バニャーニャ物語 その12 アーモンドの花さくころ
作・鈴木海花
挿絵・中山泰
国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある。
*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
ご覧ください。
お日さまがあたたかい光をなげかけている4月の草原のなかで、
カイサはさっきからずっとしゃがみこんでいます。
ヒナゲシやハルジオンが小さな花を咲かせ、
原っぱの向こうには薄紫色の花房をたくさんつけたライラックの木があって、
風にのって甘い香りが流れてきます。
こうして草のなかにしゃがんでじっとしていると、
つぎつぎといろいろなことが起こります。
ハムシが葉の茎をよじ登っていったり、
アリがいそがしそうに種を運んでいったり、
ハナムグリがピンク色の花をむしゃむしゃ食べたり。
目の前では背中に赤い十字模様のある小さな白いクモが、網を張っています。
虫たちをおどろかせないように、じっと気配をころして、
こうやって草のなでこうしていると、カイサは時を忘れてしまいます。
「このクモは、きっと今年生まれたばっかりで、
この小さな網ははじめて作る網なんだろうな」
と思いながら、まめまめしく動きまわって、
一心不乱に網を張り巡らしているクモに見とれていました。
と、そのとき。
頭の上で、甲高い声がしました。
「そこのアナタ、ちょっと、聞こえないの?こっちを向きなさいよ」。
クモの網がもうちょっとで完成するところだったので
カイサは体を動かさずに、顔だけを声のするほうにゆっくりと向けました。
そこにはひとりの女の子が、腰に手を当てて立っていました。
見たこともない恰好をしているので、カイサは目をぱちくりさせました。
「ん・・・・あれ、アナタだれ?」
「いきなり失礼ね!だれ?なんて。
わたしはラ・トゥール・ドーヴェルニュ王国のナナ・ウリエ・フォン・シュヴァンクマイエルよ」
「ドーヴェル・・・・・んーと、ナナちゃんだね、あたしはカイサ」
「ナ、ナ、ナナちゃんですって!そんな軽々しくわたしの名前を呼ぶなんて、ゆるされないのよ!」
「だってー、長すぎて覚えられないよ」
「まったく、田舎の人ときたらモノを知らないんだから・・・・それより、
わたしのきくことに応えなさい」
白いクモは、巣を張り終ったところでしたので、
カイサは巣をこわさないように、そっと草のなかから立あがりました。
ナナ・ウリエ・シュヴァンクマイエルは
カイサと同じくらいの背丈の女の子でした。
「カイカ、ここはいったいどこなのか、教えなさい」
ナナはカイサをにらみつけるように命令しました。
「カイカじゃないよ、カイサだよ。ここはね、バニャーニャっていうんだよ。
あれ、ナナちゃん、知らないで来たの?」
「知るもんですか!あのごみごみした国境の町から東のほうに歩いていたら
へんな虫のいる森に迷い込んじゃって、やっと抜けられたと思ったら
こんな辺鄙なところへ来たのよ」
「へぇー、すごーい、じゃあナメナメクジの森を通ってきたんだね!
でも、ナナちゃん、どこもなめられていないみたいだけど」
カイサがナナを頭のてっぺんから足の先まで見ていいました。
「あなたって、まったく失礼ね。あんなヌメヌメした虫なんかに
わたしがなめられると思ったら大間違いよ・・・・でもいっしょに来た
シャルルはあの虫にたかられちゃって・・・・あっちでぶったおれているのよ」
「シャルルって?」
「わたしの探検のお供をしてきた者よ。まったくだらしがないんだから」
「へえー、ナナちゃん、お供をつれて探検してるんだ!かっこいいね」
「かっこいいとか、そういう問題ではないのよ。
私は国の苦難を救うために・・・・ まあ、あなたにいっても仕方ないことだわ。
それより、シャルルをなんとかしなければならないのよ。
ぼやぼやしていないで、お医者のところへ、連れて行きなさいよ」
カイサとナナは、草原のはしにはえているライラックの木の根元で
体じゅうをかきむしっているシャルルのところへ歩いていきました。
シャルルという若者は、草の上をあっちにごろごろ、こっちにごろごろと
のたうちまわっています。
「ナナさま、まことに、もうしわけございません!
