直木賞候補にもなった珠玉の物語。
題名【はりのてん】だけでは、壮大な歴史ロマンか?とも誤解する。
【街の灯】 の続編で、花村家の女性運転手・別宮(べつく)みつこさん、かの懐かしきベッキーさんが登場するミステリ。
三篇の連作にて、「玻瑠の天」とはステンドグラスの天窓のことをさしている。
【夜の蝉】に代表する円紫師匠とわたしシリーズが、わたしが女子大生でなくなる時点で、妙に生臭くなるのを避けるために、区切りとして終えたのだと勝手に推測する。
それで時代を昭和初期に遡り、円紫師匠を女性にし、ベッキーさんという特異なキャラに変貌させた。
そして深窓の令嬢・女学生花村英子が一人称で語る、このシリーズが生まれたのではないだろうか。
北村ミステリの真髄はやはり考えオチで、相変わらず深く、それをどう感じるかで、読後の感想は分かれることだろう。
殻のままのピーナッツを食べるように、もどかしいのかもしれないが、たまにはこのような北村ワールドの、美しき文章を読みたくもなる。
それにほぼ三年ぶりにベッキーさんに逢えるのは、それはそれで素敵なことでもある。
『幻の橋』
桐原侯爵家の末のお嬢様道子さんが、桐原家嫡子であるお兄様より文使いを託ったと、妙な落首を英子に手渡した。
「あらくまのおたけひはかりいやまさりたんたんくらくなるよなりけり」
しかもそれは、ベッキーさんに見せてくれとのこと。
桐原家嫡子勝久様は、陸軍参謀本部の大尉殿である。
桐原邸に訪れた折、英子付きである珍しい女性運転手のベッキーさんに、お眼がとまったようだが、こんな妙な歌を見せよとはどういうことか。
一方内堀銀行で知られる内堀晃継氏のお嬢さん、百合江さんからは自分が「ロミオとジュリエット」状態であることを、どいう訳か打ち明けられてしまう。
ウチボリランプの息子さん東一郎氏と、互いに好意を寄せ合っているようだ。
二人の祖父は兄弟であるが、明治の御代に喧嘩別れをし、以来両家は犬猿の仲だという。
英子はベッキーさんにまず、百合江さんのことを話した。
おじい様は孫に弱いので、二人が架け橋となり、両家が和解するいい機会となるやもしれないと、ベッキーさんはいう。
ところが勝久様からの落首に対しては、無反応、いや何故か取り付く島もない。
英子は花村商事の跡取りである大学院生の雅吉兄さんから、落首の意味を教えられる。
自由思想や民主思想を排撃する思想家、荒熊こと段倉荒雄を揶揄した、時勢に逆らう大変危険な歌であった。
「荒熊の雄叫びばかり弥増さり だんだん暗くなる夜なりけり」
荒熊に攻撃されたら、社会から抹殺される。
嘗て荒熊に対する見事な反駁文を発表した大学教授が、たちまち暴漢によって惨殺された。
さて百合江さんの件は、ベッキーさんの読んだ通り、両家の関係修復に動き出した。
正式な招待ではないにしろ、百合江さんの家で催す講演会に、東一郎氏が列席することとなった。
講演するのは、奇遇にも荒熊こと段倉荒雄だった。
そして東一郎氏は祖父から両家の和解の印である、大切な浮世絵が託されていた。
しかし講演会場に飾られていたその浮世絵が、なんと怪盗により奪われてしまう・・・。
『想夫恋』
小春日和の日差しに誘われて、昼休み校庭に出た英子は、熱心に文庫本を読む清浦綾乃さんを見かける。
綾乃さんは英子とは、学年は同じだが組が違う。
それに綾乃さんは公家から華族になった家柄で、大名華族に知り合いの多い英子とは、あまり接点もなかった。
しかし綾乃さんはお箏の名手で学内の有名人だから、英子も知ってはいた。
英子はその綾乃さんが、いったい何を熱心に読んでいるのか気になり、そっと覗いてみた。
英子も読んですっかり気に入った、岩波文庫のジーン・ウェブスター作「あしなが おぢさん」だった。
同志のように感じ、思い切って綾乃さんに声をかけた英子である。
二人の交流が始まった。
自宅に英子が綾乃さんを招いた折、ディートリッヒが演じた女スパイの話になった。
そんなことからか、綾乃さんが「松風みね子」という、この世のどこにもいない人を作り出してしまう。
「平家物語」「小督(こごう)」のくだり、「峰の嵐か松風か、たづぬる人の琴の音か、おぼつかなくは思えども、駒をはやめてゆくほどに・・・」から、考え出したのであろう。
綾乃さんらしい発想である。
小督が弾いていた曲は、「想夫恋」であるが、綾乃さんはどなたかに恋を?
