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ARTな日々

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流行 隠遁 保守 誇り

2011-08-21 12:39:41 | Weblog
世間がある限り、流行がある
流行があるところには子供がいる
現代の様相はちょっと変わり、
流行のあるところに大人がずいぶんいる
大人が子供から大人になれていない
(悲しいかなわたしもその一人かもしれないが)

流行にあるものは、どんちゃん騒ぎ、
流行だから、そんなに長続きしない
その時代のムードに似つかわしいだけである。

その者であろうとするものにとって、
流行は必要のない場合が多い
その者であろうとするものにとって、
流行の力を借りる必要がない
なによりも、流行にあるものは
過去にあったものの姿を変えたものであるから
既に知っているものであり、
そこから得られるものが喜びではないことを
知っている。

しかし、世間は常に流行に騒いでいる。
大人もいないから、あたりは流行で満ち溢れている
わたしのいう流行とは、
大人がディズニーランドにいったり
電車でマンガを大人が読んだり
酒場での飲み方が、中年になっても学生気分で飲んでいたり、
キャリアだとか、おいしい店だとか、消費中毒だとか、
だったりするのだろうが、

一昔なら、ここらへんのことと距離を置いていた
老人というものが居た気がするが、
これらの人は、今や保守的な人間とされ、
なんだか、あまりにも少数のため、
うとまれ、隅においやれた感じになっている。

流行のなかに過ごすのも人間だろうが、
それを距離を置いた人間たちだっているだろう
それらのバランスにおいて社会というものが
動いていくものだと思う。

近頃、思うことは、一人で酒場にいっても、
なにか話を聞きたいと思う、老人が本当にいないことだ。
老人がスニーカーをはいているような世の中だ。
なぜ若作りするの?
あなたが生きてきた歴史は、だれかに語るべきものはないの?
アメリカニズムに侵された
アンチエイジングだって

今の保守の言論人達を見ればわかるが、
隅においやられすぎて、
どうにもしみったれたみすぼらしい感じが否めない。
先人が、世間から距離を置いて隠遁した気持ちが
良くわかる。

これを偏屈というのだろうが、
はたしてそうかな?

この世と歩調を合わせている方がおかしいと
私はおもう。


みなとみらいとか

2011-08-21 12:18:23 | Weblog
みなとみらいに未来はない

フランスの町をマルシェし
そこを歩いてカフェにはいる
植えられた木々は、
人間の都合だけで
鑑賞のためにある

みなとみらいに未来はない

わたしたちの町は
こんな町で良いのだろうか、
人間が住む町なのだろうが
こんな人間中心で良いのだろうか
わたしたちの目にするすべてが
理解できる人間の息がかかったものばかりで
良いのだろうか

虫がずいぶんいたり、なんだか
暗がりが気持ち悪かったり、べとべとしたり、
まっすぐあるけなかったり、
わけがわからなかったり、危険だったり
しないことが、
良いことなの?

それを良いとする人間とは?
それを良いとする人間のこどもはどんなこども

人間が理解できる世界に棲む人間は、
人間にあるものは、
人間関係のみ
そうなんだ
人間と人間の関係のみだ

この世界は人間だけ?

人間だけの中で生きる人間感とは
どんなもの

この世界の生きにくさが
よくわかる

わたしは都市になじむ
人間になじめない
なんか、人間らしくない

どこのお店がおいしいとか
どこのアトラクションが面白かったとか
どこで盛り上がったとか

もうそういう話には近づきたくないんだ

はなれたいところからはなれる方法

2011-08-18 23:06:26 | Weblog
はなれたいところからはなれる方法。

はなれたいと思っている意識が、
まず、そのはなれたいところとの
縁をつむいでいる。
はなれたい、しかし、はなれられない。
ここにひとつの鎖がかけられ、
結局、そこから解き放たれない。
ひっぱればひっぱるほど、強くなる
鎖ならば、
ひっぱらずに、押しながら、
解ける場所をゆるませながら、
解くが良い。
まずは、意識から放つことだ。
悔しさや、怒りや、悲しさや、喜びからも
離れることだ。
ないものとして、暮らそう。

受け容れていく

2011-07-20 22:47:40 | Weblog
そもそもがなにものでもない
なにものであるように
自分自身を特別に考えている
その特別に考えている者は
だれかといえば、私でしかない
仕方なかろお
特別ななにかを感じたとしても、
これまで何も発信しておらず、
自分の感性で感じとっただけなのだ
自画自賛という滑稽な姿だ

このような自らを慰みつづけることに
別れを告げることも
大人になることのひとつだ

通俗と距離を置き、かかわらないようにすること
面白味がない人間ばかりと、かかわらないようにすること
小児化した社会を嘆き、距離を置き、かかわらないようにすること

これらは、どれも、なにものかであるように考えている私を
特別視している故に発される態度だ

何者でもない。

ならば、そのものを受け容れて入り込まなければ
私は、どこにも存在できなくなるだろう

不愉快だろう
されど、そこに入っていくことが
生かされる道ならば、
それに従うことだろう

私は逆らってばかりいたのだ
逆らうにも十分な理由がある
それはもっともだと思うよ
その自分も認めつつ
受け容れていく世界を持つことを
諦め行っていくということ