しかし、このかゆさは、尋常ではなく・・・・(かゆいぃっー)」
ふたりを見るとシャルルは叫ぶようにそういって、また体をかきはじめました。
「シャルルさん、えらい目にあったね。
でも、ナメナメクジになめられたら、1週間かゆいのをがまんするしか
方法がないの。
ジャマイカ・インにいけば、コルネが冷やしてくれるよ。
少しは楽になるらしいし、コルネはホテルのお客さんがときどき
ナメナメクジにやられてくるから、なれているしね」
「ジャマイカ・インって、なんなのよ?」
ナナがききました。
「バニャーニャにあるたったひとつのホテルだよ。
コルネがやってるんだ」
カイサはそういうと、シャルルをなんとか助け起こして
ジャマイカ・インに向かって歩きはじめました。
「やあ、カイサ!おやおや、お客さんをつれてきてくれたんかい?」
ジャマイカ・インにつくと、コルネが出迎えてくれました。
「あれま、お客さん、ナメナメクジにやられたね」
「そうなんだよ、シャルルさんっていうの。そいでこっちがナナちゃん」
カイサがふたりを紹介しました。
「ナナ・ウリエ・フォン・シュヴルツラングよ」ナナがいいました。
「まあ、ここがホテルだなんて・・・・・しょうがないわね、田舎っていうのは」
「でもね、コルネはお料理上手だし、とっても気持ちいいホテルなんだよ」カイサがいいました。
「シャルルさんのことは任せてください。すぐにお部屋へご案内しましょう、
なに冷やせばちっとは楽になりますから」
シャルルは口もきけずに、コルネに抱きかかえられながら、
2階への階段をのぼっていきました。
「シャルルなんて、ほんっとに役にたたないんだから。
しかたがないからカイカ、あなたバニャーニャとやらを案内しなさい」
ナナがいいました。
「カイカじゃなくってカイサだよ。いいよ、案内してあげる。
でもナナちゃん、おなかすかない?」
「そういえば、バニャーニャについてから、なんにも食べていないわ。
こんなところにわたしの口に合うようなものがあるとは思えないけれど、
でもなにも食べないというわけにはいかないわ」
「よっし、それじゃあ、ジロのところに行こう。
バニャーニャでいちばんおいしいスープが食べられるよ」。
「スープ屋ジロ」では、
ちょうどお昼を食べに来たお客さんたちがひと段落ついたところでした。
ジロは調理場でお皿を洗っていました。
きょうのスープは朝、畑からもいで、
サヤから元気に飛び出してきた鮮やかな緑色をしたえんどう豆のスープと、
やわらかくて甘みのある新キャベツのざく切りと豚肉のスープ。
どちらもほぼ売り切れです。
夜のメニューはもう考えてありましたから、
この午後はデザートづくりに専念するつもりでした。
「今夜はポポタキスのコンポートにしようかな。
そうだ、丁子とかカルダモンとか、今までと違うスパイスで
大人っぽい風味をつけてみようかな」
ジロは鼻歌をうたいながらそう考えていました。
「ジロー、いる?」店の方で、カイサの声がしました。
「あれ、カイサ?きょうは遅かったねえ」
ジロが手をふきながら、店の方へ出てきました。
「ねえ、スープ、まだ残ってるかなあ?」
「あらかた売り切れちゃったけど、少しだったらあるよ。
ぼくもこれから食べるとこだから、いっしょに食べようよ。
あ、ともだちもいっしょ?」
カイサの後ろにいるナナに気がついてジロがききました。
「ともだち、ではないわよ。わたしはナナ・ウリエ・フォン・シュヴァルツラングよ」
ナナがいいました。
「ナナちゃんはね、バニャーニャにきたばっかりで、
あちこち探検してるんだって。
ナメナメクジの森を通ってきたのに、なめられなかったんだよ。
モーデカイの他にも、ナメナメクジが寄ってこない人がいるんだね。
でも、いっしょにきたシャルルさんって人はなめられちゃって、
いまコルネのところでうなってる」
「すぐ用意するから、さあ、すわってすわって」
ジロが、入口からなかなか入ってこようとしないナナに声をかけました。
「まあ、せめてレストランかと思ったら、こんな大衆食堂みたいなとこ・・・・・」
ナナがつぶやきました。
ジロがテーブルに用意したスープを前にして、ナナは気味わるそうに
匂いをかぎ、食べるのをちゅうちょしていましたが、
カイサがおいしそうに食べ始めたのをみて、
自分もしぶしぶスプーンを口にはこびました。
そしてひと口食べると、「ん?」。
見る間にスープ皿がからになる勢いで食べはじめました。
「ナナちゃん、気にいったみたいだね。
ジロのエンドウ豆のスープは濃くて美味しいもんね」
カイサがいいました。
「ふん、こういった探検の旅ではね、なんでも食べなければならないものなのよ」
「じゃあ、ナナさん、春キャベツのスープもいかがですか?」
あっという間に空っぽになったナナのお皿をみてジロがきくと
「そ、そうね、期待はできないけれど、ためしてみてもいいわ」
ナナはキャベツのスープもすっかり食べ終わると、
ちょっと元気をとりもどして落ち着いたようにみえました。
おいしい食べ物は、ひとの気持を落ち着かせるのでしょう。
「スープの代金は、シャルルがよくなってから払いにこさせるわ。
さあカイカ、さっそくバニャーニャを案内してちょうだい」
というと、さっと立ち上がりました。
「カイカじゃなくて、カイサだけどね。
いいよ、バニャーニャのともだちを紹介しながら、半島のなかを歩いてみようか。
まずはブーランジェリー・アザミに寄って・・・・・ほら、いまスープといっしょに食べたおいしいパンを売ってる店。
それからマレー川のほとりにあるフェイの砂屋にも行こう」。
歩いていくカイサとナナを、4月の午後のうららかなひざしがつつみます。
ときおり、風がふたりの髪をそよがせていきます。
ブーランジェリー・アザミの店は、
点々と咲き乱れるヒナゲシの白い花に囲まれていました。
