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釜合労-稲垣浩の「名誉棄損裁判」の判決について①

2012年09月25日 | 釜日労活動報告

釜合労-稲垣浩による

「名誉棄損裁判」の判決 ついて  
 
★裁判所で「釜日労の主張を木っ端みじんに打ち砕きま」したか?
 
★市会議員候補、労働組合委員長と言う公人(公の立場の人)として「40年間働きもせずに、どうやって飯を食ってきたのか」なかまたちの疑問に答えましたか?
 
★「NPO釜ヶ崎が大阪市から公金をだましとった」「釜日労を使って労働者に威圧をかけ、権利を封じこめにかかる」「大阪市の差別行政の片棒を担ぎ、野宿生活者をダシにして食い物にしている」「わずかな利権に群がるクソ蝿」「番犬」などと動物扱いをし、「エセ神父」とののしり、「解放同盟は釜ヶ崎労働者を差別しています」と差別対立をあおってきたことは正当だという『お墨付き』をもらえましたか?
 
★「野宿者に炊き出しを」と寄せられたカンパ=大金を使ったこの裁判で、釜ヶ崎の労働者の闘い=反失業-仕事よこせの闘いは一歩でも、半歩でも前進したのですか?
 
  9月5日、釜日労を被告とする[損害賠償等請求事件]、いわゆる「名誉棄損裁判」の判決があったようだ。この判決を受けて、釜合労-稲垣浩は、直ちにインターネットで、そして、9月10日からはビラなどで、「全面勝利と言っていい判決でした」「釜日労はこの判決を忠実に履行しなければなりません」と主張しています。
  私たちはこの判決に対して、彼らのように「裁判所は公正だ」と言うつもりもないし、自分たちの言い分が通らなければ、とたんに「差別判決だ」「不当判決だ」などといちゃもん付けをするようなことはしません。
 今の民事裁判の仕組みを考慮して、裁判をすること自体に意味がないと考え、裁判に応じず、争わず、一切反論しなかったのです。だから裁判所が彼らの言い分を全面的に採用するのは当然の判断であり、われわれにとっても「予想通りの判決」です。
  釜合労‐稲垣氏こそ「裁判所ではウソは通用しません」「裁判の中で釜日労のウソを木っ端みじんに打ち砕きます」と力説していたにもかかわらずその意見陳述の中で、「デマ宣伝等に乗せられないため意見交換をしないか」と前委員長に持ちかけたが断られたなどとウソの上塗りをしただけで、私たちがビラに書いたことがいかに「ウソ」であるかについて一言も触れることはありませんでした。
  今回、私たちが訴えられた当初から、多くの仲間たちから「言ってることは全部ほんとやないか。なぜ訴えられなあかんのや」「あいつらから先に始めたんやから、あいつらも名誉棄損で訴えて裁判で決着つけたりゃあええやんか」という意見がたくさん寄せられました。
  こうした意見に対して組合は、「釜ヶ崎労働者の運動の前進とは何の関係もない裁判にムダな金など使っても意味は無い」「この裁判やったら反失業-仕事よこせの闘いが前進するならやるけどな」と答えてきました。
  そして何よりも「釜日労はいつでも釜ヶ崎労働者の目の前で公然と論争して、なかまの判断にゆだねる。裁判所に『判定』してもらうつもりはない」と答えてきました。
事実こんなことは公費を使ってわざわざ裁判所の手をわずらわすような問題ではないからです。もし、それほど重要なこと-犯罪であるなら「刑事告訴」をすればいい話です。それなら私たちを裁判所に引きずり出すこともできたでしょう。
  また、私たちが仲間たちに訴えかけてきた事実の中にはいくつか「刑事事件」になるようなことが含まれており、それを裁判の場で明らかにするということは「権力に売りわたす」と言うことになる恐れがあるからです。
 もちろん今回の裁判に対して、通常の名誉棄損裁判に見られるように、訴訟に訴訟で反撃するという方法もあります。
先にウソ、デマ、デッチ上げを繰り返してきた彼らを逆に訴えれば悪くてもどっちもどっちという結果を導き出せたかもしれません。しかし、「どっちもどっち」などという結果はとうてい承服できませんし、なにより労働運動をする者、反権力の運動をする者の矜持(プライド)として『意見が対立しても、運動をしている者を絶対に権力には売らない』と言う掟(おきて)があります。
これはいろいろな闘いをしている仲間たちと団結を求めていくのに守らなければならない絶対的なルールで、それを守れないものは彼らのように孤立し、自分たちのためだけの運動になってしまうのです。
 
