釜合労―稲垣の時代遅れな運動スタイルと
我が身の利益だけを考える運動の方向性
釜合労-稲垣はセンターで、大声を張り上げて「野宿は自由の証」と叫んでいます。野宿をせざるを得ないものは誰でも強制排除に反対だ。ほとんどの支援団体もそうです。しかし、野宿を好きでしている人たちなど皆無に等しい。仕事が無く、収入も無し、屋根の下で生活できないから仕方なしに野宿生活をしているのです。行政が働く権利を保障できないからこそ、税金を使ってでも人としての最低限の生活をさせろと生活保護や特掃を要求できるのです。
個人の好みで野宿をしているなら自己責任でしかありません。個人に野宿の権利があっても、労働組合が運動方針として野宿生活からの脱出を言わない、逆に労働者に野宿しろ、などとはとんでもない。
何故そうなるのか! 野宿者が増えれば、その悲惨さをうりにして、野宿者を「炊き出しで救済している」稲垣個人商店に寄付金が集まるからだけなのです。
これこそ彼の運動方針なのです。
そして彼の運動スタイルは旧態依然たる55年体制下=高度経済成長下の運動スタイルのままです。
行政の不正義、悪行を暴露し、糾弾し、何らかの施策を施して貰おう、と云うものです。
かつて好景気のときには、行政や経済界が、労働者への分配を増やし、反抗を押さえようとしたのでこういう手法も通用しました。
しかし、自公政権の新自由主義=弱肉強食経済が登場して以来、建前としての「富は労働者にも分け与えなければならない」「全ての人に最低限の生活保証を」などという考えはどこにもなくなってしまい、行政に期待するだけでは何も得られなくなってしまったのです。
政治家や、官僚でさえも舵取りのわからないこの時代には、われわれ労働者自らが、運動を強め、労働者のための新たな社会のしくみを創っていかなければなりませんし、われわれの未来を切り開くための大きなチャンスでもあります。
行政の不正義を暴露し、無策を批判するにとどまらず、われわれのための施策を提案し、創らせ、一つでも、二つでも具体策を勝ち取ってゆく事こそが労働運動の求められている方向です。
そのことを理解できない稲垣個人商店は、釜ヶ崎労働者の闘いの成果である、特掃や、シェルターを、カンパ金集めのじゃまだとばかり、野宿者を増やすため、破壊する方向で活動しているのです。
反失業の闘いを、反戦と結びつけ、新たな社会の仕組み創くりを目指し、釜日労とともに闘いましょう!