釜合労-稲垣浩による
もうすぐ夏祭りです
第40回釜ヶ崎夏祭りをやろう!
復興対策用の第2次補正予算も組まれ、今、現地では全国から労働者が集められ、被災者住宅の建設や瓦礫の片付けが進められているとのことです。
多くの労働者が雇用されること自体景気に貢献し、我々建設労働者にとっては明るいニュースではあるでしょうが、土木・建築業界では、元請け、下請け業者たちが、重層的下請け構造=ピンハネ構造でそれぞれ莫大な利潤を上げることになるのはこれまでの常です。
これから大量に税金を投入し本格化する復興事業を民間企業任せにして、民間企業の利潤追求の場とだけするのではなく、被災地から今後生み出される、多くの失業者、住居喪失者、貧困層への雇用対策として、また、現在でも存在する非正規労働者、失業者への雇用対策と合わせた国家プロジェクトとして復興事業を行う必要があります。
1.国は被災地復興対策に特掃システムを採用して、必要とするすべての被災者の雇用を支えろ!
阪神大震災のとき、復興事業が民間業者に丸投げされた結果、高齢者などが次第に職にありつけなくなり、多くの被災者が失業者として流出、釜ヶ崎へも多数流入し、野宿生活層に合流しました。
この関東東北大震災で震災被災者、原発事故被災者に新たな貧困層を形成させてはなりません。
国は税金を使った復興資金で被災者全体を支える体制を創る必要があります。国が主導で特掃のような新たな社会の仕組みを作り、ゼネコンの能力を使いながら、雇用対策を含めた復興対策を創り上げる必要があります。国主導で労働力の配置を行うべきでしょう。
2.復興予算と雇用対策は対立しない!復興事業と雇用対策を結合し、大量の労働力による復興事業の迅速化を図れ!
リーマンショック-金融恐慌による大失業時代を受けて実施された緊急雇用対策はそれなりの成果を上げています。今後もその成果を精査しながら継続拡大していかなくてはなりません。しかし、この間、被災地復興資金をねん出するために雇用対策の打ち切りが予定されています。震災の被災者と失業し野宿生活を強いられている仲間たちとの「困難さ」に違いがあるわけではありません。
今、緊急雇用対策基金で行われている事業で雇用されている労働者は大阪だけでもこの2年で延べ57万人おり、企業の雇用調整への助成金で失業を免れているのはこの5月だけでも1,666,594人、失業者を出さないように雇用対策がらみでの中小企業への貸付金は23兆円にもなっています。この予算がなくなることによって増える失業者の数は莫大な量となるのは火をみるよりも明らかです。
被災地の仕事を失った人々とともに、全国の非正規雇用・失業労働者の力を復興事業に動員し、職業訓練と合わせた雇用対策として復興事業を有効に、素早く進める必要があるでしょう。
3.大阪府・大阪市は55歳未満の労働者の雇用対策を行え!岩手県に宿舎を建設し、釜ヶ崎の労働力を復興支援に活用しろ!
大阪府・大阪市は失業・野宿の苦しむ55歳以下の釜ヶ崎労働者に対する雇用対策を行うべきです。私たちは行政当局が国に積極的に働きかけ、雇用対策と被災地復興対策を合わせた復興予算を獲得し、釜ヶ崎の熟練建設労働力を復興支援に活用することは全く合理的だと考えています。
大阪府・大阪市が担当の岩手県の被災地に宿舎を建て、寝場所と食事を確保して、15日単位で、55歳未満の釜ヶ崎労働力、有償ボランティアの復興支援隊を送り込めば、大阪の雇用対策となるばかりか、瓦礫の撤去、片付けなどスムースに進み、少数の集落での作業に回ったり、きめ細やかな作業で被災地の方々に貢献できるでしょう。
この間我々は大阪府・市にこうした要求を掲げ、国に働きかけるように強く要望してきました。夏祭りを通して釜ヶ崎労働者の意思を打ち固め、さらに行政当局との交渉・意見交換を重ね、内容を深めていきたいと考えています。
今後もこうした新しい社会の仕組みの実現を目指し頑張ります。
*この3月24日より反失連のなかまがNPO釜ヶ崎の援助で仙台を拠点とした全国ホームレス支援ネットワークの被災地支援活動に参加しています。行政の手が届きにくい小規模集落を中心に、被災地域の注文を受けながら支援物資の配送などをしています。また山谷のなかまたちはいわき市を中心に福島県の支援活動に入っているそうです。
