震災復興事業と雇用対策の結合を! 全ての失業者に仕事を!

在日米軍「思いやり」予算に反対し、全ての労働者が安心して働き、生活できる「あらたな社会のしくみ」創りを目指して闘います

第41回 釜ヶ崎メーデー スローガン

2010年04月29日 | 日記

釜ヶ崎メーデースローガン

 

      失業・野宿はごめんだ!

      野宿の果ての治療費・保護費より、仕事で健康な生活を

      新しい社会保障の仕組みを創ろう!

      特掃、週3回で就労自立を勝ち取るぞ!

      55歳以下の、年齢制限のない仕事を勝ち取るぞ!

      日雇い雇用保険、日雇い健康保険の受給資格を緩和させよう!

      緊急雇用事業を食い物にする業者をゆるすな!

      アルミ缶、ダンボール集めを就労努力と認定しろ!

      生活保護を食い物にする、貧困ビジネスを取り締まれ。

      誰もが人間らしく生活できる社会を!

  安心して働き、生活できる釜ヶ崎を実現しよう。

 

全国・全世界の労働者と手を結ぼう!

 

    派遣法の撤廃・均等待遇実現・安定雇用を勝ち取ろう

    沖縄県民の声を聞け。普天間基地撤去。米軍基地は要らない。

    日米安保、日米地位協定を破棄せよ。

    憲法9条を守れ。自衛隊の海外派兵の常態化を許すな。

    排外主義集団「在特会」「主権回復市民の会」を、社会的に包囲せよ。

  朝鮮人学校への差別を止めろ。無償化を即時実現せよ。

    アメリカ軍は、イラク、アフガンから出て行け。

 

正規・非正規を問わず、闘う労働者の団結を!

反戦・反失業・反差別の闘いを前進させよう!

闘うメーデーから、労働者・生活者のための『新しい社会の仕組み』づくりへ!

2010年04月29日 | 日記

41回釜ヶ崎メーデー 宣言


  126
年前、資本の横暴に対してシカゴの労働者たちが立ち上がった。

114時間を越える過酷な労働に、彼らは叫んだ。「8時間は仕事のために。次の8時間は休息のために。そして次の8時間は俺たちの好きなことのために」と。

この闘いは時をおいて全世界の労働者に広がり、1890年、ヨーロッパ各国を含めて第1回国際メーデーが開催され、全世界の労働者のスローガンとなった。

日本ではどうか。戦争の生々しい傷跡の残る1946年、第17回メーデーが盛大に開催され、戦後労働運動の新たな再出発を誓い合った。スローガンは「働けるだけ喰わせろ!」だ。

 

メーデーは歴史の示すとおり、労働者が闘いを宣言する日だ。釜ヶ崎メーデーもまた、一貫してこの精神を継承してきた。

1970年第1回釜ヶ崎メーデーが行われ、西成署の「釜ヶ崎でのデモを不許可」に対し、仲間たちはプラカードを林立させ、赤旗を打ち振って「ドヤ代を下げろ」「日当3,000円以上にしろ」「手配師人夫出し追放」と叫び、決起したのである。

それから41年、今年もまた51日となった。苦しい闘い、楽しい闘いの40年を経て、多くの先達の努力によって、失業・野宿による生活苦にあえぐ仲間への新しい社会制度=「特掃」、シェルターを創らせ、NPOを創り出し、特掃事業をさらに拡大し、守り抜いてきた。「闘うメーデー」これが釜ヶ崎メーデーの伝統だ。

釜ヶ崎労働者は高度経済成長の時代を、設備投資の最先頭の兵士として、産業構造の転換と雇用の調節役として、時代の主役を担ってきた。ビル、ダム、道路、原発と汗水流しながら、万博景気とオイルショック、バブル景気とその崩壊、好景気とアブレ地獄、失業、野宿、そうした時代を生き抜いてきた。

 

時代が変わろうとしている。

一昨年からの世界的不況は、労働者派遣法により新たな景気の調整役とされた派遣労働者を中心に、数百万の労働者から労働を奪った。若者から希望を奪い、高齢者から生活と生きがいを奪った。そして、この労働者派遣法によって景気の調整役からも下された釜ヶ崎では、「寄せ場」=労働市場としての機能を奪い、仕事を奪ってしまった。

今、「景気は上向き」と云われている。しかしその実体は「雇用なき景気回復」だ。失業者、生活者には何の変化ももたらさない。資本家はこの不況下でも、しこたま利益を貯めこみ、労働者には低賃金と失業・野宿を押しつけ、政治家、政府、行政機関は解決の方法を見いだせず、すでに機能しなくなった旧来の社会保障制度を手を変え、品を変え、押しつけようとしている。

であるならば、我々労働者は、自身が生き残るための『新しい社会の仕組み』を自ら創り出さなければならない。新たな社会情勢に合わなくなった古い制度に縛られ、右往左往する行政に不平不満をぶつけるだけでは何も変えることはできない。失業と野宿の時代は労働者自らが切り開いてゆこう!

時代の節目のメーデーに釜ヶ崎労働者の闘う声を!!


安心して働き、生活できる社会を!!

2010年02月18日 | 日記

全国の仲間とともに反失業闘争を闘おう!!

 

新しい闘いの出発点に

 なかまのみなさん。 東京山谷で一月十一日に行われた日雇全協反失業総決起集会は、全国から二百名の仲間が集まって集会・デモが行われた。バス・勝利号で駆け付けた我々釜日労の仲間は、寄せ場日雇い運動の四十年目という節目に、いまだ野垂れ死にのふちに立たされ続けているワシら日雇・失業・野宿者の未来にとっては、これまでの闘いをさらに進めた新たな闘いが必要であり、その区切りの年として、今年の反失業闘争を闘おうという提起がされた。

 高度成長経済の五五年体制と言われた時代。

 われわれの釜ヶ崎は産業再編であふれた労働力を関西経済発展の礎にと、その象徴たる大阪万博と一連の関連事業に取り込むため、旧来の寄せ場を、建労法という法律で口入れ屋=人夫出し(派遣業者)をなかば合法化し、あいりん職安・労働福祉センター・医療センター(あいりん総合センター)を建て日雇い雇用保険制度(白手帳)と日雇い健保で福利厚生図り、「近代化」することにより、一大労働市場を作ろうと、府・市の行政当局自らが労働者を集めてできてきた。 この時代は、敗戦後の日本経済を官僚主導で、自民党が経済界の利益を代表しながらけん引して急速に経済成長を遂げていき、その中で社会福祉、労働問題など、吹き出す労働者・市民の社会的不満を社会党が代表して、経済成長のおこぼれの中からその一部を受け取り、吸収してゆく、という政治構造の時代であった(五五年体制)。

 経済成長の終わりと失業の時代、正社員から非正規雇用の時代へ

 バブル経済を頂点に日本の経済成長は欧米に追いつき、止まった。 こうして九〇年代は大量のリストラ、失業と野宿の時代になった。 経済成長の時代に産業構造の転換による失業者を吸収してきた建設業界、寄せ場も景気の調節弁としての機能を失い、失業者のはきだめとされてしまった。 そして、すでに成長の止まった日本の経済に、労働者を抱えている余裕はなくなり、正社員を大量に削減し、労働者派遣法という「人夫出し法」を成立させ、年金・保険で生活全体の面倒を見る必要もなく、いつでも首を切れる、非正規雇用の労働者にとって代えた。いまや日本の労働者の半分近くがワシら日雇いと同じような非正規雇用になろうとしている。今、ワシらが失業し、多くの非正規雇用の労働者が貧困にあえぎ、野宿を余儀なくされ、満足な社会保障を受けることもできないのは、企業に「おこぼれ」の余裕がなくなったからだ。世の中が変ってしまったのに、雇用保険制度、年金制度、健康保険制度などが、古い55年体制下の正規雇用=正社員用の社会保障制度のまま変わっていないからなのだ。

時代の変化を理解し、新たな社会のしくみを求めていこう!

