本日3月11日の午後2時46分、
被災各地を生中継するテレビから流れるサイレンの中、
私も塾の中で黙祷した。
テレビの中の被災者が、
「天災は忘れた頃にやってくるのではない。皆が忘れるから天災になるのだ」
と、言っていた。
まさに、忘れてはいけない3.11。
今後の甚大な被害を出さないためにも、私達の今後の意識が問われている。
最近は比較的に暖かいが、
10年前のあの日から数日は、雪が舞い散る寒さだった。
暖房が欠かせないにも関わらず、停電でヒーターは使えない。
電気を必要としない昔ながらのストーブが1台あったので、
津波で家を流され、我が家に避難してきた義姉家族と計10人で暖をとっていた。
そこで問題になるのが、10人分の食料と水と、暖房に必要な灯油。
開店するかどうかも分からないスーパーとガソリンスタンドの行列に並ぶ日々。
タンクを持って給水所に並んだ日々。
貴重な水に食器さえ洗えないので、食器にサランラップを敷いて食事をした日々。
停電で、ローソクの灯りで暮らした日々。
電気と水道が復旧した時は、めちゃくちゃ嬉しかったことを覚えている。
これまでの何気ない日常に、とてつもなく感謝した日でもあった。
特に震災直後は、10人分の食糧と灯油とガソリンの確保に必死に駆けずりまわっていた。
生きることに精一杯だった。
戦後ってこんな感じだったのだろうな、と思ったことを覚えている。
やはり3月11日は特別な日であり、
どうしても、あの日を忘れられない。
今日は朝から様々なことを感じ、色々なことに思いをはせた。
これからもこの日が来れば、何年たっても同じなのだろうな。
あの日から10年か。
「10年ひと昔」 と言うけれど、
絶対に忘れられない、絶対に風化してはいけない3月11日である。