日に新た

「素直な心で日々を新しく生きたい」・・・
と願ってますが、頭でわかっていてもなかなか行動できてないものですね・・・

心の習慣

2007年03月19日 23時32分34秒 | 日に新た
ジェームスアレン氏の続きなのですが、
「心の習慣」
と言う言葉が出てきます。

『心の習慣は、それが良いものでも、悪いものでも
 その内容に応じた状況を、
 体の中で確実に発生させています。』


と言うもの。

これがどういう意味かと言うと、

①人から自分の非を指摘されたときに、どのような心の状態になるでしょう?
②人に嫌がらせをされたら、どのような心の状態になるでしょう?
③自分の思い通りにならなかったとき、どのような心の状態になるでしょう?

というパターンで、自分の心情を顧みると判るでしょう。

私の場合、一番最初に以下のような心情が作用して行動に出てしまう様です。

①素直に非を認められず、反発心が宿り、反論したり無視したりする。
 その後、愚痴を言ったり指摘した人に敵愾心を抱く。
②嫌がらせされた事自体から、その人に怒り・反抗心が宿り、
 次に同じ仕返しをする方法を考えてしまう。
③イライラして、自分の不甲斐なさに落ち込み、怒りが宿り、
 何事もやる気を失ってしまう。

これで本当に幸せになれるのでしょうか。
こんな反応や心の状態に有った場合、「表情」「態度」は幸せと言えるでしょうか。
きっと幸せとは言い難い状態にあるはずです。

じゃぁ、どうすればよいのか?
以下の心の習慣をつけるように自ら努力する必要があるのでしょう。

①先ずは自分が悪いのだと素直に反省する。
 自分の非を教えてくれた人に感謝する。
 そして何が悪かったのかを考える。
 どうすれば良くなるかを考え、行動に移す。
②現時点で、自分は嫌がらせをされる人間だと言う事を素直に認める。
 その人が何故自分に嫌がらせをするのか考える。(大抵は自分に非あり。)
 その人が嫌がらせなどしようと思わない人間になるにはどうすればよいか考える。
③思い通りに行かない現状を素直に認識する。
 思い通りにならない原因が何であるかを考える。(大抵は自分に非あり。)
 思い通りになるようにするには、自分がどういう行動をすべきかを考える。

もし、物事をこのように捉える習慣を付ければ、他人を恨んだり、自分を卑下したり
する必要は無くなります。
自分も失敗する事があり、非があると言う事を素直に認められます。
他人にも失敗や非があると言う事を寛容に受け入れることが出来ます。

そして、幸せに向かって努力する活力が出てくるのだと思います。

良い心の習慣をつけるには、やはり物事を「素直に見る。素直に受け止める」
と言う事を習慣付けることから始まるのではないでしょうか。

『常に素直に物事を見る。』

これは幸せな人生を歩むために、とても大切なことですね。

例には「悪いこと」を主に取り上げてみましたが、
とうぜん私も人間ですから「良いこと」の心の習慣も持ち合わせているはず。

・嬉しいときは素直に心から喜び、笑顔で居る。
・楽しいときは素直に心から楽しみ、笑顔で居る。

このような心の習慣を意識せずとも、自然と出来ることこそ本当の幸せなのでしょう。

きっと! すべてがうまくいく

2007年03月14日 23時45分11秒 | 日に新た
12日に東京の現場に戻りました。
その移動中に、ジェームズ・アレン氏の「きっと! すべてがうまくいく」を読みました。
飛行機に乗る前の30分と、フライト中の1時間でスラスラと読めてしまいました。

その中で「原因と結果の法則」について少し深く考え、学ぶことができました。
学ぶことが出来たのですが、まだまだ実践に移せていない自分が居る事も知りました。

「原因と結果」

全てのあらゆるものは、原因があり、その結果が今の現実・事実を反映しているという考えです。
今の自分自身は、とある原因があり、現在の自分自身が居るという結果がある訳です。
今の自分自身は、自分の心をコントロールしているのか、コントロールされているのかによって、
幸せだったり、不幸だったりする結果を生んでいるという事実。

解りやすく言うと、

「自己をコントロールして、自分が今為すべきことを知り、それを精一杯頑張る。
 そして日々を正しく素直な心で生き、常に世のため人のためになることを考え、
 成功しても失敗しても心を曲げず、理想高く一生懸命頑張る。
 不純な欲望を抑え、自分の信じる道を純粋な気持ちで生きていく人。」

こんな人と、

「毎日欲望に従い、理想は高いけどそれを達成する努力もせず、自分に甘え、
 家族に甘え、周りに、世の中に甘え、すぐに挫折したり、断念したりする。
 挙句の果てに、失敗したら他人が悪い、世の中が悪い、自分は何も悪くないと思い、
 人を傷つけ、自分の満足・欲望を達成するためにだけ、ほんのチョット努力する。
 長続きせず、思う結果が出なければコロコロ考えを変えてしまう人。」

こんな人のどちらが幸せで、豊かな人生を歩んでいるのかと言う事です。

幸せな人は、幸せになるためにやはり日々努力しているでしょう。
欲望を抑え、全ての原因は自分にあることを知り、自己を磨きながら、
幸せと言う結果を創っている。

逆に、不幸な人は不幸になるべくして不幸になる。
全ての原因は周りにあると考え、自分は何も悪くないと考え、
欲望に身を任せ、勝手な自己解釈で悪い原因が自分にあることを
認識しようともせず、不幸と言う結果を創っている。

どちらも「全ては原因があり、結果となって現れている」と言う真理があります。

自分の人生はどっちを選ぶのか?