 いま仕事を求めても仕事がなく、自立支援センターで再起を狙っても、生活保護に緊急避難しても、「雇用なき景気回復」のもとでは展望を見いだせない。 生活保護は緊急避難として当然だが、問題の解決にはならない。保護費の膨張が地方自治体の財政を圧迫し、再び締め付けに転換するのも容易に推測できる。 ワシらは生活保護を最終目的とすることはできない。 働いて生活する=そのほんとの自由をこそ求めているのだから。 かつて、公共の施設(建物・公園・河川・道路などの清掃・管理など)での仕事は公務員が直接やっていた。 それを費用の問題で民間委託するのがこの間の流れだが、民間委託にも「利益にならないところはしない」など問題がある。民間の利益のためにこれらの仕事を出すのではなく、公共の利益のためにこの仕事を使わせよう。 失業者や一人親家庭、障害者など就職困難者の仕事にしていくことの方が生保、一本やりより、トータルな財政削減になるのは当前だ。 縦割り行政で不可能なこういう新たなしくみをこそ、政権交代が進むような、多くの人たちが変革を求める今の世の中で、一〇年以上も前から「特掃」という形で時代を先取りしてきた釜ヶ崎労働者が、先頭を切って創り出してゆこう。全国には生活保護並み、あるいはそれ以下の収入で頑張っている人たちが少なからずいる。 彼らが頑張れるのは人間の本来的欲求の一つである「労働」=「職」があるからだ。 仕事があればワシらも誇りを持って、自由に生活できる。「野宿の自由」などというマユツバでない本物の自由だ。

 行政を糾弾だけし、崩壊した古い仕組みを求めても何も生まれない。

 働いて人間らしく生活することが一番だと理解できずに、生活保護を受けることが「人権」の最終目的であるかのように騒ぎたてたり、機能不全に陥った職安に、民間企業の紹介を迫ったりしているヤカラもいるが、われわれは、戻ることのできない過去のしくみを求めるのではなく、時代に合った新たな社会の仕組みを目指して立ち上がろう。

 安心して働き生活できる世の中を、全国の非正規雇用の仲間とともに闘い、創っていこう!


釜ヶ崎地区内図

2009年12月27日 | 日記
行政用語で「あいりん地区」、いわゆる日本一の日雇い労働者の街‐釜ヶ崎は、萩之茶屋一、二、三丁目、太子一、二丁目、花園北一、二丁目、北天下茶屋一、二丁目、山王一、二、三丁目であるが、釜ヶ崎らしいところと言えばやはり萩之茶屋一、二、三丁目である。
  日雇労働者の寄り場‐「あいりん総合センター」があり、労働者の憩いの場三角公園がある。この二か所を拠点として越冬闘争は行われる。

画像

☆JRあるいは南海線の新今宮駅か、市営地下鉄御堂筋線、堺筋線の動物園前駅で下車。

☆駅を出て道路‐尼崎・平野線の南側へ渡り、西へ2分ほど行くとセンター、ローソンの角から南へ歩くと、要塞‐西成警察の前を通って、5分ほどで三角公園につく。

☆地下鉄四つ橋線花園町駅で降りても5分ほどで三角公園につく。

☆南海線の萩ノ茶屋駅で降りると、萩之茶屋商店街を通って2分かからずに三角公園につくが電車の本数が少ない

第40回釜ヶ崎越冬闘争基調報告

2009年12月24日 | 日記

第40回釜ヶ崎越冬闘争基調報告

   厳しい冬の釜ヶ崎で「一人の餓死・凍死者も出すな」を合言葉に開始された越冬闘争も早いもので実に40回目の節目の年を迎えている。 昨秋の金融危機に始まった全世界を覆う構造不況は百年に一度というに及ばず、時代として、ひとつの歴史的時代を形成し始めている。企業倒産、生産の萎縮、派遣切り、正社員のリストラ等々と、極端なまでの社会システムの崩壊と縮小をもたらした。これは資本主義の本質であり、それを市場原理主義、新自由主義と規定付けたに過ぎない。この市場原理主義‐新自由主義は、弱肉強食のむき出しの資本主義への回帰に他ならない。その最も大きな悲惨さは、働く者から、その労働の対価を奪い取り、失業・生活崩壊・未来の破壊・希望の喪失という、人間の生存を脅かすに至った点である。

   この金融危機は一瞬にして全世界を不況の渦に巻き込んだ。新自由主義とグローバリゼーションの時代の持つ脅威は、その本質を労働者に失業として襲いかかった。過剰消費と金融の一極集中、その本家アメリカが、失業率10%を突破し、GMを始めとしての大型基幹産業が倒産し、その社会システムの大幅な縮小破綻に直面している。

   昨秋以降、麻生政権は、緊急雇用対策と景気回復に実に75兆円を投入、更に選挙直前に15兆円の補正予算でもって事態の打開を図った。しかし、結果はどうだったのだろうか。8月の完全失業率の5.7%が10月 0.01%下落したに過ぎなかった。実に365万人の完全失業者と、相対貧困者層と呼ばれているその予備軍は、実に100万人と言われている。国民は変革と現実の打開を求めている。 鳩山民主連立政権の登場はその現われであり、国民の怒りの表現であった。

  しかし、先日公表された主要企業の9月中間決算によれば、今年3月以降の内部留保の増大と株主配当の増加が明らかになった。全く回復しない雇用状況下でさえも企業利益を確保する現代資本主義の有り様は、まさに労働者を賃金奴隷へと追い込んでいるといえる。 「雇用無き景気回復」まさにこれが景気対策の次の姿と言い切っていいだろう。10月主要企業の設備投資は全企業を通じて17%の減少となっている。雇用の受け皿は作らないということであり、日経連はアッサリと「雇用確保は努力目標」と言い切っている。 われわれの反失業の闘いも大きな転換点を迎えている。

  この一年、多くの派遣労働者が路頭に迷い、正規社員が明日のわが身に危機感を抱くようになって、野宿をせざるを得ない人々が、労働者の失業した姿であり、決して「怠け者の成れの果て」ではない、自公政権、官僚、経営者団体(資本家ども)が口をそろえて宣伝してきた「自己責任論」が嘘っぱちであることが誰の目にも明らかとなった。分断の壁を打ち破り、多くの労働者と団結できる素地が整ったのだ。 第40回釜ヶ崎越冬闘争を、今こそ「安心して働き生活できる釜ヶ崎を」作り上げる転回の年としよう。

  すでに述べたように、仕事をよこせ、仕事をさせろ、の多くの人々の声と思いとは無関係に、その受け皿たる主要企業は「雇用」を見限っている。 景気循環が現代資本主義の法則と言い切ったのが古典派経済学者であるなら、今の時代をなんと表現するのであろう。景気の変動に対応しての労働人口を増減させる、景気の調整弁が、ここ釜ヶ崎であった。しかし、今それは派遣労働という雇用形態をもってして労働人口の実に1/3を調整弁と化してしまったのである。