「あら、カイサ、いらっしゃい!こんな時間にめずらしいわね」
いつものように、ノリのきいた布で赤い髪をきっちり包み込んだアザミさんが
いいました。
「あ、わかった!イチゴ蜜を買いに来たのね」アザミさんが、
バターやハチミツを並べてある棚から
赤い液体のはいったビンをとりだしていいました。
「あ、今年もいちご蜜の季節がきたんだね。
売り切れないうちに、1ビンください。
でもね、きょうは、ナナちゃんを案内しているの。
ナナちゃん、美味しいパンをつくってくれるアザミさんだよ」
「こんにちは!バニャーニャへはご旅行?」
「いいえ、そんなお気楽なものではないのよ。
わたしは探検の旅をしているのだから」
そういいながら、ナナの目はカイサの手の中のいちご蜜のビンに吸い寄せられていました。
「これはイチゴからつくったものなのかしら?」ナナがききました
ナナは蜜という蜜が大好物なので、興味をひかれたのです。
「いいえ、これはいちご虫の出すまっかな蜜を、ミツバチが集めてきた蜜で
とっても濃厚なイチゴの香りがするのよ。
イチゴ蜜と呼ばれているバニャーニャの特産品でごく少量4月だけにとれる貴重な蜜なの」
「イチゴ虫ですって?!虫の出した蜜を食べるなんて、おおいやだ、非衛生的だわ!」
「でもね、いちど食べたら忘れられない、とってもいい香りの蜜だよ。
色もほら、こんなにきれいだし。ジロがこれでつくるイチゴ蜜ジェリーは最高においしいんだから」
透明に赤く輝くイチゴ蜜のビンを陽にかざしながら、カイサがうっとりといいました。
「それにね、ナナちゃん、ハチミツをつくるハチだって、虫だよ」カイサがクスリと笑いながら言いました。
「そ、それはそうだけれど。でもそれとこれとは・・・・」
「バニャーニャの探検、楽しんでくださいね」
アザミさんがにっこり微笑んでナナにいいました。
ブーランジェリー・アザミを出ると、
カイサとナナは、マレー川のほとりを目指して、
つやつやした青い芽をふいている木々がしげる森のなかの小道を歩いていきました。
森を出て川辺の道にでると、さらさらと流れていく軽やかな水の音がきこえ、
その水音にあわせるように、
一羽のミソサザイが澄み切った高い声をふるわせて鳴きはじめました。
「バニャーニャって、おそろしくひなびたところなのね」ナナがいいました。
「うん、わたしはここしか知らないからわからないけど。
ナナちゃんの国は、ちがうの?」カイサがききました。
「あなたには想像もつかないわよ。
石畳の広い大通りにそって、美しくディスプレイされたいろいろな店が並んでいて、
着飾った人々が道を行きかって、そりゃあにぎやかで。
こことは別の世界だわね」
「フェイー?いないの?」
カイサがフェイの砂屋のドアを開けると店はからっぽで、
フェイの姿がありません。
「ここは、いったいなんの店なのよ」
ナナが店のなかをみまわしてききました。
「フェイはね、世界中から砂を集めて、
それを調合して薬をつくったり、砂絵を描いたりしているんだよ。
ほら、このすてきな砂漠の絵も砂で描かれているの」
カイサが壁の絵をさしていいました。
それは、なめらかに盛り上がる砂丘を
血のように赤い夕陽がそめている幻想的な光景を
砂で描いた絵でした。
「このおかしな臭いはなんなの?」
ナナが鼻と口を手でおおって顔をしかめながらいいました。
そのとき、店の奥の戸が開いて、フェイが顔をのぞかせました。
「やあカイサ、気がつかなくてごめん。いま裏で釜をかきまわしていたもんだから」
「フェイ、このひとナナちゃんっていうの。ずっと遠くの国から探検に来たんだって」
「やあ、はじめまして、フェイです」
「フェイはね、このあいだから錬金術をはじめたんだよ」カイサがいいました。
「いやあ、まだはじめたばっかりでさ、
レフロンとかポーションとか、
かんたんな薬はつくれるようになったんだけどね。
なにしろ、材料を集めるのがたいへんなんだよな」
「あなた、もしかして、リュウゼンコウのことをきいたことがないかしら?」
ナナが急にまじめな顔になっていいました。
「リュウゼンコウ?そういえば『錬金術大全』にでていたな。
たしか、めったに手に入らない高価で貴重な香料とか・・・
でも、そんな珍しいもの、バニャーニャにはないんだよなー」
「そうね、きくだけ無駄だったわね」
ナナはそういうと、「カイカ、さあ次へいきましょう」
とさっさと、外へ出て行ってしまいました。
「ねえ、あのひとカイサのともだち?
やけにいばってるじゃない?」フェイがカイサにささやきました。
「うーん、けさ会ったばかりだからね、ともだちってわけでもないけど、
いっしょに来た人がナメナメクジにやられちゃって、
ほんとうは心細くて困ってるんじゃない?」。
ふたりが行ってしまうと、フェイはお湯を沸かして
お茶をいれることにしました。
なんだか気持ちがむしゃくしゃしたものですから、
すりおろしたジンジャーをたっぷりいれた濃いお茶を飲みたくなったのです。
マレー川のほとりからはなれ、東側の低い丘を越え、
カイサとナナは、半島のあちこちを歩き回りました。
4月の午後は、あちこちに花の精気が満ち、
なんだか、眠くなるような気持ちよさでした。
やがて日差しはオレンジ色をおびたバラ色になり、
あたりはこの季節ならではの美しさに満たされました。
「あー、いい気持」カイサが道端のニオイスミレを一輪おって香りをかぎました。
「ま、まあね。ところでカイカ、あなたって、どうしてそんなに歩くのが遅いのかしら」
「えっ?そうかな、おそいかな。いままで考えてもみなかったなあ。
あたしの名前はカイカじゃなくてカイサだけどね」
「そうやって、道草ばっかりしているからよ。もうちょっとさっさと歩けないのかしら」
「だって、道にはいろんなおもしろいものがあるんだもん。そんなに早く歩いたら
もったいないよ」
「でもナナちゃん、ちょっとつかれた?
