長尾景虎の戯言

読んだり聞いたりして面白かった物語やお噺等についてや感じたこと等を、その折々の気分で口調を変えて語っています。

太田忠司著【奇談蒐集家】

2010-11-12 14:51:40 | 本と雑誌

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『求む奇談!自分が体験した不可思議な話を話してくれた方に高額報酬進呈。ただし審査あり』
新聞に広告を打って奇談を求める男、恵美酒一(えびす・はじめ)。
「この世のものとも思えない、血も凍るような恐ろしい話。世の常識を引っくり返してしまうような、信じられないほど滑稽な話。一度聞いたら二度と忘れられないような、突飛な話」
どうやらそんな奇談を、探し求めているらしい・・・。
でっぷりとした体つきで、顔にも弛みがあるが、肌は赤ん坊のように艶やか。
四十歳とも六十歳を超えているとも見える。
髪は鳥の巣のようにもじゃもじゃで、大きな鼻の上に丸縁眼鏡を載せ、鼻の下にはヒトラーのようなちょび髭を生やしている。
古風なツイードのスーツに、ネクタイをきっちり締め、そのネクタイと同じ色調のハンカチーフを、胸ポケットから覗かせている。
皮製のソファーにその巨体を沈め、琥珀色の液体が揺れるロックグラスを片手に、シガリロを燻らせながら、もたらされた奇談に聞き入り吟味する。
しかしその恵美酒をも凌ぐほどの、奇異な存在であるのが、助手の氷坂だ。
恵美酒とは正反対のほっそりとした華奢な体つきで、背丈は百七十センチほどだろうか、カジノのディーラーのような衣服を身につけ、ショートボブにした髪は、何故か銅のような色に染められている。
肌の色は透き通るように白く、形のいい唇は艶やかなローズピンクに塗られている。
切れ長の眼は冷ややかな光を浮かべ、耳朶を飾るピアスはダイヤモンドなのか、照明を受け氷のように輝いている。
その声は男にしては高く女にしては低い、男女の判別がし難く、性別を超越し人間離れしているともいえる存在。

かの新聞広告に引き寄せられるかのように、一様に戸惑いながら訪れる語り部たち。
彼らはとある路地に入った途端、眩暈のような浮遊感を感じる。
いつの間にか表通りの喧騒も聞こえなくなっており、なにやら隔絶された空間、別世界に踏み入れたようで不安を覚える。
勇気をふるい暗い路地をそのまま進むと、やがて小さな明かりが見えてくる。
石造りの壁に重々しいドアの、ヨーロッパめいた建物。
明かりは百合の花を模したランプで、ドアに打ちつけられたプレートを照らしている。
「strawberry hill」
扉を開けると、そこはスツールが九つしかない、落ち着いた雰囲気のバーである。
カウンターの中にいる四十がらみのバーテンダーは、黒い髪をきれいに撫でつけ顎鬚も丁寧に整えられ、一部の隙もない。
そのバーテンダーが示すアンティークな木製のドアの内側で、恵美酒一が待ち受けているのだ。
しかし、語り部らによって語られた奇妙な謎は、美貌の助手氷坂が安楽椅子探偵よろしく、尽く解き明かしてしまい、その度に恵美酒が渋面を浮かべることとなる。

★自分の影に怯えて暮らす臆病男が、なんと挙句にはその自分の影に刺されたという・・・。

★国文学の教授が学生時代、とある骨董屋で偶然目撃した、姿見に宿る姫君とは・・・。

★不世出の女性シャンソン歌手が、若き日パリで出会った、なんとも不器用な魔術師の正体とは・・・。

★他愛もない探偵ごっこに興じていた少年のころ、本当に少女を攫う「水色の魔人」と遭遇し、神社裏の袋小路で魔人は忽然と消え、女の子の死体だけ残った・・・。

★平凡に生きてきた主婦が、高校二年生のある日通学バスを途中下車し、ただ一度だけ不可思議な体験をした。
ヨーロッパに建っていそうな、厳しい洋館に辿り着き、そこの庭には寒い時期なのに、薔薇が咲き競っていた・・・。