反失連は釜ヶ崎での活動と同時に社会的弱者が手を結びあえる活動を目指します。
福島原発事故と釜ヶ崎(の寄せ場・野宿労働者)
3月の福島第一原発事故を受けてようやく「原発」の実態が明るみに出始めています。これまで闇に葬られてきた原発の負の側面がマスコミに登場するようになりました。
かつて釜ヶ崎や山谷などで問題にされてきた「原発労働」は、建設業(4次程)を上回る8次程まで存在する下請け構造の下で雇用・安全などの責任関係がうやむやにされ、暴力団の手配により、寄せ場労働者や野宿者、はては16歳の少年たちまでが安全教育も受けないままに被曝労働に従事させられ、使い捨てにされてきた歴史を持っています。家族関係などが希薄で、社会関係から切り離された生活実態から、使い捨てにしても社会的に問題になりにくいからです。
最下層の下請け労働者として上位下請け社員が作業をする前、一番最初に「除染作業」と称した原子炉内の放射線汚染された機器や施設のふき取り清掃、汚染水の処理など一番危険な作業をさせられてきました。そして、被曝し、その実態も分からない今まで使い捨てにされてきたのです。
東電だけでさえ年間280億円もの宣伝費を使って、マスコミの大スポンサーとなり、批判や都合の悪い事実を抑え込んで「安全」「クリーン」キャンペーンを行ってきたのです。このウソを塗り固めるために使われてきた280億円とは大阪の野宿者の命綱=特別清掃事業の40倍の予算であり、これが社会のために使われれば日本から野宿をしなければならない人を無くすことができる金額です。
今、福島原発の事故の収拾のために多くの労働者が被曝しながら働いています。これからも事故の収拾のため、周辺の被災地の復興のため、多くの労働者が被ばくしながらも働かなくてはならないでしょう。
私たちは労働者が少しでも被曝しなくてすむような労働環境、体制が早急につくられること、そして被曝してもその後の医療、生活に対する責任体制が整備されるよう望みます。
そのためには政府が責任を持って、周辺地域の復興事業を含めた、原発関連事業での労働者管理、安全教育、被曝管理を集中管理する必要があります。同時に、責任回避とピンハネのための重層的下請け構造をつぶす闘いが必要だと考えています。
失業に付け込む危険労働への誘いと使い捨てに対する闘いに取り組みたいと思います。
こうした内容も盛り込んでさらに団結を固め、広げるような夏祭りをやりましょう。
第42回 釜ヶ崎メーデー 宣言
127年前、資本の横暴に対してシカゴの労働者たちが立ち上がった。
1日14時間を越える過酷な労働に、彼らは叫んだ。「8時間は仕事のために。次の8時間は休息のために。そして次の8時間は俺たちの好きなことのために」と。
この闘いは時をおいて全世界の労働者に広がり、1890年、ヨーロッパ各国を含めて第1回国際メーデーが開催され、全世界の労働者のスローガンとなった。
日本ではどうか。戦争の生々しい傷跡の残る1946年、第17回メーデーが盛大に開催され、戦後労働運動の新たな再出発を誓い合った。スローガンは「働けるだけ喰わせろ!」だ。
メーデーは歴史の示すとおり、労働者が闘いを宣言する日だ。釜ヶ崎メーデーもまた、一貫してこの精神を継承してきた。ここ釜ヶ崎でも、1970年第1回釜ヶ崎メーデーが行われ、西成署の「釜ヶ崎でのデモを不許可」に対し、仲間たちはプラカードを林立させ、赤旗を打ち振って「ドヤ代を下げろ」「日当3,000円以上にしろ」「手配師人夫出し追放」と叫び、決起したのである。
それから42年、今年もまた5月1日となった。苦しい闘い、楽しい闘いの41年を経て、多くの先達の努力によって、失業・野宿による生活苦にあえぐ仲間への新しい社会制度=「特掃」、シェルターを創らせ、NPOを創り出し、特掃事業をさらに拡大し、守り抜いてきた。「闘うメーデー」これが釜ヶ崎メーデーの伝統だ。