  昨秋以降釜ヶ崎はこの時代をあらわに表現してきた。「仕事なきセンター」は日常化し、求人は昨年の半分以下となって、アブレ(失業)地獄を出現させている。昨年の派遣村での湯浅氏が表現した「スベリ台社会」ではなく、ここ釜ヶ崎では失業=野宿の直下型社会が出現しているといえよう。 この2年間で、夜間緊急避難所(通称シェルター)の宿泊者はなんと50万人に達している。 釜ヶ崎は常にその時代の負の側面を強制されてきた。 西成区では生活保護でしのぐ人々はこの一年で8000人以上増加している。釜では4人に1人が生活保護受給、しかも、若年から高齢に至る全世代を通じての受給であった。現実になんら追いつかぬ社会保障、現実に何ら対応できない労働政策、現実にわずかでさえも希望を持たせられぬ施策設計=行政の崩壊。 旧来の社会システム、雇用・教育・高齢者・就労をめぐる社会保障制度、そして労働のあり方、それら全てが機能不全に陥っているといえよう。

   しかしこれは単なる時代の特徴ではない。新自由主義は、個人に対して潜在能力の発揮、自己能力の開発を求めた。それは会社に依拠せず自立した労働者として再チャレンジ精神を持つこと(再チャレンジ政策)として、小泉‐安倍政権下での労働政策であった。国は派遣事業法をもって、企業に労働を奪う権利‐失業させる自由を与え、そして野宿の自由を強制してきたのである。 人間は社会関係の中を生きている。自己価値を社会から認められることなく、社会の中で生きてはゆけない。労働を奪うこと、それはこうした人間的存在の価値を奪うことでもあるのだ。

  貧困問題の解決は単なる「保護」「ほどこし」ではなく、雇用(=労働)を通じて、人間存在の価値を奪い返すことである。それなくして、貧困の悲惨さの統計学や表層的分析では何ら時代は変えられないであろう。

  奪われた労働を奪い直すこと、機能不全に陥った旧い社会システムを新しく労働者・市民の手によって創り出していくこと。それが今日問われている緊急の課題である。

 

釜ヶ崎2009年の闘いの軌跡

  前述した通り釜ヶ崎の2009年は、前代未聞の失業、アブレ地獄であった。仕事をしたくとも仕事がない。そうした中で緊急雇用対策として大阪府、大阪市に、この地に緊急といえども年間1500名程度の仕事をださせたことは一定(いってい)評価(ひょうか)しうることである。

  しかし、それは何よりも3月4月の第一波、第二波の大衆的要求行動の結果であることは明らかだ。昨秋よりの失業、アブレと野宿の常態化の中で我々は、一方で、不当な基準を緩和し生活保護による緊急対策の実施と、就労・仕事をふやすことを主張し闘ってきた。釜ヶ崎からの大衆行動は「このまま野垂れ死にしてたまるか」「行政は責任を取れ」といった熱い力として伝えられた。

  5月1日第40回釜メーデーには、釜日労、反失連の部隊は堂々180名で決起した。のぼり旗と赤旗を林立させ、中之島メーデーに合流し、「闘うメーデー」の伝統を守った。これは全国的な反貧困反失業闘争の先頭に釜ヶ崎労働者が立ち上がるという宣言に他ならない。

  また、こうした闘いの熱いうねりは8月の第38回釜ヶ崎夏祭りの盛り沢山なイベントと昨年を上回る参加人員、盛況さへと引き継がれていったのである。

  一方、定額給付金と総選挙を焦点に、さまざまな運動体で住民登録問題をめぐる取り組みがなされた。 麻生-自民党が支持票欲しさに有権者を騙そうと、最後の悪あがきで三兆円弱の税金をつぎ込み「全国民へ」とばら撒いた定額給付金は、97.6%の国民が受給したことになっているが、まさに彼らの思惑通りに「有権者」のみが対象であり、本当に必要とされる失業により野宿を強いられている者にわたることはなかった。大阪でも14億円が、全国では約190億円が国庫に返納されることとなった。大阪市は再三の釜ヶ崎労働者、支援団体の要請にもかかわらず、NPO釜ヶ崎、ふるさとの家、釜ヶ崎解放会館での職権消除‐登録取り上げの責任も取らず、住民登録のできない労働者に対する措置を講じることなくその支給を打ちきった。

  他方、選挙権をめぐる問題では、大阪市は、住基法という後から官僚が作った法律が、現実の労働者の生活実態に即していないことを棚に上げ、憲法上保障された権利‐選挙権に優先させるという暴挙を働いた。憲法よりも住基法という手続法を優先させ選挙権を奪ったのだ。そして、大阪地裁はあえて憲法判断を避け、失業‐野宿者を切り捨てた。

  こうした釜ヶ崎労働者をめぐる情勢の中で、釜ヶ崎的枠組みに固執することだけでは闘いの未来はなく、全釜ヶ崎的団結とともに全国政治‐国政をも見据え、正規‐非正規を貫く労働者の団結を創り出す運動の必要性が以前にもまして明らかになった。

  今、釜ヶ崎では一部の運動破壊者を除いて、それぞれの運動を基礎に、そうした試みが進められてきている。

  今年の夏は歴史的にはひとつの転換期を指し示すものとも言えた。 8月30日の衆議院選で、自公政権は歴史的大敗を喫した。国民の怒り、変革を求める声は自民党の永い政権下で肥え太ってきた55年体制とそのシステムが時代の老廃物と化していることを明らかにした。

  時代は動き始めている。変革か、形を変えた現状維持か、闘う側の力量が問われてきたのだ。秋の闘いはまさにその試金石といえた。反失連・釜日労は、9月関西新空港反対闘争、滋賀県あいば野での日米合同軍事演習阻止、そして 10.12大阪、10.18 京都での反戦反失業の闘い、更に在日外国人を嫌悪し、差別・排外主義による国民統合と戦争体制作りをもくろむ新手の市民運動‐「在日外国人の特件を許さない市民の会」との実に5度に及ぶ抗議糾弾あるいは防衛闘争を闘い抜いてきた。

  今、「国民の生活第一」をメインスローガンとした鳩山連立政権の動向は、二万人を超える沖縄県民の米軍基地県外移設を求める県民大会とその決議、それに連なる米軍再編と日米軍事一体化に反対する反戦・反失業の闘いの前進、そして米国の直接的恫喝と日本経済界の圧力との挟間で全く予断を許さない状態になっている。

  時代は「雇用なき景気回復」、デフレ下での低賃金の固定化が、失業=野宿の固定化と軌を一つにして始まっている。闘う側の力で鳩山連立政権をして時代に逆行させぬために、大きな民衆の団結が今こそ問われている。秋の一連の闘いは全てその布陣であったといえよう。

   2009年が終わろうとしている。日本の未来は、日本の民衆の未来は、釜ヶ崎労働者の未来は、全て闘う仲間の団結にかかっているといっても過言ではない。11/8、21,000人の沖縄県民の決起は、全国の闘う仲間に勇気を与えている。われわれ釜ヶ崎の労働者の未来は、日本の労働者・市民の未来は、闘う仲間たちの団結の中にしか見出せない。団結こそが唯一、我々「弱者」の武器である。

  「連帯を求めて、孤立を恐れず」に闘ってきた我々であるが、今「連帯を求めて、更に連帯を求める」。釜ヶ崎の地から未来へ向けた闘いの2010年を作り出そう。

 

スローガン

越冬闘争を闘うぞ! 仲間内から餓死・凍死者を出さないぞ!