★ひとりきりで遅くまで公園で過す男の子が、金眼銀眼を持つ猫を連れた、自ら「夜の子供」と称する、ちょっと年上の中学生位の不思議な少年と出会った。
その少年は邪眼を隠すため、いつもサングラスをしているのだ。
邪眼の少年に導かれて、男の子は一晩だけ「夜の子供」になってみる・・・。

★作家志望の男が、副業でライターの仕事をしているうちに、都市伝説についての執筆依頼を受けた。
そのネタ探しをしていて、奇妙な新聞広告の話を耳にする。
やがて男は仕事そっちのけで、なにかに憑かれたように、執拗な調査をしていき、ついに辿り着いた先に待ち受けていたのは・・・。

当ブログに相応しい物語で、ミステリーとしての切り替えしの妙味も、十二分に味わえた。


西澤保彦著【腕貫探偵】

2010-11-12 13:33:48 | 本と雑誌

01 

≪市民サーヴィス課臨時出張所事件簿≫
どんなに眼と鼻の先に置かれていても、心身ともに健やかな者の視界には、絶対に入ってこないというものが世の中にはある。
《市民サーヴィス課臨時出張所
櫃洗市のみなさまへ
日頃のご意見、ご要望、なんでもお聞かせください
個人的なお悩みもお気軽にどうぞ 櫃洗市一般苦情係》
くだんの貼り紙がそうである・・・。
この貼り紙とともにその男は、まったくそぐわない場所に陣取っている。
ひょろりと鉛筆みたいに細身で、ひと昔前の肺病やみの文学青年みたいに尖った風貌に、丸いフレームの銀縁メガネ。
若いのか年寄りなのかよく判らない。
無造作に切り揃えたとおぼしき髪には、白いものもちらほら混じっているようだが、基本的には年齢は不詳だ。
笑うと相手に付け込まれると用心でもしているみたいに、むっつりとした表情や黒っぽいネクタイが如何にもお役所的に堅い感じだが、机の上に置かれた両腕の肘まで黒い腕貫を嵌めているところなど、いささかそのまんま過ぎというか、戯画的なイメージすらある。
普段なら網膜が貼り紙の字体の画像を結んだとしても、心が内容を認識するには至らなかったろう。
だが悩み事を抱え心身健やかならざる者にとって、「個人的なお悩みもお気軽にどうぞ」のキャッチフレーズに、ふと魔が差したように心惹かれてしまうこともあるようだ。
おそるおそる一般苦情係なる窓口に近寄よって、「ほんとに個人的な悩みでも相談に乗ってもらえるのか?」と尋ねてみる。
腕貫男はじろりと一瞥をくれ、にこりともせず隅に置く「ご利用者氏名一覧表」を指す。
戸惑っていると「そこへ名前を記入して」と、愛想のかけらもない声で指示する。
記入すると、「順番が来たら呼びますから」「そちらに座ってお待ちください」、が順番を待つ者などひかえてはいない。
変な人に捕まったのではとの思いがよぎる。
我がもの顔で一角を占領しているわりには、周りに気にする者もいないようなので、まぁ大丈夫だろう、多分。
後悔し始めていると、おもむろに名前が呼ばれる。
腕貫男は相変わらず素っ気ないが、普通の意味での無愛想とはちょっとちがうようだ。
要するに表情や声に特徴がない。
どういう思想や価値観の持ち主なのか、その背景を想像するとっかかりに乏しい。
手続き上の形式に固執する姿勢にしても、機械的なんだか人間臭いんだかよく判らない。
後になってこの腕貫男の風貌を憶い出そうとしても、なかなか困難なのではないかという予感がする。
「さて。どのようなことでしょうか」
一市民としての要望や意見にも、はたまた個人的な悩みにも、とにかく何にでも対応できそうな訊き方をする腕貫男。
腕貫男の雰囲気に呑まれつつ、、自分はいったい何をやっているのかと疑問を感じながらも、案外聞きじょうずなものか、わけが判らず思い悩んでいることをすっかり話してしまうのだ。
腕貫男は相槌を打つでもなく、質問を挟むでもなく、じっと聞いているようである、眼を開けたまま眠っていなければだが・・・。
不可解な謎が腕貫男を呼び寄せるのか、腕貫男が奇妙な謎を引き付けるものか。
《市民サーヴィス課臨時出張所櫃洗市一般苦情係》は忽然と出現し、市民がもたらす謎を解き明かし、再び忽然と消えてしまう、神出鬼没なのだ・・・。
『腕貫探偵登場』
櫃洗大学の学生である蘇甲純也は寝ぼけ眼をこすりながら、父親から言いつけられて交付手続きをしたまま忘れていた在学証明書を、受け取りに大学の事務室へ行った。
その眼に、《市民サーヴィス課臨時出張所櫃洗市一般苦情係》の貼り紙が飛び込んできた。
昨日純也は新歓コンパに参加し、その後居酒屋赤提灯と何軒も回り、ふと目を覚ますと公園のベンチで寝ていた。
見覚えのない風景、大学近くのワンルームマンションに住む純也だが、まったく逆方向に来てしまっていた。
徒歩で帰ろうとする途中、バス停留場のベンチで寝ている男がいた。
よくよく見るとその男は、純也と同じマンションの住民、間室良太郎だった。
間室は死んでいた。
携帯電話を持たぬ純也は、慌てて少し離れた電話ボックスから、119番と110番へ通報して戻って来たら、なんと死体は消えていた。
救急隊員や警官に取り囲まれ、必死で説明する純也。
警官の提案で間室の部屋を確認することになったが、死体は何故か自室に戻っていた。
混乱する純也・・・。