釜ヶ崎労働者は高度経済成長の時代を、設備投資の最先頭の兵士として、産業構造の転換と雇用の調節役として、時代の主役を担ってきた。ビル、ダム、道路、原発と汗水流しながら、万博景気とオイルショック、バブル景気とその崩壊、好景気とアブレ地獄、失業、野宿、そうした時代を生き抜いてきた。
世界金融危機は、労働者派遣法により新たな景気の調整役とされた派遣労働者を中心に、数百万の労働者から労働を奪った。若者から希望を奪い、高齢者から生活と生きがいを奪った。そして、この労働者派遣法によって景気の調整役からも下された釜ヶ崎では、「寄せ場」=労働市場としての機能を奪われ、仕事をも奪われてしまった。
いま日本は、3月11日の関東・東北大震災と福島原発事故で大打撃を受け、多くの労働者、農民、漁民、個人事業主らが失業者となっている。ゼネコンを筆頭に大企業‐大資本は復興事業までをも金儲けに利用しようとし、一方の被災者は阪神大震災のときのように若い労働力が必要とされる中で、高齢化した労働者などが取り残され、生活が困難な層として貧困層を形成することになるだろう。
この間の不況下でも輸出製造業は1年で業績を回復し、しっかりと利益を上げ、内部留保をため込み、資本家どもに配当を配り続けた。資本家は、しこたま利益を貯めこみ、労働者には低賃金と失業・野宿を押しつけ、政治家、政府-行政機関は解決の方法を見いだせず、すでに機能しなくなった旧来の社会保障制度を、手を変え、品を変え、押しつけるだけで、行き先を見失っている。改革を求める国民の期待を集めて登場した民主党政権も、経済界、自民党、米国など反動勢力の巻き返しの前に分断され迷走を続けている。
関東・東北大震災では、福島原発の事故をめぐって独占資本と政府・官僚・政治家の癒着構造が明らかとなった。電力独占資本はゼニ儲けのため、旧政権党の自民党は日本の核武装化のために、今だ未熟で危険な原子力開発を進めてきた。そして、国民の安全よりも原発推進が最優先され、ゼニ儲けのための経費削減のために安全性がないがしろにされてきた。それを監督すべき政府機関である経済産業省の原子力安全・保安院が電力各社の言いなりとなり、安全対策無視を看過・追認し、国会での野党議員の追求や善良な科学者の提言をマスコミへの利益誘導で封じ込めてきた。まさに独占資本が政治を支配する世の中であることがだれの目にも明らかとなった。
バブルがはじければ銀行に税金を使い、輸出製造業が大量派遣切りをすれば税金で後始末をする。原発で散々儲けたおした電力独占資本が重大事故を起こせば、これまた税金で後始末をする。労働者が失業すれば、雇用対策はおざなり。
大企業‐資本家が儲ければ自分のふところへ。大企業‐資本家がヘタ打ちすれば「オールニッポン」精神で税金を使ってケツをふき、やつらのせいで仕事を失った労働者は『自己責任』で失業・野宿。こんな社会の仕組みはおかしいだろう!
であるならば、我々労働者は、自身が生き残るための『新しい社会の仕組み』を自ら創り出さなければならない。新たな社会情勢に合わなくなった古い制度に縛られ、右往左往する行政に不平不満をぶつけるだけでは何も変えることはできない。失業と野宿の時代の未来は労働者自らが切り開いてゆこう!
新たな時代を迎えるメーデーに釜ヶ崎労働者の闘う声を!!
第42回釜ヶ崎メーデースローガン
安心して働き、生活できる釜ヶ崎を実現しよう。
① 特掃、週3回で就労自立を勝ち取るぞ! 緊急雇用対策を継続させろ!
② 55歳未満のなかまたちにも仕事をよこせ! 新たな就労制度を!
③ 雇用対策と復興事業を対立させるな!釜ヶ崎の労働力を復興事業に使え!
④ 大阪府・市は被災地に飯場を作り、15日契約の輪番を創れ!
⑤ 日雇い雇用保険、日雇い健康保険の受給資格を緩和させよう!
⑥ 誰もが人間らしく生活できる社会を!
全国・全世界の労働者と手を結ぼう!
① 国は災害復興事業と緊急雇用対策を結合し、全ての被災者の雇用対策を!
② 原発を即時停止し、総点検せよ! エネルギー政策を転換しろ!
③ 下請け労働者を被曝させるな!
④ 派遣法の撤廃・均等待遇実現・安定雇用を勝ち取ろう!
⑤ 沖縄県民の声を聞け! 普天間基地撤去。米軍基地は要らない!