それは「自分自身でその道を決めている自分」に気づくことから始まる訳で、
それに気づいて、そして正しい方向に自分を向ける努力が大切なんですね。
なぜなら「不幸になりたい」と願う人は一人として居ないのだから。

死というもの

2007年03月12日 23時49分06秒 | 日に新た
「死」と言うものについてどう考えたらよいか。
人はいつかは必ず死にます。
私も、これを読んでるあなたも、間違いなくいつかは死と言う時を迎えます。
頭の中では判っていても、普段こんなことは考えませんよね。

食卓に焼き魚が並んだとき「気味が悪い」と考える人は少ないでしょう。
焼き魚を別の言葉で表すと「魚の死骸」なのですが、
殆どの人は「食料」と言う観点で焼き魚を見ています。
私もそうです。

じゃぁ、人の死体はどう感じるのでしょうか。
「気味が悪い」「見るのも辛い」「悲しい」「怖い」「気持ち悪い」
などなど、色々な感情が渦巻きますよね。

それは、見ている人の死体を自分自身に置き換え、
「いつかは自分もこうなるんだ」と言う現実を目の当たりにすることから、
未知の死と言うものに対して恐怖心をかき立てられると言われています。
その結果、死体を怖がり、受け入れることが出来ないと言う事になるのでしょう。
私自身、簡単に死を受け入れられず、恐らく間際まで足掻くのかもしれません。
それはその時になってみないと解らない面も多いです。

さて、「人は必ず死ぬ」と言う観点に立って考えてみると、
その間際まで、この世で一体何をすればよいのでしょうか。
今すぐにも自分の人生を閉じたいと願う人も居ますが、
「人は必ず死ぬ」のですから、別に今じゃなくても良いと言う考え方も出来ます。
ガンダムの最終回の「ララアの所にはいつでも行けるから」と言う名台詞じゃないですが、
その気になればいつでも死ねますので、そんな話を書き留めたいわけではありません。

『自分は死ぬまでにこの世で何をするのか?』

という事を書こうと思ったのですが、とりあえず眠いので、
また今度色々考えてみることにします。

沖永良部は寒かった

2007年03月06日 19時59分27秒 | 日に新た
今日の朝から東京の現場を離れ、またまた沖永良部へ。

普段JAL便は利用しないので、羽田のビッグバード(第1ターミナル)
はとっても久しぶりで「こんなに大きかったんだなぁ。」と改めて
巨大な建物に感心しました。

羽田で飛行機のチケットを受け取るときに、
昨日から日本国中に春の嵐が吹き荒れてるせいか、
「天候の状況により、飛ばないかもしれません」
と言われましたが、無事飛びました。
そして、無事着きました。

南の島なので、暖かいのかと思ったら結構これが寒いです。

予定では11日の日曜日まで居るのですが、
本当に帰れるのだろうか・・・

ネットワーク環境が現場にしかなく、チョット不安ですが、
まぁ、なんとかなるさ。何とかするさ。

まだ、帰りのチケットは取ってませんが、
予定通り帰れるように頑張ります。

初節句

2007年03月03日 22時36分59秒 | 日に新た
今日は桃の節句、ひな祭りですね。
私の娘の初節句なのですが、
東京に出張しており一緒にお祝いしてあげることができませんでした。
非常に残念・・・
しかし、妻が実家で(妻の姉妹共有の)雛人形(7段飾り)を飾ってくれていました。
ありがたいことです。

息子の時は、私の五月人形を飾って写真を撮りました。
私は小学校高学年以上になると、五月人形を飾るとかの行為を
する事がなくなったのですが、やはり小さいうちはこういった行事が
非常に大事ですね。
(本来、節目節目の行事は大切なんですが・・・おろそかにしがち・・・)

最近はデジカメで簡単に写真を撮る事ができるので、
こういった記念行事は沢山撮って、残しておきたいものですね。

10000回

2007年03月02日 23時25分35秒 | 松下幸之助
松下幸之助翁の言葉に、囲碁を1万回打てば教えてもらわなくても初段ぐらいの
強さになると言うことから、

「毎日素直な心になりたいと強く願えば、30年後には素直な心の初段になれるのではないか」

と例えた言葉があります。

【1万回】

と言う数字は、必ずしも簡単に達成できるものではありませんね。
例えば、一生のうちに本を何冊読むでしょう?

毎日1冊の本を休まず読んだとしても、
10000÷365(日)=27年と145日
です。
2日に1冊の本を読み切るとしたら54年と290日。
漫画なら1日に20冊ぐらいは簡単に読めるかもしれません。
それでも1万冊読むには1年以上掛かります。

一生に1万冊の本を読むという行為は、ある意味非常に困難で、
難しい行為と言えるでしょう。

日本で一番本が存在する「国立国会図書館」には620万冊の本があるそうです。
少なくとも、一生のうちで一人で620万冊もの本を読むことは、
至難の業というか、不可能に近いことでしょうね。

毎日1冊読んだとしても、一生で2万冊程度が限界かもしれません。
そう考えると、どんなに色々な本を読み、勉強したとしても、
全人類の英知を授かる事は到底不可能なのでしょう。

じゃぁ、どうするのか。

一人ですべての知識を得ようとせず、沢山の人の沢山の英知を活用する方法を
考えたほうが良さそうです。
当然、自分でも本を読み、沢山の知識を得ることは必要ですが、
沢山の人の知識を活用することが人生には大切なのではないでしょうかね。