『恋よりほかに死するものなし』
筑摩地葉子は母に付き添い、櫃洗医科大付属病院に来ていた。
母の検査が終わるの待っていて、《市民サーヴィス課臨時出張所櫃洗市一般苦情係》の貼り紙を眼にし、立ち止まって一言一句じっくり文面を読んでしまった。
葉子は櫃洗大学の学生である。
五十八歳の母、沙由が突然再婚すると言い出したのが一ヶ月ほど前。
長女の桜、長男の肇、次女桃子、そして三女の葉子も吃驚仰天!
父の桂馬が逝去してから、はや十年。
相手は田還晋、昔の幼馴染らしい。
沙由は桂馬ではなく、本当はこの田還と結婚するはずだったと話す。
だが横恋慕する女性に邪魔をされ、悲恋に終わった。
その女性こそが田還の妻になった江里子で、産後の肥立ちが悪く、ひと粒種を残し亡くなったのだと。
沙由は田還と運命的な再会をし、再婚を決意したのだそうな。
葉子としては複雑な心境ではあるものの、娘として母の幸せを祝福すべきと考えた。
沙由は思春期の少女のように喜んでいる、いや、喜んでいたはず。
ところがその躁状態から、まるでスイッチが切り換わったように、鬱状態になったのだ。
そして体温が急激に低下したり、呼吸ができなくなったり、心臓が一時的に停止したりと身体に異変が生じ出した。
病院で検査しても、異常がなく、精神的なものと結論される。
実は今日も呼吸器科で、検査してもらっているのだ・・・。

『化かし合い、愛し合い』
門叶雄馬は完利穂乃加とよりを戻せそうなので、その時上機嫌で酔っていた。
午後九時過ぎのアーケード街で、その男を占い師と勘違いしたのだが、思いがけず《市民サーヴィス課臨時出張所櫃洗市一般苦情係》の貼り紙が目に入った。
門叶は展示販売会を渡り歩く、地元業界内では有名な腕利きの宝石販売員だ。
ある展示販売会に営業で出ていて知り合った、完利穂乃加にひと目惚れした。
ブランドものの服やバッグ、アクセサリーなどバランスも考えずにごちゃごちゃ着飾った彼女には、原石の輝きがあった。
穂乃加は男心をそそる何かを秘めている、その魅力に門叶はのめり込んでしまう。
女性にも百戦錬磨の門叶にしては、らしからぬことだった。
穂乃加は櫃洗市の某大学に籍だけを置き、胸を張って他人に告げられないバイトを東京でし、優雅に気ままに生きているようだ。
それでもますます彼女に惹かれてゆく。
これまでの女たちのような単なるセックスメイトではなく、真剣に穂乃加と所帯を持つことを思う。
彼流のプロポーズに対し、結婚するとなると、穂乃加は貞操観念を強くもとめた。
自分も断固守るが、あなたにも同じようにしてもらいたい、裏切る相手は絶対許さないと。
だが門叶は貞操観念について、もひとつ重く受けとめていなかった。
門叶が二股をかけていた事実が明らかとなり、以来穂乃加からの連絡はぷっつり途絶えてしまう。
あろうことか、二股の相手は穂乃加のルームメイトだったのだ・・・。

