久しく弟のごと

★楽しみは早く彼の世に逝き父や母に会ふこと此の世を離れ

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
みなしごハッチ (RIN)
2018-12-28 06:58:06
母を23年前に、父を17年前にそれぞれ76才、90才で亡くしました、父の葬儀の時、頑張って(母)自重しろ(父)と言ってくれた人はいなくなった と しみじみ思いました、
先日72才になりました、今日は仕事納め、1時には終えて 飲み会です、今小山、大宮間 車窓右手に白い富士山が見えます
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RINさんへ (びこ)
2018-12-28 07:23:13
コメントありがとうございます。

私も、年甲斐もなく、今年から「みなしごハッチ」になった心境です。

親がいなくなっても生きていかなければならない。

それは皆していることだけど、自分がそうなると、やはり寂しいものですね。

RINさんは72歳になられても、まだお勤めされておられるのですか?

お身体大切にお過ごしくださいますよう。

私は1月にはツアーで富士山の周辺をバスで巡ります。旅好きな母が私に乗り移ったようで、今年はよく旅をしました。
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たかが半間、されど半間 (lemonwater2017)
2018-12-28 12:44:59
ホント土地って、僅かな広さほど揉めますね。

 家の土地の僅か”あぜ道”の部分で揉めて、裁判沙汰になった事があります。昔の資料が見当たらず痛み分けに。結局、裁判費用30万を支払う羽目になりました。

 元々この土地は、昔からイチャモンがつく疑惑の土地だったので、母も早く売りつもりしたが。”焦ってお金に変えてもろくな事ないから”と私が渋った事もあり、そのままにしてたんです。

 それから裁判沙汰にあり、面倒が重なるのが嫌になり、売りに出しましたが、半分の額にしかなりませんでした。土地を買った相手は、”あの時売ってたら倍以上の額になってたのに”と残念がってました。

 もう昔の事ですが。土地の境界の問題ってとてもややこしくて難しいですね。
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転象さんへ (びこ)
2018-12-28 12:57:14
父の長兄は子供の頃、祖父母に預けられて育ったから、末っ子で親の手元で育てられた私の父に嫉妬していたのです。それで我が家が家を建て直すとき、引いて建てよというので、市役所の人に測量してもらうと、伯父の家のほうが私の実家のほうに出ていたのです。だから、母も黙っていたらよかったのに、「親からもらった土地で争いのは嫌」と伯父の言うままに半間分を譲ったのです。おかげで、ただでさえ間口の狭かった我が家は、ますます間口の狭い家になってしまいました。母はその時、伯父に譲らなければよかったのに、後々もずっと恨んでいたから、私が「今さら言っても無駄」と母を諭していたのです。

どこの家にも、こういう土地の境界線の争いはあるかもしれませんね。私の実家は、伯父と父の仲が良くなかったのが遠因でした。

子供は平等に育てないといけませんね。
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