『おむすびころりん』
総務部勤務の佐野原多美は、ダイエットを始めて一ヶ月と少し。
朝も昼も塩むすび一個だけ、夜はレトルトの玄米がゆに茹でた野菜。
だが多美は、自分が痩せても綺麗にならない事実に気づいていた。
ランチタイムにもアフターファイヴも同僚たちと食事することがなくなって、知りたい情報から切り離されてしまった。
布川恭助についての情報・・・。
大阪支社から転勤になって企画部所属の彼に、二年前社内コンパに参加し初めて言葉を交わし、ほとんど一目惚れしてしまった。
しかし思いは結ばず、いつのまにか多美の同僚である相馬絵里と恭助は恋愛していて、二人が婚約したとの噂。
その噂が出たのとほぼ同時に、絵里が営業部に異動してしまい、多美には情報が入らなかった。
そんなある日、廊下ですれ違った絵里が、以前より格段に綺麗になっているのを多美は見た。
絵里はそう目立って美人だとも思わなかったが、確実に美しく変貌をとげていた。
翌日から多美は、塩むすびをひとつ持って会社に行くようになった。
虚しいダイエットに多美は鬱々とするうち、絵里が死ぬ姿を妄想し出す。
そんな多美に、島野が声をかけてきた。
彼は総務部に新設された、業務改善室室長。
総務部主任の肩書きだが、部下もいなく完璧な窓際業務である。
とはいえ、どんな仕事をしているのか誰も知らない、実に不可解な存在。
給料ドロボーと陰口を叩かれながらも、飄々としていて邪気がなく、毒にも薬にもならないタイプのようであった。
しかし、業務部改善室室長・島野耕造の正体は、なんと死神だった。
その死神を自分に引き寄せたのは、多美自身の〈絵里の死〉を願う歪んだ心かもしれない。
島野は多美に言った、「あなたが死神のわたしを認知できるのは、あなたに死を察知する力があるから・・・」
「あなたがその女性の死について空想するのは、あなたのそばにいる誰かがもうじき死ぬことを、あなたが予知しているから・・・」
「相馬絵里は死なない・・。死ぬのは布川恭助です。あなたが好きでたまらない男ですよ。その魂を黄泉の国へ連れて行くのが、わたしの仕事・・・」
『舌きりすずめ』
西城麦穂は、小説の投稿を始めて二年弱。
これまで年に四つ五つの新人賞に応募した。一次通過したのがたった三つ。二次通過はない。
絶対の自信を持って投稿したが、今回も落ちた。
午後から会社行くと電話して、本屋が開店するのを待った。
結果が載っている雑誌の頁を、穴が空くとほど見つめ続けたが、自分の名前はなかった。
麦穂は怒っていた。
この雑誌の編集部には馬鹿しかいないに違いない。
田舎の母親は、父の死後、お金で苦労し通しだった。
その背中を見て育った麦穂は、お金の苦労だけしたくないと思い続け、経済力のある男との結婚を願った。
いつも疲れ切っているキャリアウーマンなぞではなく、優雅なシロガネーゼを目指した。
公立高校に通いながら、学校で禁止されているバイトを三年間必死でこなし、私大の入学金分の貯金をつくった。
ちゃんと勉強もし、お嬢様大学に入学できる程度の偏差値も確保した。
幸運にも東京の短大の推薦入学を決め、就職活動も職種を選ばず、一流の企業ブランドにだけこだわり、希望に近いところに潜り込んだ。
気になっていた鼻と顎も整形した。
しかし順調だったのは四年前まで、条件の揃った相手が二股をかけていて、もうひとりの女が妊娠してしまった。
「君みたいな人だったら、他にいくらでもいい縁談があるよ。でもあいつは、僕がいないとだめな女なんだよ」
麦穂は捨てられた。
結婚だけが関心ごとの、いい縁談になるかどうかだけを基準にして男を選ぶ女。
それが麦穂に貼られていたレッテル。
それでも心のどこかで〈愛されたい〉と願う麦穂は、お金に不自由したくないと切実に思う気持ちと相まって、愛人生活に落ちてしまった。
塩崎雅人、友人とコンピューターソフトの会社を興し軌道にのり、目黒に一戸建てを構え、愛車はアウディ、アメックスのプラチナカードを持ち、銀座老舗で仕立てた英国製生地のスーツを愛用する。