『喪失の扉』
知人と一緒に軽くひっかけてくるという口実で、自宅を出た武笠寿憲だが、昔から懇意にしているショットバー<かや>で決定的な粗相をして、出入り禁止を告げられていた。
馴染みのママは、かんかんになって塩を撒いたが、本気だったのかどうか。
暮れなずむ繁華街をさまよっていて、眼についた見覚えのある学生をつかまえ、<かや>に電話を入れるよう頼んだ。
寿憲は春に退職した身ながら、櫃洗大の事務局長だった。
「急用で申し訳ないが、櫃洗大の武笠さんはそこに来ていないだろうか」とママに訊かせる。
蘇甲と筑摩地の男女ふたりの学生に電話させた。
ふたりとも寿憲を大学の教官と勘違いし、さして迷いもせず指示に従ってくれた。
学生から寿憲の所在を問い合わせる電話が続けて二件もあれば、何ごとかとママのほうから探りを入れてくるにちがいない。
ママの声を聞けば、機嫌のほどが察知できるとの目論見。
電話が入るまでどこか他の店で時間をつぶそうかと周囲を見回すと、タコ焼きの屋台の隣りで、奇異なたたずまいの男が座っていた。
《市民サーヴィス課臨時出張所櫃洗市一般苦情係》の貼り紙をした、簡易机の上に載せられた両腕に視線が吸い寄せられる。
寿憲は理知的な男の風貌に、あのことについて訊いてみようと思いつく。
知り合いから聞いた話として。
一週間ほど前、自宅の書斎の押入れを整理していて、古ぼけた紙袋を見つけた。
中から出てきたのは、袋同様変色していてずいぶん古い、学生証の束だった。
有効期限は二十年前の三月末日で、二、三百枚はありそう。
その西暦年号の数字並びに寿憲の記憶が、ちりちり弱火に炙られるかのように刺激された。
失効した学生証は、未回収分がないか確認した後、断裁もしくは焼却処分される。
とっくの昔に処分されていなければならないはずの学生証が、どうしてこんなところに、しかもこんなたくさん?
二十年前といえば、妻の真弓も同じ大学で在職中だった頃。
そこまで考えて、束の間にしろ忘れていた己にたいして、なんとも言えぬ苦い気持ちになった、二十年前、前妻セツ子が死んだ。
その二年後に同僚だった真弓と再婚したのだ。
当時教務課にいた真弓の不手際と考え、問いただしてみたが、いっこうに覚えのない様子。
自宅に持ちかえったまま忘れていたのなら、実家のほうで見つかるはず、結婚してこの家に来たのはその二年後なのだからと、至極論理的な帰結。
しかし暫くして真弓は憶い出した、自分が持ち出してきたものだと、しかも寿憲に頼まれて・・・。