きょうは朝からいろんなことがあったもんね」
「そんなことはないわ。でも・・・・・・そうね、シャルルのことも気にかかるし」
「じゃ、きょうのバニャーニャめぐりはこのくらいにして、
ジャマイカ・インまで送っていくよ」
ナナをジャマイカ・インに送りとどけけると、
カイサの足は、しぜんとジロ店のほうに向かいました。
「これから夕ごはん自分で作るの、めんどくさいしな」
ジロのスープ屋には、仕事を終えたアザミさんやモーデカイ、
フェイとシンカにバショーまでが顔をそろえていました。
カイサがはいっていくと、みんなはいっせいに、カイサに質問をあびせました。
「ねえねえ、カイサ、あれからどうした?」
フェイがききました。
「バニャーニャのあちこちをいっしょに歩いたよ」
「あいつ、ずぅっとあんなふうにいばりくさってたの?」
「まあね」
「たいへんだったわねえ」アザミさんもいいました。
「ナメナメクジになめられなかったなんて、オレも会ってみたいもんだよ」
モーデカイがいいました。
「やめといたほうがいいとおもうよー、いっしょにいると、なんだか腹がたってくるから」
フェイが鼻にしわを寄せていいました。
「カイサに頼りきっとるというのが、ちと気になるがの」バショーがいいました。
「アハハ、だいじょうぶだよ。
ナナちゃんは、なんだか悩みがあるみたいなんだよね・・・・・。
それよりジロ、今夜のスープはなに?
いっぱい歩いておなかすいちゃった」
「ムラサキニンジンとジャガイモとミドリタマネギの
春野菜スープだよ」
そのころ、ホテル・ジャマイカ・インでは、
ナナ・ウリエ・フォン・シュヴァンクマイエルがひとり、
自分の部屋のバルコニーで物思いにふけっていました。
バルコニーはアーモンドの果樹園に面していて、
ちょうど満開になったアーモンドの花が、
夜のなかでぼーっと白く見えます。
そのかすかな香りをふくんだやさしい4月の夜風が、
もの思わし気なナナのほほをそっとなぜて通り過ぎていきました。
****************************************
暑くもなく寒くもなく、一年じゅうでいちばん気持ちのいい4月だというのに、
バニャーニャにはとんでもないお客さんが迷い込んできたものですね。
ナナ・ウリエ・フォン・シュヴァンクマイエルの探検には何か目的がありそうですが・・・・・・
その話は、次回で。
果物には、おいしいだけでなく、愛らしい見かけのものがたくさんありますが、
そのなかでも、イチゴは特に愛らしい。
雫のような形状、少し透明感のある赤い色、プチプチとついている種・・・・・
どれをとっても文句のつけようのない愛らしさです。
ジャムのなかでも、断トツあきないのがイチゴジャム。
旬の季節には自分でもつくるのですが、
イチゴをざっと刻んで、それにグラニュー糖をかけて、しばらくおいておくと
まっかなルビーのような果汁が染み出てきて、
その透明な赤さのうつくしさと香りは、いつみても幸福感をさそいます。
こんなきれいで香りのいい蜜を出す虫がいたら、いいなあ、と
イチゴ虫を考えました。
以前、この連載のあとがきで、カシの樹に集まるアリマキの出す蜜をミツバチが集めた樹木蜜というのを紹介しましたが、
イチゴ蜜は、ハムシのようなイチゴ虫が出す蜜を、ハチが集めてできます。
2種類の虫の体のなかを通ってできた貴重な蜜です。
赤い色と虫といえば、
メキシコのサボテンにつくカイガラムシの一種コチニールが知られています。
口紅、リキュール、カマボコなどなど、さまざまなものに赤い色をつける
天然着色料。
メキシコと日本で活躍するアーティストの荒木珠奈さんから、
以前、このコチニールを乾燥したものをお土産に頂いたことがありました。
日本ではめったに手に入れることのできない乾燥されたカイガラムシ。
教えていただいたように、さっそくミルクパンにいれ、
水を加えて煮だしてみました。
でたでた、赤い色。
あまりに美しい赤い液体。
お砂糖と香料をいれて、
ゼリーにしてみました
・・・・・・・・・・・・というのはウソです。
ネットなどで見ると、このコチニールという虫由来の天然着色料に
思った以上の忌避反応があふれています。
虫を食料品に添加するなんて、問答無料でダメ!!!!
絶対ナシでしょ、という人は
私の予想より多いようで、
食品や化粧品、酒類などにコチニールが添加されていることに、
みんな激しく怒っています。
生きていく上で、世の中には知らなくていいこと、
というのがずいぶんあるとわたしは思います。
お気に入りのシャネルの赤い口紅の色が、虫が出した色だと知って
唇に塗るのが嫌になった、という人、
ピンクに色付けされたカマボコを買わなくなった人もいます。
知らなければ、どうってことなかったのに。
虫由来の赤い液体に興味津々のわたしですが、
虫好きのわたしにも、煮られてぶよぶよになったカイガラムシの死体が
しずんでいる液体でゼリーをつくるのには、抵抗がありました。
だからナナが虫の出した蜜を食べるなんてアリエナイ!
と思った気持ちもわかるけれど、
わたしだったら、イチゴそっくりの体をしたイチゴ虫の出した蜜は
食べてみたいなあ。
アーモンドの花というのを見たことがありますか?