⑥ 憲法9条を守れ! 日米安保、日米地位協定を破棄せよ!
☆正規・非正規を問わず、闘う労働者の団結を!
☆反戦・反失業・反差別の闘いを前進させよう!
☆大企業のための政治から、働く者・生活する者のための新たな仕組みの社会を創りだそう!
一昨年秋のリーマンショック以来、世界金融恐慌の波に飲み込まれた日本経済界の主要企業は、バブル経済崩壊後の不況とは異なり、90年代に準備した「新たな景気の安全弁」=非正規雇用の派遣労働者の雇い止め、首きりという雇用調整で切り抜け、自分たちは利益を上げ、株主配当をし、内部留保をため込んでいます。
こうした時代背景の中で、釜ヶ崎労働者をめぐる社会情勢は激変しました。
90年代に「景気の安全弁」としての地位をすでに奪われた建設業界の仕事量は「公共事業の削減」の掛け声の下縮小する一方で、釜ヶ崎の55歳以上の労働者は、反失業闘争の中で闘いとった、「特別清掃事業」「シェルター」「炊き出し」の3点セットに頼らざるを得ず、40歳~55歳の労働者の就労率も低いまま10年ほどを経過してきました。
そこに追い討ちをかけるように世界金融恐慌が襲い、翌09年4月にはセンター現金求人が1000名を割り込み、55歳未満の労働者まで絶対的失業者となってしまったのです。
一昨年末、我々は大量の労働者が釜ヶ崎に流入してくるのではと懸念しました。
しかし、我々の予想を裏切って、世界金融恐慌のあおりを受け、大手輸出産業から大量に解雇された派遣労働者が、直ちに釜ヶ崎に流れ込むことはありませんでした。彼らは、釜ヶ崎の日雇いと違い、家族関係、知人・友人関係が、まだ壊れていなかったからなのではと思います。
そして何よりもこれまで、釜ヶ崎固有の問題とされがちだった失業・野宿の問題が、社会的に大きく広がり、政府が対策をとり始めたことが釜ヶ崎にも大きな影響を与えました。社会全体にかけられた失業対策(セーフティネット)が釜ヶ崎にも差別なく同様にかかったということです。
一つには、旧来の生活保護制度の恣意的運用、社会保障費削減を唯一の目的とする締め付け-水際作戦から、09年3月「厚労省通達」による国レベルの緩和。
二つ目には、国の緊急雇用対策などによるとくそうの月4回から月5~6回への増加。
このことにより、昨年多くの失業・野宿のなかまが生活保護を受け、畳の上へあがることができました。
結果、シェルター利用者・炊き出し利用者の減少となり、昨年の年末・年始の地区内野宿者の前年比30%減、南港臨時宿泊所の利用者数の半減となって表れています。こうした流れは今年も続いています。
国が動いたことによって野宿問題が動いたということです。
まさに、失業・野宿の問題は「国の施策として行わなければ解決の道はない」ということです。
第41回釜ヶ崎越冬闘争スローガン
安心して働き・生活できる釜ヶ崎を創ろう‼
☆.越冬闘争を闘うぞ!仲間から餓死、凍死者を出さないぞ!
☆.仕事をよこせ! 野宿をさせるな!
☆.市・府は越年対策の抜本的見直しをしろ!
☆.緊急雇用対策の継続と特掃週3回を実現しろ!
☆.社会的、公的事業で年齢制限のない仕事をだせ!
☆.稼動年齢の生保受給者に仕事と職業訓練を充実させろ!
☆.高齢生保受給者への生きがい事業を創れ!
☆.国の責任で失業・野宿を解決しろ!
☆.排外主義の台頭を許すな、大阪府知事の朝鮮学校差別を許すな!
☆.派遣法改正を早急に実現せよ!
☆.1919億円の米軍「思いやり予算」より仕事をよこせ!
☆.菅政権は沖縄民衆の声を無視するな!
☆.沖縄普天間基地を撤去、辺野古新基地建設やめろ!
☆.安保条約を破棄しろ! 米軍はイラク、アフガンから出て行け!
☆.九条改憲策動を許さないぞ!
☆.正規-非正規を貫く労働者の団結を勝ち取るぞ!
☆.全世界の労働者・抑圧された民衆と連帯して闘うぞ!
第39回釜ヶ崎夏祭り
なかまのみなさん!