野宿をさせるな! 仕事をよこせ!

南港臨泊の年齢制限、期間短縮をするな!

緊急雇用対策から特掃の週3日を実現しろ!

年齢制限のない仕事を創れ!

仕事ができる生保受給者に仕事と職業訓練を出せ! 社会的就労事業を創れ!

社会的就労を担う社会的企業を育成しろ!国の責任で失業・野宿を解決しろ!

 米軍「思いやり予算」より仕事をよこせ!

アメリカに追随する戦争国家づくり反対! 

日米軍事一体化を許さないぞ!

鳩山連立政権は労働者の声を聞け! 

沖縄県民の声を聞け!

釜ヶ崎労働者の声を聞け!

正規‐非正規つらぬく団結を創るぞ!

全国の労働者・市民と連帯して闘うぞ!

全世界の労働者・人民と連帯して闘うぞ!

40回目の越冬闘争に勝利するぞ


釜ヶ崎越冬闘争への緊急資金協力のおねがいです

2009年12月24日 | 日記
 一年は早いもので、今年も寒い季節がやってきました。野宿を強いられる多くの労働者にとっては地獄さながらの季節です。大阪市における年間の「路上死」者は毎年100人を越え、凍死、餓死など、その過酷さは冬に集中します。野宿を強いられる仲間にとっては、まさに命の危機に直面する季節といえると思います。
 釜ヶ崎越冬闘争は、今回で40回目を数えます。支援・市民が集まって「一人たりとも死者を出すな」を合い言葉に、毎年毎年、とぎらすことなく続けてきました。今年も、
12月28日~1月 8日までの12日間を、やりきろうと思っております。
釜ヶ崎越冬闘争とは
 釜ヶ崎越冬闘争は、第1回の1970年暮れ以来、ずっと続けられています。目的は、行政の窓口も閉ざされる年末年始をはさんでの厳しい寒さの時期、野宿を強いられる仲間に生きることが闘いであることを呼びかけながら、仲間を防衛するため、期間中、仲間と支援が一緒になって様々な活動を取りくむことです。具体的には、夜の地区内医療パトロール、毎日の炊き出し、布団毛布を用意しての寝場所作り、地区外で野宿する仲間に呼びかけ、また市民に釜ヶ崎の実情を知らせるための人民パトロール、そして、正月をはさんで行われる越冬まつりなどです。越冬まつりは、三角公園にたき火をたき、のど自慢、バンド・演歌歌手の演奏、モチつき大会、ソフトボール大会など、寒さを吹き飛ばしての楽しい行事です。仕事始めの1月4日には、労働者が大阪府・市に押しかけ、要求書をだして行政に就労対策などを強く迫ります。
 越冬闘争は、労働者を取り巻く格差・貧困の増大、そして、国・行政の「職・住対策」の不備ゆえに、まだまだ多くの労働者が野宿を強いられる状況が続く限り、ずっと取りくみ続けなければならない、現場での大事な闘いです。

資金協力のお願いです
越冬闘争を闘っていくにあたりお願いがあります。裏面に、前回39回越冬闘争の収支報告をのせてありますが、それをご覧になっていただくとわかりますように、一回の越冬闘争で、約70~80万円の資金が要ります。
これまで述べさせてもらった趣旨をよくご理解いただき、今回も、多くのみなさんの資金協力を、ここにお願いする次第です。よろしくお願いいたします。
 【振込先】
①みずほ銀行 難波支店 普通口座1387094 釜ヶ崎実行委員会 代表 山田 実
②ゆうちょ銀行 記号141 番号33722521     
【他金融機関から振り込みの場合】
③ゆうちょ銀行 店番418 普通預金3372252
④郵便振替口座 00960-4-108331
※②③④は、名義: 釜ヶ崎実行委員会

越冬闘争を闘うには、次のような多くの物資が必要になります。
 ★毎日の炊き出しに使う、米、野菜、その他の食料
 ★寝場所とか、医療パトロールで使う、布団(敷布団、掛布団)、毛布類
 ★衣類(成人男性用で、防寒着、セーター類、下着、靴下など)
★その他、石鹸、タオルなどの日常生活用品

越冬闘争の趣旨をよくご理解いただき、多くのみなさんの物資協力を、ここにお願いする次第です。よろしくお願いいたします。
【物資の送付先】
(〒557-0004)大阪市西成区萩之茶屋1-9-7
        第40回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会(代表 山田 実)
    電話:06-6632-4273

第40回釜ヶ崎越冬闘争支援連帯集会のお知らせ

2009年11月27日 | 日記

12月13日 日曜日

午後6:00時より

ふるさとの家にて


釜日労のブログ-地図 1 釜日労のブログ-地図 2

     1.JR環状線,南海本線 新今宮駅下車      三角公園そば    

     2.市営地下鉄 御堂筋線,堺筋線 動物園前駅  西成消防署海道出張所隣

     3.市営地下鉄 四つ橋線,花園町駅下車   

     4.南海高野線 萩ノ茶屋駅下車       


釜ヶ崎越冬支援連帯集会への呼びかけ

安心して働き、生活できる釜ヶ崎を求めて闘う第40回釜ヶ崎越冬闘争に一人でも多くの仲間たちの結集を呼びかけます。

自民党‐小泉政権下で進められてきた市場原理主義、新自由主義の崩壊と破綻は、ここ日雇労働者の街-釜ヶ崎を、失業と野宿が固定化した、絶対的失業‐野宿-福祉の街へと変えました。

日雇労働市場としての釜ヶ崎の求人は、昨秋より悪化・激減の一途をたどり、今春、年度初めから例年の半分以下しか求人がない状況が続いています。“働きたくとも仕事がない”それはここで暮らし、生きるものにとって、シェルターの利用、あるいは野宿の常態化を意味し、夏の炎天下を、秋の冷たい雨に打たれて、冬の北風に身を震わせながら、公園から公園へ、教会から教会へと炊き出しに食を求めて長い列を作るしかすべがないことを意味します。高齢化し、思い通りにならない自分の身体、就労から拒否され、奪われ続けた労働、社会保障からの長い間の門前払い、それが釜ヶ崎の風景と化しています。

釜日労・反失連は、昨年の越冬闘争以降、この間の状況を打破すべく対市、対府闘争を強めています。そして実行委員会に結集する全ての団体・個人も、この状況を切り開くために様々に活動を強め、様々な共同を模索しています。この厳しい社会状況から脱却する唯一の武器は団結すること、スクラムを組み、おのれの力で世界を変えてゆくこと、これだけが釜ヶ崎労働者に残された手段です。

構造的不況が深まり、官僚主導による市場原理主義的社会システムの崩壊が、昨秋以降の金融危機に端を発した不況の本格化の中で、「寄せ場の全国化」と言われるように一挙に拡大し、失業・野宿問題が全国的な政治問題として浮上してきました。