釜の仲間の前で論争をすること
=「人民裁判」はリンチという主張について
 
  以上の観点から、我々はこの間一貫して「裁判所に『公正な判断』をしてもらうというのは運動上誤りである」「釜の労働者の前で議論を…」と求めてきました。
これに対して彼らは、「飛行機は持ってません」「ベンツは乗ったことはあるが持ったことはない」「兵庫に別荘は持っていません」と我々が聞いてもいない(書いてもいない)ことに反論し、「釜日労の組合員が労働者に暴力をふるい罰金刑になった」だの事実無根の宣伝を繰り返していただけであった。
そして、ただ、ただ、釜日労の言うことは「ウソ、デッチ上げだ。」「裁判で…」とくり返していました。
そしてついには「釜ヶ崎の労働者の前で論争するのは『場外乱闘』であり『人民裁判』であり、リンチです」とまで言い放ちました。
これは釜ヶ崎の闘い、否それだけではなく全ての被支配層の闘いを否定するものではないでしょうか。
「人民裁判でなく、正規の手続きと裁判で」「そしてその『決定』には従いましょう」というのは、権力を持っている支配階級の理屈であり、闘いの内部(?)でこういう主張をしているのは日本共産党ぐらいです。
  釜共闘(暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議)は、寄せ場の暴力支配に対して「やられたらやり返せ」のスローガンの下、大衆的な実力闘争を闘い抜きました。
  賃金不払いや労災もみ消し、労働者への暴力に対して身体をはって闘い抜いてきました。
  幾多の弾圧の中、裁判では「たしかに暴力や賃金不払いの相手は悪いが、その決着は警察や裁判所にやってもらいなさい。人民裁判的なやりかたはダメですよ」と、監禁・恐喝・傷害・はては「爆取」までデッチあげられてきたではありませんか。
しかし、釜ヶ崎の地では、以降も争議や手配師の追及を弾圧に屈せず闘い抜いてきたからこそ労働者の権利を主張できるようになったのです。
  80年代の賃金闘争においては、ケタオチ単価を開き直る手配師に対して、まさに人民裁判-つるし上げによって、賃金を上げさせてきたではないですか。
  たしかに戦術上も含めて、反省するところはたくさんあるでしょうが、こうした闘いは決して誤りではありませんでした。
  釜合労-稲垣氏は「裁判所は公正な判断をしてくれます」「悪いことをすれば裁判所が罰してくれます」「労働者の前での議論など『場外乱闘』です」「裁判所の判断に従うべきです」とビラで言っていますが、これは、これまでの釜ヶ崎労働者の闘いをすべて否定しています。
そして、選挙権をめぐる闘いの中で弾圧され、罰金刑や執行猶予付き判決を受けた人たちも悪いことをしたから裁判所に罰せられたので裁判所の判断(判決)に従うのが当然と言うことになります。稲垣氏自身刑務所に入ったのは稲垣氏が「悪いことをしたから裁判所に罰せられた」ということなのです。
花園公園横でテント生活をしているFさんの件も大阪市への抗議行動(場外乱闘)ではなく、裁判所に正式な告発すればいい、ということになります。
本人がそう思っているのなら、そう主張することも良しとしますが、言ってることとやってることがあまりにちぐはぐです。
暴力などにより自由な論争ができない、ということもない以上、「裁判闘争路線」はかつての日本共産党の「告訴・告発路線」と同じ誤りだといえます。

釜合労-稲垣浩の「名誉棄損裁判」の判決について②

2012年09月25日 | 釜日労活動報告
何故に「告訴・告発路線」に転落したのか?
 
