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ARTな日々

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指人形で話すひとびと

2011-12-29 10:06:44 | Weblog
いろいろな場所で
人と話していて違和感がずっとあったのだが、
近頃は、深く違和感を感じるようになった。
そんなとき、ふと思ったことは、
「いったい、おれは最近、人間と話しているのだろうか?」
自分に対する問いの答えとしては、
「話していない」である。
おれ自身が話す場面だけではなく、巷間から聞こえてくる声
にも、人間同士が話しているとはどうにも思えない。

なんとか、人間の話があるとすれば、
建設現場の職工の間の話であるとか、博打場の話であるとか、
この都会の中でわずかである。ちかごろは場末の酒場でさえも
人間の会話が都会的という言葉に汚染されつつある。

人間がいるのに、人間の会話がない状況がどんな状況かを
喩えてみた。

それは
それぞれの人が、自分の指人形で相手と話ている
指人形を通して相手と話している

なぜ、そんなことをしようとするのか
自分の気持ちを伝えずに
みんなにかわいがってもらいやすい
かわいい指人形をつかって話すのだ

指人形は、みんなに受け入れてもらうことを話し、
指人形は、子供のような言葉を使って話し、

後ろにいる人間は無表情のまま取り残されて
後ろにいる人間は指人形が自分だと思いだし、
指人形に自分を乗っ取られる

指人形とは、誰がつくったものか
それは世間がつくったものである
しかも
わかりやすく、親しみやすく
危険ではないもの
現実を避けるもの

後ろの人間は、指人形との分裂のなかで
深い人間疎外と孤独に苦しむ
指人形で得られた共同体は、
指人形のための共同体でしかないため
後ろの人間は絶望的な孤独に陥る

後ろの人間に意識がないために
指人形が暗躍したのだろうが、
その指人形を指から外したとき、
後ろの人間の陰鬱な幼稚な顔と
己を作ってこなかった
ガランドウな人間が現れる

あなたの指には、指人形がはまっていないか
その指人形を使い分けるのではなく
指人形があなたになっていないか

指人形を外す勇気があるか

しかし指人形を外さなければ
人間としての旅は始まらない






本当のことを語るわたし

2011-12-15 23:04:46 | Weblog
アボリジニの話を読んだとき、
彼らの名前は、その人間の役割を名前に
すると書いてあった。
「ときを告げる人」「真実を語る人」「未来を占う人」
人は、それぞれ役割を持って生まれてきて、
それを発揮させ自然や人間に役に立たせることで
幸せを見つけ出すと書いていた。

わたしは、「自分の役割はなんだろう」と問えば
「本当のことを語る人」だと思う。
こんなことを言うと、うぬぼれであるとか、
高慢だと思われるだろうが、
仕方がない。小さいころからずっと感じていきていたことだ。
どんな立場になろうとも、どんなところにいようとも
本当のことは、私に声をかけてくる。

わたしは、本当のことを言う。
自分で考えたことは、よく間違えるが、
そこになにがあるのか、なにが行われているのか
なにがかくされているのかを感じる力があるようだ。

わたしは、本当のことを言う。
本当のことを求めていない人にまで
本当のことを言うと、とても驚かれる。
全身全霊で呪われることもある。
本当のことを知りたくない人はたくさんいる。

わたしは、本当のことを言う。
わたしは、自分の周りの嘘に対して
本当のことを武器に正義を語ったときが何度もある。
そんなときはいつも、
人々は正義よりもバランスを好むものだ。

わたしは本当のことを言う。
わたしは、本当のことを言うときは、
わたしの不満や、認められない悔しさから
語る本当のことではなく、

わたしではない、本当のことが
必要な人のために
この力を使わなければならないと
今、とてもおもう



40才になりました

2011-10-19 23:09:06 | Weblog
10月18日で40才になりました。
今感じていることは、
現状を受け入れた上で進むということです。
気になることや、許せないことや、受け入れがたいことを
拒否したり、否定したりと、真っ向勝負してきた節がある
わたしでしたが、
これらのことに、真っ向からいかない。
まず、様子を見る。更に見る。
様子を見ている間には、他の良さそうなものを見つける。
見つかったら、そっちにいく。
つまり、気になることや、許せないことや、受け入れがたいこと
からは、じわりと距離置き、別のものをさっさと見つけるということ
一人の人間の中でも同様で、
一人の人間の中の気になることや、許せないことや、受け入れがたいこと
は様子を見て、良さそう部分と付き合うということだろうが・・・・
相当難しいのは知っている。知らないより知っている方がいいに決まっているので
まあこれを忘れないようにする。
これってよくよく考えると、結構思いやりではなく、自分の平常心を保つためだなあと
感じる。相手の欠点を指摘すれば、相手も気づくこともあろうが、
本当は、そんなこと、自分で気づくものだから、身内でもない限り
欠点を教えてやるなんてのは、傲慢なんだろう。
こんな感慨が40才のおれの感覚です。

売り渡すなかれ想像力

2011-10-16 16:39:54 | Weblog
最近は、「まちづくり」に関する活動を
行っている。

以前から、自分の住む町や人に関心があった。
日々暮らしというものが、自分の家族だけの
交流しかないことに普通に違和感がありました。
また、自分の暮らしというのが、会社中心になって
しまっている。冗談じゃないである。
私たちのような、働き盛りといえる世代は
会社と家の往復だけで、地域との関わりがなにも
なく、休みは、大型ショッピングやコンビニなんか
にいくだけの地域とのかかわりだ。
これが普通になってしまった。
冗談じゃない。
わたしには、そんな生活が窮屈で仕方ない。
散歩をしているとき、この家面白いな、
この人何しているんだろう?
どうして、こんな店やっているの?という
日常に興味をひくことがもっとあっていいはず。
誰かが用意したもの、買ったもの、
「あなたは誰ですか?」
「消費者です」

たぶん、資本主義がいきすぎたのでしょう。
こんなの嫌だな
たぶん、買わずとも、面白くすごすには?
と考えたとき、ものすごい難しいこととなるのではと
思います。
想像力を買われてしまったのかもしれません。
売り渡すなかれ想像力

戸田市議会賞受賞

2011-10-02 22:46:46 | Weblog
10月2日~10月10日まで開催されている
戸田市美術展に「胎児」を出展した。
うれしいことに戸田市議会賞を受賞した。
よろしかったら、戸田市文化センターで
展示がありますが、まあ、戸田まで
来ないわな。
9日の表彰会があり、その後の懇親会がある。
その懇親会で何か楽しい今後につながる交流を
もてたら良いとおもいまっする。