高度経済成長の終焉-バブル崩壊以降これまで景気の調整弁としての、産業構造の転換に伴う失業者を受け入れてきた建設業界自体が疲弊しきり、その機能を失っている中で、新自由主義・市場原理主義路線の下、生き残りと肥大化をもくろむ資本は、派遣事業法を使って労働者を更に「自由」に搾取し、不況の声を聞くと同時に、景気の調整弁として寒空に放出しました。

旧来の社会保障制度、雇用・就労の仕組みがことごとく崩壊し、官僚、政党・政治家、学者、既成の労働運動がその方向性を指し示す事の出来ない時代に突入した、ということだと思います。

こうして、高度経済成長の終焉-バブル崩壊以降、新たな社会を目指して「改革」を求めてきた労働者・市民は前の総選挙で、官僚主導の市場原理主義に基づく自・公政権にNOを突きつけ「生活が第一」とする民主党を中心とする連立政権に歴史的勝利を与えました。

この新政権に、アメリカはその圧力を強め、旧来の政治勢力は巻き返しを図り、官僚はその利権を維持しようと抵抗を強めることは必至であり、すでに始まっています。

このような状況の中で、われわれは、新政権に甘い期待を寄せ、身を委ねることなどは出来ませんが、大きな社会転換を推し進めることが出来る可能性を否定することも出来ません。不断にブレる新政権に対して、闘争陣形を強め、私たちの側に引きつけていくことが何より大事です。

55年体制下や自・公政権下とは異なる質の闘いが求められています。ただ資本や行政を糾弾し、批判し、「正義」を叫び、求めるだけでは旧来の崩壊した社会システムに期待し、美化することでしかありません。

資本主義の下で創られてきた、社会のしくみ、利益第一の職業、生活スタイル、考え方の中に、私たちの未来をみることは出来ません。

運動などをとうして、具体的な要求を、現実に獲得しつつ、新たな社会の仕組みを創っていく試みを積み重ね、労働者・市民、自らが社会の主人公になるための、訓練をし、力を身につけ、陣地を獲得してゆくことこそが、安心して働き、生活できる未来を切り開く道となるのではないでしょうか。

釜の闘いは一時期の停滞的状況の時に終わりを告げ、あらたな闘いへ踏みだしました。より労働者・市民が活き活きと働き、生活できる「あらたな社会のしくみ」を創り出すためにともに闘いましょう。

私たちは、なかまたちの命を守る越冬闘争を通じて、多くの労働者・市民の皆さんとの結びつきを創り出すものとして、今回の第40回釜ヶ崎越冬闘争への参加を、多くの皆さんに呼びかけます。

40回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会


第40回釜ヶ崎越冬闘争 第一弾

2009年11月13日 | 日記

越冬闘争第一弾! 衣料放出!!

1114日 朝8:00am

医療センター前にて冬物のカンパ衣料を放出します。

防寒着や下着などなど

全国の心ある皆さんより寄せられたカンパです。

よろしければご利用ください。

 

40回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会

釜ヶ崎日雇労働組合

NPO釜ヶ崎支援機構


釜日労通信 「釜ヶ崎解放」11月5日号

2009年11月05日 | 日記

ヤカラによる分断策動を許さず、

 新政権に公的就労を創らせよう!!

 釜ヶ崎の皆さん! 冬の寒さも本格化する中、釜ヶ崎では、アブレ(失業)地獄がますます深まり、『「釜」の底が抜けた』状態になっている。こうした中、野宿をしている状態仲間や、シェルターを利用している仲間の生活保護申請が急増してきた。

 大阪市では、生活保護費が全予算の15%を越え、実に20人に一人が生活保護で暮らしている。西成区に至っては、20歳以上の成人11万人のうち、昨年は、2万1千世帯、今年に入ってからは、2万3千5百世帯と、4人に1人が生活保護となっている。不況の深まりの中、生活保護が急増し続ければ市の財政がパンクするのは目に見えている。

 平松大阪市長は、こうした現状に根を上げ、「国の責任で何とかしろ」と言っているが、その通り!新政権にきちんとした対策を求めていかなければならない。 新政権に公的就労を創らせよう!

 オレ達は、この不況を先取りする形で、バブル崩壊以降深まったアブレ地獄の中で、失業-野宿の増大の中で、反失業闘争を闘いの中心にして闘い抜いてきた。多くの釜ヶ崎の闘う仲間とともに「反失連」(*1)を結成し、センター夜間解放闘争や野営闘争を闘い抜くことによって、「ホームレス自立支援法」(*2)を創らせ、「野宿は国の責任」であることを認めさせてきた。

 そして、その成果の上で、NPO釜ヶ崎を創り、「特掃」(*3)やシェルター(*4)を闘い取ってきた。職安を軸とした、旧来の社会システム、釜ヶ崎の就労システム(*5)が、不況の深まりの中で、完全に崩壊した現実をしっかりと見据え「新たなしくみ」を創り出してきたのだ。

 確かに、こうした取り組みは、まだまだ不十分であり、「とりあえず生保へ」という仲間も多くいる。しかし、就労と結びつかない生活保護のあり方で、就労意欲すら奪われた層も大量に生み出されている。前に述べたように、これまでのような、セーフティーネット=生活保護路線は、この先パンクすることが目に見えているのだ。

 こうした中、「生活第一」という新政権の登場はチャンスであり、それを生かして、「新たなしくみ」創りを更に推し進めていかなければならない。具体的には、「特掃」を週三回以上(*6)にさせること、更には、55歳以下の若い仲間たちの「仕事のしくみ」を創り出していくことであり、公的就労を創り出すための予算を国に創らせていくことだ。

 こうしたことは一地方自治体では出来ない。国の責任として、新政権に要求を突きつけていこう。生活保護の金を増やすのではなく公的就労創りに使わせていこう。われわれがこの闘いに勝利してゆくためには、何よりも釜ヶ崎労働者全体の団結が必要だ。そして、この不況に苦しむ全国の仲間との連帯が必要だ。

 残念なことに、釜合労-稲垣は、「テントは自由の証」と主張し、国に失業-野宿の責任をとらせるのではなく、野宿を固定化し、不況の深まりの中で、ふだんに野宿へと追いやられる多くの非正規労働者や、正規労働者に、野宿を勧める運動へと行き着いてしまった(第一の罪)。

 そして、新たな情勢の中で、旧来からの「寄せ場主義『釜ヶ崎主義』」と、「市民社会主敵論」を全面化させ、NPO釜ヶ崎の「仕事づくり」に、ウソ八百を並べ立てて難癖をつけ、「特掃」つぶし、シェルターつぶしに全力を費やしている(第二の罪)。

 さらには、オノレが釜ヶ崎の外から自家用車で通勤していることを棚に上げて、「NPO従業員は釜に住んでいませんよ。仲間じゃありませんよ」、シェルターのスタッフに、土建労働者よりも派遣労働出身者が多いことをさして「番犬」「糞バエ」呼ばわりをして、「NPO職員は日雇いではなく、常庸で、失業保険を貰った」などと、常用労働者と日雇い労働者の分断を図っている(第三の罪)。

 この三点を見るだけでも明らかなように、失業-野宿の原因をつくった国や経済界と闘うのではなく、現状を固定化しようとし、労働者の「新たなしくみ」創りに反対し、労働者間に分断を持ち込もうとするなど、釜合労-稲垣は、まさに反動に転落してしまっている。こうしたヤカラの分断活動に抗してともに闘おう。

 更には、アブレ地獄につけ込み、賃金不払いや、労災のモミ消しも増えてきている。先日の奈良の業者による賃金未払いも、元請け業者にきちんと清算させた。また、満期近くなると、現場で追い回したり、飯場内で意図的にアブレさせ、トンコ(*7)させる悪質業者も増えている。こうした業者を許さず、仲間たちの団結でやっつけよう!