サクラにそっくりなんです。
アーモンドの実をしぼって抽出した液を使ってつくる
ブラマンジュはふるふると繊細で、優雅なお菓子。
調べてみると、フランスのモンペリエという町の
修道女がつくるブラマンジュが最高なのだとか。
モンペリエの春は、咲き乱れるアーモンドの花で白くかすんでみえるそう。
東京では、神代植物公園で4月にみることができます。
作・鈴木海花
挿絵・中山泰
国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある。
*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
ご覧ください。
お日さまがあたたかい光をなげかけている4月の草原のなかで、
カイサはさっきからずっとしゃがみこんでいます。
ヒナゲシやハルジオンが小さな花を咲かせ、
原っぱの向こうには薄紫色の花房をたくさんつけたライラックの木があって、
風にのって甘い香りが流れてきます。
こうして草のなかにしゃがんでじっとしていると、
つぎつぎといろいろなことが起こります。
ハムシが葉の茎をよじ登っていったり、
アリがいそがしそうに種を運んでいったり、
ハナムグリがピンク色の花をむしゃむしゃ食べたり。
目の前では背中に赤い十字模様のある小さな白いクモが、網を張っています。
虫たちをおどろかせないように、じっと気配をころして、
こうやって草のなでこうしていると、カイサは時を忘れてしまいます。
「このクモは、きっと今年生まれたばっかりで、
この小さな網ははじめて作る網なんだろうな」
と思いながら、まめまめしく動きまわって、
一心不乱に網を張り巡らしているクモに見とれていました。
と、そのとき。
頭の上で、甲高い声がしました。
「そこのアナタ、ちょっと、聞こえないの?こっちを向きなさいよ」。
クモの網がもうちょっとで完成するところだったので
カイサは体を動かさずに、顔だけを声のするほうにゆっくりと向けました。
そこにはひとりの女の子が、腰に手を当てて立っていました。
見たこともない恰好をしているので、カイサは目をぱちくりさせました。
「ん・・・・あれ、アナタだれ?」
「いきなり失礼ね!だれ?なんて。
わたしはラ・トゥール・ドーヴェルニュ王国のナナ・ウリエ・フォン・シュヴァンクマイエルよ」
「ドーヴェル・・・・・んーと、ナナちゃんだね、あたしはカイサ」
「ナ、ナ、ナナちゃんですって!そんな軽々しくわたしの名前を呼ぶなんて、ゆるされないのよ!」
「だってー、長すぎて覚えられないよ」
「まったく、田舎の人ときたらモノを知らないんだから・・・・それより、
わたしのきくことに応えなさい」
白いクモは、巣を張り終ったところでしたので、
カイサは巣をこわさないように、そっと草のなかから立あがりました。
ナナ・ウリエ・シュヴァンクマイエルは
カイサと同じくらいの背丈の女の子でした。
「カイカ、ここはいったいどこなのか、教えなさい」
ナナはカイサをにらみつけるように命令しました。
「カイカじゃないよ、カイサだよ。ここはね、バニャーニャっていうんだよ。
あれ、ナナちゃん、知らないで来たの?」
「知るもんですか!あのごみごみした国境の町から東のほうに歩いていたら
へんな虫のいる森に迷い込んじゃって、やっと抜けられたと思ったら
こんな辺鄙なところへ来たのよ」
「へぇー、すごーい、じゃあナメナメクジの森を通ってきたんだね!
でも、ナナちゃん、どこもなめられていないみたいだけど」
カイサがナナを頭のてっぺんから足の先まで見ていいました。
「あなたって、まったく失礼ね。あんなヌメヌメした虫なんかに
わたしがなめられると思ったら大間違いよ・・・・でもいっしょに来た
シャルルはあの虫にたかられちゃって・・・・あっちでぶったおれているのよ」
「シャルルって?」
「わたしの探検のお供をしてきた者よ。まったくだらしがないんだから」
「へえー、ナナちゃん、お供をつれて探検してるんだ!かっこいいね」
「かっこいいとか、そういう問題ではないのよ。
私は国の苦難を救うために・・・・ まあ、あなたにいっても仕方ないことだわ。
それより、シャルルをなんとかしなければならないのよ。
ぼやぼやしていないで、お医者のところへ、連れて行きなさいよ」
カイサとナナは、草原のはしにはえているライラックの木の根元で
体じゅうをかきむしっているシャルルのところへ歩いていきました。
シャルルという若者は、草の上をあっちにごろごろ、こっちにごろごろと
のたうちまわっています。
「ナナさま、まことに、もうしわけございません!