  彼らは「意見陳述書」のなかで次のように述べています。
「労働者が私を皮肉な目でみて『稲垣さん金持ちなんやてなァ』等と言われたことが何度もあります」と。わたしたちは、それまでの「勝手にやらせておけ」という態度を改め、彼らに対する批判を開始したのは事実です。下世話な言い方をすれば「売られたケンカを買った」のです。
  組合内部では「彼らの批判の仕方は明らかで 人権侵害で訴えるべきだ」という意見もありましたが、運動の原則にのっとり、釜ヶ崎の労働者の前で事実を明らかにし、判断を仲間にゆだねるという姿勢を堅持してきたのです。
  労働者が「皮肉な目で見る」のは私たちのデマ(彼らに言わせれば)キャンペーンが原因ではありません。
  釜ヶ崎の労働者は愚かではありません。一時はデマにまどわされることはあっても、ていねいに説明すれば「裁判所のお墨付き」などなくとも事実を判断できます。
 彼らが行った日雇健保の「適用除外申請」運動もNPO釜ヶ崎の説明によって裁判の「判決」を待たずしてとっくに破産しているではありませんか。
  彼らが「対職安闘争」を始めるまで、20年以上に渡って、夏・冬の一時金カンパの時と選挙の時以外、センターに顔も出さなかったことを、労働者はよく知っています。カンパの額を労働者に絶対公表しないことも知っています。だから労働者の支持と共感を得られず「皮肉な目で見られる」のです。
  稲垣氏は判決の日に舞い上がってしまい、判決後、公園で「やっと山田実に一矢報いることができました」と、つい本音を漏らしてしまいました。
  釜ヶ崎に来てまだ間もない仲間は知らないかもしれませんが、山田実とは
前釜日労委員長であり、現在はNPO理事長です。
  稲垣浩氏は、全港湾西成分会に対する『100円起訴』を契機として釜日労の委員長を解任され、(他にも解放会館や組織運営上の様々な問題もあったのですが)それ以降何をやっても運動上大きく水をあけられ、出番がなくなってきたことに、まさに「一矢報いたかった」のです。
  釜日労の委員長だった頃、そして解任されてしばらくの間は、他の運動団体やマスコミ、そして行政も「釜ヶ崎といえば、その歴史的経緯から全港湾西成分会と稲垣浩」でした。
  しかし、何が理由なのか解りませんが20年以上、夏・冬の一時金カンパと選挙の時しかセンターに出てこなくなり、悪徳業者に対する労働争議もしなくなり、闘いらしい闘いをしてこない間に、釜ヶ崎の労働者の支持・共感を全く失い、マスコミや行政にも相手にされなくなったのです。
  80年代、毎年春3月に「釜ヶ崎春闘」としてセンターの最低賃金を500円ずつあげさせる闘いをセンターに集まる労働者全員で行い、最賃の底上げを続けてきましたが、彼らはそんな労働者の闘いに見向きもしませんでした。
  全国の寄せ場の労働組合が寄せ場日雇いの力を結集して、対悪徳業者、資本との闘いに団結して立ち向かおうと日雇全協をつくった時も、山谷に右翼の旗を掲げ寄せ場支配をもくろんで国粋会金町一家が登場し、全国の寄せ場から労働者が駆け付けた時も知らん顔でした。
  とりわけ90年代、バブル経済の崩壊以降、困窮する労働者を前に何も運動を提起することもしないで炊き出しとそのカンパ集めだけに終始していました。
  一方、釜ヶ崎反失業連絡会(反失連)の下で釜ヶ崎労働者は、あいりんセンター夜間解放闘争、大阪府庁舎・市庁舎前野営闘争と実力闘争(場外乱闘)で反失業闘争を大きく前進させ、「特掃」「シェルター」を闘い取りました。
  またリーマンショック以降 全国的に反貧困闘争が盛り上がり、それによって釜ヶ崎も世間の注目を集め、釜ヶ崎を取り上げた本も多数出版されましたが、その中には稲垣浩のいの字も出てきません。大金を使って何度も市議選に出ましたが、全く票が入らない。日本共産党が「反共宣伝によって敗北した」と他人のせいにしたのと同じように「釜日労のデマによって選挙に当選できない」とでも思っているのでしょうか。
  なんとか「一矢報いたい」と「告訴・告発路線」に走ったのでしょうが、自らの運動をキチンととらえ返し、誤りを正さなければ、いつまでたっても労働者から「皮肉な目で見られる」だけでしょう。
  また、「告訴・告発路線」の下地は、全港湾西成分会に対する『100円訴訟』から続いているものです。