『すべてひとりで死ぬ女』
櫃洗南署の刑事氷見と水谷川は、別件の聞き込みに回っていて、公園のトイレ内で女性の絞殺体と遭遇した。
正確には、遺体の第一発見者は若い娘だが。
氷見と水谷川は<洋風レストラン/カットレット・ハウス>で、被害者を目撃していたのだ。
ふたりが偶然見つけたその老舗洋食店に、話のネタにと入ってメニューの値段に眼を剥きながら、一番低価格のカレーライスとオムライスを各々掻き込んでいると、彼女は入って来た。
客が悠々自適の生活を送っているかのようなご老体ばかりの中、珍しい若い客だから氷見の注意が向いた。
それに水谷川が言うように、なかなかいい女だった。
四人掛けのテーブルに座るや、メニューには眼もくれず、熱心にガイドブックを眺め、それを仕舞うと、買い物してきたばかりとおぼしき<ポメリッジョ>の紙袋を開け、何やらごそごそ中を見ていた。
近くのデパートの一階にある高級貴金属店だ。
紙袋を置いてようやくメニューを手に取って、おざなりに開くや近くの従業員を呼ぶ。
メニューをなぞり、これは時間がかかるのかと訊き、何か言い訳めいたことを呟き店を出た。
氷見たちといしょで、入店したがメニューを見て、あまり高価なのでびっくりしたのだろう、とか当時は思ったのだが。
どうやらその直後に殺害されたようだ。
<ポメリッジョ>の袋の中から発見された彼女の財布には、一万円札がぎっしり詰まっていた。
「変だ。こんなに金があったのに、なぜ被害者は昼飯を食べようとしなかったんだろう?」
殺されていたのは「兎毛成伸江」、納税者長者番付の作家部門の常連である、ベストセラー作家だった。
ハードカバーの本の角で殴打され、抵抗力を奪われたところ、スカーフで絞殺されたようだ。
その本の作者は被害者と同一人物だった。
伸江は埼玉県出身で東京在住、昨年夏期市民大学の講師として招かれ、櫃洗市に来たことはあるそうだが、今回滞在した用件は不明。
ただ前回訪れた時に櫃洗市を気に入って、将来ここに土地を買って移住しようと考えていたとか。
親しい編集者はもとより、今回の滞在のことを家族や友人たちさえ、知らなかったようだ。
標的を無差別に選ぶ通り魔の、凶行である可能性が一番高い、という見解に捜査本部は落ち着きつつあった。
殴打した本の作者と被害者が同一なのは偶然の産物と。
たしかに事件全体には衝動的な臭いが漂っている、しかし氷見は釈然としない。
何よりも不可解なのは、伸江の<カットレット・ハウス>での行動だ。
彼女が何も食べずに店を出たのは、入店直後の様子からも解せない、そんなに急いでいるようには見えなかった。
氷見はひとりで再度店を訪れてみた。
思わぬ新事実が、彼を待ち受けていた。
伸江は昨年夏期市民大学の講師として来訪した折、この店で食事していた。
ハヤシライスがとても気に入り、講演の当日の昼と夕食、そして翌日帰る便を変更してまで食べてに寄っていたのだ。
ところが氷見が目撃した日は、ハヤシライスではなく、一番高価なメニュー特選和牛ステーキコースを指したのだそうだ。
少々時間がかかる、ハヤシライスなら早く食べれると、当日接客した従業員は言ったのだそうだ。
すると急ぎの用があるからと、伸江は店を出たのだった。
あの日の彼女は急ぎの用のある雰囲気ではなく、むしろ最初から食べるものが決まっていた者の態度だ。
それはハヤシライスだろう。
氷見が見ていたかぎり、急用ができたとは考えにくい。
伸江の不可解な行動に、頭が混乱する氷見。
そんな氷見が署に戻ると、《市民サーヴィス課臨時出張所櫃洗市一般苦情係》の貼り紙をした簡易机が、我がもの顔で受付の隣りに鎮座ましましていた・・・。