しかし、このかゆさは、尋常ではなく・・・・(かゆいぃっー)」
ふたりを見るとシャルルは叫ぶようにそういって、また体をかきはじめました。
「シャルルさん、えらい目にあったね。
でも、ナメナメクジになめられたら、1週間かゆいのをがまんするしか
方法がないの。
ジャマイカ・インにいけば、コルネが冷やしてくれるよ。
少しは楽になるらしいし、コルネはホテルのお客さんがときどき
ナメナメクジにやられてくるから、なれているしね」
「ジャマイカ・インって、なんなのよ?」
ナナがききました。
「バニャーニャにあるたったひとつのホテルだよ。
コルネがやってるんだ」
カイサはそういうと、シャルルをなんとか助け起こして
ジャマイカ・インに向かって歩きはじめました。
「やあ、カイサ!おやおや、お客さんをつれてきてくれたんかい?」
ジャマイカ・インにつくと、コルネが出迎えてくれました。
「あれま、お客さん、ナメナメクジにやられたね」
「そうなんだよ、シャルルさんっていうの。そいでこっちがナナちゃん」
カイサがふたりを紹介しました。
「ナナ・ウリエ・フォン・シュヴルツラングよ」ナナがいいました。
「まあ、ここがホテルだなんて・・・・・しょうがないわね、田舎っていうのは」
「でもね、コルネはお料理上手だし、とっても気持ちいいホテルなんだよ」カイサがいいました。
「シャルルさんのことは任せてください。すぐにお部屋へご案内しましょう、
なに冷やせばちっとは楽になりますから」
シャルルは口もきけずに、コルネに抱きかかえられながら、
2階への階段をのぼっていきました。
「シャルルなんて、ほんっとに役にたたないんだから。
しかたがないからカイカ、あなたバニャーニャとやらを案内しなさい」
ナナがいいました。
「カイカじゃなくってカイサだよ。いいよ、案内してあげる。
でもナナちゃん、おなかすかない?」
「そういえば、バニャーニャについてから、なんにも食べていないわ。
こんなところにわたしの口に合うようなものがあるとは思えないけれど、
でもなにも食べないというわけにはいかないわ」
「よっし、それじゃあ、ジロのところに行こう。
バニャーニャでいちばんおいしいスープが食べられるよ」。
「スープ屋ジロ」では、
ちょうどお昼を食べに来たお客さんたちがひと段落ついたところでした。
ジロは調理場でお皿を洗っていました。
きょうのスープは朝、畑からもいで、
サヤから元気に飛び出してきた鮮やかな緑色をしたえんどう豆のスープと、
やわらかくて甘みのある新キャベツのざく切りと豚肉のスープ。
どちらもほぼ売り切れです。
夜のメニューはもう考えてありましたから、
この午後はデザートづくりに専念するつもりでした。
「今夜はポポタキスのコンポートにしようかな。
そうだ、丁子とかカルダモンとか、今までと違うスパイスで
大人っぽい風味をつけてみようかな」
ジロは鼻歌をうたいながらそう考えていました。
「ジロー、いる?」店の方で、カイサの声がしました。
「あれ、カイサ?きょうは遅かったねえ」
ジロが手をふきながら、店の方へ出てきました。
「ねえ、スープ、まだ残ってるかなあ?」
「あらかた売り切れちゃったけど、少しだったらあるよ。
ぼくもこれから食べるとこだから、いっしょに食べようよ。
あ、ともだちもいっしょ?」
カイサの後ろにいるナナに気がついてジロがききました。
「ともだち、ではないわよ。わたしはナナ・ウリエ・フォン・シュヴァルツラングよ」
ナナがいいました。
「ナナちゃんはね、バニャーニャにきたばっかりで、
あちこち探検してるんだって。
ナメナメクジの森を通ってきたのに、なめられなかったんだよ。
モーデカイの他にも、ナメナメクジが寄ってこない人がいるんだね。
でも、いっしょにきたシャルルさんって人はなめられちゃって、
いまコルネのところでうなってる」
「すぐ用意するから、さあ、すわってすわって」
ジロが、入口からなかなか入ってこようとしないナナに声をかけました。
「まあ、せめてレストランかと思ったら、こんな大衆食堂みたいなとこ・・・・・」
ナナがつぶやきました。
ジロがテーブルに用意したスープを前にして、ナナは気味わるそうに
匂いをかぎ、食べるのをちゅうちょしていましたが、
カイサがおいしそうに食べ始めたのをみて、
自分もしぶしぶスプーンを口にはこびました。
そしてひと口食べると、「ん?」。
見る間にスープ皿がからになる勢いで食べはじめました。
「ナナちゃん、気にいったみたいだね。
ジロのエンドウ豆のスープは濃くて美味しいもんね」
カイサがいいました。
「ふん、こういった探検の旅ではね、なんでも食べなければならないものなのよ」
「じゃあ、ナナさん、春キャベツのスープもいかがですか?」
あっという間に空っぽになったナナのお皿をみてジロがきくと
「そ、そうね、期待はできないけれど、ためしてみてもいいわ」
ナナはキャベツのスープもすっかり食べ終わると、
ちょっと元気をとりもどして落ち着いたようにみえました。
おいしい食べ物は、ひとの気持を落ち着かせるのでしょう。
「スープの代金は、シャルルがよくなってから払いにこさせるわ。
さあカイカ、さっそくバニャーニャを案内してちょうだい」
というと、さっと立ち上がりました。
「カイカじゃなくて、カイサだけどね。
いいよ、バニャーニャのともだちを紹介しながら、半島のなかを歩いてみようか。
まずはブーランジェリー・アザミに寄って・・・・・ほら、いまスープといっしょに食べたおいしいパンを売ってる店。
それからマレー川のほとりにあるフェイの砂屋にも行こう」。
歩いていくカイサとナナを、4月の午後のうららかなひざしがつつみます。
ときおり、風がふたりの髪をそよがせていきます。
ブーランジェリー・アザミの店は、
点々と咲き乱れるヒナゲシの白い花に囲まれていました。