悪戯心から「松風みね子」の差出人で、英子は綾乃さん宛てに手紙を書き、そっと教室の彼女の机に入れておいた。
綾乃さんは面白がり、「松風みね子」は二人の間の、暗号となった。
後日綾乃さんは記念に取って置きたいからと、その封書を持ってきて、住所も書いて欲しいと英子に頼んだ。
しかしこの「松風みね子」が、とんだ騒動を引き起こす。
綾乃さんのお母様が、「松風みね子」の手紙を携えて、突然花村家へ英子を訪ねてきた。
何故か封書は切手が貼られ、消印が押されていた。
それに中は英子の書いた手紙ではなく、男文字で妙な意味不明の六曜らしき羅列が書かれた、数枚の紙片であった。
これでは本当の判じ物、暗号ではないか。
しかも綾乃さんが、どうやら失踪したらしいのだ・・・。
『玻璃の天』
雅吉兄さんに資生堂パーラーへ、名代のコロッケを食べに連れていってもらった英子。
食事中景気の話から雅吉兄さんが、向かいのバルコニー席で昼食をとる二人連れの男を、横目で示した。
一人は白い妙な服を崩れた着方をしている、もじゃもじゃ髪の頬骨のはったぎょろ目男。
もう一人は好対照に、黒の三つ揃いの背広を、寸分の隙もなく着る男。
黒の三つ揃えは、末黒野(すぐるの)貴明という名前で、有名財閥の大番頭の息子だと雅吉兄さんはいう。
父親を凌ぐ切れ者で、既に権力の相当なところを手中に収めているようだ。
ぎょろ目の「ぎょろり氏」については、雅吉兄さんは言及しなかった。
そして食事を終え席を立とうとする英子に向け、末黒野氏は笑って見せた。
その末黒野氏が、花村家の晩餐会に招待される。
一方母親と三越にいった折、奇遇にも英子はあの「ぎょろり氏」を見かける。
「ぎょろり氏」は、周囲の人が気味悪がるような、随分と奇妙な行動をとった。
「ぎょろり氏」が何者か、興味を持った英子であった。
花村家の晩餐会後、食後のコーヒーとなり、その折末黒野氏から英子は、「ぎょうろり氏」が乾原(かんばら)剛造という、建築家であることを聞く。
末黒野氏とは、幼馴染なのだそうだ。
その乾原氏が設計した、末黒野氏の邸の披露会に、英子は招待されることになった。
ベッキーさんの運転で、末黒野邸へ訪れた英子。
末黒野邸の中央にある吹き抜け天窓は、雁が渡る絵柄の見事なステンドグラスだった。
建物を取り巻き螺旋状のスロープがあり、そこを昇っていけば屋上に上がれる。
このスロープには、建物から出入りはできない。
それで館内を後回しにし、最初に末黒野氏は、屋上から間近に見下ろす、そのステンドグラスを英子に見せた。
館内の一階や二階の東西、そして三階の北側にも硝子絵が配置されていた。
どうやら清少納言の「枕草子」に準えた、四季を表現しているようだ。
新築披露といっても、肩肘張らぬものだった。
晩餐会では英子の席は、乾原氏の隣だった。
晩餐会後講演会があり、壇上に立ったのは、なんと段倉荒雄だった。
講演が終わると、弁士徳川夢声の解説による、映画上映会となった。
上映の最中、荒熊が講演会後酔い覚ましに屋上に上がって、こともあろうにステンドグラスを破って墜落死した。
いつの間にか雪が降っており、英子はスロープにうっすら残る、下駄の跡と靴跡を見た。
下駄は荒熊のものだが、靴跡は誰の?しかもまだ降りてきてはいない・・・。
荒熊は何者かに突き落とされたのか?
だが大勢で調べた結果、スロープにも屋上にも誰もいなかった。
帰宅後英子はベッキーさんと、この謎について話し合った。
しかしベッキーさんは、何故か乾原の名を耳にした途端、いつも沈着冷静な彼女にしては珍しく、強く動揺を示した。
初めてのことに、戸惑う英子・・・。
ところで玻瑠とは確か水晶のことだったようにも思うし、何かの小説の中で、七宝のひとつとか解説されていた気もする。