うさことママのお気楽日記

うさこです。老女の母とのなんて事のない日常を思い出にしようと書き続けています。

この場所で聞いた言葉(涙)

2006年02月09日 23時53分35秒 | Weblog
豫園の中の池です。鯉が沢山いました。
豫園観光に行くと必ず通る場所です。

そこで聞いた言葉です。
あの建物の中には女性がいたんですよ。
纏足でいたんですよって・・・
纏足って何となくは分かるけど・・で調べて見ました。

纏足の目的
纏足文化ができた原因は、小さい足の女性の方が美しいと考えられたからです。

小さく美しく施された靴を纏足の女性にはかせ、その美しさや歩き方などの
仕草を楽しんだようです。

纏足の女性はうまく歩けないことから、女性支配の手段にもなっていたと考えられます。

また、バランスをとるために、内股の筋肉が発達するため、女性の局部の筋肉も発達すると考えられていたそうです。

このようなことから、蒙昧な時代には纏足を施していない女には嫁の貰い手がなかったという。
今の時代なら信じられないほどの女性軽視ですね。なんだと思っているのでしょう


纏足の歴史と施工方法など
纏足とは、女性の足を幼年期より布などで縛り足の成長を抑えて10センチから13センチほどの足のサイズにしてしまう奇習といえます。

流行しだした頃は、漢民族にとっては異民族の侵入などで国粋的な儒教が発達した時期でもあったそうです。

北宋の后が始めたとの説があるが、華南よりは華北によりその傾向があり、次第に農村部にまで拡大したようです。
少数民族や女真族(満州族)にはその傾向がなかったものの、まれに見られた。

女真族(満州族)の建てた清朝が纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、北清事変以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部で罰則との関係で下火になりました。

しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは戦後の事です。
このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられるそうです。  

女の子が3-4歳になると木綿の布で足を縛り、発達を抑えるようになる。発熱する為、施術は秋に行われるのが多かったそうです。

親指を除く4本の足は内側に曲がり夜も寝られないほどの苦痛を伴いながらも、縛りなおすときを除き、ほとんど縛りっぱなしで決して親はそれを緩めようとはせず、足のサイズは10センチ前後が金蓮と呼ばれた。

第1段階では親指以外の4本の指を内側に曲げ、第2段階で、足の甲を前に伸ばさず縦に曲げていく。約2年かけるので、足のやわらかい幼少の頃に変形させるのである。その後も、縛り続け、3日に1度消毒することなどが生涯にわたって行われたそうです。

纏足の流行の理由には、足の小さいのが女性の魅力、女性美、との考えがあったことは間違いない。
足が小さければ走ることは困難となり、そこに女性の弱弱しさが求められたこと、それにより貴族階級では女性を外に出られない状況を作り貞節を維持しやすくしたこと、足が小さいがために踏ん張らなければならず、そこに足の魅力を性的に感じさせやすくした。…など多くのことが考えられるが、いずれも決定的にこれぞと言えるほどの理由とまではいかず、やはり習慣の一つとして続けられていたと言えよう。

纏足で走行不能となったことで、災害時には男性より死亡率が高かったことや、早めに夫をなくし困難の中で子育てに励んだ方々の苦労は大変なものだったという。

現在、イスラム教徒においては、死後神の世界に戻るに当たっては人間本来の形に戻ることが必要なため、鉄で骨を元の形に戻すことが行われているようである。

辛いですね女性を性の対象としか見ない男性が中国にいたんですね。
可哀想過ぎます

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
うさちゃんの生命力 (チャメまま)
2006-02-10 20:29:24
凄いよね~。

熱が出たり、体調が悪くても

ひろ~い中国を楽しんじゃって!

 

   

悲しい女性に心を馳せて



頭が
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さんきゅうです。 (うさこ)
2006-02-11 00:30:11
落ち込むとメールしてしまってごめんなさい。

うさこは益々パワーアップして頑張ります。

昔の中国に生まれなくてホッとしています。

リウマチに纏足は・・・・です
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