釜合労-稲垣浩の『名誉棄損裁判」の判決について③

2012年09月25日 | 釜日労活動報告
「告訴・告発路線」のゆくえ
 
 NPO釜ヶ崎つぶしの運動を始めてから、「西成分会の泊委員長もおかしいと言っています」と西成分会にすりより、「対行政の団体交渉にも参加した」と言ってその「権威」を利用しようとしている様ですが、西成分会と決別し、釜共闘を結成した(中心メンバーではなくとも、その一員として闘ったはずです)こと、『100円訴訟』を行ったことを労働者にキチンと説明できるのでしょうか。
 もっとも、我々は、西成分会との共闘それ自体を否定するものではありません。相互の闘いを評価しあい論争を深めていきたいと考えています。
 問題なのは「敵の敵は味方」とばかり、すりよる事を批判しているのです。
 このすりよりは、彼らの路線上の変節に原因があるということです。
 寄せ場の暴力支配と身体を張って闘うのではなく、行政やゼネコンとしか闘わない(これ自体重要なことだが)西成分会と決別し、釜共闘の闘いが出発したのではないですか。
 彼らはもはや、西成分会よりも右派となりさがってしまったのです。
 西成分会は、行政・ゼネコンにヤクザ・人夫出しの「取り締まり」を要求しましたが、「告訴・告発路線」ではなかったし、その限りにおいては闘いの一翼でした。今でも、行政への要求には 適正化なるものが付いているとはいえ「特掃」の拡大があります。
 ところが釜合労‐稲垣浩の要求には 釜ヶ崎の全ての団体の中で唯一「特掃拡大」がありません。社会的(公的)就労の意義が解らないのは仕方ないとしても、「特掃をふやせ」「55才以下の仲間の仕事を作れ」という、労働者の切実な声に耳を傾けることもできないで、不可能とも言える「職安は仕事をだせ」とのみ主張し、そして「告訴・告発路線」につきすすんでいるのです。
 「告訴・告発路線」では弁護士にたのんで裁判所に訴えてもらい、裁判所に判断してもらう、ということです。国家権力に労働者の未来を預け判断してもらうことです。弁護士を雇い裁判費用を払えるお金持ちしか闘えません。
 釜ヶ崎労働者が、自分たちの力で闘い、問題を解決するのではなく「稲垣さんにお願いして裁判費用を出してもらい、解決をしてもらう」ということです。
 「釜ヶ崎労働者の代表」を自認しながら、労働者の大衆運動、団結した力を信じることができず、否定しているとしか言いようがありません。
 釜合労-稲垣浩氏のこの間の告訴-告発運動は、「獄中で好きな新聞を読む権利を求める裁判」「獄中での選挙権を認めさせる裁判」であり、稲垣氏の気分を悪くさせた「釜日労に対する『名誉毀損』裁判」です。自分が好きな新聞を読む権利、自分が選挙をする権利、自分の『名誉』?を守る権利と、すべて稲垣氏のための個人的裁判のような気がするのは私たちだけでしょうか。
 同じ選挙権をめぐる運動とはいえ、選挙権を奪われてそれを取り戻したいという失業・野宿の仲間の切実な願いとはかけ離れているように思います。
 次はあいりん職安を告訴するそうです。たしかにあいりん職安が正規の業者を紹介し、求人があれば「職安法違反」の悪質な人夫出しは紹介しないでしょうから労働者は安心できるかもしれません。しかし、かつての山谷や横浜・寿町のように正規の業者が直接あいりん職安に求人をしに来るのでしょうか。
 関西における建設業の構造自体を変えて人夫出しを使わせない(無くす)ようにしないかぎり、人夫出しは地下へもぐるか、よその地で手配をし、釜ヶ崎労働者はさらなるアブレ地獄を迎えるか、過去(40年前)に逆戻りしたような違法行為にさらされることになるでしょう。
 釜ヶ崎労働者は知っています。労働福祉センターが人夫出し業者を登録させ、規制し、一方、労働者が直接的に業者と対決してきた闘い中で、40年前に比べれば手配方法・労働条件がそれなりに改善され、比較的に安心して仕事に行けるようになったことを。そして、悪徳業者が減ってきたことを。
 私たち労働者にとってはどこからであれ現実に仕事の求人があることが大事であり、一見正論であっても社会の根底から変えていかない限り実現しないようなことより、目の前の現実が一歩でも、半歩でも進むことを願うのです。だから、職安が悪いと裁判所にお願いし、訴えるよりも目の前の業者と直接労働者の団結で闘って、相手を変えてきたのです。裁判闘争も現場の闘いと結びついていない限り何の意味も持たないのです。
 ただ、何年もかかる裁判期間中「係争(裁判)中なので」と、なかまたち労働者自身の大衆的運動を否定する材料に使われてしまうだけです。
 
