今日、5月8日は弟の命日だった。
私の弟は15年前に、
33歳の若さで胃がんで逝った。
がんが発見された時点で外科的手術は無理とのことで、
抗がん剤治療に頼るしかなかった。
抗がん剤治療の苦しさは、見るに堪えなかったことを覚えている。
その抗がん剤治療も効き目なく、
余命3ヵ月と宣告されてからは自分の生きた証を残そうと、
弟は毎日ブログを書いていた。
そのブログを読むたびに、弟の心の浮き沈みを痛烈に感じさせられていた。
それから半年後に弟は逝った。
最後の笑顔は、亡くなる1ヵ月前。
病室から見える満開の桜を、自分にとって最後となることを自覚しながら喜んでいた。
その後はモルヒネによる幻覚症状で訳の分からないことを言いながら昏睡状態となり、
5月8日の早朝に自宅で息を引き取った。
何よりもその日の朝が快晴で、泣きながら朝日がとてもまぶしかったことを鮮明に覚えている。
私は弟の死を通し、自分の死も考えるようになった。
いつ死んでもおかしくないという自覚を持った。
弟の一日は、健康な自分の何年分だったことだろう。
だから今は、一日一日を大切に生きなければという思いが強い。
それを弟から教わった。
ちなみに弟の命日は、不思議なことに毎年快晴である。
今日も快晴だった。
弟がそうさせるのか、神様がそうさせるのかは分からないが、
お陰であの日のことを忘れることができない。
今年の命日の今日は土曜日で、朝から自習室だったので墓参りには行けなかったから、
明日、お墓で手を合わせ、弟と少し話をしてこようと思う。
子育てのほかに自分がやりたいことを見つけ人生を豊かにすること。それがわたしの終活かなぁと。まだまだあまちゃんですかね。
お互いに今を一生懸命に生きましょう。