連日の酷暑、雨が降れば大雨、という厳しい天候の中、現場仕事、アルミ缶、段ボール、仕事探しと、様々な仕事に励んでいることと思います。今年も早八ヶ月目を迎え、お盆になりました。
今日の午後からステージが始まり、五時からは前夜祭が始まります。
故郷に錦を飾ることもできなくなり、ここ釜ヶ崎を第二の故郷と決めた仲間たちで、今年も、自分たちの祭りを作り、現場で酷使される憂さ(うさ)、厳しい失業・野宿生活の憂さ、生活の中で生きがいを見いだせない憂さ、日頃の全ての憂さ晴らしをしましょう。
現金がなくても、無料企画が盛りだくさん。アルミ缶を集めてアルコールや食べ物にすることもできる。
相撲大会、綱引き、スイカ割り、ステージの演奏や、歌を楽しみ、自らステージに上がってのど自慢。毎日の締めは盆踊り。
今年も、釜ヶ崎労働者自身が創る、釜ヶ崎の祭りを、おおいに楽しみましょう。
労働者の団結を固めよう
元祖貧困ビジネスのヤカラ集団-釜合労は、特掃の賃金問題で、労基署にも相手にされなかったことに腹を立て、国家権力の一機関=裁判所に泣きついた。いつも裁判所に対し、不当判決だとか、不公正だとか言っていながら、国家権力-裁判所に判断をお願いするのは、七九年の全港湾に対する「百円強制カンパ訴訟」の時から一歩も進歩していない証しであり、パフォーマンスだけのエセ「反権力」の真の姿だ。
この裁判は、釜ヶ崎労働者が反失業闘争で勝ち取った、「保険料の労働者負担分を行政に肩代わりして払わせる」という成果を、「支払わないほうが得をするから、まじめに裁判で争いもしないだろう大阪市、大阪府を被告として訴える」という茶番劇の裁判だ。
特掃労働者のためでなく、ヤカラたちが勝つ(行政も喜ぶ)ことだけを目的にした裁判だ。
5700円から保険料が引かれる
この裁判でヤカラの言い分が通れば、輪番労働者は5700円から労働者負担分を引かれるようになってしまう危険な裁判だ。行政も喜ぶのだから充分にその可能性がある。ヤカラが当初宣伝した「賃上げ」とは違い、賃下げになるのは見え見えだ。
売名・茶番劇の裁判を許すな
第三の被告NPO釜ヶ崎は行政の下請けで、釜ヶ崎労働者の運動の声を背景にしてしか発言権がない。それを見越してヤカラたちは裁判を起こしたのだ。
釜ヶ崎労働者の利益などお構いなし!外向けに「裁判に勝った○○」と自分の名前を宣伝したいがためだけに、釜ヶ崎労働者を踏みにじる、元祖貧困ビジネスのヤカラ集団-釜合労の裁判を許すな。
自ら露呈させた元祖貧困ビジネスの正体!
ヤカラ集団は、先月、大阪市への質問状で、特定の民間企業である不動産業者を「XX商事は貧困ビジネスではありません」と擁護していた。公的機関に対して、公式文書で、一民間企業を擁護する運動団体など前代未聞、聞いたことも、見たこともない。
なかまたちが「紹介料をくれる」「生活用品を買ってくれる」と噂する業者をわざわざ行政に擁護・推薦し、その一軒だけを居宅申請者に紹介するのはなぜなのか…。
当然、業者のこういう行為は営業上の利益を上げるためであり、不法行為ではない。しかし、税金を出す側の行政は、「そういう余裕があるなら敷金・礼金を値下げしろ」「とるな」というだろう。
野宿者をネタに必要以上に稼ぐのを貧困ビジネスと呼ぶのではなかったのか。ヤカラたち!君たちが言い訳に配っている「まえしま新聞」にこそ、その実態が書かれているだろう。
「居宅保護をかちとる闘い」のまやかし
また、ヤカラたちは、舞洲自立から若い人たちを引き抜いて居宅保護申請の「支援」をしているが、四角公園の炊き出しに並ぶ釜ヶ崎労働者に居宅保護の支援をしないのはなぜなのか。
支援金・支援物資集めを自己目的化したお粥の「炊き出し」に並ぶ人間が減るからなのか。
だから、昨年の秋までは生活保護の「不自由」ではなく、「野宿の自由」と声高に叫んでいたはずではないのか。「自立から50人」と外向けには「支援の実績」を強調してはいるが、今頃、居宅保護路線に変わったのは、「何か特別な事でもあるのか」と考えるのはゲスの勘ぐりなのか。
釜の労働者は真実を知っている
釜ヶ崎労働者が知っている。この地域の中で、居宅をとる支援をしてきたのは、医療連であり、NPO釜ヶ崎であり、夜間学校であった事を!
