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おはようございます。うさこです。
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終わったピヨ
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身体は大丈夫けろ?
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なーんて久しぶりに対話しながら書いています。
今 お骨になり兄は帰って来ました。
あの倒れた瞬間・・・救急車の中 波形は取れていませんでした。
病院の救急処置室・・・先生方には何時間も何時間も頑張って頂きました。
倒れてからご臨終と言われるまでの時間117分間 とてつもない時間の流れでした。
それから霊安室 自宅に再び戻るまでの時間155分 うさこは母を悲しませないために
霊柩車の中で運転手さんに断って思い切り泣かせて頂きました。
家に戻り遺体を安置し語り合いました。
その時間までに母と うさこ 川崎の兄夫婦 弟家族4人。
みんなで話しかけました。まだ身体は暖かいままです。特に背中が暖かかった・・・
葬儀屋さんが驚いていました。
亡くなって3時間も経っていないのに・・それも急性心筋梗塞なのに・・
沢山の方がいる事にだそうです。
国立埼玉病院の場合 葬儀社さんは1週間交代だそうです。
兄の週は練馬区の担当だそうです。
その方に家に連れて来て貰いました。
それから地元のご葬儀やさんに変わりました。
担当の方は温和な言葉使いの優しい方でした。兄にも家族にも信頼できる方で良かったです。
母が一番こだわった事⇒私は母の希望にしてあげました。
それは通夜に来て下さった方々のお食事でした。
足りないと言われるのが一番嫌と言いました。
うさちゃん家の
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通夜のごはん 美味しかった ご馳走様でした。
みなさんそういって下さいました。 それだけで十分です。
母の田舎 いわきは通夜にも沢山食事があり 本葬の朝にも沢山あるんです。
多分母は
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いわきみたいにしたかったのだと思います。
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まぁー多すぎた感も無くはないけど・・ピヨ
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残った分と言うか手を付けていない分は弟の家とうさこの家と
ご近所3件 それこそ普段から良くお世話して下さる方におすそ分けしました。
通夜・葬儀に関してはこの温和な葬儀社の方の言う通りすべてお願いしました。
無理もしなければ華美でもない・・それこそ質素でもない素敵な祭壇でした。
通夜にも沢山の方が弔問に来てくれました。とっても嬉しかったです。
いわきや横浜 新宿 川崎 新潟 ホテルも取れました。
マァー地元の話ですが・・北朝霞から直ぐのビジネスホテルを取りました。
母の従姉妹達は終わってから 養老の滝へみんなで行ったそうです。
なぜなら過去2年間で福島のいとこすべての親が亡くなっているからです。
そのたびに3人で行きました。
だから又葬儀で逢うなんて・・と言う感じでした。
いわきの場合はみんな車で帰るのでゆっくり話をする機会も時間もありません。
だから うさちゃん・・・みんなでT(兄です)の思い出話するんだと言っていました。
本当に暖かいと思います。
次に私は父方の従兄弟を家に連れて来てゆっくり父や兄とも思い出話をしました。
それこそ本当に楽しい時間が過ぎました。
これが通夜の日の自分の記憶です。
このブログを書くことによって記憶に残る部分を書き留めたかったのです。
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しかし・・長文だなぁー