妻子がいる、ということを除けば、恋人とし過不足ない男。
駒沢駅近くで、リビングが広く南向の1LDKの部屋に、麦穂は住んでいる。
塩崎に家賃15万の半分を援助してもらっている。
結婚寸前だった恋愛が壊れて、その噂が広まった時、前の会社は辞めた。
幸い次の就職先は見つかったが、ステイタスも給料もだいぶ落ちた。
元々塩崎の希望で引越した部屋なので、全額を負担してもらってもよいのだが、〈囲われ者〉になる気がして憂鬱になる。
こんな関係は早く清算して軌道修正したい、そんな動機で小説を書いてみたら案外するする書けて、公募に応募したら一次を通過した。
自分には文才があると思ったのだが、今度もだめだった・・・。
雑誌をゴミ箱に投げ込んだ。
労働意欲も湧かず、結局休むと連絡した。
部屋を出た麦穂は、ぶらぶらと三軒家の方向に歩き、目についた《すずめのお宿》というしけた喫茶店でコーヒーを頼んだ。
まずいコーヒーに嫌気がさし店を出たら、先客の冴えない中年男が後をついて来た。
イライラが爆発した麦穂は、その男に咬みついた。
ところがその男は麦穂の名前を知っていて、見慣れた社員証を見せた。
麦穂と同じ会社の社員だった。
総務部所属の麦穂としては、その男の名前を知らないことを、恥じなければならなかった。
麦穂が聞いたこともないプロジェクトチームに、他社から呼ばれ出向して来たようだ。
男の名は島野。
島野は麦穂がゴミ箱に叩き込んだのと同じ文芸雑誌を鞄から取り出し、新人賞一次通過者の発表頁を開いた。
そこに載っている《片野ちぎり》が、麦穂と同じ総務部の片野京美であることを話す。
片野京美が、島野の入社準備を手伝ってくれたと・・・。
太ったチビ、小さい一重瞼の目、頬に出る赤ニキビ、出っ歯、あんな顔でいったいどんな小説が書けるのか!
片野京美が新人賞を受賞したのをきっかけに、麦穂は会社を辞めた。
そして、フランスの田舎のビストロをイメージした店《ポムドテール》で、ウエイトレスとして働くようになっていた。
時給八百円、一日五時間、週一日定休日、毎日こまねずみのように働いて、一ヶ月十万円にも満たない。
ランチタイムには、ほとんど息つぐ暇もない忙しさ。
塩崎にはまだ打ち明けてはいない、彼の援助がなければ、前に住んでいたワンルームの家賃でさえもう払えない。
それでも、この職場も仕事も気に入っていた。
だがこの新天地《ポムデトール》に、《片野ちぎり》が編集者とやって来た。
東側の明るい窓辺、早く予約しないとなかなか座れない席、四番テーブルで優雅なランチ。
《片野ちぎり》として、片野京美は作家の道を順風に歩んでいるようであった。
動揺する麦穂。
一度は吹っ切ったはずが、嫉妬が渦巻き、憂鬱が捕らえて揺さぶり始める。
そんな麦穂は帰路の電車で、再び島野と出くわした。
島野はパリに魂を吸い取られた絵描き《佐伯祐三》について話し、その絵を見に東京駅近くにあるブリヂストン美術館へと麦穂を誘った。
佐伯に会ったと話すが、この孤高の天才画家は明治末に生まれ夭折しているはず、明らかに計算が合わない、いったい島野は何歳なのか。
気味の悪さを感じながらも、麦穂は島野と美術館に訪れ、代表作のひとつである《テラスの広告》を見た。
だが美術館で島野は、驚愕の話しをして聞かせる。
自分が《死神》であると・・・。
麦穂の魂を迎える為に来たのだが、予期せぬ何かが起こり事情が変わってしまった。
麦穂の担当ではなくなり、別の人の担当になっていた。
麦穂の寿命は延びた。
それなのに、「電車の中で、あなたがわたしに気づいた・・・」
死神が見えるということは・・・。
おとぎばなしを題材に、二部構成で語られる奇妙な噺。
読みやすく、なかなか面白い内容なのもあるが、本に枯渇していた自分にも気づく。
命の真の在り様、生きるということの真理を、本当に分っているからこそ、死神なのであろう。
仏ブルターニュ地方に伝わる死神アンクー、その姿を見ると、自分または自分の愛する人が死ぬ・・・。