 

*1. 釜ヶ崎反失業連絡会=釜ヶ崎就労・生活保障制度を実現をめざす連絡会

*2.「ホームレス自立支援法」は野宿生活をせざるをえない状態を初めて、それまでの「自己責任論」ではなく「国の責任」と認めた点で画期的である、と同時に、この法を根拠として様々な自立支援策の予算が組まれている。例えそれが不十分であっても、多くの野宿者が自立へ向けそれを利用し、現在も役立てていることは事実である。反面、公園や駅、路上などからの追い出しに使われると反対する人たちもいる。

*3.大阪市、大阪府が行なっている釜ヶ崎の高齢日雇い労働者向け就労事業。 55歳以上の労働者が年に一回登録し、輪番制で公園や道路、行政の所有する空き地、建物の草刈り、清掃、ペンキ塗りなどの軽作業を行なう。一日200人前後、賃金は手取り5700円。月に3~4回ほど。

*4.夜間緊急避難所。5時半から翌朝5時までの無料宿泊施設。二段ベッドにふとんの変りのキャンプ洋銀マット、毛布が夏は2枚、冬は4枚という劣悪な宿泊施設。それでも露宿よりは寒さをしのげるだけまし。

*5.釜ヶ崎の求人業者が職安法違反の派遣業者=人夫出し=口入れ屋であったことから職安が直接紹介を出来ないので、建労法をつくり、半官半民の「労働センター」に登録・管理させ、「相対方式」の紹介と称して業者に直接求人させ、建設業界等の要請に応えた。現在では不況の深まりで労働力需要が落ち込み、釜ヶ崎の労働センターが労働市場として機能せず、政策的に釜ヶ崎に集められた大量の労働者が、高齢化し、大量の失業者軍となってしまっている。

*6.週三回働くこと=月に13回以上働くことが出来れば、日雇い雇用保険の□が出来、賃金収入と保険金収入(1日4100円、月最高13回)で生活保護並みの収入を得ることが出来る。

*7.「追い回す」=あれやれ・これやれと休む間もないほどせわしなく仕事をさせること。  「トンコ」=現場や飯場を、賃金の清算もせず、逃げ出すこと。


個人商店となった釜合労ー稲垣は釜ヶ崎労働者の追求から逃亡!!

2009年10月27日 | 日記
 

釜日労「釜ヶ崎解放」10月26日号



稲垣個人商店=釜合労の新商品「250円の強制労働」はやはりバッタもん!

仲間たちに正確な情報を伝え、生活・仕事の選択肢の一つとして利用して貰うことなど考えてもいない。情報を操作して、自分のために仲間たちを利用しようとする魂胆が見え見え!!

稲垣商店は「日雇健保減免申請」で欺したなかまに謝罪しろ!


なかまのみなさん!

特掃のなかまたちに「日雇健保の減免申請をして265円を受け取ろう。NPO釜ヶ崎は賃金不払いだ」と、デマ宣伝を振りまいていた釜合労の稲垣は、大阪市に「証拠を提出するように」と、監査請求を蹴飛ばされ、労働基準監督署からは「賃金不払いではありません」と言われ、あわてて「自立支援センターで一日250円の強制労働」という、見え見えのデッチ上げを新商品として持ち出してきた。

「減免申請」で欺された労働者の追求を恐れた稲垣は、その怒りをかわそうと、新たに闘っているフリをするため「一日250円の強制労働」問題なるものをデッチ上げてきた。

しかし、この間の番頭格だった市場原理主義を信奉する利己主義者=立林が「稲垣のところにいても一人で儲けるだけでなんのメリットもない」と逃げ出してしまったので、行政から開示された資料を読みこなす事も出来ない稲垣は、それらしい体裁さえ整えられない、お笑いぐさなデッチ上げを創ってしまったのだ。そして自立支援センターへ入ったなかまが、退所時に持って出る事の出来る「自立貯金」の基である「自立助長訓練事業」を潰そうとしたのだ。

先週の木曜日と金曜日、「9時30分~3時30分までの強制労働で250円」「外国人研修生の賃金以下、刑務所の労働並み、もうすぐ私もこんな金額で働かされます」とか「おまけに午後からは内職までやらされる」、としたり顔で演説する稲垣に対してなかまたちの怒りが爆発しました。

3~40人のなかまたちが彼らを取り囲み、自立支援センター舞洲を退所したばかりだというなかまが「所外作業は700円で実働○時間ほどの軽作業、午後の内職は出来高でもらえる」と自立貯金の明細書を見せながら、「デタラメばっかり言って自立訓練を潰すつもりか」「退所するときに、この20万円(内職と合わせて)ほどを持って出るのか、無一文で出るかは俺たちにとって死活問題だ」、と詰め寄りました。

「NPOから250円、他からの手当てと合わせて、全部で700円なんだ」「希望者だけの仕事だ、じゃまするな」「刑務所と同じだと?刑務所でひと月働いても1000円にもならない。いい加減な事ばっかり言うな!」と、他のなかまたちも詰め寄りましたが、稲垣は「NPOと行政の契約書が250円」になってる」というばかりでした。

そして「デタラメばかり言うな」「労働者のためになる運動をしろ」という厳しい追及の前に、稲垣は何を血迷ったか「契約書がそうなっているんだから実働○時間なんてあるわけがない、9時30分~3時30分まで働かなきゃおかしいだろう」とその場のなかまたちが、一瞬、耳を疑い、言葉を失ってしまう発言をしました。

これを聞いたなかまたちが騒然となると、「もうあいりん職安に行く時間だ。」と言って、なかまたちが「稲垣逃げるな!」と口々に叫ぶ中そそくさと逃げ出しました。


釜合労-稲垣は労働者の声を聞け!欺した労働者たちに謝罪しろ!

稲垣個人商店の利益のために、労働者が闘い取った権利を潰そうとするな!

労働組合の委員長を名乗る男が、契約どおり時間いっぱい働かなくちゃあかん、ということを言ったのです。人夫出し(派遣元)のピンハネ親父でさえ派遣先がもう良いといったのに「契約通り時間いっぱい働いてこい」などとは言いません。

このことから彼が労働者のことなど、これっぽっちも考えていないこと、事実調査もせずに一のことを百まで誇張し、自分勝手に事実をねじ曲げて、ウソで塗り固めてまで宣伝していること、そうした方法で労働者を扇動して利用することばかり考えていることがわかります。

日雇健保の減免申請で「265円もらえます。これは賃金不払いで労基署もそう言っています」、これがほんとなら何故、労基署はNPOになにも指導をしないのでしょう。労働法を知っている者ならこれがはじめからウソなのはわかっていることです。告発した結果についてはいまだに何も言わずだんまりを決め込んでいます。

稲垣浩は欺して不利益をこうむらせたなかまに謝罪しろ!