そして何より、ふるさとの家に至っては昨年五百人以上のなかまを畳の上にあげたのだ。
ヤカラたちの言う50人の実績とは、彼らがつるむXX商事で抱えきれるだけの人数ではないのか。
悪徳業者、エセ運動家に惑わされず、労働者の団結を固めよう!
なかまのみなさん!
こうした、労働者の味方のフリをしながら、何十年にもわたって食い物にしてきたやつらを許してはなりません。
我々が「安心して働き、生活できる釜ヶ崎を」創るためには、真実を見極め、先輩たちや、我々自身が闘いとってきた権利をぶち壊そうとするヤカラたちと、断固とした闘いをしなくてはなりません。
日雇健保、国民皆保険制度を壊し、特掃の賃下げをしようとするヤカラと断固として闘いましょう。
夏祭りで団結を固め、特掃週三回、55歳以下の仕事をかちとろう!
39回目を迎える釜ヶ崎夏祭りで、ストレスを発散させ、ひとときの休息をとり、団結を固め、来年の緊急雇用対策打ち切りとの闘い、そしてなによりも、全国の非正規労働者との連帯・団結を通して、自民・公明党時代にぶち壊された世の中の仕組みに対し、安心して働き、生活できる新しい仕組みを創るための闘いに進んで行きましょう。
作画:大森あい
第39回釜ヶ崎夏祭りスケジュール
第39回釜ヶ崎夏祭りスローガン
安心して働き、生活できる釜ヶ崎を実現しよう
★特掃、週3回で就労自立を勝ち取るぞ!
★ 55歳以下の、年齢制限のない仕事を勝ち取るぞ!
★緊急雇用事業を継続しろ!
★アルミ缶、ダンボール集めを就労努力と認定しろ!
★生活保護を食い物にする、貧困ビジネスを取り締まれ。
★日雇い雇用保険、日雇い健康保険の受給資格を緩和させよう!
★新しい社会保障の仕組みを創ろう!
★朝鮮人学校への差別を止めろ。すべての人々を公平に!
★憲法9条を守れ。日米安保、日米地位協定を破棄せよ。
★正規・非正規を問わず、闘う労働者の団結を!
★反戦・反失業・反差別の闘いを前進させよう!
★誰もが人間らしく生活できる社会を!
釜ヶ崎メーデースローガン
☆ 失業・野宿はごめんだ!
☆ 野宿の果ての治療費・保護費より、仕事で健康な生活を!
☆ 新しい社会保障の仕組みを創ろう!
☆ 特掃、週3回で就労自立を勝ち取るぞ!
☆ 55歳以下の、年齢制限のない仕事を勝ち取るぞ!
☆ 日雇い雇用保険、日雇い健康保険の受給資格を緩和させよう!
☆ 緊急雇用事業を食い物にする業者をゆるすな!
☆ アルミ缶、ダンボール集めを就労努力と認定しろ!
☆ 生活保護を食い物にする、貧困ビジネスを取り締まれ。
☆ 誰もが人間らしく生活できる社会を!
安心して働き、生活できる釜ヶ崎を実現しよう。
全国・全世界の労働者と手を結ぼう!
☆ 派遣法の撤廃・均等待遇実現・安定雇用を勝ち取ろう
☆ 沖縄県民の声を聞け。普天間基地撤去。米軍基地は要らない。
☆ 日米安保、日米地位協定を破棄せよ。
☆ 憲法9条を守れ。自衛隊の海外派兵の常態化を許すな。
☆ 排外主義集団「在特会」「主権回復市民の会」を、社会的に包囲せよ。
朝鮮人学校への差別を止めろ。無償化を即時実現せよ。
☆ アメリカ軍は、イラク、アフガンから出て行け。
正規・非正規を問わず、闘う労働者の団結を!
