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<荒野に希望の灯をともす>中村哲医師を偲んで

2022年12月08日 01時02分59秒 | 映画


3年前の2109年12月4日、中村哲医師はアフガニスタンのジャララバードで凶弾に倒れた。
彼がパキスタンとアフガニスタンに遺したもの、私たちの心に刻みつけたものは大きい。

1978年に登山隊に同行する医師として初めてパキスタンを訪れ、山中の無医村で
ハンセン病の人々と出会う。その出会いが当然のように彼をパキスタンへと向かわせた。
初めは馬に乗って村を巡回診療した。

次に戦争で土地が荒廃して日常が破壊され、苦しむアフガニスタンの人々のもとへと
向かった。そこでには栄養失調と病で亡くなる子供たちを見た。
子どもたちを救うには医療も大事だが、もっと必要なのはきれいな水だ、と中村医師は
思った。荒廃した土地は砂漠化しており、水もなく、耕作もできなくなっていたのだ。
きれいな水があれば、病にかかる子供たちは少なくなるだろう、また水があれば
再び農作ができる。そして収穫できるようになれば、子どもも大人も飢えから救われる。

灌漑工事の知識も経験もなかった中村医師だが、工法を独学で学び、材料は現地で
容易に手に入る石を利用することを思いついた。
必要なことだと気づいても、ここまでやる人間は中村医師をおいてはいないだろう。
彼は現地の人々と一緒に汗を流して用水路を完成させた。全身で喜びを表す住民を
彼は静かに微笑んで見ていた。彼はどんな難事にも淡々と当然のごとく取り組む。
そして、成し遂げる。
こうして完成させた用水路が洪水で一日にして破壊されたときもめげなかった。
どうすれば、洪水に強い用水路になるかを考えて、修復工事をしたのだ。

彼はこうして35年間もの間、現地の人々に寄り添い、ともに生きた。
愛する家族を日本に残したままの単身赴任だったのだ。

中村医師のしてきたことは私たちの心を大きく震わせるが、彼がしたきたような
事をしたいと思う人間や、また成し遂げられる人間は稀だろう。

こんなに稀有な尊い仕事をやり遂げた彼は、偉ぶるでもなく、力むでもなく、
人に優しく、淡々と、コツコツと働く日々を続けてきたのだ。

こうして、アフガニスタンの人々のために尽力している間に10歳の愛する
我が子を脳腫瘍で亡くしていたのだ。
今頃は天国で亡くなったご子息と父子の触れあいを心ゆくまでしている
姿が目に浮かぶ。










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