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かこちゃん、「今日も元気だ!!!」

岡山県で暮らすかこちゃん、家族・友人に
見守らている事に感謝し其の日の出来事,
を見付けた花等を,雑記帳に残す

今月の禅の友

2011年04月03日 11時43分05秒 | お寺行事の連絡もの

表紙の説明「桜日和」です

暖かな春を思わせる絵です。ある方の書かれた文章に
『桜までが震災に遠慮して」か今年は例年よりか開花が遅いと・・・・

「釈尊降誕会」と書かれています。四月八日はお釈迦様の生まれられた日
『右手は天を左手地に向けてお立ちになっているお釈迦様が花御堂に飾られ
甘茶を掛けてお祝いする日です

西来寺さんは4/19日に花祭りをしますの連絡がありました。

余分な話しですがこの甘茶小瓶に頂いてきて墨を摺って5㌢四方の紙に「茶」
という字を書いてムカデの出る所にさかさまに貼るとムカデ予防にかまた
地面に撒くと良いと聞きますお試しください


良寛様はスミレがお好きだとか、

花が咲き出すと蝶が舞いだす!互いに知らないまま自然のママ生きていると!

今月の禅の友

2011年03月09日 10時39分21秒 | お寺行事の連絡もの
お雛様で今月に初めからバタバタしてお手からの小冊子UPしてませんね

春を待つ猫の題が
表紙には日向ぼっこの猫の絵でした
特集としてお彼岸のタイトルでした
托鉢に行く様子
良寛様は子供と良く手毬を突いて遊んだと童話等に有りますが
曹洞宗で修行した禅僧の1人と説明のとたん歴史上の僧の存在になります。

十八才で出家され二十二才になってになって
 『現岡山県倉敷市玉島の曹洞宗円通寺に赴きそこでおよそ十二年の
修行した』と残ってる様です
禅の言葉の一つのようです

「桃花、春風に笑む」と読むのだそうです
何の計らいも無く自然任せで春風を得て咲く桃の花の『無心の喜びが』
感じられ目に見えるようですと説明の有りました
 
漢詩はよう作りませんが主人が居たら説明してくれそうな気がします
お彼岸の方丈のお参りがお彼岸の最後の日のようです
しっかりお祭りしなければ


おまけ
お彼岸近くなるとこんなものも顔を出します
春を感じますね

月が変わって四日も経ってた

2010年07月04日 06時44分20秒 | お寺行事の連絡もの
今月も「禅の友」がきていました。

天の川を眺める子供の可愛い仕草ですね

今月も
「良寛様のお歌」がのっています
 
"さわぐ子の 取る知恵はなし 初ほたる”

「ホタルだ、ホタルだ」とワーワー騒ぐほど子供たちは捕る知恵を知らない」
と冊子に、俳句の解説が有ります

良寛様は姻戚筋に山田家があり毎年夏の宵に決まったように現れて
「およしさん」という恰好の女性からお酒をご馳走になっていたと冊子に
あります。

禅の友の中にお寺さんの動きとが連絡事項が書いた文書が入ってきます
8/8日に寺の清掃作業がありますとかいてありました。其の後護寺会の
総会が有るとも書いてありました。



読みやすい冊子

2010年02月03日 13時41分47秒 | お寺行事の連絡もの
毎月お寺から配られる冊子「禅の友」です
内容は良寛様の詠まれた詩や残されたお言葉、行い等を私たちに理解できるように
解説してあります。去年からの表紙の絵が気に入ってます。

1月は 良寛様が旅をされている時に子供と出会いお話している図です

2月は 2月15日は釈迦様のご命日です。お釈迦様が亡くならたと聞いた動物たちが
    泣きき悲しんでいる図です。その時に沙羅双樹花が咲きその花が金銀に光って
    散って居たと書いてあります。
    小動物では小鳥亀蛇に居たるまで、大きい動物では人間は言うに及ばず牛馬達
    が枕辺に来て泣いたと云いますそんな図です「釈尊涅槃図」とあります 
     

18日は施食会「セジキエ」

2009年08月19日 11時41分04秒 | お寺行事の連絡もの
年一度のお寺の行事です昔はセガキと云っていましたがガキと言う言葉が
此の時代に適当でないと「食を施す会」セジキエとなったと聞いています
早く家を出た積もりでも途中寄り道をしていたら遅く成って御詠歌が始まっていました
見え難いですが男性方の向かって左に御詠歌の方々が居られます

中の赤い衣を着ておられるのが此のお寺の住職様、導師を勤められました
近隣の同宗派「曽洞宗」の方丈さま若和尚さま8人で法要を営まれその場に
参加出来た事が感謝です

法要が終わり方丈さんの笑いを交えたお話を聞いている間に寺さん手作りのご馳走
を頂く部屋に移動します
昨年秋に取り貯えた「赤茸」がこの寺の自慢ご馳走で、檀家さんへ感謝
の気持ちですと和尚さんの口癖です。ご飯の横の細くさいた白いのが
赤茸、の煮物その下の黒いのがクサギナの煮物、ごま豆腐、などなど大好きな
精進料理が一杯でした。

この習わしは「昔、修行僧のお母さんが亡くなり、あの世に行って迄
食べる物が無いのは可哀想とお釈迦様に相談したら
「多くの皆さんに食べ物を施しなさい」と教えからこの習わしが
出来たと聞いています