反戦・反失業・反差別の闘いを前進させよう!第41回釜ヶ崎メーデー 宣言
126年前、資本の横暴に対してシカゴの労働者たちが立ち上がった。
1日14時間を越える過酷な労働に、彼らは叫んだ。「8時間は仕事のために。次の8時間は休息のために。そして次の8時間は俺たちの好きなことのために」と。
この闘いは時をおいて全世界の労働者に広がり、1890年、ヨーロッパ各国を含めて第1回国際メーデーが開催され、全世界の労働者のスローガンとなった。
日本ではどうか。戦争の生々しい傷跡の残る1946年、第17回メーデーが盛大に開催され、戦後労働運動の新たな再出発を誓い合った。スローガンは「働けるだけ喰わせろ!」だ。
メーデーは歴史の示すとおり、労働者が闘いを宣言する日だ。釜ヶ崎メーデーもまた、一貫してこの精神を継承してきた。
1970年第1回釜ヶ崎メーデーが行われ、西成署の「釜ヶ崎でのデモを不許可」に対し、仲間たちはプラカードを林立させ、赤旗を打ち振って「ドヤ代を下げろ」「日当3,000円以上にしろ」「手配師人夫出し追放」と叫び、決起したのである。
それから41年、今年もまた5月1日となった。苦しい闘い、楽しい闘いの40年を経て、多くの先達の努力によって、失業・野宿による生活苦にあえぐ仲間への新しい社会制度=「特掃」、シェルターを創らせ、NPOを創り出し、特掃事業をさらに拡大し、守り抜いてきた。「闘うメーデー」これが釜ヶ崎メーデーの伝統だ。
釜ヶ崎労働者は高度経済成長の時代を、設備投資の最先頭の兵士として、産業構造の転換と雇用の調節役として、時代の主役を担ってきた。ビル、ダム、道路、原発と汗水流しながら、万博景気とオイルショック、バブル景気とその崩壊、好景気とアブレ地獄、失業、野宿、そうした時代を生き抜いてきた。
時代が変わろうとしている。
一昨年からの世界的不況は、労働者派遣法により新たな景気の調整役とされた派遣労働者を中心に、数百万の労働者から労働を奪った。若者から希望を奪い、高齢者から生活と生きがいを奪った。そして、この労働者派遣法によって景気の調整役からも下された釜ヶ崎では、「寄せ場」=労働市場としての機能を奪い、仕事を奪ってしまった。
今、「景気は上向き」と云われている。しかしその実体は「雇用なき景気回復」だ。失業者、生活者には何の変化ももたらさない。資本家はこの不況下でも、しこたま利益を貯めこみ、労働者には低賃金と失業・野宿を押しつけ、政治家、政府、行政機関は解決の方法を見いだせず、すでに機能しなくなった旧来の社会保障制度を手を変え、品を変え、押しつけようとしている。
であるならば、我々労働者は、自身が生き残るための『新しい社会の仕組み』を自ら創り出さなければならない。新たな社会情勢に合わなくなった古い制度に縛られ、右往左往する行政に不平不満をぶつけるだけでは何も変えることはできない。失業と野宿の時代は労働者自らが切り開いてゆこう!
時代の節目のメーデーに釜ヶ崎労働者の闘う声を!!
全国の仲間とともに反失業闘争を闘おう!!
