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ARTな日々

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西部邁先生逝去

2018-01-22 21:08:04 | 文明論

西部邁先生が逝去された。
年始のチャンネル桜の放映で、10月位にも死ぬこと試みたと言っていた。
西部さんの番組は見るようにしているので、最近の様子から
この度のような行動にでるとは、思えなかった。
幾人かの人は死んでいくが、今回の西部さんの死は、
私には特別な感慨がある。
私は20代の頃、西部先生の私塾にも通っていた。
あまり人が死んでも、感慨に耽ることはない人間なのだが、

今回の西部さんの死は感慨深いのだ。

【特番】平成二十八年 年末特別対談 - 西部邁氏と語る[桜H28/12/29


西部さんが亡くなったことで、私の思想的な支柱を失った気がした。
西部さんの思想は、やはり味わい深かった。
西部さんの葛藤は、文学者の持っている特有の深みと輝きがあった。
やはり輝く才能があったのだ。

小林秀男が亡くなり、福田恆存が亡くなり、西部邁が亡くなった。
これは、戦後の偉大な思想家の連続性であったのだが、
もう、西部邁に続く思想家は誰一人もいない。

だから、私は支柱を失った。

これから、何をどう思索していけばいいのだろうと思ってしまう。
この世や世界を映す鏡として西部さんから映る絵はすばらしかった。

どうしたものだろう



いまでも西部邁は好きだ

2015-05-31 21:31:01 | 文明論

自分は、思い返せば20歳くらいから西部さんの話を聞いてきた。
もう20年以上になるけど、まだ西部さんの話は聞いていきたいと
思っている。
理由は単純で、信頼に足るということ。20年もずっと聞いているのだから。
西部さんを自分は学者だと思っていない。
文学者的な葛藤や情緒が言葉の端々に現れる方であり、
それでいて西部さんも保守を代表する知識人として
現在では第一等の人なれど、日本の伝統の系譜にはいないのだ。
小林秀夫や福田恒存を継ぐ人ではない。ここが複雑なのだ。
西部さんは、伝統や歴史という言葉や、文化の薫陶についての
話をするが、西部さんが引用する人は、オルテガであり、バークであり、
チェスタトンなのだ。日本人であれば、福沢諭吉か中江兆民なのだから、
この人物たちも日本の文化人としての本流とは思い難い。
西行や本居宣長や親鸞や道元等のことは語ったのを聞いたことがない。

西部さんは北海道で生まれ育ったところに、日本的なるものから
離れた辺境の意識があるのだと思う。なにかどこにも帰属できない
さすらいの人がこの人の本性なのではないかと自分は感じる。
ここが、西部さんの葛藤なのだろう。この葛藤やあわよくばニヒリズムが
自分には、いつも伝わってくる。
それでいて、浪漫的な風情もあるので、ニヒリストになんかではちっともない。
本来は、保守でもなんでもなく、この人は時代が違ったら
詩人になっていたらちょうどいいんじゃないかと感じる。
どうりで語りが美しいことかと思う。

今回のチャンネル桜の討論では、70歳過ぎてもやはり西部さんは、
反骨で素敵だ。やっぱり風雪の人なんだと思う。

3/3【討論!】表現者スペシャル「世界のカオスをどう考えるか?」[桜H27/5/30]


ずいぶんな勘違いをしているのは日本人ということ

2015-05-30 20:23:56 | 文明論

私に残されていることは嘆くことだけかもしれない。
嘆いたとて、それが何になるのでもないことは
いい加減わかっているつもりであるが、
あわよくばという私の考え及ばぬところに
私の言葉が影響してもらいたいという願いが
浅ましくもあるのだ。

当世風の人間というのは、まったく嘆いてはいけない様子だ。
嘆くということは、まったく人生を感じよく生きることを
妨げる陰気なものとして排除する。
当世風とは、どこにも明かりを入れなければならない。
暗がりだとか隠微な猥雑なものを認めることは
人生を複雑にし、快活に生きられなくなる
”マイナスなもの”として忌避される。
それは徹底的である。
FACEBOOKなるものは、徹底的にそれを進める。
いいというものしか共有することを認めない。
私から見れば、これは異常である。
空気を吸って吐けない位に異常なことだと感じている。

能書きをうだうだと書いたが、私の嘆きである。
今日、ラジオでロンドンの暮らしについて話している
番組があった。
これは、他の国では当たり前なことであるが、
時間厳守という約束事の正確さは、日本の他に
ないという。
それでいて、労働も夜遅くまでおこなわないし、
コンビニなんてものもないので、色々と不便だという。
それは日本に比べて不便ということ。
その代わり、ロンドンでは、ゆったりと過ごせる時間を
とれるという。

日本では、「お客様の満足のために」なんていう狂った言葉のおかげで
どんどんサービスが細かく深化している。
そのために人間がそのサービスのために労働として人間疎外をさせられている。
私たち日本人は金のために、そこまでして仕えなければいけないのか
そして、一体、何に仕えているのかさえもわからない。
商売人ばかりになって、商売人はやたらと機嫌のよい笑顔で
挨拶してくる。
陰気なことをいったら、物が売れなくなる。
なので陰気なことを排除する。
蔭では自殺者が2万人いる。