『スクランブル・カンパニィ』
営業企画一課の檀田臨夢は風邪をこじらしていた。
欠勤したいのを、急ぎの仕事があって無理に出てきて、同僚の尻拭いまでかかえ込まされる始末。
そこへ総務の螺良光一郎が、目鯉部怜太を捜しにやって来た。
檀田は当の目鯉部の尻拭いをさせられているのだ。
傍若無人にふるまう螺良に、檀田はうんざりする。
螺良と目鯉部はつるんで、セクハラの常習犯。
女性であれば社内外問わず節操なく手を出し、あちこちで顰蹙を買い、敬遠されている。
ふたりは「鬼畜兄弟」と、陰口を叩かれている。
目鯉部は一方的に仕事を押しつけて、「螺良のやつが来たら、今日はカリアゲだと言っといて」と電話を切った。
螺良と目鯉部のあいだでやりとりされる隠語「カリアゲ」、互いの部屋を貸し借りて女とことに及ぶ。
関係を結んだ女とのトラブル防止策らしいが、ホテル代をケチっているに過ぎない。
社内では公然の秘密である。
目鯉部がいないのなら、おまえ今夜付き合えと、夕方檀田は拉致同然に居酒屋<駅家>へ連れてゆかれた。
螺良は男ふたり女ふたりのダブルデートを、セッティングしたようだ。
引き合わされた女性に檀田は仰天。
相手は営業四課の女性ふたりだった。
ひとりは二十代後半とおぼしき秋賀エミリ、社内きっての清純派アイドルながら、「悪魔も裸足で逃げ出すしたたかさ」との噂。
もうひとりは玄葉敦子、三十前後といったところで、女優ばりの凄絶な美貌。
横紙破りながら抜群に仕事ができ、社長の覚えめでたい、社内随一のアンタッチャブルな女。
玄葉敦子の辣腕の下、女性社員の固い結束によって、常に社でトップの営業成績を叩き出している四課は、「クロハ軍団」とも呼べる。
考え得る限りの最強コンビ、伝説の女帝とその臣下である、「鬼畜兄弟」の飲み会の誘いに応じたのは不可解極まる。
そういえば最近、営業四課の女の子が、彼らのどちらかにひどい目に遭わされたとか。
檀田はアルコールも料理も手をつけず、やがて力尽きテーブルに突っ伏し、いつしか気を失っていた。
ひとりテンションの高い螺良は、能天気にエミリを落とそうと躍起。
意外にも女帝敦子が、「すごい熱だぞ」「大丈夫か、檀田くんとやら?」と気遣う。
時計を見ると七時だ、そろそろ失礼したいと檀田は敦子に言った。
螺良がトイレに立つあいだに、エミリに訊かれ、檀田はこの居酒屋に引っ張ってこられた経緯を説明。
檀田の話に、「もうちょっとだけ我々に付き合ってくれ。後で責任をもって、家に送ってゆくから」と敦子。
螺良が戻ると、敦子は携帯電話をしに立った。
戻ってきた敦子に、螺良は別行動を提案しようと思った時、彼女に着信があり席を外した。
電話を終えた敦子は、檀田の手を取って家まで送ると告げた。
片やエミリを抱き寄せんばかりにスキップしながら螺良は、夜の雑踏へ消えてゆく。
檀田はタクシーに乗り降りし、アパートの部屋へ上がるのも、敦子に肩をすべて貸してもらった。
途中で敦子が買った、解熱効果抜群の「タヌキ油」を呑むと、夢も見ず熟睡した。
翌朝目覚めるとまだ敦子がいて、おかゆをつくって食べさせてくれた。
結局敦子に連れられ、社にタクシーで乗りつけるはめになった。
玄葉女史が男性社員と手を繋いで歩いている、目撃した社員という社員が動揺し固まる。
そんな大騒動の後、檀田は目鯉部が昨夜逮捕されたことを新聞で知る。
同僚の自宅の合鍵をあずかっているのを悪用し、保管してあった掛け軸など古美術品を偽物とすり替えていたことが判明。
同僚とは当然螺良のことだ。
「鬼畜兄弟」、とんだ狐と狸の化かし合い。
昼休みにテレビのニュースを観て、檀田は驚いた。
螺良も窃盗容疑で逮捕された。
ナンパ女性の自宅から、お宝を盗んでいたようだ。
戦利品の分配を巡っての、仲間割れという背景があると見られている。
当座の仕事を終えた檀田は、心に引っかかることがあるのだが、どう考えたものか判らず、途方に暮れてエントランス付近をぶらついていると、受付の横に若いOLを中心にして長い行列ができていた。
その行列の先に、銀縁メガネを掛けた、無愛想な男が座っていた。
男の前の簡易机には、《市民サーヴィス課臨時出張所櫃洗市一般苦情係》の貼り紙がしてある・・・。