六人問題も、釜ヶ崎労働者は、それが労働者のために使われていればなにも文句はないのだ。法令遵守よりもその(特掃の)主旨に添っているかどうかが問題なのだ。

稲垣は、本音は特掃潰しのためだが、偽善的「正義」を振りかざした。そして、結果は経費を輪番の人工へ回せなくし、仕事量を以前より減らしただけだった。責任を取れ!

野宿をせざるを得ない仲間たちは、選択肢の一つに自立支援センターの利用を入れている。野宿者を増やして、炊き出しを売りに、カンパ金を増やそうなどと云う稲垣個人商店の利益のために、自立支援事業潰しをするな!

「テントは自由の証」などと言って、労働者を野宿に縛り付けようとするのはおまえだけだ。

野宿をせざるを得ない失業者に、多くの選択肢を用意し、一人でも多くのなかまが野宿から脱出できるようにするのが労働運動の使命だ。

おまえが奴隷労働という舞洲自立の内職は、センターから出る内職だけでなく、仲間たちが退所するときに少しでも多くの現金を持って出られるように、NPO職員が、早出、残業をしてまで、かき集めている仕事だぞ!おまえも少しはNPO職員を見習え!

デマ宣伝ばかりでなく、少しでも仕事を創って持ってこい!

なかまたち!嘘つきと闘おう!


※この間、釜日労では釜合労を稲垣個人商店と呼んでいます。これは労働者の「釜合労は労働組合じゃない。稲垣さんと『奥さん』の二人が彼らの儲けのためにやってるんだから、労働組合とは言わん。労働者のために活動してるならわかるけど、自分たち家族のための活動しかしないんだから、商売と同じだよ。」と言う意見を採用したからです。確かに、二人以外は寝るところと白飯(おかずは自分持ち)を与えられて、一週間で1000円貰うだけ。ビラ撒きや、炊き出しをやっている人たちは稲垣さんの主張なんか関係ないと言ってるんだから組合員じゃないもんね。自立助長訓練の手当てより低い賃金で働かされている彼らの扱いこそ、人権無視!ですね。


ウソ、デマ。デッチ上げの総合商社-釜合労

2009年10月22日 | 日記

ウソ、デマ。デッチ上げの総合商社-釜合労

稲垣個人商店の新商品はまたしてもバッタもん!

『自立を助長する訓練手当ては250円』をセンターで大安売り???

釜ヶ崎でウソ、デマ、デッチ上げを大安売りしてきた釜合労-稲垣は、大阪市から監査請求を蹴られ、当然の事ではあるが、労基署からも「日雇健保の事業者負担分は賃金には当たらない」と言われて、減免申請をして不利益を被ったなかまたちからの追求を恐れて、なかまたちの関心をそらそうとまたもやとんでもないデマ宣伝を始めた。とんでもない大嘘です。

自立支援センター舞洲では、「一日働いて250円しかもらえません。自立意欲を助長する訓練手当てと称してたった250円ですよ」「外国人労働者を研修目的として・・・低賃金でこき使っているのを思いおこさせ」るそうです。

この主張ははたしてほんとなのでしょうか。そうです。いつも通りまた事実調査のないままのデッチ上げです。

舞洲自立に行ったことのある人ならみんな笑ってしまいます。ヤカラたちが演説で言っているような強制力を持った仕事でもなければ、賃金が250円なわけでもありません。実際、食、住は補償された上で希望者が参加できる所外作業であり、内職です。内職は出来高により分配され、この作業への参加者は、退所時に、両方合わせて、約20万円という現金を持って出る事ができる可能性があるのです。(過去実績)

自立支援センターのあり方の議論はさておいても、この現金があるのと無いのでは、その後の生活を切り開いていく上で大きな違いがあるのは誰にでもわかる事です。

釜合労-稲垣商店は自分らのウソ、デマ、デッチ上げにより被害を被ったなかまたちの批判の矛先をかわそうと、ますます酷いデマで、「闘っているパフォーマンス(フリをする事)」をしようと、なりふり構わないところまで堕落してしまいました。

 

稲垣個人商店-釜合労は欺した労働者に謝罪しろ !!

先週は、NPOが「人数にして1008人分、金額は6652542円をどこかに隠した」と言い、人増えたと、意気込んでいました。

がしかし、彼らが「休み明け人」の人件費の「目的外使用=法令遵守」と騒ぐ事によって、行政が名目通りの求人を輪番に出したということは、おなじく「目的外使用=法令遵守」をたてにされ、以前ビラに書いたように、NPO釜ヶ崎が、ほうきやチリトリなどの消耗品費を削って、01700人、02962人、03910人、04650人という、彼らが言う以上の仕事を出してきた事も目的外使用となり、今後、各予算の余った分の返還が求められる可能性が出てきたということです。仕事を増やせず、減ってしまったら大変な事です。

労働組合を名乗る、稲垣個人商店-釜合労はその責任を取れるのか! センターでの演説のような「仕事を増やすのはNPO釜ヶ崎の仕事です。私たちのする事ではありません。」などという無責任な言い逃れは許されないぞ!


ウソ、デマ。デッチ上げの総合商社-釜合労 その2

2009年10月22日 | 日記

釜合労―稲垣の時代遅れな運動スタイルと

我が身の利益だけを考える運動の方向性

釜合労-稲垣はセンターで、大声を張り上げて「野宿は自由の証」と叫んでいます。野宿をせざるを得ないものは誰でも強制排除に反対だ。ほとんどの支援団体もそうです。しかし、野宿を好きでしている人たちなど皆無に等しい。仕事が無く、収入も無し、屋根の下で生活できないから仕方なしに野宿生活をしているのです。行政が働く権利を保障できないからこそ、税金を使ってでも人としての最低限の生活をさせろと生活保護や特掃を要求できるのです。

個人の好みで野宿をしているなら自己責任でしかありません。個人に野宿の権利があっても、労働組合が運動方針として野宿生活からの脱出を言わない、逆に労働者に野宿しろ、などとはとんでもない。

何故そうなるのか! 野宿者が増えれば、その悲惨さをうりにして、野宿者を「炊き出しで救済している」稲垣個人商店に寄付金が集まるからだけなのです。

これこそ彼の運動方針なのです。

そして彼の運動スタイルは旧態依然たる55年体制下=高度経済成長下の運動スタイルのままです。

行政の不正義、悪行を暴露し、糾弾し、何らかの施策を施して貰おう、と云うものです。

かつて好景気のときには、行政や経済界が、労働者への分配を増やし、反抗を押さえようとしたのでこういう手法も通用しました。

しかし、自公政権の新自由主義=弱肉強食経済が登場して以来、建前としての「富は労働者にも分け与えなければならない」「全ての人に最低限の生活保証を」などという考えはどこにもなくなってしまい、行政に期待するだけでは何も得られなくなってしまったのです。

政治家や、官僚でさえも舵取りのわからないこの時代には、われわれ労働者自らが、運動を強め、労働者のための新たな社会のしくみを創っていかなければなりませんし、われわれの未来を切り開くための大きなチャンスでもあります。

行政の不正義を暴露し、無策を批判するにとどまらず、われわれのための施策を提案し、創らせ、一つでも、二つでも具体策を勝ち取ってゆく事こそが労働運動の求められている方向です。

そのことを理解できない稲垣個人商店は、釜ヶ崎労働者の闘いの成果である、特掃や、シェルターを、カンパ金集めのじゃまだとばかり、野宿者を増やすため、破壊する方向で活動しているのです。

反失業の闘いを、反戦と結びつけ、新たな社会の仕組み創くりを目指し、釜日労とともに闘いましょう!