さいごに
 
 この裁判は労働者の「だましたな」という怒りをかわそうとして起こした裁判にすぎません。釜合労‐稲垣浩は「ピンハネ」「賃金不払い」「暴力飯場と本質は同じ」などとNPO釜ヶ崎を罵って労働者の信頼をつぶし、「NPOは解散しろ」とさんざん労働者を扇動してきましたが、その根拠とした特掃裁判で、労基署の認定通り何も問題がないという判決が出て敗北してしまいました。
 その労働者の怒りの矛先をかわすための裁判でしかなかったのです。
 そして予期していた通り 稲垣浩の「ひとり芝居」の第二幕が始まりました。
 裁判所の判決を『錦の御旗』に、さも自らの運動が「裁判所に認められた」かのように宣伝を開始しています。ビラなどに「釜日労謝罪広告」なるものをのせていますが、その記載の仕方には作為が感じられます。
 何のコメントもなくこれをのせれば、釜日労が謝罪広告を出したと誤解されます。実際、何人かの仲間から「なんであんな謝罪広告を出したのか」という質問が寄せられています。「裁判所の判決で、たぶんあの文章をインターネットで流せということらしいが、出してはいない」と答えておきました。
 選挙期間中でもないのに 彼らは事務所前に「市会議員 稲垣浩」と書いたカンバンを出し続けています。これを見た 事情を知らない労働者は「稲垣浩さんは市会議員なんだ。たいしたものだ」と誤解してしまうのでしょう。
 また、先日も「稲垣さんは盛大な夏祭りをやってくれる。安い屋台もたくさんだし、歌手も呼んで楽しませてくれる。なのに稲垣さんを何で批判するのだ」という労働者がいました。夏祭りは私たち釜日労や他の団体が実行委員会をつくり、協力し合いながら守り育ててきた行事です。どこかで誰かがミスリードしたのでしょう。
 更に 反原発闘争で東京に行った際も、「自分は夏祭りや越冬に毎回カンパを送っている。稲垣さんはどこにいますか」と尋ねてきた人がいました。この人も「稲垣さんがガンバッテ夏祭りをやっている」と思ってカンパを送っているのでしょう。「私たちは稲垣さんと無関係です。夏祭りはやっていますが 稲垣さんは今日来ているのか、どこかでどう夏祭りをやっているのか知りません。」と答えるしかありませんでした。
 まさか「夏祭りをやるのでカンパをお願いします」とは言っていないと思いますが、マスコミなどで報道されている我々(実行委)の夏祭りを稲垣さんがやっていると誤解し、カンパを送ってくる人がいるのなら、きちんと説明すべきだと思います。
 たぶん「四角公園」か、わたしたちの知らない所でやっているのであれば、何も言うことはありませんが。
 「あんな判決で大丈夫なのか?」と心配してくれる仲間も多いですが、わたしたちはこの「民事弾圧」に屈せず、今後も反失業・仕事よこせの闘いを軸に、反原発闘争、反戦・反基地闘争、オスプレイ配備に反対し、沖縄・本土から米軍基地を一掃する闘いを推し進めてゆきます。
 裁判の判決もわたしたちの闘いを縛ることはできません。
 私たちはなかまたちにウソをつくことなどできません。660万円おしさにいつわりの「謝罪」などできないのです。それどころか、ますます稲垣さんの本性・運動路線がはっきりわかってよいことだと思っています。
  最後に、釜合労-稲垣氏らによると釜日労は「裁判所にきつ~いお灸をすえられた」と言うことですが、私たち釜日労は判決以後も何も変わっていません。私たちは「大金をはたいた裁判で釜ヶ崎労働者の反失業・仕事よこせの闘いが一歩でも、半歩でも前進したのか」と釜合労-稲垣氏に聞いてみたいものです。
 
2012年9月15日 釜ヶ崎日雇労働組合
委員長 山中秀俊