『明日を覗く窓』
蘇甲純也は同じマンションに住む、一般教養のクラスでいっしょの泰地正行から、音成比呂史洋画展覧会のあとかたづけの手伝いを頼まれた。
泰地はぎっくり腰ならぬぎっくり肩になってしまい、搬出作業ができないから代わりに行ってきてくれ、美術専修の先輩の<ナベ>さんには連絡してあるからと。
会場のある新櫃洗会館へ向かった純也は、早く来すぎてしまった。
二階に上がると、左側がカフェ、右側が画廊だ。
時間をつぶそうかとカフェに入りかけた純也、ふと思いなおし、ピクチャーウインドウに歩み寄った。
大通りの往来を眺めていて、奇妙な感じに襲われた。
画廊が大通りに面していたと思っていたが、窓側にあるのはカフェのほうだ。
どうしてこんな勘違いをしていたのか?深く考えてもしょうがないか・・・。
時間が中途半端なのでカフェの抹茶と和菓子セットも別の機会に譲り、画廊内が空き始めていないかと会場を覗き込んでいて、会場係らしきヘルメットの如きかたちをした髪のおばさんに、観覧客と思われてしまった。
観覧は無料、仕方なくそのおばさん(音成画伯の弟子兼秘書の市瀬さんと後で知る)の指示に従い記帳をして、場内を見て回り時間をつぶすことにした。
音成画伯の絵は、滅びのなかに希望のようなイメージが混在する画風らしい、抽象画の類。
そんななか純也に特に強い印象を残したのは、広そうな庭園に少女とおぼしきひと影が佇んでいる構図で、写実的なタッチの「遠ざかる庭」とタイトルされた、他の作品とは逸脱した異色作。
純也はこの絵に既視感を覚えるのだが、どうにも憶い出せない。
そのとき、ふと若い娘と眼が合った、筑摩地葉子だった。
葉子はひとりではなかった。
ひょろりと背の高い、中性的な女性といっしょだった。
この女性が眞鍋カスミ、泰地の言うところの<ナベ>さんだった。
葉子も泰地急病のため、手伝いにかりだされたクチらしい。
純也は胸中そっと泰地に感謝の祈りを捧げた。
新歓コンパの折隣り同士の席に座りながらも、互いに言葉を交わせずにいた。
彼女に憧れながらも、高嶺の花だと諦めている男どもはけっこう多い。
閉館時刻になり、搬出作業が始まった。
対の百号絵をどかして現れた収納庫には、絵画を仕舞うための大小さまざまな平たい段ボール箱が、ずらりと並べられていた。
箱の縁に毛筆でタイトルが書いてある。
ややこしそうな作業は全部手慣れたひとたちがやり、お手伝い組の仕事は、作品を一点ずつ、タイトルに合わせた平たい段ボール箱に詰め、ビニール紐で梱包すること。
最後の段ボール箱を取り出したのは純也、タイトルは「遥かなる庭」とある。
だが該当する絵はなく、作品は全部揃っていた。
それは去年出展した作品の箱だった。
「どうして去年の分の箱がいま、ここに?」
搬出作業は一時間足らずで終了。
その後カスミに誘われ、純也も葉子も居酒屋へ同行。
他愛のない話題でまったりしていたところ、唐突にカスミが余った箱の問題を蒸返した。
「遥かなる庭」は「遠ざかる庭」にもテーマとモティーフが引き継がれる、連作のひとつ。
別れた前の奥さんとお嬢さんといっしょに暮らした庭が、モチーフと言われているそうだ。
描かれる人物はお嬢さんだとも・・・。
「遥かなる庭」の絵が、盗まれたのではとカスミは考えた。
しかし、市瀬さんも気になったようで、画伯の家の倉庫のなかを調べてみたらちゃんとあったと、カスミの携帯に連絡してきた。
「箱だけ収納庫に一年間も放置されたままだったのは、どうして?」
カスミはもう一軒どうかと誘うが、互いに微笑み合っている葉子と純也に、自分は邪魔者と退散してしまう。
シティホテルにある、ティーラウンジの「千円サービス券」をプレゼントして。
ふたりはティーラウンジに行ってみることにした。
ホテルのロビーの片隅には、似つかわしくない人物、そして見覚えのある《市民サーヴィス課臨時出張所櫃洗市一般苦情係》の貼り紙が・・・。

安楽椅子探偵のニューヒーローとして大いに買える、斬新で名がないのも痛快でさえある。
がその反面、登場人物名のややこしさに物語のテンポがすくわれ、話の面白さが損なわれてはいまいかとも思う。

腕貫探偵連作ミステリー第二集【腕貫探偵、残業中】
《市民サーヴィス課臨時出張所櫃洗市一般苦情係》が再び街に現れる。
腕貫男がバージョンアップ?腕貫を外したプライベートな部分がちょっと窺える。
なかなか食いしん坊で、今回は美味しいお店に出没するのだ。
レストランで強盗事件が発生、そこに居合わせてしまった腕貫男、でもそれが縁でなんと恋人が・・・?

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