「あら、カイサ、いらっしゃい!こんな時間にめずらしいわね」
いつものように、ノリのきいた布で赤い髪をきっちり包み込んだアザミさんが
いいました。
「あ、わかった!イチゴ蜜を買いに来たのね」アザミさんが、
バターやハチミツを並べてある棚から
赤い液体のはいったビンをとりだしていいました。
「あ、今年もいちご蜜の季節がきたんだね。
売り切れないうちに、1ビンください。
でもね、きょうは、ナナちゃんを案内しているの。
ナナちゃん、美味しいパンをつくってくれるアザミさんだよ」
「こんにちは!バニャーニャへはご旅行?」
「いいえ、そんなお気楽なものではないのよ。
わたしは探検の旅をしているのだから」
そういいながら、ナナの目はカイサの手の中のいちご蜜のビンに吸い寄せられていました。
「これはイチゴからつくったものなのかしら?」ナナがききました
ナナは蜜という蜜が大好物なので、興味をひかれたのです。
「いいえ、これはいちご虫の出すまっかな蜜を、ミツバチが集めてきた蜜で
とっても濃厚なイチゴの香りがするのよ。
イチゴ蜜と呼ばれているバニャーニャの特産品でごく少量4月だけにとれる貴重な蜜なの」
「イチゴ虫ですって?!虫の出した蜜を食べるなんて、おおいやだ、非衛生的だわ!」
「でもね、いちど食べたら忘れられない、とってもいい香りの蜜だよ。
色もほら、こんなにきれいだし。ジロがこれでつくるイチゴ蜜ジェリーは最高においしいんだから」
透明に赤く輝くイチゴ蜜のビンを陽にかざしながら、カイサがうっとりといいました。
「それにね、ナナちゃん、ハチミツをつくるハチだって、虫だよ」カイサがクスリと笑いながら言いました。
「そ、それはそうだけれど。でもそれとこれとは・・・・」
「バニャーニャの探検、楽しんでくださいね」
アザミさんがにっこり微笑んでナナにいいました。
ブーランジェリー・アザミを出ると、
カイサとナナは、マレー川のほとりを目指して、
つやつやした青い芽をふいている木々がしげる森のなかの小道を歩いていきました。
森を出て川辺の道にでると、さらさらと流れていく軽やかな水の音がきこえ、
その水音にあわせるように、
一羽のミソサザイが澄み切った高い声をふるわせて鳴きはじめました。
「バニャーニャって、おそろしくひなびたところなのね」ナナがいいました。
「うん、わたしはここしか知らないからわからないけど。
ナナちゃんの国は、ちがうの?」カイサがききました。
「あなたには想像もつかないわよ。
石畳の広い大通りにそって、美しくディスプレイされたいろいろな店が並んでいて、
着飾った人々が道を行きかって、そりゃあにぎやかで。
こことは別の世界だわね」
「フェイー?いないの?」
カイサがフェイの砂屋のドアを開けると店はからっぽで、
フェイの姿がありません。
「ここは、いったいなんの店なのよ」
ナナが店のなかをみまわしてききました。
「フェイはね、世界中から砂を集めて、
それを調合して薬をつくったり、砂絵を描いたりしているんだよ。
ほら、このすてきな砂漠の絵も砂で描かれているの」
カイサが壁の絵をさしていいました。
それは、なめらかに盛り上がる砂丘を
血のように赤い夕陽がそめている幻想的な光景を
砂で描いた絵でした。
「このおかしな臭いはなんなの?」
ナナが鼻と口を手でおおって顔をしかめながらいいました。
そのとき、店の奥の戸が開いて、フェイが顔をのぞかせました。
「やあカイサ、気がつかなくてごめん。いま裏で釜をかきまわしていたもんだから」
「フェイ、このひとナナちゃんっていうの。ずっと遠くの国から探検に来たんだって」
「やあ、はじめまして、フェイです」
「フェイはね、このあいだから錬金術をはじめたんだよ」カイサがいいました。
「いやあ、まだはじめたばっかりでさ、
レフロンとかポーションとか、
かんたんな薬はつくれるようになったんだけどね。
なにしろ、材料を集めるのがたいへんなんだよな」
「あなた、もしかして、リュウゼンコウのことをきいたことがないかしら?」
ナナが急にまじめな顔になっていいました。
「リュウゼンコウ?そういえば『錬金術大全』にでていたな。
たしか、めったに手に入らない高価で貴重な香料とか・・・
でも、そんな珍しいもの、バニャーニャにはないんだよなー」
「そうね、きくだけ無駄だったわね」
ナナはそういうと、「カイカ、さあ次へいきましょう」
とさっさと、外へ出て行ってしまいました。
「ねえ、あのひとカイサのともだち?
やけにいばってるじゃない?」フェイがカイサにささやきました。
「うーん、けさ会ったばかりだからね、ともだちってわけでもないけど、
いっしょに来た人がナメナメクジにやられちゃって、
ほんとうは心細くて困ってるんじゃない?」。
ふたりが行ってしまうと、フェイはお湯を沸かして
お茶をいれることにしました。
なんだか気持ちがむしゃくしゃしたものですから、
すりおろしたジンジャーをたっぷりいれた濃いお茶を飲みたくなったのです。
マレー川のほとりからはなれ、東側の低い丘を越え、
カイサとナナは、半島のあちこちを歩き回りました。
4月の午後は、あちこちに花の精気が満ち、
なんだか、眠くなるような気持ちよさでした。
やがて日差しはオレンジ色をおびたバラ色になり、
あたりはこの季節ならではの美しさに満たされました。
「あー、いい気持」カイサが道端のニオイスミレを一輪おって香りをかぎました。
「ま、まあね。ところでカイカ、あなたって、どうしてそんなに歩くのが遅いのかしら」
「えっ?そうかな、おそいかな。いままで考えてもみなかったなあ。
あたしの名前はカイカじゃなくてカイサだけどね」
「そうやって、道草ばっかりしているからよ。もうちょっとさっさと歩けないのかしら」
「だって、道にはいろんなおもしろいものがあるんだもん。そんなに早く歩いたら
もったいないよ」
「でもナナちゃん、ちょっとつかれた?