はっきりいおう。結局、私たちが仕えているものは、金だ。
これしかない。
スマホにこのアプリを追加するサービスを提供することが、
あなたの仕事だとしても、それが一体なんだというのだ。
大根をよりうまい大根をつくるサービスだとしてもだ。
それが一体なんなのだ。そんなことが、人生の一大事なのか。
それは、そんな位の仕事なのだ。そんなことを大げさに考えるな。
皆が皆、より良い大根をつくるために本気にならなければならない
社会なんて狂っている。そして、本気にならなければ排除される社会も
狂っている。
困ったことに、そんなことを一大事に考えなければ、ならない強制性があるのだ。
この国には!
大根なんて、ほどほど味で十分ということでいいと思う。
更にうまい大根を作りたい人がいれば、それでいい。
大根を作ってもいいが、大根を作ること外にも人生は大いに
広がっている。その選択肢を阻み、大根に対して本気にならなければ、
社員として認められないということが狂っているというのだ。
また、その大根をできるだけ傷つけないためにどうするかとか、
大根を入れる角度や向き、大根を売る言葉をどうするかとか、
すべてサービスとして大根に付随するのだが、
そんなこと、どうでもいいだろう。
なんで、こんなことにあなた方の人生を費やせなければならないのだ。
百歩ゆずって、費やしたとしても、しょせん大根という意識
くらいもっていてほしいのだ。

生産者の誇りなんて言うが、誰もが生産していることに誇りを得られるものばかり
だというのか。こんな合理化と単純化によって大量生産させるものにどうやって
誇りを得る?それは演技がかった、いらっしゃいませという店員の顔を見れば、
嘘は十分見て取れる。私は強いて皮肉をいっているのではない。
もう、そろそろ、こんな嘘話はやめようといいたいのだ。
こんなことを続けなければならないほど、私たちは不幸なのかといいたいのだ。

人生の目的や意義を失ったから、目の前にある労働を
誇りだと思い込ませているのだ。
その労働は結局のところ、何になるか言えば、金にしかならない。
人の笑顔になんか、なるはずがない。嘘をつけといいたい。
こんな滑稽な民族があるか。
何がシナや韓国をバカにできるというのだ。
しっかりに卑しい顔になり下がっているじゃないか日本人よ。

勤労の美徳という言葉にすり替えて、人のためのサービスという言葉に
すり替えて、無目的な労働を行い続ける。
それは、人間としての誇りや思想、価値というものに対して
虚無的になり下がった戦後日本人の堕落としか見て取れない。

私は、この国がいい国なんてこれっぽっちも思っていない。
他国に比べて正直で誠実なところはあるだろう。
しかしながら、自分自身に対して、正直で誠実であるかといえば、
これは、きっぱりと劣っているといえる。

おまえみたいに文句を言っている奴は、国外にでも逃亡して
野垂れ死にすればいいという言葉が聞こえてくるが、
私にだって希望がある。

私は、この国の人間として、どうにかして
無目的なことに仕えるような人生ばかりが
あってはならないと考えているのだ。
人間を取り戻せるような国であり、民族でありたいと
願うばかりである。

だから私は、問題である労働のことについて
異議を伝えつづけざるを得ない。
それは、当本人である私の問題であるからだ。


となりに住む人は何する人ぞ

2013-02-13 13:33:41 | 文明論
となりに住む人は何する人ぞ

という具合に、隣近所の付き合いや 地域でのつながりなどはなくなった。 マンション等に住んでいたら、もっとわからな くなる。 こんな世の中はつまらないなあと思い、 八っつあん、熊さん大家さんという具合や、 隣に醤油借りてこいという具合に いい感じに生きてみたいと夢みたのが去年まで あった。 そのための市民活動なんてのもやってみた。 書いていて気づくのだが、もう市民という言葉 使い からダメだったと気づく。 日本人は市民はいません。いたとしても、日本 に住む 市民は、個として暮らしたい市民なので、 どのみち何やっても白々しい結果になるのだ。

最近は、地域のつながりということに、 どうも自分は絶望してしまったようだ。 だから、なんだかそんなことを考えることが 面倒臭くなってしまった。 これでは、市民と同じだ。 そもそも、人付き合いってのは、一番面倒な ものだけど、昔の人はそうしなければ、 生きていけなかったので、そうしたのであっ て、 便利になって付き合わなくてもいいなら、 付き合わないほうがいいと考える寸法だ。 だから、みんな付き合いたくない。 近所のタバコ屋よりも、自動販売機が良く、 顔がおぼられそうな定食屋よりも、不特定多数 としていける ファミレスがいいとなる。

それで味気ないといったら、贅沢なのかもしれ ない。 だけど味気ないな。 そもそも人付き合いは面倒なものだ。 やらない方が楽だ。でもやらないと味気ない。

この世の中では、人間関係が希薄になったの で、 人付き合いをするためには、なんだか努力をし なければ ならない。努力して行う人付き合いは白々しく 結局は落ち着かなく定着しない。 難しくなったものだ。

諦めることを受け入れることだって人生であり
正しさだと近頃感じている。