私に残されていることは嘆くことだけかもしれない。
嘆いたとて、それが何になるのでもないことは
いい加減わかっているつもりであるが、
あわよくばという私の考え及ばぬところに
私の言葉が影響してもらいたいという願いが
浅ましくもあるのだ。
当世風の人間というのは、まったく嘆いてはいけない様子だ。
嘆くということは、まったく人生を感じよく生きることを
妨げる陰気なものとして排除する。
当世風とは、どこにも明かりを入れなければならない。
暗がりだとか隠微な猥雑なものを認めることは
人生を複雑にし、快活に生きられなくなる
”マイナスなもの”として忌避される。
それは徹底的である。
FACEBOOKなるものは、徹底的にそれを進める。
いいというものしか共有することを認めない。
私から見れば、これは異常である。
空気を吸って吐けない位に異常なことだと感じている。
能書きをうだうだと書いたが、私の嘆きである。
今日、ラジオでロンドンの暮らしについて話している
番組があった。
これは、他の国では当たり前なことであるが、
時間厳守という約束事の正確さは、日本の他に
ないという。
それでいて、労働も夜遅くまでおこなわないし、
コンビニなんてものもないので、色々と不便だという。
それは日本に比べて不便ということ。
その代わり、ロンドンでは、ゆったりと過ごせる時間を
とれるという。
日本では、「お客様の満足のために」なんていう狂った言葉のおかげで
どんどんサービスが細かく深化している。
そのために人間がそのサービスのために労働として人間疎外をさせられている。
私たち日本人は金のために、そこまでして仕えなければいけないのか
そして、一体、何に仕えているのかさえもわからない。
商売人ばかりになって、商売人はやたらと機嫌のよい笑顔で
挨拶してくる。
陰気なことをいったら、物が売れなくなる。
なので陰気なことを排除する。
蔭では自殺者が2万人いる。
はっきりいおう。結局、私たちが仕えているものは、金だ。
これしかない。
スマホにこのアプリを追加するサービスを提供することが、
あなたの仕事だとしても、それが一体なんだというのだ。
大根をよりうまい大根をつくるサービスだとしてもだ。
それが一体なんなのだ。そんなことが、人生の一大事なのか。
それは、そんな位の仕事なのだ。そんなことを大げさに考えるな。
皆が皆、より良い大根をつくるために本気にならなければならない
社会なんて狂っている。そして、本気にならなければ排除される社会も
狂っている。
困ったことに、そんなことを一大事に考えなければ、ならない強制性があるのだ。
この国には!
大根なんて、ほどほど味で十分ということでいいと思う。
更にうまい大根を作りたい人がいれば、それでいい。
大根を作ってもいいが、大根を作ること外にも人生は大いに
広がっている。その選択肢を阻み、大根に対して本気にならなければ、
社員として認められないということが狂っているというのだ。
また、その大根をできるだけ傷つけないためにどうするかとか、
大根を入れる角度や向き、大根を売る言葉をどうするかとか、
すべてサービスとして大根に付随するのだが、
そんなこと、どうでもいいだろう。
なんで、こんなことにあなた方の人生を費やせなければならないのだ。
百歩ゆずって、費やしたとしても、しょせん大根という意識
くらいもっていてほしいのだ。
生産者の誇りなんて言うが、誰もが生産していることに誇りを得られるものばかり
だというのか。こんな合理化と単純化によって大量生産させるものにどうやって
誇りを得る?それは演技がかった、いらっしゃいませという店員の顔を見れば、
嘘は十分見て取れる。私は強いて皮肉をいっているのではない。
もう、そろそろ、こんな嘘話はやめようといいたいのだ。
こんなことを続けなければならないほど、私たちは不幸なのかといいたいのだ。
人生の目的や意義を失ったから、目の前にある労働を
誇りだと思い込ませているのだ。
その労働は結局のところ、何になるか言えば、金にしかならない。
人の笑顔になんか、なるはずがない。嘘をつけといいたい。
こんな滑稽な民族があるか。
何がシナや韓国をバカにできるというのだ。
しっかりに卑しい顔になり下がっているじゃないか日本人よ。
勤労の美徳という言葉にすり替えて、人のためのサービスという言葉に
すり替えて、無目的な労働を行い続ける。
それは、人間としての誇りや思想、価値というものに対して
虚無的になり下がった戦後日本人の堕落としか見て取れない。
私は、この国がいい国なんてこれっぽっちも思っていない。
他国に比べて正直で誠実なところはあるだろう。
しかしながら、自分自身に対して、正直で誠実であるかといえば、
これは、きっぱりと劣っているといえる。
おまえみたいに文句を言っている奴は、国外にでも逃亡して
野垂れ死にすればいいという言葉が聞こえてくるが、
私にだって希望がある。
私は、この国の人間として、どうにかして
無目的なことに仕えるような人生ばかりが
あってはならないと考えているのだ。
人間を取り戻せるような国であり、民族でありたいと
願うばかりである。
だから私は、問題である労働のことについて
異議を伝えつづけざるを得ない。
それは、当本人である私の問題であるからだ。