新しい闘いの出発点に
なかまのみなさん。 東京山谷で一月十一日に行われた日雇全協反失業総決起集会は、全国から二百名の仲間が集まって集会・デモが行われた。バス・勝利号で駆け付けた我々釜日労の仲間は、寄せ場日雇い運動の四十年目という節目に、いまだ野垂れ死にのふちに立たされ続けているワシら日雇・失業・野宿者の未来にとっては、これまでの闘いをさらに進めた新たな闘いが必要であり、その区切りの年として、今年の反失業闘争を闘おうという提起がされた。
高度成長経済の五五年体制と言われた時代。
われわれの釜ヶ崎は産業再編であふれた労働力を関西経済発展の礎にと、その象徴たる大阪万博と一連の関連事業に取り込むため、旧来の寄せ場を、建労法という法律で口入れ屋=人夫出し(派遣業者)をなかば合法化し、あいりん職安・労働福祉センター・医療センター(あいりん総合センター)を建て日雇い雇用保険制度(白手帳)と日雇い健保で福利厚生図り、「近代化」することにより、一大労働市場を作ろうと、府・市の行政当局自らが労働者を集めてできてきた。 この時代は、敗戦後の日本経済を官僚主導で、自民党が経済界の利益を代表しながらけん引して急速に経済成長を遂げていき、その中で社会福祉、労働問題など、吹き出す労働者・市民の社会的不満を社会党が代表して、経済成長のおこぼれの中からその一部を受け取り、吸収してゆく、という政治構造の時代であった(五五年体制)。
経済成長の終わりと失業の時代、正社員から非正規雇用の時代へ
バブル経済を頂点に日本の経済成長は欧米に追いつき、止まった。 こうして九〇年代は大量のリストラ、失業と野宿の時代になった。 経済成長の時代に産業構造の転換による失業者を吸収してきた建設業界、寄せ場も景気の調節弁としての機能を失い、失業者のはきだめとされてしまった。 そして、すでに成長の止まった日本の経済に、労働者を抱えている余裕はなくなり、正社員を大量に削減し、労働者派遣法という「人夫出し法」を成立させ、年金・保険で生活全体の面倒を見る必要もなく、いつでも首を切れる、非正規雇用の労働者にとって代えた。いまや日本の労働者の半分近くがワシら日雇いと同じような非正規雇用になろうとしている。今、ワシらが失業し、多くの非正規雇用の労働者が貧困にあえぎ、野宿を余儀なくされ、満足な社会保障を受けることもできないのは、企業に「おこぼれ」の余裕がなくなったからだ。世の中が変ってしまったのに、雇用保険制度、年金制度、健康保険制度などが、古い55年体制下の正規雇用=正社員用の社会保障制度のまま変わっていないからなのだ。
時代の変化を理解し、新たな社会のしくみを求めていこう!
いま仕事を求めても仕事がなく、自立支援センターで再起を狙っても、生活保護に緊急避難しても、「雇用なき景気回復」のもとでは展望を見いだせない。 生活保護は緊急避難として当然だが、問題の解決にはならない。保護費の膨張が地方自治体の財政を圧迫し、再び締め付けに転換するのも容易に推測できる。 ワシらは生活保護を最終目的とすることはできない。 働いて生活する=そのほんとの自由をこそ求めているのだから。 かつて、公共の施設(建物・公園・河川・道路などの清掃・管理など)での仕事は公務員が直接やっていた。 それを費用の問題で民間委託するのがこの間の流れだが、民間委託にも「利益にならないところはしない」など問題がある。民間の利益のためにこれらの仕事を出すのではなく、公共の利益のためにこの仕事を使わせよう。 失業者や一人親家庭、障害者など就職困難者の仕事にしていくことの方が生保、一本やりより、トータルな財政削減になるのは当前だ。 縦割り行政で不可能なこういう新たなしくみをこそ、政権交代が進むような、多くの人たちが変革を求める今の世の中で、一〇年以上も前から「特掃」という形で時代を先取りしてきた釜ヶ崎労働者が、先頭を切って創り出してゆこう。全国には生活保護並み、あるいはそれ以下の収入で頑張っている人たちが少なからずいる。 彼らが頑張れるのは人間の本来的欲求の一つである「労働」=「職」があるからだ。 仕事があればワシらも誇りを持って、自由に生活できる。「野宿の自由」などというマユツバでない本物の自由だ。
行政を糾弾だけし、崩壊した古い仕組みを求めても何も生まれない。
働いて人間らしく生活することが一番だと理解できずに、生活保護を受けることが「人権」の最終目的であるかのように騒ぎたてたり、機能不全に陥った職安に、民間企業の紹介を迫ったりしているヤカラもいるが、われわれは、戻ることのできない過去のしくみを求めるのではなく、時代に合った新たな社会の仕組みを目指して立ち上がろう。
安心して働き生活できる世の中を、全国の非正規雇用の仲間とともに闘い、創っていこう!
日雇労働者の寄り場‐「あいりん総合センター」があり、労働者の憩いの場三角公園がある。この二か所を拠点として越冬闘争は行われる。
☆JRあるいは南海線の新今宮駅か、市営地下鉄御堂筋線、堺筋線の動物園前駅で下車。
☆駅を出て道路‐尼崎・平野線の南側へ渡り、西へ2分ほど行くとセンター、ローソンの角から南へ歩くと、要塞‐西成警察の前を通って、5分ほどで三角公園につく。
☆地下鉄四つ橋線花園町駅で降りても5分ほどで三角公園につく。
☆南海線の萩ノ茶屋駅で降りると、萩之茶屋商店街を通って2分かからずに三角公園につくが電車の本数が少ない