あれもこれも

灰原中心二次創作サイトの創作人によるあれこれ日記。何かありましたら「拍手」からどうぞ。お礼は名探偵コナンの小ネタ三種類。

世界がそれでも回るなら(「業火~」後日談)

2015-05-28 10:30:37 | コナン小話
先日、お題系の診断メーカーで遊んでて「コ哀」ででたお題です。
というわけで以下はコ哀で、映画「業火~」のネタバレありです。



コナンが柱の陰から毛利探偵に麻酔銃を打ち込む。推理ショーの幕が上がるのを、哀は探偵団の子供達に気を配りながら目で追った。

「この事件のポイントは………」
人々の視線は椅子にだらりと腰掛ける声の主である毛利小五郎に集中する中、哀の目が捉えるのはその後ろでこの舞台を回している眼鏡の少年、江戸川コナンだった。

コナンが真実を解き明かす、それは哀にとっては特別な瞬間だった。多くの人にとっては意味のない取り止めのない事柄が、名探偵の手によってつなぎ合わされた時、全てに意味が与えられるからだ。
シェリーと呼ばれていた頃、哀にとって世界とは全てが意味の無いものの集合体にすぎす、つまるところ止まったままの風景でしかなかった。そして同様に世界にとって自分もまた無意味な存在であると思ってもいた。それは組織の中で薬品開発に携わる事の意味を考えることを放棄する一種の逃避であったが、一方でシェリーという暗号名で生きる日々に自分ではない何かとして生きる空虚さを感じていたからでもあった。
しかしコナンによって明らかにされる真実は、まるで無意味なものなど何もないかのように全てが役割を持ち構成されている。感情によって引き起こされる様々な事象が起こす様々な事件の中で、確かに人は意志を持ちそこに生きているのだと、それが推理によって明かされる時、哀の目の前にはまるで新しい景色が紡がれていくように見えるのだ。

それはあたかも無機質な存在だったシェリーが江戸川コナンに出会うことで、灰原哀として生きる意味を与えられ世界が回り始めたように。

(こんな偽りの姿でも彼の側でならば生きているのだと実感できるから………だからこそ私は彼を目で追うのかもしれない)

そう思う一方で先日ある美術館で出会った老女の言葉が頭をよぎる。

『見つめているだけでは、いつかきっと後悔する』

若い頃の彼女が遭ったという別れ、そして自分と同じ轍を踏もうとしている哀を思いやる彼女の温かな瞳を思い出すと、ツキンと胸が痛んだ。コナンによって回り始めた世界で初めて知った、この胸の痛みの意味をそっと噛みしめる。それでも哀はコナンからは目を離そうとはしなかった。

(でも、あなたの側でなら、世界がそれでも回るから………)

「犯人は貴方です」

視線の先ではコナンが推理ショーの幕を下ろそうとしていた。




以前、コメント欄でいちご様から「業火の哀ちゃんの心情を」というリクがあったので合わせて書いてみました。

いちご様、ありがとうございました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鈍いままでいてほしい | トップ | サンデー難民(拍手返信あり) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コナン小話」カテゴリの最新記事