きょうは朝からいろんなことがあったもんね」
「そんなことはないわ。でも・・・・・・そうね、シャルルのことも気にかかるし」
「じゃ、きょうのバニャーニャめぐりはこのくらいにして、
ジャマイカ・インまで送っていくよ」
ナナをジャマイカ・インに送りとどけけると、
カイサの足は、しぜんとジロ店のほうに向かいました。
「これから夕ごはん自分で作るの、めんどくさいしな」
ジロのスープ屋には、仕事を終えたアザミさんやモーデカイ、
フェイとシンカにバショーまでが顔をそろえていました。
カイサがはいっていくと、みんなはいっせいに、カイサに質問をあびせました。
「ねえねえ、カイサ、あれからどうした?」
フェイがききました。
「バニャーニャのあちこちをいっしょに歩いたよ」
「あいつ、ずぅっとあんなふうにいばりくさってたの?」
「まあね」
「たいへんだったわねえ」アザミさんもいいました。
「ナメナメクジになめられなかったなんて、オレも会ってみたいもんだよ」
モーデカイがいいました。
「やめといたほうがいいとおもうよー、いっしょにいると、なんだか腹がたってくるから」
フェイが鼻にしわを寄せていいました。
「カイサに頼りきっとるというのが、ちと気になるがの」バショーがいいました。
「アハハ、だいじょうぶだよ。
ナナちゃんは、なんだか悩みがあるみたいなんだよね・・・・・。
それよりジロ、今夜のスープはなに?
いっぱい歩いておなかすいちゃった」
「ムラサキニンジンとジャガイモとミドリタマネギの
春野菜スープだよ」
そのころ、ホテル・ジャマイカ・インでは、
ナナ・ウリエ・フォン・シュヴァンクマイエルがひとり、
自分の部屋のバルコニーで物思いにふけっていました。
バルコニーはアーモンドの果樹園に面していて、
ちょうど満開になったアーモンドの花が、
夜のなかでぼーっと白く見えます。
そのかすかな香りをふくんだやさしい4月の夜風が、
もの思わし気なナナのほほをそっとなぜて通り過ぎていきました。
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暑くもなく寒くもなく、一年じゅうでいちばん気持ちのいい4月だというのに、
バニャーニャにはとんでもないお客さんが迷い込んできたものですね。
ナナ・ウリエ・フォン・シュヴァンクマイエルの探検には何か目的がありそうですが・・・・・・
その話は、次回で。
果物には、おいしいだけでなく、愛らしい見かけのものがたくさんありますが、
そのなかでも、イチゴは特に愛らしい。
雫のような形状、少し透明感のある赤い色、プチプチとついている種・・・・・
どれをとっても文句のつけようのない愛らしさです。
ジャムのなかでも、断トツあきないのがイチゴジャム。
旬の季節には自分でもつくるのですが、
イチゴをざっと刻んで、それにグラニュー糖をかけて、しばらくおいておくと
まっかなルビーのような果汁が染み出てきて、
その透明な赤さのうつくしさと香りは、いつみても幸福感をさそいます。
こんなきれいで香りのいい蜜を出す虫がいたら、いいなあ、と
イチゴ虫を考えました。
以前、この連載のあとがきで、カシの樹に集まるアリマキの出す蜜をミツバチが集めた樹木蜜というのを紹介しましたが、
イチゴ蜜は、ハムシのようなイチゴ虫が出す蜜を、ハチが集めてできます。
2種類の虫の体のなかを通ってできた貴重な蜜です。
赤い色と虫といえば、
メキシコのサボテンにつくカイガラムシの一種コチニールが知られています。
口紅、リキュール、カマボコなどなど、さまざまなものに赤い色をつける
天然着色料。
メキシコと日本で活躍するアーティストの荒木珠奈さんから、
以前、このコチニールを乾燥したものをお土産に頂いたことがありました。
日本ではめったに手に入れることのできない乾燥されたカイガラムシ。
教えていただいたように、さっそくミルクパンにいれ、
水を加えて煮だしてみました。
でたでた、赤い色。
あまりに美しい赤い液体。
お砂糖と香料をいれて、
ゼリーにしてみました
・・・・・・・・・・・・というのはウソです。
ネットなどで見ると、このコチニールという虫由来の天然着色料に
思った以上の忌避反応があふれています。
虫を食料品に添加するなんて、問答無料でダメ!!!!
絶対ナシでしょ、という人は
私の予想より多いようで、
食品や化粧品、酒類などにコチニールが添加されていることに、
みんな激しく怒っています。
生きていく上で、世の中には知らなくていいこと、
というのがずいぶんあるとわたしは思います。
お気に入りのシャネルの赤い口紅の色が、虫が出した色だと知って
唇に塗るのが嫌になった、という人、
ピンクに色付けされたカマボコを買わなくなった人もいます。
知らなければ、どうってことなかったのに。
虫由来の赤い液体に興味津々のわたしですが、
虫好きのわたしにも、煮られてぶよぶよになったカイガラムシの死体が
しずんでいる液体でゼリーをつくるのには、抵抗がありました。
だからナナが虫の出した蜜を食べるなんてアリエナイ!
と思った気持ちもわかるけれど、
わたしだったら、イチゴそっくりの体をしたイチゴ虫の出した蜜は
食べてみたいなあ。
アーモンドの花というのを見たことがありますか?
サクラにそっくりなんです。
アーモンドの実をしぼって抽出した液を使ってつくる
ブラマンジュはふるふると繊細で、優雅なお菓子。
調べてみると、フランスのモンペリエという町の
修道女がつくるブラマンジュが最高なのだとか。
モンペリエの春は、咲き乱れるアーモンドの花で白くかすんでみえるそう。
東京では、神代植物公園で4月にみることができます。