うさことママのお気楽日記

うさこです。老女の母とのなんて事のない日常を思い出にしようと書き続けています。

でも・・・脳梗塞になんて 負けないよ

2015年04月22日 11時23分39秒 | Weblog
退院してから考えてきたことだけど・・・負けてなんていられない


 現在は 母を預かっていただいた施設から 連れて来て 二人で暮らしています。

上手くは言えないけど


  母はうさこが倒れる前のうさこと  思っている

 そして うさこは 以前の母だと思ってる・


でも 母は 違って来ています。  すべて うさこが倒れたことが原因てす。

気力が無いのです。  何か月も施設にいれば仕方ないですよね。

だから うさこは イライラ{/angry/ でも もうすぐ95ですもの。 これだけ しっかりしているのは
幸せだよと 言われます。 時間がかかったって 杖いて 自分でトイレにも行くし。
洋服も自分で着るし これ以上 何を望むの ?

 今は母を怒らずに  おこる自分も 許せないです。自分も笑って暮らそうと努力しています。
  母のヘルパーさんや ケアマネさんにささえられてさこは 幸せです。
  多分 神様は 倒れる事で  母との 穏やかなじかんを与えてくれたのでしょう。
   今 母は とても 母にあった 今週からデイサービスに 週ニ回 出かけています。  振出一日中 一緒にいるより 幸せな症状をしています。  だから うさこも 幸せです。 今までは  自分がすべて してあげなくちゃと 半ば 強制的に 自分の心に 鞭打っていたのでしょう。だから毎日泣いてばかりいました、思い通りにならない 自分の身体母の介護で いっぱい いっぱいだったのです。

  ヘルパーさんに言われました、うさちゃんを ずっと 大事に育ててくれた おかあさんだよ。 泣きながら面倒見るのは お母さんが 不安になるよ。 ヘルパーさんに こういわれました。 人生は 泣いても 笑っても 時間は同じにに進むんだよ。 笑ってお母さんを 過ごさせようって。 二人とも 一歩ずつ 前に 進んでいるんだよって。

そうですよね。 後遺症になんて負けていられませんよね。

救急車から 病院へ

2015年04月18日 18時12分35秒 | Weblog
  ここからは はっきり言えば
 まだら記憶です。
 弟が仕事帰りに 様子を見来たら 完璧 おかしい状態だったそうです。川崎の兄は 実家に向っていると連絡し合っていました、弟は 色々病院に電話して 連れて行きたいと 相談していましたが・・・幻覚が見えたり 精神的な4病には対応出来ませんと 断られ 最後の手段として救急車を頼んだそうです
ところが新型救急車らしく 家の前までは入って来れませんとマァー途中の公園から連絡があったそうで だから近所の人は7うさこが運ばれたことさえ知りません。で・・・家に救急隊員の方が2名来てくれました。ても ストレッチャーではなく 足袋に入れられ一人用の担架でした。
今思えば 近くの救急車が入れる場所まで一人で運ばれたような気がします。そのあと 救急車の中の ベットに 寝かされと思います。

そして言われたことは はっきり7覚えています。
ここはどこだかわかりますか?
救急車の中です。

今 売れいれ可能の病院探しています。 私たちが誰だかわかりますか?

はい。ハンサムな 救急救命士さんです。(なんか・・・突っ込む元気が出たのは 救急車にいると言う 安心感でしょうか ?)
⇒ 少しずつ記憶と 周りの話からの 聞き取りですけど(笑)

救急車に運ばれるまで・・・・

2015年04月18日 06時31分07秒 | Weblog
突然おかしくなったのかケロ

ぐ具合が悪くて 熱が42度まであって  
具合が=悪い間 川崎から毎日兄嫁が看病してくれていました。
       兄は 仕事が終わって うさこの家に泊まり 朝4時半に仕事に出かけていました。 母はその頃施設で不安な毎日を過ごしていました。
 時々携帯で うさちゃん 不安なのよ 不安なのよ 寂しいのよと 訴えていました。 でも うさこには どうすることも出来ませんでした。

兄嫁と タクシーで いくつもの病院へ行き 点滴を打っていました。
点滴さえ打てば元気になれると思っていたのです。  そうすれば母を迎えに透けると信じていたのです。⇒⇒  続きたい
     

入院していました。

2015年04月12日 18時00分10秒 | Weblog



本当に本当にお久しぶりです。

うさこは 突然消えるからなぁー  今回はどうした。


うん。
 脳梗塞で・・・入院していた、
うん 助かって良かったなぁー

  実は11月に 母は 足の膝を骨折して 入院を年末までしていました。
仕事をむ毎日早退して 通いました。個室しか空いていなかったので 会話をしないと うつ病が悪化するとおもったのです1。 この骨折した日 うさこは 胸騒ぎをして早退して家に帰宅したのです。母にヘルパーさんが付き添ってしてくれました。

何件か病院を回り最終的に整形外科から電話をいれてもらい 国立病院へ行きました。
ここから約70日間の入院でした。手術をしてリハビリをしてお正月に退院しました。

リハビリ 頑張ったんだなぁ。

うん、これで悪夢は終わると思っていたんだけどねぇー。

今度は どうしたぴよ

お正月の9日間の休みが終わり 母の昼間一人の生活が続きました。
 母は食欲が無いからと ご飯も食べずに 脱水症状になり 地元の病院に 入院しました・
かなり重症でしたが・・・点滴で 少しずつ元気なりました。その間に 要介護3になりました。
  もう 会社に言いました。
母を失うことより 仕事を失う方を選びます。と
もっと早く結論していればよかったけど・・・本当に仕事大好きだっんです
これで母の最後の時間まで 笑って暮らせると 思っていたんです。

仕事を辞めて 風邪に似た症状が出ました⇒胃腸風邪と言われました。

その日からだんだん熱が上がってきました。
翌日 母のケアマネさんに連絡して母をショートスティ出来るところを探してもらいました、 それ2か月近く続くとは思いませんでした。
母はお迎えの車が来て乗るまで震えていたそうです。かわいそうですね うさこはここら辺から あまり記憶ヶありません。

母がショートスティの間に兄夫婦と弟は 毎日両方を行き来していました。
少しだけ良くなったかな? と思った夜中 救急病院に行きました。
その時
女性ドクターは いつも どんな薬飲んでいるの?゜
トラムセットと ボルタレン S いRです。
女性ドクターは この2つの組み合わせは 麻薬と同じ 中毒症状ですよ。
処置は危険で 出来なので・・点滴だけで おうちに 却ってください、

今は長時間 パソコンに向かうことも 普通の速さで打つことも困難です。
 いつか  続きが打てたら良いなと思います。