10・12大阪 反戦・反基地 集会 釜日労アピール

2009年10月13日 | 日記

10・12大阪 反戦・反基地 集会 釜日労アピール

 

戦争よりも仕事を! 基地よりも生活を!!

 

日本の軍事予算5兆円! 在日米軍への思いやり予算6000億円 !!

PAC-3ミサイルシステムの改修に1000億円 !!

在日米軍への思いやり予算の1%の予算で社会的に有益な仕事を出せば野宿をしなければならない人を無くすことが出来ます。

 

  10・12集会に結集されたなかまのみなさん。私たち釜日労は、90年代バブル崩壊以降、アブレ(失業)地獄が常態化する中、急速に進められる新自由主義-グローバリズムによる日本社会の大転換に対し、反失業闘争を運動の中心に据えて闘ってきました。 

  93年、「釜ヶ崎就労・生活保障制度の実現をめざす連絡会」=反失連を結成し、産業構造の転換による労働者階級の使い捨て-スクラップ化、とりわけ最下層での失業・野宿労働者への「怠け者」=「自己責任論」キャンペーンによる「野垂れ死に当然」攻撃に抗して、社会的責任を明らかにしながら、大阪城公園(=府庁前)、中之島公園(=市庁前)での野営闘争、あいりん労働センターの夜間解放闘争(屋根のある野宿場所として)を労働者自身の実力闘争、自主管理闘争として闘い抜いてきました。

 そして99年にはNPO釜ヶ崎を創り、02年に野宿問題対策の予算的根拠=ホ-ムレス自立支援法を獲得、凍死対策として夜間緊急避難所(シェルター)を、餓死対策として高齢者特別清掃事業(特掃)を闘い取り、反失業闘争の延長として、労働者自らが事業体を運営しながら、「新たな社会システムを創り、担ってゆく」そうした闘いを模索してきました。

 全国で唯一、釜ヶ崎で実現した労働者自身による仕事創りは、現在、高齢日雇の輪番労働者とNPO釜ヶ崎従業員を含めると、一日当り350名を超える就労を実現しています。

 構造的不況が深まり、官僚主導による市場原理主義的社会システムの崩壊が、昨秋以降の金融危機に端を発した不況の本格化の中で、「寄せ場の全国化」と言われるように一挙に拡大し、失業・野宿問題が「怠け者の自己責任」ではなく、資本の合理化、失業問題であることが誰の目にもはっきりと見えるようになりました。

 全国的な政治問題として浮上してきたのです。

 高度経済成長の終焉-バブル崩壊以降これまで、景気の調整弁としての、産業構造の転換に伴う失業者を受け入れてきた建設業界自体が疲弊しきり、その機能を失っている中で、新自由主義・市場原理主義路線の下、生き残りと肥大化をもくろむ資本は、派遣事業法を使って労働者を非正規化し、更に「自由」に搾取し、不況の声を聞くと同時に、景気の調整弁として寒空に放り出しました。

 こうして、高度経済成長の終焉-バブル崩壊以降、新たな社会を目指して「改革」を求め、小泉「構造改革」-自・公政権に裏切られ、更に重いくびきを課せられた労働者・人民は、前の総選挙で、官僚主導の市場原理主義に基づく自・公政権にNOを突きつけ、「生活が第一」とする民主党を中心とする連立政権に歴史的勝利を与えました。

 この「対等な日米関係」「東アジア共同体」を掲げる新政権に、アメリカはその圧力を強め、旧来の政治勢力は捲き返しを図り、官僚はその利権を維持しようと抵抗を強めることは必至であり、すでに始まっています。

 このような状況の中で、われわれは、どうせ自民党と変らない、いや憲法・防衛問題ではそれよりも酷い奴らがいる、あるいはお手並み拝見と傍観するのではなく、不断にブレる新政権に対して、闘争陣形を強め、私たちの側に引きつけていくことが何より大事です。

 55年体制下や自・公政権下とは異なる質の闘いが求められています。ただ資本や行政を糾弾し、批判し、自分の「正義」を叫ぶだけ、求めるだけでは旧来の社会システムに期待し、美化することでしかありません。

 NPO運動などをとうして、具体的な要求を実現させ、新たな社会の仕組みを創っていく試みを積み重ね、労働者自らが社会の主人公になるための、訓練をし、力を身につけ、陣地を獲得してゆくことこそが、安心して働き、生活できる未来を切り開く道となるのではないでしょうか。

 資本主義の下で創られてきた、社会のしくみ、利益第一の職業、生活スタイル、考え方の中に、私たちの未来をみることは出来ません。

 こうした闘いの前進抜きには、新たな社会システムの建設も、米軍再編を許さず、在日米軍基地を撤去させ、日米軍事一体化を阻止し、日本のアメリカへの戦争協力を阻止してゆくことも出来ないでしょう。

 「新たなしくみ」を創り出していくための闘いをさらに強めていきましょう。

 残念なことに、釜ヶ崎の地においても、「テントは自由の証」と野宿を固定化し、その悲惨さを売り物にしたカンパ金欲しさに外向けの活動しかしない傾向が存在しています、NPO、「特掃」、シェルターなどの労働者のための「新たなしくみ」作りを全く理解できず、その運動の前進と、労働者の結集に恐怖し、「新たなしくみ」潰しに躍起となっているヤカラです。

 釜合労-稲垣浩は、「新たなしくみ」潰しのため、「人権」を語りながら、NPOで働く労働者には「糞バエ」「番犬」などと口汚くののしり、解放同盟に所属するNPO釜ヶ崎の理事には「解放同盟は釜ヶ崎労働者を差別している」など何の根拠もないことを宣伝し、ウソ、デマ、デッチ上げで労働者を分断しようとしましたが、当然にも労働者仲間からは相手にされず、労働センターで演説をすればワンカップの空き瓶が飛ぶというほど、ますます孤立を深めています。

 こうした守旧派とのせめぎ合いにも打ち勝っていかなければなりません。

 一方、新政権の誕生と、それを実現した人民の闘いの前進に「社会主義政権の登場」と危機感を募らせ、戦争へ向けて排外主義を煽る「在特会」のような右翼が公然と登場してきています。

 「在特会」はこれまでの制服を着て黒い街宣車で登場し、市民から嫌悪を持って迎えられた街宣右翼と異なり、市民運動のスタイルで登場し、全国で活動を活発化させています。

 彼らの在日外国人参政権に反対する全国リレーデモ最終日の大阪行動は警察発表で300名と増えており、同時に、表の「市民」面とは相反し、各地で見られたように裏では旧来の右翼同様、白色テロで民主勢力に襲いかかっており、多数の負傷者が出ています。

 これらの勢力との闘いも重要になってきます。

 私たち釜日労は、釜ヶ崎において反失業闘争をさらに発展させてゆくとともに、今秋期、9・12関西新空港反対闘争、9・19あいば野現地闘争、10・10「在特会」に対する闘いを闘い抜き、本日の闘いに決起しています。

 

 闘うなかまのみなさん!

 反戦・反失業の闘いをともに闘い抜き、安心して働き、生活できる社会をめざして、ともに闘いましょう!

 

2009年10月12日

釜ヶ崎日雇労働組合